カフカに倣いて(二) 犬のようだ!
「誰かがヨーゼフ・Kを中傷したに違いなかった。というのも、悪いことなど何もしていないのに、ある朝、逮捕されたのだから」——つかみが早い。いきなり熱湯の中である。フランツ・カフカの「審判」(訴訟、1914年)の有名な書き出しである。ただ、本当に何者かがKを誹謗したのか、本当にKは罪を犯していないのか、冒頭で提示された問題は宙づりのまま、結末の、(例によって)主人公の不条理きわまりない死に至るまで、明らかにされることはない。謎の裁判を巡る、入り組んだ迷宮のような、終わらない悪夢のような展開。すなわちカフカ・ワールド。あらすじをまとめるのが難しい作品である。いや、そもそもあらすじをまとめることに意味があるのか。
30歳の誕生日の朝、突然逮捕された平凡な銀行員のヨーゼフ・K。身柄を拘束されることはなく、いつも通りに出勤し、普段通りの生活を送る。最初の審理、指定された場所はアパートの一室、Kは聴衆を前に自らの逮捕の不当性を訴えるが、集まった聴衆はみな役人側の人間だった。Kの叔父が旧知の弁護士を紹介する。しかし裁判は一向に進展しない。Kは裁判官とつながりがあるという法廷画家のもとを訪ねるが、画家は完全な無罪を勝ち取るのは不可能、出来ることは仮の無罪か、訴訟を引きのばすことだけだという。この間、複数の女たちを利用しようとし、時に関係を持つK。弁護士を解任しようともする。そして逮捕から1年、31歳の誕生日の前夜、Kは郊外の石切り場に連れて行かれ、二人の処刑人に心臓を突き刺され、犬のように死んでいく――。
難解そうな印象を受けるだろう。実際、決して読みやすい内容ではないが、手に取ってみると、意外とすらすら読み進められるのではないかとも思う。奇天烈な顛末を不気味なほど淡々と語る、事実の報告のような簡潔な文体の力だろう。この作品が難解なのは成立の事情にもよる。初めに冒頭の「逮捕」の章と、終章の「最後」の章がほぼ同時に書き上げられ、間を埋めるように書き進められたが完成には至らず、断片とみられる章も残されているうえに、カフカはこれらの章に番号を振っておらず、その正しい順番は永遠の謎となってしまっている。カフカ没後の1925年に親友マックス・ブロートの手によって、全10章に再構成されて発表された。研究者のベーダ・アレマンの「どの章も新しくはじまる形をとるように見える。主題上の相互的連関はほんのまれにしか見られない」との論評は的を得ているように思う。
こうしたテキストの性格からしても、この未完の長編の主題について、その解釈を一義的に定められるわけもなく、かくして議論は無限に拡散していく。すなわちユダヤ教的解釈、カトリック的解釈、実存主義的解釈、精神分析的解釈、権力論的解釈……。さらにややこしいことに、「審判」の成立にはカフカの伝記的要素、具体的にはフェリーツェ・バウアーとの(一度目の)婚約破棄の苦しみが大きく絡んでいることが、先行研究によって明らかにされている。長くなるので詳細は研究書にゆずるが、創作中心の人生と相克するであろう結婚生活、不安と逡巡、この間の男としていかがなものかという立ち振る舞い、その後始末を巡ってのベルリンのホテルへの呼び出し、関係者による話し合いという体の尋問、カフカ本人の言葉でいえば「ホテルの法廷」という針の筵のような状況、第三者的にみれば自業自得だろうという話……。
いずれにせよ、限りなく開かれたテキスト、野放図ともいえる自由な読みが許されているのが、カフカ作品の魅力であろう。
「審判」という難峰に挑むには、有名な「掟の門」へのアタックが常道だろう。「掟の門」は作品の終わりに近い第9章に組み込まれた挿話で、大聖堂で教誨師からKに語られるという形をとっているが、「審判」自体、「掟の門」を巡って構想されたのではないかといわれている。劇中劇という体裁、作品全編とは独立して論じられることが多いという点で、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」と似た位置付けといえるかもしれない。実際、「掟の門」はカフカの生前、独立した短編としても発表されており、自信作だったようだ。
田舎から出てきたある男が掟の門の中へ入ろうとする。一人の門番が守っており、今は入れてやれないと断られる。また仮に入ったとしても、部屋ごとに怪力の番人が待ち受けていると説明する。男は待つことにし、開いたままの門の脇で何年もひたすら待ち続ける。男は番人に入れてくれるよう何度もしつこく頼み、買収しようとさえする。やがて年老いた男は門の奥の暗闇に一条の光が輝いているのを見る。死期が近いことを悟った男は、ふと不審に思ったことを門番に問う。誰もが掟を求めているというのに、何十年もの間、なぜ自分以外の誰も掟の門に入ろうとするものが現れなかったのだろうかと。他の誰ひとり、ここには入れない、この門はお前ひとりのためだけのものだったのだ、と門番は答え、門を閉める――。
この謎めいた寓話、ひとまず迂回しようと思う。理由は私の力不足である。ただ、次のような見通しらしきものはもっている。すなわち、この挿話でカフカが問うているもの、特に門の奥の一条の光が象徴しているものは、必ずしも宗教的な救いといったことではなく、むしろ世俗的なこと、具体的には結婚生活を中核とした小市民的な安寧、「家庭の幸福」、もっと広くとらえれば、トーマス・マン(1875年~1955年)的な意味で芸術家気質と対置させられるところの市民気質、市民的生活、つまり、そうしようと思えば中に入ることが出来たであろう門の前で佇み続けた田舎の男は、まばゆいばかりのブロンドの男女の舞踏を遠目でじっと見つめ、決してその輪に入ることはなく、そっと立ち去るトニオ・クレーゲルと、意外にもそう遠くない場所にいるのではないかと。実際、カフカは8歳年長であるマンの「トニオ・クレーゲル」を愛読していたという。
力不足などというのは言い訳で、今の私には重すぎる問題なので、向き合いたくないということなのだろう。
「審判」の最後の場面は次のような感じである。とてもいい文章なので、少し長くなるが、慣れ親しんだ岩波文庫版でそのまま引用する。翻訳でもその満点の臨場感は伝わってくるはずである。
だれだ? 友人か? よい人間か? 事の参画者か? 助けようという者か? たった一人なのか? みんななのか? 助ける道がまだあるのか? 忘れていた異議があるのか? もちろん異議はあるのだ。論理はなるほどゆるがしがたいが、生きようと欲する人間には、その論理も逆らえないのだ。ついにおれの見なかった裁判官は、どこにいるのだ? ついにおれのいたらなかった高級裁判所は、どこにあるのだ? 彼は両手をあげて、その指をぜんぶひろげるのだった。
しかし、Kの喉には一人の男の両の手がおかれ、もう一人は庖丁を、その心臓に深くつきさして、二度そこをえぐった。かすんでゆくKの目には、彼の顔のまぢかに二人の男が、頬と頬とを寄せあって、決着をながめているそのさまが、なおも映った……
「審判」(辻瑆訳)
独文学者の川島隆氏はNHKラジオドイツ語講座テキスト「カフカを読む」で、ここを取り上げ、一般向け語学教材でそこまで書くかというほど詳しく分析、解説している。カフカはこの場面、ほぼ「引用符なし、三人称、過去形」でヨーゼフ・Kの「心の声」を描写している。「引用符つき、一人称、現在形」ではなく、上述の方法で「心の声」を表現することをドイツ文学では「体験話法」(erlebte Rede)と呼び、英文学などの自由間接話法(Free indirect speech)とおおまかに合致する。カフカが得意とした書き方だという。ところが、傍点の「論理はなるほどゆるがしがたいが、生きようと欲する人間には、その論理も逆らえないのだ」(Die Logik ist zwar unerschütterlich, aber einem Menschen, der leben will, widersteht sie nicht.)だけ原文では現在形となっている。さらに、「彼は両手をあげて、その指をぜんぶひろげるのだった」(Er hob die Hände und spreizte alle Finger.)も、カフカの手書き原稿では一人称Ich であったのを、編集者側で三人称Erに直したのだという。また最初は現在形だったのを、カフカは後から過去形に修正している。つまり、カフカはKの心情に没入するあまり、「引用符なし、一人称、現在形」に移行してしまった、もっといえば、図らずも「内的独白」、「意識の流れ」の手法を用いているというのだ。カフカでは例外的な用例だという。
文学史の教科書では、マルセル・プルースト(1871~1922年)、ジェイムズ・ジョイス(1882~1841年)とカフカはよく並称されているが、それはあくまで20世紀文学に与えた影響の大きさという意味で、前二者とカフカは別の系統の作家と考えられている。「意識の流れ」という新たな手法を駆使して、人間の意識を追究、文学表現の地平を大きく広げた「モダニズムの旗手」プルースト、ジョイスに対し、「実存主義文学の祖」カフカ。その世界観の新しさとは裏腹に、表現の上では新奇な意匠や実験的方法に走ることなく、むしろリアリズムを踏襲している。「審判」のラストで、おそらくは意図せずして「意識の流れ」が顔を出しているということ。それは次のようなことを逆照射してはいないだろうか。すなわち、カフカと同時代人であるプルースト、ジョイスあるいはヴァージニア・ウルフ(1882~1941年)といった偉大な先駆者たちは、文学上の新しい技巧を独創、開拓したというよりも、書くことそのものにおける根源的で無意識的な欲動といったものを解放したのではないかと。かなり直感的な物言いだが、実感的にそういえるような気がする。
解釈が限りなく拡散していくカフカ作品の中で、この小説の結末の解釈は珍しく収斂していく傾向にあるようにみえる。すなわち、すぐ後に続く時代のファシズム、ナチズム、スターリニズム、さらには今なおしぶとく生き残る全体主義の非人間性、その政治体制が生んだ粛清と虐殺の嵐の歴史、夥しい数の「犬のような死」、それらを予見した「予言者カフカ」の像へと。言葉にするのも辛いが、カフカの三人の妹はナチスの強制収容所で非業の死を遂げ、親しかった叔父は収容所に移送される前に自ら命を絶った。
先の引用に続く最後の一文は特に好きなので自分なりに言葉を補って私訳をつけてみた。即物的な報告調の原文の味わいを損なわないように。
„Wie ein Hund!“ sagte er, es war, als sollte die Scham ihn überleben. (Der Process)
「まるで犬じゃねえか!」と彼は言い放った。恥の感覚だけが、肉体の死後もずっと生き残っていくような気がした。