王女のお祝いの裏側で
王子と乞食という絵本であの後乞食ってどうなったのかなと思って
首都中心部の街は祭りで賑わい。空には大きな花火が何度も上がる。
今日は我が国の王女殿下の結婚式だ。
「あたしには関係ないけど」
顔に大きな火傷を負い、まともな職もつけない自分からすれば祭りの後に掃除として安い賃金で駆り出されて、そこで見つけた残飯を拾えば食べるものにしばらく困らない程度だ。
それは自分だけではなくこのスラム街に住んでいる者たちも同じ考えで、全く顔も知らない王女とやらのお祝いを冷めた目で見ているだろう。
………もっとも自分は彼のオウジョサマに会ったことがあるが、思い出したくないほどの忌々しい思い出だ。
いつ朽ち果ててもおかしくないほどの辛うじて屋根がある程度の寝床に戻り、祭り後の仕事は多いだろうなと早く休もうとずっと昔に拾った毛布を音を遮断するように頭から被った矢先だった。
とんとん
ぼろぼろの壁を叩く音。
煩いなと最初は無視して眠っていたが、音はしばらく続き、心なしか音が大きくなってくる。
「煩い!!」
とうとう我慢できなくなって音の主に向かって怒鳴る。
ノックして来るのならこっちの話が通じるだろう。
「ああ。失礼――一晩泊めてもらえるだろうか?」
外に立っていたのは質のいい服に身を包んだ一人の綺麗な青年。
正直言えば自分の……自分たちの住んでいるスラム街でこんな格好をしていたら身ぐるみ剥いで持ってかれているだろうに、何でこいつは無事なんだ。
「………お貴族様なら一本向こうの道で宿が掃いて捨てるほどあるだろう」
「あいにく」
綺麗な声だ。どこかで聞いたような……。
「何か祭りでもあるようで宿が空いていなかったんだ」
「………」
ああ、なるほど。確かに祭りで客が溢れているか。
正直泊めてやる義理もないが、ここで相手しなくてもこいつはずっとここに立っていそうに思えたし、朝には身ぐるみを剥がされた死体が転がっているのは流石に寝覚めが悪い。
「ぼろ家だぞ」
仕方ないと溜息混じりに中に入れるとそいつは何故か嬉しそうに微笑んで、
「感謝する」
と中に入ってくる。
「………」
やっぱ、聞いたことあるような声だ。でもこんな奴覚えていないしな。
「――それにしても」
何もないがらんとした家に臆することなく、綺麗とは言い難い床の間に腰を下ろして、扉の向こうから見える花火に視線を送り、
「今日は騒がしいな。何かあるのか?」
不思議そうに尋ねてくる。
てっきり、祭り目当てで来た宿が空いてない状態を全く予想していなかったお気楽ボンボンかと思ったらそうでもなかったようだ。
「それはご愁傷様。――今日は我が国のオウジョサマの結婚式……というか旦那さまが迎えに来てくれるんだと」
「ほう。偶然だな。俺も妻を迎えに行くつもりでここに来たのだが」
迎えに行ったのにこの人混みで目的地に辿り着けなかったと言うことか。それは災難なことだ。
「と言うことは他国に輿入れという俗にいう政略結婚か?」
じりっ
顔の火傷が痛みを訴えたような気がした。
「いや……」
じくじく痛む顔を誤魔化すように笑おうとして顔が引き攣る。
顔全体に負った火傷で表情を作ろうとすると痛みが襲ってくるし、この顔を歪めると気持ち悪いのか化け物とよく言われる。
痛みに耐えようとしたが、そっと触れるぬくもり。
「痛そうだな」
気を遣ってくれる声。
「………」
気を遣われたのはいつ以来だろうか。火傷をしてから誰も近づかなかった。この火傷があたしの罪の象徴と言われて関わるのをみな拒んだ。
――あたしに何の罪があったのだろうか?
ただ………。
感情を込めないで淡々と口を開く。
「オウジョサマは10年前の今日。聖獣さまに見初められたんだ」
この国の者なら誰でも知っている話。
10年前。8歳のオウジョサマは我が国で伝わる神聖な儀式を行い、そこで聖獣さまを呼び出した。
聖なる魂を持つ者が儀式を行うと聖獣の声が届き、我が国の問題ごとを解決する糸口を授けてくれる。
よほど難しい儀式なのか成功させた例は数えるほどしかないそれをオウジョサマは行い、その際助言を授けてくれた聖獣によほど気に入られたのか我が国の成人と言われる年齢の18歳になったら妻として迎えに来ると約束された。
『―――約束だ。そなたを我が妻として迎え、共に聖獣の世界で暮らそう』
もちろんそなたが嫌ならその時は幸せを確認して去るつもりだ。
人の世界の理があるから迎えに来る時以外はなにも手出しできない。人の理に従うのならそなたの意思を尊重して、無理やり連れて行くのはやめておく。
そこまでこちらを気遣ってくれた声を思い出してしまう。
あの時約束をした。もう意味のない約束だが。
「…………」
仄暗い何かに囚われそうな自分を踏み留めようと首をそっと横に振り、淡々とこの国に住むのなら誰もが知っている【事実】として話を進めていく。
「その約束の日が今日になるんだ」
国中が祭りになるのも当然だろう。我が国自慢のオウジョサマが聖獣の元に嫁ぐのだから。
何より、オウジョサマが聖獣に嫁ぐのを妬んだ輩がオウジョサマに成り代わろうとしたという事件があったから余計に無事に嫁ぐことを祝うのも仕方ない。
『わたくしに成り代わろうなんてなんておぞましい生き物かしら。まあ、殺すのは忍びないから生かしてあげるわね』
『姫殿下の寛大なお心に感謝しなさい』
肉の焼けるような臭いと激しい痛みに襲われた気がして痛みをこらえるように顔を押さえる。いや、押さえる以前に労わるように青年はいまだにあたしの火傷を気味悪がらずに触れ続けていく。
まるで火傷を癒そうとするかのような優しい感触。
「………」
涙が出そうになる。それに耐えるように、
「だから祝っているんだ」
何も感じないように告げる。
ただの強がりだ。だが、
「――それはおかしいな」
急に何を言われたか理解できなかった。
青年の手が火傷を負った頬を撫でる。
「俺が妻ごいしたのはそなただったろう? ティナ」
ティナ。久々に名前を呼ばれた。
罪人として顔を焼かれてから誰もその名を呼ばなかったし、あたし自身も名乗らなかった。
名前を聞かれたこともなかった。最後に聞かれたのは――。
『そなたの名は?』
あの時答えなかった。だけど、心ではとっさに答えた。
――そうか。ティナか。俺の名は……
「俺の名を覚えているか?」
問われてようやく思い出す。なんで聞いたことがあるような気がしていたのか。
ああ、確かに聞いたことある。
「翔炎」
青年の知らないはずの名前を呼ぶと同時に花火が上がり、青年の影が映し出される。
大きな大きな鳥の姿が――。
『そこの者』
教会で育てられた孤児だったあたしは靴磨きの仕事をして小銭を稼いでいた。いつか手に職を持てばお腹いっぱいに物が食べられるのだろうと夢見る程度の子供だった。
綺麗な服に身を包んだ――後でその服が侍女服と言われるものだと鼻で嗤われながら教えられた。
『さっさと連れてきなさい』
こちらの意見も聞かず、気が付くと馬車………には乗せられず、護衛らしき人物に引き摺られるように連れて行かれて、全身を水桶よりも大きなものに入れられて……あとで知ったがお湯を使わせるのは勿体ないと水の張った風呂桶に入れられたようだ。
水が真っ黒になるまで身体を擦られて、見慣れない服を着せられて尋ねようとも口を挟むなと言われて貴族サマに抵抗したら鞭打ちになった友達がいたので鞭が怖くて黙ってされるがままになっていると、とても綺麗な部屋――とはいってもすべてが豪華すぎて違いなど分からないけど、綺麗なのは確かな部屋に連れてこられるとそこには一人の少女がずっと座っていた。
「――ふうん。こんなものね」
「後はお化粧をすれば多少は見栄えが良くなるでしょう」
何がどうなっているのか全く分からない状態で口を挟むことも許されない。
「じゃあ、さっさと整えなさい。儀式なんて退屈なモノを押し付けられる程度似せてもらわないと」
理解できない状況でそれでも必死に手掛かりを求めて話に耳を傾けた。
顔をべたべた塗りたくられて、何かを描かれて、されるがままで抵抗する事も許されない。
「気持ち悪いわね。こんなものがわたくしと似ているなんて」
「姫殿下。お気持ちは分かりますが、似ているから使い道があるので堪えてください」
「そうね。ばあや」
勝手に連れて来て、勝手に何かをさせてそんなこと言われるのが気に障るが我慢する。
そして、何かの儀式に目の前の少女が出たくないから代わりの人材を見付けて来て、それがあたしだったということを知ったのだ。
退屈でつまらない儀式で何時間も拘束されるなんて真っ平ごめんだ。それなら代理を用意して遊びに行けばいい。
儀式の作法を付け焼刃で教え込まれて、逆らうことも許されず……せめてこれから解放されたら小銭を稼げるかと期待することしか出来なかった。
聖獣を召喚する神聖な儀式。もはや形骸化した行事は退屈なものだったんだろう。欠伸を噛み殺しながら参加する煌びやかな恰好の人々が大勢いる中、誰も自分が偽者だと気付かずに行事を進めていき………。
『――ああ、久方ぶりに見る清らかな魂だな』
聖獣――朱雀がその場に現れて、自分を呼び出した存在を気に入り妻にすると宣言したのだ。
それに対して本物のオウジョは儀式の間買い物をして遊び惚けていたが慌てて戻ってきた。自分が入れ替わりをさせたのにも拘らず、自分が儀式を終えた後で何者かに捕らえられ、偽者がすり替わったと騒ぎ立てた。そして王女を騙る不届き者としてあたしを牢に追いやり、顔を焼いた。
これでもう王女の振りは出来ないだろうと嗤いながら。
「そうか……守れなくてすまない」
触れてくる手から温かな熱が伝わってきて痛みが消えていく。顔を常に引き攣らせていた火傷が消えていく。
人の理に手を出し過ぎると世界の均衡が崩れるから清らかな魂の持ち主――どちらの世界にも溶け込める存在の仲立ちが必要だと召喚した時伝えられた。そして、この世界にこれ以上置いておけないから自分の世界に行こうと。
だけど、それを傍で聞いていた人々が反対した。王女はまだ親の庇護下にいる年齢だからと。
人の理を守る必要があったから諦めたが、その決まりを守っていたことを悔やむような澱んだ声。
「ティナ。約束の日だ。君の希望を聞きに来たが……」
ここまでの行いをされた元凶である自分が許せないのではないかと恐れるような声。
あたしよりも高貴な存在があたしの意見を聞きたいのかと有無を言わさずに替え玉にして冤罪で顔を焼いたオウジョサマを思い出す。
あの時言われたのは王女にそっくりになれた自分の顔を恨めと。
「いや……」
恨む理由はないだろう。それどころか約束をしたのはオウジョサマだと思ってオウジョサマのところに行くと思っていたのだ。
「連れて行ってくれるか……」
あの儀式の時に誰よりもえらい存在でありながらあたしに誰よりも優しかった。もう会えないと思ったのに会いに来てくれたことが嬉しかった。
治らないと諦めていた火傷も治してくれて、触れてくれるその手が嬉しくて、そんな優しさはすごく久しぶりなのでそれだけでもういいと思えたのだ。
「――良かった」
微笑まれて、そっと抱き寄せられる。
暖かい。
あたしと翔炎を包むように紅と黄金の炎が出現する。
「怖くないか?」
火傷を負ってから火を見るのが怖くて火を使うのも怯えていたが不思議と怖くなかった。
「大丈夫だ」
笑って答えて、すぐに自分の表情筋が笑っても痛みに襲われない事実にまた嬉しくて別の笑みが出てくる。
笑うだけでもこれだけレパートリーあるんだなと初めて気づいた事実。
それだけでもう幸せだと思えた。
かの国は盛大な祭りを行ったが聖獣は現れず王女は城に残されたままだ。
わざわざ近隣の国に喧伝して聖獣に見初められたと自慢していたので反感を買っていた王女とその国は近隣の国の王族に嘲笑われ、そのネタをいつまでもねちねちと言われ続けて外交に響いた。
その後王女はどうなったか不明だ。
遅れて聖獣が迎えに来たのか。それともひっそりと修道院に送られたか。別の戸籍を与えられて静かに暮らしているのか。
ただ、一部の貴族らは何故か祭りの後からその家で火を使おうとしても火が一向に着かず、火を扱うことが出来ない謎の現象に見舞われた。火を使う料理をその家の者が口にすることが一切できなくて、明かりを灯したくても明かりすら手に入れられない。
まるで火の精霊に嫌われているかのような不思議な現象。
それに関しても口さがない者らがいろんな噂を流していく。その中には聖獣が見初めた存在に酷いことをしたのではないかというものも交ざっていたとか。
じわじわと嬲りながらのざまぁ。