エピローグ
「じいじ?」
「何だ?」
「必要な薬草はこれで合ってますか?」
小さな子供が乾いた薬草を手のひらの上へ載せて、ラルスへ確認する。
「あぁ…。これでいい…。あとはすり鉢で潰しておけ…」
古びた机の上へ置いてある白色の陶器をラルスは指さす。
「はーい!分かりましたっ!」
少女はまだあどけない表情で元気よく答える。ラルスは思わず頭を撫でていた。
母親に似て綺麗な顔立ちをしている。きっと、美人に育つだろう。
魔導士ラルスは長年アストラ王国を支えていた前王太后ペラギアの元恋人である。
ペラギアは若かりし頃の数年の間、まだ見ぬ世界を旅したいと、アークトゥルス侯爵家を飛び出し、冬の大陸で冒険者として活躍していた。そこでラルスと恋仲になったのである。
ペラギアはラルスとの婚姻を両親へ認めてもらうため一度侯爵家へ戻った。元々、家督は男子であるアマデウスが継ぐ。破天荒なペラギアにアストラ王国、延いては春の大陸は狭すぎると半ば両親も諦めており、快諾まではいかなかったが、婚姻を承認してくれた。
その矢先、両親は事故で死亡…。ペラギアはアマデウスの後見人としてアークトゥルス家へ留まり、ラルスもペラギアを支えていた。その後、ポラリス王家からの王妃へとの打診…。アマデウスの今後のことを慮ると、侯爵家としては断れるはずもなく、二人は別れたのだった。
ペラギアは死ぬ間際、ラルスを呼びだし、ルキアを見守ってほしいと遺言を残した。ラルスは別れる際に一度だけラルスを呼びだせる魔法陣の巻物をペラギアへ渡しており、それで召喚されたのだ。
王妃の画策により、ペラギアは長年、側仕えから毒を飲まされていた。蓄積された毒が身体を蝕み、息絶え絶えにラルスへ願いを告げた。
「治してやろうか?」
ラルスは冬の大陸でも屈指の魔導士である。治癒魔法を施せばペラギアの延命は可能だ。
「私は長く生きました…。貴方のいない世界はとてもつまらなかったわ…。もう、私に貴方のいない孤独は十分です」
苦しそうな表情で冗談を言うペラギアをラルスは優しく抱きしめた。
「これからもずっと傍にいてやるけど?」
「こんなヨボヨボな年寄りなのに…。ふふ…。ラルスは本当に奇特ね…。ありがとう…。最後に貴方に会えて私は幸せなのよ」
ペラギアは治療を望まなかった。ラルスはペラギアの意思に従い、彼女が静かに息を引き取るまで傍らにいた。ペラギアの臨終の死に顔はとても安らかであった。
一度は婚姻まで考えた女の願いをラルスは必ず叶えてやろうと考えた。ペラギアがどんな姿へ変わろうとも、ラルスの想いは変わらず、心はペラギアで占めていた。
「ルキアを我が子のように愛してやって欲しい」
ペラギアの最期の言葉を胸へと刻んだのだった。
「じぃちゃん!父さんがそろそろ出発するから、じぃちゃんを呼んでこいって!」
赤髪の長身で体格の良い青年が勢いよく小屋の戸を開け叫ぶ。扉の留め具がギシギシと音を立てているのをラルスは情けない顔で見つめた。
「やれやれ…。年寄りをこき使う男だなぁ…。アグネス、薬は包めたか?」
透明感の際立つ白肌に赤い唇が浮かぶ。闇夜のような黒髪に知的な輝きを放つ紫紺の眼差し…。到底、老人とは見えない若々しい姿を保っているラルスは愚痴った。
「んっ?もう少しだよ…」
アグネスと呼ばれた少女がラルスを見仰ぐ。机に並べた蝋引き紙へ潰して粉になった薬を均等に分ける作業行程の途中のようだ。
青年が赤髪を乱暴に掻きむしりながら、大股でアグネスへ近づいて告げる。
「置いてくぞ…」
「兄ちゃん!酷い!」
アグネスの目尻がキッと吊りあがった。それでも、晴れた空色をした眼差しは爽やかだ。
青年はアグネスの髪を撫でた。
アグネスの眼差しが猫のように目元がスッとしているのに対して、彼は犬ように人懐こく目尻が垂れ下がっている。艶やかな栗皮のような奥深い茶色の瞳は丸く大きいのだが、今は弓形に細くなっている。
「嘘だよ…」
歳離れた妹に対して、母がとても愛情を注いでいることを知っている青年はつけ加えた。
「母さんがアグネスを置いていくわけないだろう…」
露草から落ちる雫なように透き通った銀色の髪がサラサラと揺れる。白い頬がピンク色へ染まり、アグネスは年相応の子供らしく無邪気に笑う。
アグネスの容貌は母親譲りだが、表情の豊かさは騒がしい父親の影響だろう。
「アグネス、薬包は落ち着いて進めなさい。まだ、時間はある。気にするな」
ラルスはペラギアの弟、幼かった頃のアマデウスを思い出していた。
両親をいっぺんに亡くしてしまったアマデウスはいつも姉の背後を追いかけ甘えていた。ペラギアは執務で忙しかったにも関わらず、アマデウスを甲斐甲斐しく世話していた。
幼い頃のアマデウスは喜怒哀楽が激しかったのだが、ペラギアと一緒のときはいつも笑っていた。子供特有のキラキラと眩しい笑顔だ。
「あーちゃん…。お久しぶり…」
ラルスが久々にアマデウスの前へ現れたのは、アマデウスが17歳のとき以来だ。
五十代後半をとうに過ぎたアマデウスが咽び泣いている。ラルスがアマデウスへあの頃の面影を探すには難しかった。
「…。ラルス兄様?」
ラルスの声に正面を向いたアマデウスは目を丸くした。
「はいっ…。ラルスです」
馬車にはアマデウスと冷たくなったルキアしか居なかったはずだ。それなのに、目の前の対面の席へ、最後に会ったときと変わらない若さでラルスが微笑んでいた。
「…。あれから何年も経っているのに…。お若いままなのですね」
キョトンとした面持ちでアマデウスはラルスへ呟く。幼かった頃のアマデウスの表情がひょっこり浮かんでいた。
「うーーーん、魔力が有り余っているからね。歳をとるのが普通の人より遅いんだよ…」
突然のことで驚いたアマデウスだったが、再び、ルキアに視線を移す。ルキアの頬へアマデウスの涙が雨のように降り注ぐ。
「…」
肩を小刻み震わせながら悲しんでいるアマデウスへラルスは気にせず話しかけた。
「あーちゃん?」
「…」
「あーちゃん?」
眉間へ皺を刻みアマデウスは腹立たしげにラルスを睨んだ。
「今は娘と二人きりにしていただきたい…」
胸に強くルキアを抱くアマデウスへラルスは静かに告げた。
「…。その子、死んでないよ…」
「…。⁉︎」
呆気にとられて目を見張るアマデウスはラルスに向かい何かを伝えたくても言葉にならない。アマデウスの唖然とした表情を認めてラルスは苦笑した。
「仮死状態になっているだけ…」
手を伸ばしたラルスの指先から溢れた光がルキアの全身を纏う。その光線をしばらくルキアは浴び続けた。ルキアの胸が静かに上下に動き始める。
「ねっ?」
くしゃくしゃになったアマデウスの顔は泣いているのか笑っているのか判別つかなかったが、心から喜んでいた。
「あぁ…。ルキアぁ…。ラルス兄様…。ありがとうっ!ありがとうございます…」
ラルスは頷き、しばらく親子の時間を眺めていた。ルキアの赤く色づき始めた頬を優しく撫でながら穏やかな顔へ戻るアマデウスへどう伝えるべきか迷っていたのだ。
ラルスはあえて軽い口調で告げた。
「でっ、申し訳ないんだけど…。その子はオレが連れて行くからっ」
アマデウスの顳顬がピクッと引き攣る。
「はいっ⁉︎何を仰っているのか…。承服できかねます…」
思わず大きな声をあげるも、ルキアを起こさないように静かにラルスへ抗議した。
「ペラギアと約束したんだよ。ソイツを守ってあげるって…」
「…。お姉様と?」
「うん、死に際にね。会いに行ったんだ…」
ペラギアは姪であるルキアを実の娘であるように優しく厳しく接していた。血の繋がりのある中で、一番、ルキアの身内らしかったのはペラギアであろう…。
それは、アマデウスも自覚しており、後悔もしている。だから、本当の意味で父親としてアマデウスはルキアと改めて関係を築きたい。これからは良き父親になりたかった。アマデウスはルキアを手離したくなかった。
「ですがっ⁉︎」
「いいか?あーちゃんは一度この子を失っているんだよ?コイツはあーちゃんへ助けを求めていただろう…。蔑ろにして放置したのはあーちゃんだ…。生きていたからやり直せると思っているのか?」
国のためとはいえ、仕事に明け暮れ、家を顧みなかったアマデウスにも責任の一端がある。
「それに、このままだとコイツ壊れるけど?それでもいいの?」
ルキアが死を選んでまでも去りたかった場所だ。そこへルキアを留めておくには酷すぎる。
逃げずに戦う…。それも大事なことだろうが、行き場を無くしたときぐらい、逃げ場所を作ってやっても構わないだろう…。
それが、ラルスが考えた我が子に対する親としての第一歩だった。
ルキアが生きていることが分かれば、この国はたった一人の少女をまた追い詰めていくかもしれない…。そんなところへ娘を残していけない。
「せめて…。ルキアが目を覚ますまでは…」
アマデウスは縋るようにラルスへ乞うもラルスは首を横へ振るだけだ。
「代わりにこれを置いていく」
ラルスはルキアの身体をアマデウスから譲り受け優しく抱き包んだ。今までルキアの重みがあった膝の上で灰色の毛並みをしたウサギのぬぐるみがアマデウスを見上げている。青色の美しい瞳はサファイアが埋め込まれていた。
ラルスがアガタの部屋からくすねたものだ。
「その宝石へ魔法を施したから、映像を映し出せるようになってるんだ…。通信映写機とでもいうか…。ルキアが許してくれたら、ルキアの様子を伝えてやるよ…」
ラルスはそう言い残すと一瞬でアマデウスの前から消えた。アマデウスは虚空を見つめ、そのうち大粒の涙で抱きしめたウサギのぬいぐるみを濡らした。
ウサギのぬいぐるみでルキアがアマデウスへ近況を知らせたのは過去2回、アマデウスにとって二人の孫が産まれたときだけであった。
「じぃじ?私の顔に何かついてますか?」
アグネスが肩で切り揃えた髪を踊らせながら、ラルスの周りを纏わりつく。どうやら、無事に薬は包めたようだ。
「んっ?可愛いと思ってな…」
「じぃちゃん!オレは?オレは?」
「ユリウス…。お前、幾つになった?」
態とらしく指折り数える青年を我慢強く見守ってやるラルス…。
「今年、18だったかなぁ…」
「ほぉ…」
ユリウスは日に焼けた広い額をラルスに指で弾かれる。
「わぁーーー!虐待だ!何で!アグネスとこんなに態度が違うんだ!」
額を押さえるユリウスの手から勇ましい眉毛が覗いているが、八の字に曲がっていた。
ユリウスは冒険者を生業として、父親と一緒に何度もダンジョンへ潜っている。
屈強な身体が逞しく男らしい彫りのある顔立ちで、子供の頃から父親へ剣技を叩きこまれて腕も確かなのだが、いかんせん、年齢よりも幼い…。
そろそろ自立してもいい歳だが、家族愛が強く、家を出ていく気配がない。
「10歳の妹と張り合うな!お前がルゥに似てたら、まだ可愛げがあったものの…」
「わぁーーーー!差別だ!オレが父さんに似たのは仕方ないだろ?そう産まれたんだから…。オレだって母さんみたいな美人になりたかったよ…」
ユリウスのときより乱暴に扉が開いた。戸の揺れ方が尋常ではない。
扉は既に何度か壊れており、大切に扱うようラルスは言い聞かせているのだが、改善することはなかった。だから、ラルスはこっそりと扉の留め具へ強化魔法を仕掛けている。
「こらっ‼︎ユリウス‼︎遅いから様子を見に来たら、そんなことを⁉︎確かに母さんは世界一美しいが…。父さん、いじけるぞ…。父さんもその昔はそこそこに女性から人気あったんだからな…」
ユリウスと同じ鮮やかな赤毛の男が豪快に笑う。垂れた目尻に皺が刻まれた。
この男はルキアの夫だ。
あるとき、洞窟へ潜った知人の冒険者が拾ってきた。
怪我を負って倒れていると思い、ラルスを頼って連れてきたらしいが、実はお腹を空かせて動けないだけだった。
その頃、ルキアはラルスの助手として薬師の仕事をしていた。あれやこれやの方法でルキアの心をほぐし、この男はルキアとの結婚へ至った。
当時、腑が煮え繰り返るほどラルスは憤慨した。世の父親は皆この気持ちを抱えて、娘を嫁へ送りだすのだろうか…。
「アグネスが薬を調合してたんだ…。腰が痛いってヨハンナが訴えていただろう?」
ラルスは親しげにヨハンナの名前を告げる。ヨハンナはアークトゥルス侯爵家の侍女をする以前からラルスと顔馴染みである。
冒険者だった両親を魔獣に殺されたヨハンナをペラギアが保護した。ヨハンナはペラギアの帰郷へ付き添い、そのまま侯爵家の使用人となったのだ。
今回、ヨハンナの呟きをウサギの通信機能が拾い、心配になったルキアがヨハンナに会いたいと自ら言いだした。それから何度かヨハンナとウサギを使って会話をしている。
アマデウスの葬式でさえ参列しなかったルキアだが、ヨハンナへは子供の頃に育ててもらった恩がある。
「ラルスがいないと魔法陣が作動しないでしょう?準備とかいいのですか?転移魔法は複雑だと聞いていますが?」
子供たちへの言葉遣いとは別にラルスへ丁寧な口調で語りかける。
「そんなことを心配してたのか?大丈夫だ…。指パッチンで動く…」
春と冬の間へ魔法の障壁があろうとも、ラルスの魔法陣を作動すれば造作もないことだ。簡単に行き来が出来る。ただ、今日まで故郷に戻ることへルキアが難色を示していたので、ラルスはルキアの気持ちを尊重しただけである。
春の大陸へは晩年アマデウスが暮らした小屋へ魔法陣を設置していた。以前、ペラギアと住む予定だった春の大陸用の家だった。
ヨハンナの様子伺いのついでにアマデウスへの墓参り、ラルスの計らいによって秋の大陸に立ち寄り有名劇団の観劇へ行くことになっている。
子供たちは初めての観光に今から心を踊らせていた。ラルスは一緒に行く予定ではなかったが、子供たちがそれでは家族旅行にならないと駄々をこねた。
「家族ね…」
不意に声がでた。
「だから義父も誘っての旅行ですよ。ラルスがいないと家族全員ではないでしょう?ルキアが待ってます…。早く行きましょう…」
「戸締りはしっかりしないとねっ!」
アグネスがラルスの右手へ手を繋ぐと、ユリウスが左腕へ手を滑らせた。
「なっ?じぃちゃん、楽しみだな!家族旅行!」
「両手を塞がれると戸締りはできないだろ?」
呆れた面持ちでラルスは愚痴るも目元は緩んでいたのだった。
ご報告いただき誤字訂正を致しました。
ありがとうございます。
誤字脱字が多いと自覚しております。
至らないことも多々ございますが今後とも宜しくお願いいたします。




