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第八章 王太子の苦悩

 瞼を閉じれば浮かぶルキアの最後の微笑み…。

 最愛の人、ヘレナと一緒に居ても、不意を突いてルキアは現れる。

「お慕いしてました…」

 あの言葉が耳に残って離れない…。

 海の波間へ揺らめく一筋の光道に導かれ、闇夜へ浮かぶ澄んだ月の美しさに気づき夜空を仰ぐ。ルキアの残像はそのようなものだ。


「私が守ってやる…」

 いつだったか…。泣いていたルキアへヴィクトルは約束した。それを思いだすたび、ヴィクトルは胸が苦しくなり、酒へ逃げるようになった。

 何故、守れもしない約束を簡単に口にしたのか…。髪を掻きむしり後悔するものの、許してくれる人はこの世にいないのだ。



 ヴィクトルの初恋はヘレナである。

 モニカの話では、ヘレナが誘拐される前、ヴィクトルは幼いヘレナと結婚の約束をしたそうだが、全く覚えていなかった。

 ヴィクトルの記憶で、初めてヘレナに会ったのは彼女が入学したばかりの秋、学園内にある庭園だ。

 ヘレナは裸足で芝生を駆けていた。

 草の感触を足の裏で確かめていたらしい…。

「朝の方がね…。朝露が冷たくて気持ち良いの…」

 柔らかな甘い胡桃色の髪が風に遊ばれ弾む。大きな瞳は若葉色で透きとおり純真無垢な印象を受け愛らしい。

「足が汚れてしまうだろう?」

 ヘレナは制服のスカートの裾を掴んでいるので、瑞々しい白い足が覗いた。足には葉っぱが引っ付いていた。

「そんなの構わないわ…。汚れたら拭けば良いのだし…」

 天高く醒めるような青空の下、ヘレナの笑顔は自由奔放で愛らしく、ヴィクトルの顔が熱くなり胸が高鳴った。


 国民に尊敬される王になるべく、日々、王太子としての教育、執務や外交に追われて、重圧に押し潰されそうになっていたヴィクトルは王太子として生まれた以上、人前で弱音を吐けない。

 だが、ヘレナは一緒にいるだけで、ヴィクトルの気持ちが軽くなっていく気がした。何かから解放されたような気分になる。


「また、難しい顔されてますね?」

 木陰で涼んでいるヴィクトルへ、頭上から声が降りかかる。ヴィクトルは次の授業で使われる教科書を読んでいた。

 ヘレナを認めたヴィクトルは挨拶を交わそうと開口する。

「ヘレっ⁉︎」

「えいっ!」

 そのタイミングを見計らい、ヘレナはヴィクトルの口へサンドウィッチを放りこんだ。

「むぐっぅっ…」

 王太子に対して許しもなく食べ物を口へ押しこむなど、本来あってはならないことだ。

 待機していたフェリクスがヘレナの行動を見咎め諌めようとするも、ヴィクトルは視線を送りフェリクスを止めた。

「むむっ…。美味しい…」

「でしょ?美味しいものを食べると眉間の皺もなくなりますよっ!」

 ヘレナの言葉にヴィクトルは自然と笑みが零れた。

「あっ…。ついてる…」

 ヘレナはヴィクトルの口許へ手を伸ばす。遠慮なく肌へ触れパンくずを払った。ヴィクトルは不快に感じることはない。

 白い歯を恥じらいもなく見せて笑いあう。



 ヴィクトルがヘレナへの恋心に気づいたとき、ルキアはヴィクトルに何の対処もしてこなかった。

 ヴィクトルの知らぬところでヘレナを叱責したとか…。貴族令嬢へ指示して、ヘレナを虐めているとか…。

 色々な醜聞はヴィクトルの耳へ届く。

 ヘレナはあえて、ルキアの関与を否定しなかった。もちろん、肯定したわけでもない。

 心配したヴィクトルから、ヘレナへ助力を申し入れたが、自分で解決するべきことだからと断られた。ヴィクトルはヘレナを頼もしく思った。


 それでも、力になりたいヴィクトルは、今期、同じクラスになったグイドへルキアのことを尋ねてみた。

 実兄に聞くのが、一番ルキアの本性を知っているのではないかと考えたのだ。

「そうですね…。ルキアならそれぐらいは平気でするでしょう…。アークトゥルス宰相閣下の娘ですから、父親に似て権力に執着しているはずです。それに…。ペラギア様もお亡くなりになられたでしょう…。自身が危ういと焦っているのではないでしょうか…」

 それまで、ヴィクトルはルキアを清廉な人間だと信じていた。


 ルキアのことは婚約者として信頼していたのだが、どうやら裏の顔があるようだ…。

 

 ヴィクトルは自身に落ち度があることを認めていたため、ルキアと顔を合わせて話す事を避けていた。

 グイドの話や生徒たちの噂を信じ、ルキアへ頑なな態度をとるようになる。

 益々、ルキアは孤立していった。


 

 アガタが仰々しくヴィクトルへ毒を渡す。

「ヴィクトル様…。こちらが毒でございます。ルキア様へ同じものをお渡しいたしますが、ルキア様がヘレナ様のグラスへ毒を入れるとは限らないでしょう?お優しい方ですから…」


 あれが…。優しい?


 ルキアは自己保身のためか、嫉妬からか、ヴィクトルへまでも矛先を向け、わざわざ呼びだし抗議してきた。


 優しいわけがない…。


「…殿下?聞いておられますか?」

 アガタのほっそりと整った片眉があがる。

「何だ?」

 アガタはルキアとの婚約破棄へ奮闘してくれている人物だ。ルキアとの婚約はマルクスの命より成立したものだ。ヴィクトルが婚約破棄を望んでも、簡単に事は進まない。

「ですから…。ルキア様が毒を使わなかった場合に備えて、殿下がヘレナ様のグラスへ毒を入れてくださいませ…」

「はっ?」

「ルキア様は薬瓶を手元へお持ちです。それはヘレナ様の殺害を試みた動機になりましょう?」

「…。使わなかった場合…。それは冤罪になるであろう…」

 ヴィクトルは躊躇った。

 もし、ルキアが毒を入れなかった場合、いくらヘレナとの恋を隔てる壁とはいえ、罪を被せるのはいかがなものだろうか…。ヴィクトルの良心が咎める。

「殿下はヘレナ様との愛を貫きたいのでらっしゃいますよね?」

 ヴィクトルの胸へ指を突きつけ、鬼気迫る顔でアガタは迫った。

 女性から好意を寄せられることに慣れているヴィクトルだが、アガタには一切それが感じられない。

「あちらへ非があるように見せかけて、婚約破棄するにはこれが一番の方法かと存じます。これが成功した暁には私を次の婚約者として、ご指名くださいませ。私は殿下とヘレナ様の愛を邪魔立てしたりはいたしません」

 ヘレナとの愛を阻むことはないというのは、アガタの本心であろうとヴィクトルは悟った。


 卒業式典では大仰に声をあげて、ヘレナのグラスがどれであるかをルキアへ知らせた。

 そして、ヴィクトルは愛しい人のさかづきへ毒を盛ったのだ。



「お前も私の元を去るのだな」

 城門でヴィクトルは一人の男と対峙していた。

 幼い頃からヴィクトルへ付き従っていたフェリクスだ。手には手綱を握っている。

「さようでごさいますね…」

 艶やかな黒毛の馬が低い音で鼻を鳴らして、フェリクスの頭へ鼻を擦りつけている。

 情けない面持ちでヴィクトルがフェリクスへ尋ねた。

「私はこれから誰を頼って生きていけば良いのだろうか…」

 フェリクスの赤いボサボサの髪が更に愛馬によって乱れた。その頭を掻きながらフェリクスは答えた。

「殿下は人望もございますし…。頼もしい臣下はたくさんおりますよ…」

 フェリクスの言葉にヴィクトルは何も言えない。

 幼い頃から付き従ってくれたフェリクスの目を見据えてヴィクトルは訴えてみた。フェリクスはヴィクトルの気持ちを重々感じとっていた。

「あれからヘレナ様の毒殺未遂につきまして、陛下のご指示ですぐに捜査が打ち切りとなりました」

 ヴィクトルはフェリクスから目を逸らす。

「まるで何もなかったように…」

 ヴィクトルはフェリクスの真っ直ぐな眼差しを受け止めることが出来なかった。

「私は内密に調査したのですよ…。殿下…」

 フェリクスは護衛騎士というより友人として側で見守ってくれた男である。

「私の忠義心は殿下から離れてしまいました…」

 全てを調べあげたフェリクスの忠誠がヴィクトルへ戻ることはない。ヴィクトルは理解した。


 もう二度と会うことはないのだろうな…。


「それでも、殿下がこの国の将来をより良いものへ導かれるよう信じております」

 ヴィクトルへ丁寧にお辞儀をして、フェリクスは颯爽と馬へ跨った。フェリクスは自身の実力がいかほどのものか試すため大陸を渡る。

「私がか…。この私が…」

 か細い声でヴィクトルはフェリクスを見上げた。

「それが彼の方のお望みでありましょう…。彼の方はこの国の行く末を…。民のことを…。案じておられましたから…」

 フェリクスは馬の腹を軽く蹴ると、ヴィクトルからみるみる彼の背中は遠ざかっていった。



 控えていた侍従が重々しく口を開いた。

「陛下…。これ以上はお身体に障ります…」

「許せ…。あと一杯だけだ…」

 ヘレナが眠りに就いたあと、ヴィクトルは起こさないようベットから起きあがり部屋を抜ける。

 忙しければ執務へ没頭して気が紛れるのだが、そうでないときは酒をあおるようになった。

 寝つけない…。

 注がれた酒の氷が溶けて崩れてグラスが鳴る。琥珀色の綺麗な液体へヴィクトルは視線を落とした。


「ヴィクトル様、一緒にこの国を幸せにいたしましょうね…。子供たちが皆、安心して暮らしていけるような…」


 それが…。彼女の…。ルキアの願いだったか…。


 自分を慕ってくれた一人の少女を死なせてしまった。一番近くにいた少女を幸せにできなかったヴィクトルは、果たして彼女の望んだ王になれたのだろうか…。

 ヴィクトルはルキアへの償いのためにも生きなければならない。

 賢王となり、アストラ王国を治めるのだ。



 ヴィクトル・ポラリス

 アストラ王国の王である。

 亡きペラギア王太后が推奨していた学校教育を確固たるものにするべく、学徒へ給食を無償で提供した。それにより、学校へ通う子供の数が大幅に増え、国の学力は向上、王国は更なる発展を遂げた。

 他、多数の功績があり、アストラ王国建国以来きっての賢王と称されている。


 晩年、アルコールに依存した彼は身体を蝕まれ、彼の息子が成人するや否や王位を継承して退いたとある。

ご報告いただき誤字訂正を致しました。

ありがとうございます。

誤字脱字が多いと自覚しております。

至らないことも多々ございますが今後とも宜しくお願いいたします。

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