第十章 公爵令嬢の想い
「今日も素晴らしかったですっ!」
「このお花を貰ってください」
「きゃぁっ!今、こっちを向いて笑ってくれたわぁっ!」
「こっちに手を振ってくれたんだよっ!」
「あっ握手してもらっても良いですか?」
劇団『秋の戯曲』で活躍している古参の女優は、人集りの中心にいる新人女優を二階の窓から眺めていた。今回の舞台でヒロインを演じた新人は周囲に笑顔で愛嬌を振りまいている。最近、頭角を現してきた若手だ。
「やっぱり、若い子には勝てないわね…」
贈られた一輪の赤い薔薇を手に持ち、彼女は香りを嗅ぐ。もうすぐ四十路を迎える彼女の楽屋にはファンたちの手紙や花で溢れている。だが、全盛期に比べれば人気の衰えは目に見えて分かる。
多くの人に揉みくちゃにされても、嬉しそうに顔を輝かせている眼下の女が現在この劇団の看板娘だ。
彼女はため息を吐いた。
「うーーーん、そろそろ潮時かな…。この歳までよく頑張ったわ…。私…」
「何を言っているんですか?姉さんっ⁉︎姉さんが引退したら、この劇団はどうすれば良いんですか?」
甘えた上目遣いで古株の女優へ擦り寄ってくる男は劇団の花形俳優で、彼女の現在の恋人である。
10歳年下のこの男に絆されて、一年近く付き合っているのだが、彼女はこの関係が長くは続かないことを知っていた。
彼が今夢中なのは…。外でファン対応に忙しい新人女優なのだ。
バレてないとでも思っているのかしら?
本当、人の心は移ろいやすい…。
致し方ないことである。彼女自身、妖艶な美貌で数々の男と浮き名を流してきた。
彼女は人へ執着しない。それを今までの恋人たちは弁えており、彼女の気持ちが手に入らないことを悟ると自ら去っていた。
だが、そんな彼女の心にも唯一人、忘れられない人が棲みついている。
あれは友愛だったのかしら…。それとも…。恋慕?
彼女は遠い過去を思い起こしながら、膝へ顔を寄せている男の髪を手櫛で梳き解した。
栗毛色の髪が柔らかい…。
これが銀髪ならまだ愛着が湧くのに…。
銀色の流れる髪、風にそよぐ姿に見惚れた…。
空を映す青色は綺麗だったが、いつも哀しみを忍ばせており切なくなった。
強くはないのに弱音を吐かず…。真っ直ぐで人を陥れることを知らない、純粋な存在…。
佇まいが儚くて、少女を見るたびに抱きしめたくなった。慰めたくて、透き通るような白い頬へ接吻したい衝動へ駆られる。
大切なものを穢すようでそんなはしたない真似は出来なかったが…。
デネボラ公爵家、公爵令嬢アガタは父から命じられ、部屋へ幽閉されていた。
デネボラ公爵私設騎士団の屈強な男たちが邸宅の周囲へ配置されて誰一人紛れこむことできない。
部屋にはアガタ以外、誰もいないはずなのだ…。
「酷いですわ…。ルキア様が瓶の中身を飲んで血を吐いたとき、死んでしまいましたかと思いましたのよ…」
「悪いな…。死を偽装するのに丁度いいと思ってな。血糊を吹き出すよう、咄嗟に魔法で細工した…」
部屋の中だというのにフードを深く被った男がアガタへ返答する。魔法で遮断しているので外で待機する使用人に話し声は聞こえない。
濡羽色の髪が腰で踊った。アガタは憤慨した面持ちであったが、最終的に上手く事が運んだことに安堵したようで頬が紅潮している。
アガタはこの度の毒殺未遂事件を起こすため暗躍した。
願ってもいない王太子妃を取引きにヴィクトルを唆し、貴族派からの指示を受けているように装いヘレナを操った。
全てはルキアのためである。
「どこへでも自由に飛んでいける鳥のように…。私も旅をしてみたいわ…」
渡り鳥を眺めながら儚げな様子で、ルキアが呟いたのを聞いてしまったアガタは不安になった。
このままでは、ルキア様は本当にこの世界から消えてしまうのではないかしら…。
ヴィクトルとヘレナの恋愛模様などどうでもいい…。ただ、ルキアをこの場所から解放してあげたい…。アガタはそれだけを強く望んだ。
アガタが必死に方法を模索している中、今、目の前にいる男が接触してきた。冬の大陸の魔導士ラルスである。
胡散臭いラルスへアガタが心許すまで紆余曲折あったのだが、最終的にラルスがルキアを見つめている視線をアガタは信じることにしたのだ。
彼はまるで我が子に対してのような慈しみをルキアへ向けていた。ラルスは昔の恋人からルキアを託されたのだと言っていた。
悲哀を湛えていたその紫紺の眼差しへ誰が恋人だったのか、アガタは追求することはなかった。
「侍従に変装した貴方が教えてくださらなければ、私はルキア様へ駆け寄って泣き叫んでいたでしょう。宰相閣下のように…」
毒殺を目論んだとされるルキアは断罪後、きっと捕まるであろうとアガタは確信していた。捕えられたルキアを監獄から逃がすため、アガタはラルスと協力して手回しをしていたのだ。
ヘレナが王族の血脈であることを予測もしていなかったアガタは驚きのあまり言葉を失ってしまったが…。
万が一でも、断罪されたルキアがヴィクトルの判断によって、その場で殺されるのだけは避けたかったアガタは、対処のためルキアの助命嘆願を求めるようヘレナへ予め伝えていた。
まさか、ルキア自身が自殺を図るとはアガタは思いもしなかったのだ。
本人へこの計画を話さなかったのは、素直で嘘をつけないルキアが表情をあらわしてしまいそうだったからで…。それが裏目に出てしまった。
ラルスはバツが悪そうだ。
念の為、ラルスは誤って死人がでることのないよう、仮死状態に陥いる毒を用意していた。計画では誰も毒を飲むはずではなかったので、アガタへは伝えてはいなかった。
「あーちゃんには、ちゃんと馬車で話ししたよ」
あーちゃん?どなたですの…。
アガタの怪訝な表情を読み取ったラルスは淡々と告げる。
「アマデウスのことだよ。恋人の弟なんだ。顔馴染みなのさ…」
んっ?恋人だった女の弟…。
アマデウス様はルキア様のお父様で…。宰相閣下…。そのお姉様は…。
って、亡くなられた王太后ペラギア様ぁっ⁉︎
フードでほとんど顔が隠れているとはいえ、嫋やかな笑顔で笑いかけるラルスはよく見積もって三十路…。もしかしたらまだ二十代かもしれないと捉えられる風貌だ。
「貴方…。お幾つですの?」
アガタの質問の意図を汲みとったラルスは答える。
「どえらい魔力を持っている魔導士は、歳をとるのが遅いんだよ…。見た目と実際の年齢は違う…。オレはペラギアよりもうんと年上で、ペラギアが家督を代行する前から結婚するまで付き合っていたんだ…」
確かにいとも容易く公爵家の厳しい警備網を突破してきた魔導士だ。凄腕だとは知っていたが…。
「ええぇっ⁉︎」
「静かに…。起きちまうだろ?」
ラルスの両手で抱きかかえているルキアは健やかに小さな寝息を立て眠っている。
アマデウスがルキアを連れ帰ったとき、ルキアは仮死状態であった。ラルスが無事に蘇生はさせたものの、まだ意識は戻っていない。
ラルスとペラギアの恋の結末がどうして実らなかったのか大いにアガタは興味をひかれたのだが、ルキアの穏やかな寝顔を確認して質問するのを控えた。
「あーちゃんはコイツが生きていることを凄く喜んでいたよ。けど、そのあとは連れて行かないでくれって泣いてしがみつかれた…。でも…。コイツはこの国を離れた方がいい…」
「そうですわね…」
「これから当初の計画通り、コイツを冬の大陸へ連れて行く…」
冬の大陸と聞いて、初めアガタは反対していた。日常的に魔獣が闊歩している恐ろしい場所へルキアを連れて行くなんて許容できない…。
冬の大陸には魔獣がいるが、人間は共存していた。職業としては冒険者が最も多く、魔獣を狩って生活をしている。
肌の色、髪色、目の色、言語など違いはあるものの、住んでいる人間は春も夏も秋も冬も変わらない。どこの大陸でも生きていくのに全く危険がないわけではないし、冬の大陸では魔獣に食い殺されることもあるが、笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだり、人々は普通に生活を営んでいるとラルスはアガタへ説明した。
その上で、冬の大陸で頂点に立つ魔導士は自分である。必ずルキアを守ると説得したのだった。
「…。寂しくなりますわね…」
「すまないな…」
「ルキア様が幸せを感じられるところでしたら、私、離れ離れでも平気ですわ…。元々、隣国へ逃がそうと思っておりましたのよ」
「コイツの意志は関係なくか…」
「ルキア様は頑固ですから、逃げ場がなくなるまで…。最後まで頑張ると思いますの…。だけど、この度は強制的にこの場所から逃がしてあげたいのです。私の勝手な自己満足ですけど…」
「弁明しなくていいのか?コイツはお前に裏切られたと思っているぞ…」
「ふふ…。それではルキア様がおばあちゃんになってから、このことをお話しくださいませ」
「それでいいのか?」
「その頃には全て懐かしむ過去となっているでしょう。私を恨むこともなければ、きっと私を哀れに思うこともないと思うのです」
アガタは手を伸ばし、寝ているルキアの額へそっと触れた。指先から温かさを感じる。ルキアはこれからも生きていく…。
「貴女はきっと信じてくれないでしょうけど…。これが、私なりの愛情表現なのです」
別れは名残惜しいが、いつまでもこの場所へ留まることはできない。
「大切にしてくださいませ…」
「無論だ…。安心しろ、コイツが幸せになるまで見届けてやる」
恐らく二度と会えないだろうとアガタは思った。ルキアはこれからラルスと共に冬の大陸へ渡る。そして、新生活が始まるのだ。
それでも良い…。
貴女が幸せになれるなら…。
今回の公演で悪役公爵夫人を彼女は演じている。
本日、舞台に立ったとき、視界の端で月明かりのような一筋の光へ一瞬だけ目を奪われた。
すぐに視線を逸らして演技を続けたけども、あれは忘れられない人であったのだろうか。異邦人の多い秋の大陸とはいえ銀髪は珍しい。とはいえ、このような場所へ訪れるはずもない…。
スポットライトが彼女を包む。しばし、静寂が流れた。
いつもであれば相手役、彼女の今の恋人である俳優へ対してぶつける台詞を、今回は群衆に向かって彼女は告げた。
「私は…。あなたに憎まれようとも…。ずっと愛しておりました…」
もし、観客席へ望んだ人がいようとも、きっと届かないであろう本心を…。
アガタ・デネボラ
アストラ王国の権威あるデネボラ公爵の一人娘でヘレナ毒殺未遂の首謀者であると罪を認めた。
この事件には王太子ヴィクトルが関わっていることを仄めかしマルクス王へ調査の打ち切りを願う。
公爵家の存続と引き換えに事件の真相は隠された。
修道院へ送られるもその後消息不明となっており未だ発見されていない。
ご報告いただき誤字訂正を致しました。
ありがとうございます。
誤字脱字が多いと自覚しております。
至らないことも多々ございますが今後とも宜しくお願いいたします。




