出会い
アスターとナイトが出会ったのは、9年前の春の夜だった。ナイトの過去になにがあったのか。これからどうなっていくのか。アスターの本心とは。
ひとしきり心を落ち着かせた後、ナイトは宿へ戻った。
受付のアスターはめずらしく新聞も読まずに頬杖をついてぼーっと座っている。ナイトに気づくと待っていたとでも言いたげな顔をして話しかけてきた。
「ナイト、お前今日でいくつになった。」
どうしたんですか急に。と言ったあと ナイトは
ハッと思い出した。
「...そうか。今日は私の誕生日でしたね。すっかり忘れていました。...19歳です。」
「....もう、そんな歳になるのか。」
アスターは感慨深そうに呟いた。
「俺たちが初めて出会ったのは、お前が10歳の頃だったな。」
「昔話でも始めるつもりですか。」
ナイトが小さく笑った。
「たまにはいいだろう。ほら、ここに座れ。」
アスターに促されるまま、ナイトは受付の前に置かれた椅子に腰をかけた。懐かしい記憶が2人の脳裏に蘇る。
9年前。小雨降る春の夜のことだった。アスターがまだ現役の殺し屋だった頃、ある任務を終え本部へ向かっていた。長い道のりだった。東から西へ山を3つほど越えた先、視界のひらけた草原を歩いていると前方にぼんやりと一軒の小屋が見えた。
(ちょうどいい。今夜はあそこで休もう。)
ここ数日歩きづめで野宿をすることが多かったアスターの足取りは、いつの間にか軽くなっていた。
小屋まであと数10メートルほどだった。すると視界の左側に影が見えた。
(……なにかいるな。動物だろうか。兎か猪か、食えるものだといいが。)
期待に胸を膨らませ暗闇に目を凝らすが、所々が草に隠れてよく見えない。先ほどの足取りとは打って変わって、じりじりと静かに歩みを進めていった。影はもう目の前だ。
(これは....)
それは動物ではなく人だった。人が仰向けになって倒れている。衣服にはたくさんの血がつき、吐く息は苦しそうだ。
アスターは迷った。目の前に放っておいたら死にそうな人間がいる。しかも見たところ幼い少女のようだ。助けるべきか、否か。
(俺にはもう、何も残っていない。)
人殺しが人を助けるなんて馬鹿らしい。心底そう思った。だがそんな考えをよそにアスターの体は無意識に動いていた。
少女を優しく抱えた後、雨の当たらない近くの木のそばに寝かせた。
「....…これも縁ってやつなのか.....?」
アスターは少女に対して言葉では言い表せない何かを感じた。それから「少し待っていろよ。」と声をかけ目線を小屋の方へ移した。どう考えてもあそこで何かあったのは違いない。アスターは短剣を左手に構え、静かに小屋の裏手へ回り込んだ。
そこにあるものを見た瞬間、アスターは短剣を静かに腰の位置に戻した。
一面の血の海だった。雨で所々が洗い流されているようだが、それでも壁や地面にいたるまで四方八方に血が飛び散っていた。
目線を落とすと凶器に使われたであろう斧が無造作に置かれ、血まみれの男と女が転がっていた。彼らは確認せずとも死んでいるのが分かる。
男は首の後ろがぱっくりと割れていた。見ると傷口が何箇所も抉りかえっている。
一方女は右足が膝から上と下の2つに分かれ、腰には大きく切られた跡があった。
2人とも1度では殺しきれなかったのか、それとも強い殺意から死んだ後も切り続けたのだろうか。
「これは まるで...」
まるで力のない者が必死に、無我夢中で襲ったかの様な光景だった。
(これなら中もどうなっているか分からないな。)
アスターは小屋の周りを1周したあと、正面の扉へ手をかけた。物音ひとつ聞こえてこなかった。扉をゆっくりと開けると、暖炉の前に人が横たわっていた。まるで眠っているようだった。体にかけられた布が赤く染まっている。
それからアスターは行動が早かった。外に倒れている2人を小屋の中に運び、持っていたマッチで火をつけた。暖炉ではなく死体の方に。
火はじんわりと広がっていく。数分も経つと、遺体全体を包み込むように燃えはじめた。
「結局今日も野宿か......。」
明くる日。
昨日の夜遅くまで降っていた雨はすっかり止んで、雲の切れ間から太陽が顔を出している。頬に当たる日差しがあたたかい。
アスターは朝食の用意をしていた。沸かした湯に今朝調達した猪肉とイモ、キノコ、山菜を手際よく入れていく。食材にしっかりと火を通し、10分ほど煮込めばスープの出来上がりだ。試しに木製のスプーンで味見をしてみる。
(まぁ、悪くない。)
「やめてっっっ!!!!!!」
突然眠っていた少女が大声を上げ起き上がった。悪い夢でも見ていたのだろうか。額には冷や汗が流れている。
「…驚いたな、どっちの意味でも……。もう目が覚めたのか。子どもの回復力というのは大したものだ。」
「あなた、誰なの…。」
少女は状況が飲み込めず、困惑した表情を浮かべていた。
「聞きたいことは山ほどあると思うが、ひとまずこれを食べなさい。何日も食べ物を口にしていないだろう。」
アスターは小皿に分けたスープを少女へ手渡した。拒絶されるかと思ったが、少女は意外にもすんなりそれを受け取った。少女は言われるがまま出来立てを口に入れると、冷たくなっていた体が芯から温かくなっていくのを感じた。
「あたたかい........。」
そうぽつりと呟くと、よほどお腹が空いていたのか少女はすぐにスープを平らげてしまった。そして食べ終えるやいなや 皿を持ったまますっくと立ち上がった。
「お皿を洗いたいのですが、川はどのあたりでしょうか。」
まるで一瞬の出来事だった。アスターは自分はきっと今ポカンとした顔をしているのだろうなと思った。
「……あ、あぁ。そこの獣道をずっと辿っていくといい。100メートルほど下った先に川がある。」
そう答えるとアスターはスープの残りを口に放り込んで、今にも飛びだしていきそうな少女の傍らに空の皿を差し出した。「俺の分も頼んでもいいだろうか。」少女は少しだけ振り返って、首を縦に振った。
少女は駆け出した。まるで何かに追われているかのように、必死に腕を振って走った。
「大丈夫、大丈夫。」
少女はこの言葉を自分が誰に向かって言っているのか、なぜ言っているのか、そもそもなぜこの言葉が口から出たのか、分からなかった。それでも言い続けながら走った。時折小石が足の裏に当たって痛かった。
川に着くなり少女は乱れた息のまま水面を見た。そこにいるもう1人の自分と目が合う。そしてまた同じ言葉を繰り返した。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫、だい…………じょうぶ…。」
少女はゆっくりと膝から崩れ落ちた。
小さな体を揺らしながら、周りに誰もいない静寂の中でただ1人、声を殺して泣いた。
しばらくして少女は何度も顔を洗った後、皿をすすいで来た道を引き返していった。
(あ………。)
視線の先にさっきの男がいた。木陰で気持ちよさそうに本を読んでいる。
(戻ってきたらもういないと思っていたのに。)
「戻りました。」
少女はアスターへ声をかけた。
「あぁ、ありがとう」
皿を受け取ったアスターは、それが使う前より綺麗になっていることに気づいた。
「そう言えば、名前を聞いてなかったな。俺はアスター。アスター・ヒースだ。」
少女は少しためらった後、答えた。
「…ナイト・ウィルゴー……」
それが2人の出会いだった。
「ナイト、すまなかったな。」
「なぜ謝るんですか。」
「なんとなく察していたんだ。だからあの夜あの小屋で何が起きたのか、お前が自分の口から家族を殺したと告白した時、動揺はなかった。ただ俺はこれからお前の進む道が、俺と同じ陰の仕事をやる他にないと、決めつけてしまった。まだ幼いお前を陽の当たらない世界へ導いてしまった。」
「そんなことありません。」とナイトは首を横に振った。
「...あなたに付いていくと決めたのは私です。私が自分自身で選択しました。それに…2度と後戻りはできないと、分かった上で殺したのですから。」
アスターの後悔をかき消すように、ナイトは小さく微笑んでみせた。
「もとより私に心などありません。人を殺してもなにも感じない。だから私にとってこの仕事は天職なんです。」
アスターはナイトが必死で自分自身にそう言い聞かせているようにみえた。
「俺が殺し屋でさえなければ...」
続きを言いかけて、アスターは言葉を飲み込んだ。そしておもむろに懐からタバコを取り出し、一息大きく吸ってみせた。
「お前が今しがた馬車で見送った娘は、暗殺対象だったのか。」
ナイトはそれを聞かれることを予想していたようだった。慌てもせず、困惑することもせず、いつもの冷静さを保とうとしていた。
「あの人はとても優しい人です。だから、私とは違う道を歩いて欲しかった。自由に...なってほしかった。」
それは紛れもなく、ナイトの本心だった。
「お前はさっき自分には心がないと言ったな。それはちがう。お前は昔から何も変わっていない。誰よりも優しい、小さな女の子だよ。」
アスターはあの時、一部始終を見ていた。誰もいない場所で声も上げずに泣いていた小さな少女の姿を、ずっと忘れられずにいた。誰にも涙を見せようとしないナイトが、あの娘にだけ見せた涙には、きっと意味があると思った。
ナイトは何も言い返してこなかった。ただ椅子の上で背を丸め、膝を抱えていた。
「時が来たんだよ、ナイト。あの娘に言ったように、お前も自分の為に生きろ。自由になってくれ。」
言いながらアスターは、まるで幼子をあやす様にナイトの頭を左手でポンポンと叩いた。




