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雲に梯 三

 しかし少年の習慣は例の通りにはいかなかった。なぜなら夕方といえども、正月であるために、神社には初詣の客がポツポツとおり、森の中で身を隠すのが不自然であったからであり、さらにあの巫女は、他の巫女の隣に社務所の中でお守りを売っていた。この時、少年の視界の中の対象があの巫女だけになることが決してなかったのである。少年は動揺した。例の通りに進まない物事に、いかなる対処も考えていなかったのである。顔は強張り、階段の最上段からは足がすくんで動けなくなってしまった。これから参拝する人や、参拝を終えた人が階段の真ん中に立ち竦む少年を邪魔そうに、ジロジロ見ながら階段を上り下りしていたが、少年の意識は茫然としているだけで、そこから一寸も動かなかった。


「どうしたのかしら」


 少年はあの巫女が目前に迫っていたことに気がつかなかった。否、視界の面では確認をしていたらしいが、意識の面では不如意のために全く確認できなかったのである。そして彼女は少年と同じ背丈に屈んで、「そこは危ないから、こっちにおいで」と少年の背を触ったのである。少年は電撃が走ったようにビクッと体を震わせ、次第に顔に集まっていく熱は体を内側から火傷させてしまうのではないか、と思うほどのものであった。


「大丈夫?」


 巫女が少年の顔を覗き込み、少年は初めて巫女の顔を正確に確認した。美しい瞳だった。くっきりとした黒い瞳に薄茶の角膜が少年の姿を捉えていた。少年は巫女に注目されていると思うと、全身に力が入った。そして、その美しい視線と距離に居た堪れなくなり、大きく目を開いたまま顔を逸らし、裏返った声で「ごめんなさい」と言い残して、その場から逃走した。少年は家まで無我夢中で走った。見るだけで収まっていた衝動が今、違った形に変貌を遂げてしまい、いてもたってもいられない少年のその想いは、走るという刺激でどうにか落ち着こうとしているのだ。苦手な国語のテストで100点を叩き出した時とは比べられないほどの凄まじい快感に、どうしてもニタァと口角が上がってしまう。むふふ、という声すら聞こえる。だが、その快感の裏には、落胆すべき事象が存在した。そのうちの一つは、巫女の存在に太刀打ちできる精神力を中学2年生の少年が持ち合わせていなかったことであった。


 少年は翌日、かのような快感を忘れられず、それだけでなく、再びかような経験をしようとその欲を抑え切れず、布団から出たばかりの足で早朝という時刻から家を出た。少年の、かの習慣では満足ができなくなってしまったのであった。早朝ということもあって、人のまばらな境内は、少年を木影に隠すことを認めざるを得なかった。そして巫女が社務所から出てくるのをひたすらに待った。少年が隠れ始めて20分ほどが経っただろうか、巫女はついに姿を現し、すでに掃くほどでもなく綺麗な地を掃き始めた。今か今かと指を咥えながら母乳を待つ乳児のように、巫女という対象を食い入るように捉えた少年は、あの巫女に、朝にも掃除という習慣があることを確認するとともに、ニィィと笑った。そして木陰からサッと一歩出て、社に向かって歩き出した。巫女の視界に自ら入り込んだ少年は「こんにちは」と放った。「こんにちは」と巫女もこちらを確認しながら微笑み返した。


 その瞬間、少年に今まで解けなかった問題が解けた時のような、或いはそれ以上の達成感が凄まじい身震いとともに現れた。少年は絶頂するような恍惚とした顔を隠そうにも隠せなかった。一方で巫女は、挨拶をしてすぐに目線を地に戻してしまっていたために、いや、そもそも巫女にとって少年が特に焦点の当たる人物でなかったために、自身へ不審な想いを募らせている最中(さなか)の少年を認識できなかった。神を信じぬ少年だったが、いかにも、神に手を合わせにきました、という体を装い、「フヒヒ」とニタニタ笑いで、本坪鈴を鳴らし、この神社の神に向かって初めて手を合わせた。

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