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【完結】その侯爵令嬢は心へ巣くう  作者: 礼三


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第九章 兄の後悔

 木枯らしが吹く頃…。

 アークトゥルス侯爵邸宅の庭園で幼い兄妹が歩いている。兄の後ろを懸命に追いかける妹の足取りは覚束ない。

「あにさま…。まって…」

 地面を敷き詰めている落ち葉へ妹は足を滑らせ転けた。驚いた兄は妹へ駆け寄った。

「…。大丈夫かい?」

 妹は自分に何が起きたのか地面へ尻をつけても分かっていないようだったが、兄の言葉に顔をあげて満面の笑みで答えた。

「うんっ…。だいじょうぶ…」

 兄は妹の手を掴み引っ張りあげ、土に汚れた服を叩く。

「はぁ…。仕方ないな…。手を繋いで歩こう…」

 不本意だと言わんばかりにため息を吐き、妹へ手を伸ばすも、兄の頬は綻んでいる。

 兄の手を妹はギュッと握った。北風が冷たい季節、兄の体温が伝わってくる。

「あにさまのお手手はあたたかいねぇ…」


「あなた…。どうかされました?」

 アークトゥルス侯爵夫人がグイドを仰ぎ見た。夫が涙ぐんでいるからだ。夫人はハンカチをポケットから取りだして、グイドの涙を拭った。

「いや…。何でもない…」

 アマデウスから絶縁を言い渡されたグイドだったが、アークトゥルス侯爵の爵位を継承することは許された。

 当時の国王マルクスがヘレナ殺害未遂事件の調査を中止し、ルキアの所業を不問に付すと布令した上で、アマデウスはアークトゥルス侯爵をグイドへ譲ったのだ。

 広大な領地の管理も大変であったが、ヴィクトルが国王即位後、国の宰相へと任ぜられた。

 気づけば四十近くになっても妻を娶らず、仕事へと明け暮れる日々…。

 知人の紹介で男爵家の娘と結婚した。彼女との歳の差は17歳…。憎んでいた義父と同じような道を辿っていた。

 だが、このような寡男へ嫁いでくれた妻は、グイドを愛してくれている。子供も二人恵まれた。


 ルキア…。


 息子と娘が仲良く並んで笑いあっている。


 私が少しでもお前に寄り添っていれば…。ルキア…。妹は死ぬことはなかったかもしれない…。


 日常で子供たちと戯れる時間を持つようになって初めて気づいた。親とは無償で子供のことを慈しみ愛せるのだと…。

 ルキアに罪は全くなかった…。ルキアを愛さなかった母に問題があったのだ…。



 先日、グイドの義父アマデウスが死去した。

 領地の片隅にある山小屋へ侍女のヨハンナを伴って隠居したアマデウスとはあの事件後…。二度とグイドと見えることはなかった。

 葬儀は質素なもので、貴族の参列はほとんどなかった。だが、領地の住民からは慕われていたようで、弔問客は後を絶たなかった。


 アマデウスの葬送を終え、グイドは生前アマデウスが過ごしていた小屋へ訪問した。

 草原の中心に建てられた素朴な小さな家、行き着くまでの小路は風が地を滑り、そよいだ草が静かに音を立てていた。

 黄金色になったススキの群生が心地よさそうに揺られている。

「ヨハンナ…」

「グイド様?ここへは何をしに…」

 出迎えたヨハンナは首を傾げてグイドへ尋ねた。

「…」

 ヨハンナの言葉にグイドはどう切りだせば良いか悩み口を噤んだ。

 グイドの耳へ届いていた噂…。

 冬の大陸からやってきた魔導士の魔法により、ルキアの遺体は生前と同じような状態でアマデウスが大切に傍に置いている。

 つまり、ルキアの遺体がここへまだあるはずだ。

 アマデウスが埋葬されたとき、一緒に弔うのかとグイドは思っていたのだが、予想は外れその様子はなかった。

 ルキアが自害してから既に二十年以上経っており、噂が本当であるならば死者への冒涜にもなると、グイドは足を運んだったのだった。

「折角ですから、お茶でも飲んでいきます?秋の大陸から良い茶葉が入ったのです」

「秋の大陸…。珍しいな?」

 秋は豊穣の大陸と称されるほど、実りが豊かで商業が盛んなところだ。だが、春の大陸は秋の大陸から嫌われている。

 冬の大陸から飛来してくる魔獣は春の大陸を護っている障壁に阻まれ、他の大陸へと流れていく。夏の大陸は距離が遠いのでほとんど被害がないのだが、秋の大陸はその分魔獣との抗戦が多い。春の大陸と交流があるのは夏の大陸ぐらいなのである。

 玄関から家の中へ通されると、そこは台所と居間が一緒になったような狭い部屋だった。暖炉には薪が焚べられ炎がパチパチと爆ぜている。

 その上で保温されていたのだろうヤカンをヨハンナはグローブで掴み、ティーポットへお湯を注ぐ。

 不意にグイドは草原を見渡せるテラスに続く窓へ目を移す。その手前へ安楽椅子が配置されており、この部屋にそぐわない灰白色の可愛らしいウサギのぬいぐるみが鎮座していた。

 目にはサファイアだろう宝石が嵌め込まれている。氷のような透明感で綺麗な青色の瞳だ。

「グイド様?そちらはお嬢様のお気に入りの席なのです。グイド様はこちらへ座ってくださいな…」

 ヨハンナは素っ気なくグイドへ告げると、対面に椅子が二つしかない小さなテーブルにコップを置いた。


 お嬢様…?


「ミルクは必要ですか?お嬢様はミルクが入ったものの方がお好きなんですけどね…」

 ヨハンナは喋りながら、安楽椅子の横にあるサイドチェストへもう一つ用意されたコップを乗せた。

「このままで大丈夫だ…」

「丁度良い温度ですよ…。お早めにお召し上がりくださいな」

 ヨハンナへ促され、グイドは口へ紅茶を含む。秋の大陸ものと言っていただけあって、柑橘系の清々しい香りが鼻腔に広がり味わい深い、まろやかな味のする紅茶だ。

「そうだっ!グイド様にお伝えしたいことがあったのです。旦那様からこの家を頂いたので、夫と二人で暮らしたいのですが…」

 テーブルから身を乗りだして、紅茶を堪能中のグイドへ迫る。

「ダメだ…。アウルスはまだ引退させるつもりはない…」

 アウルスとはヨハンナの夫でアマデウスの時代から領地の邸宅を切り盛りしていた執事である。

「ケチですね…。そろそろ老人を労ってもいい頃だと思うのですよ」

 ヨハンナはグイドを見据えた。

「夫も私も老体に鞭打って侯爵家へ仕えて参り…」

 このままでは有能な執事を失うことになると危惧したグイドは潔く話を切りだすことにした。

「ところでルキアの遺体は…」

 目を丸くして呆気にとられてるヨハンナを認めて、グイドは口籠る。

「まさかと思いましたが…。グイド様も旦那様がお嬢様のご遺体を後生大事にお持ちになっていたと思ってられるのですか?」

 ヨハンナの非難の言葉にグイドは漠然と何かが引っかかった。


 グイド様も…。も…。?


「違うのか?」

 だが、今はルキアの死体がどこにあるのかが問題だ。グイドはヨハンナへ問う。

「旦那様が死者に対して、そのようなご無体なことをなさるとお思いですか?」

 アマデウスを擁護するヨハンナへ、グイドは無性に苛ついた。

「現に私の母を無理矢理娶ったではないか?結婚式が行われた時期は、私の父の喪さえあけてなかったと聞いた…」

 非難めいた口調でヨハンナはグイドへ詰め寄る。

「はぁ?旦那様が?無理矢理?確かに後援する名目で結婚は申し出ましたけど…。あのまま、奥様がリブラ子爵家に居たらどうなってたと思います。あの性悪な義弟にいたぶられて無事でいらっしゃったと思いますか?身重だと気づかれたらもっと酷い目にあわれてましたよ…」

 実際、マリアの前夫の弟がリブラ子爵家を継いでいる。もし、マリアの妊娠が発覚していたら、グイドが後継者となるのが道理だが、リブラ子爵家の現当主は最低最悪な人柄で有名だった。マリアとグイドが無事に暮らせたとは到底思えない。

 アークトゥルス侯爵家からせしめた多額援助金はとうの昔に底をつき、家計は火の車らしい。厚顔無恥も甚だしく、何度か、グイドへも後援を求めてきたが断っている。

 とはいえ、リブラ子爵家の領地は小さいが守るべき領民がいる。彼らを慮ったグイドは国王になったヴィクトルへ進言、近く王国へ領地を没収される予定だ。

 グイドはヨハンナの言葉にぐうの音もでない。

「旦那様が夫婦の営みを奥様に強要したこともございませんでしたし…」

 ヨハンナの勢いにタジタジしながらも、尚も反論を試みるグイド…。

「何を…。なら、ルキアは生まれてなかっただろう…」

「あれは…。こう言えば何ですけど…。お金で買われたと思われたのか、引け目があったのでしょうかね…。奥様のお気持ちは計り知れませんが、奥様から自分の責務を果たしたいと旦那様へ申し出られたのです…」

「母が…」

 グイドが知っているマリアは常にアマデウスへの憎しみに満ちていた。マリアから夜伽を願ったとはグイドには想像つかなかった。

「ルキア様が生まれたとき、旦那様は職務を放り投げて駆けつけ喜んでましたけど、奥様はお嬢様であられたことを落胆しておりました。旦那様は男の子が生まれようとも、グイド様を後継者にとお考えでしたよ…。ただ、奥様は違ったようですね…。余計に劣等感をお持ちになって、昔の良き思い出の中へ閉じ籠るようになり…。お嬢様の存在を頑なに認めようとなされませんでしたね…」

 マリアが自分を侯爵の後継者へ望んでいなかったのは薄々グイドも感じていた。

 マリアは実父の面影をグイドへ重ねて愛してくれていたが、侯爵家の後継としての教育を怠っていたところがあったのだ。

 貴族として一般教養は身につけていたのだが、次期侯爵としての知識は全くなく、マリアが死去し学園へ入るまでの一年、グイドは必死で勉学に励んだ。


 いつから母は…。義父を嫌悪するようになったのだろう…。

 父…。いや…。それだけでなく…。

 父や義父に対しての罪悪感から、母の心はいつしか歪んでしまったのだろうか…。


「心の…。病気だったのだ…」

「それはそうでしょう…。ですから、奥様を屋敷のものは責めることは致しませんでした。ですけど、お嬢様のことを考えると…。胸が痛みます…」


 分かっていたはずだ…。ルキアに罪がないことは…。

 だが、私は母の歪みへ囚われ、ルキアが悪女だと思い込んでしまった…。

 ただの15歳の少女に過ぎなかったのに…。


「申し訳なかった…」

「私に謝られてもね…。あの頃、まだグイド様は子供でしたし…」

 グイドの握りしめた拳の上へ涙の粒が落ちた。

 後悔したところで、失った時間は取り戻せない。

 四十路も過ぎた男が肩を震わせ泣いている様子をヨハンナはただ見守った。

 そのうち、カタッと音がして、テーブルの上へグイドの視線が移る。

「美味しいのに…。紅茶が冷めてしまいましたから…。入れ直しましたよ」

 紅茶と共にハンカチが添えられている。グイドは赤面しながら、ハンカチで涙を拭った。

 アストラ王立学園でルキアを貶めた噂のことは調査していた前王のマルクスからアマデウスへ報告書が届いているはずだ。

 だが、アマデウスはアークトゥルス家の使用人たちへグイドがルキアにした学園での仕打ちを話してはいない。

 長年、アマデウスの側で世話をしていたヨハンナも知らないようだ。知っていれば、今のように優しく接してくれることはなかっただろう。

 死人に口なし…。アマデウスが何を思って黙ってくれていたのか、グイドに分かる術はもうない。

「ところで…。私も?と言ってたな?他にも疑っていた人物がいたのか?」

 グイドは疑問に思っていたことを、ヨハンナへ質問した。

「えぇ…。追い返しましたがね。門前払いというやつですよ…」

 ヨハンナが悪戯っぽく目を輝せる。一抹の不安を覚えてグイドは更に尋ねた。

「誰だ?」

「誰って?この国の国王陛下ですけど?何か?」

 楽しそうに笑っているヨハンナ…。グイドはしばし無言だったが、恐る恐る口を開いた。

「陛下を…。追い返した?」

「何か問題ありますか?私にとっちゃぁ、どんなにお偉い人でも同じ人間です…。お嬢様のことを考えると、畜生にも劣る人ですね…」

 ヨハンナは生きている。国王になったヴィクトルの性格を近くで支えてきたグイドは十分理解している。何事もなかったとしても、グイドはヨハンナへ一言叱責しなければならない。

「不敬だぞ…。死罪を言い渡されても不思議ではない。まさか…。直接お伝えしたわけではあるまいな?」

「さすがにそれは…。お嬢様はここにいらっしゃらないとお伝えしましたけど、どこへ埋葬したかとお聞きになるので、それは国王陛下でもお教えすることはできませんとキッパリお断りしたのです」

「…」

 ヨハンナのある意味武勇伝に耳を疑いながら、グイドは黙って続きを聞く。

「尚も、泣き縋りながら墓前で許しを乞いたいと仰るので、旦那様しか知らないことなので私へ聞かれても無駄ですってね…」

 ヴィクトルは国民に対しては頼もしい国王の姿を保っている。だが、側仕えからグイドへ内密に上申されるほど、ヴィクトルはアルコールに依存しており身体を心配されていた。

「可哀想なほど泣かれるので、お嬢様が望んだ国王様はそのような方でなかったと思いますとお諌めしたら、すごすごと帰っていきましたよ」

 その背中を想像しながら、グイドはため息を吐くしかなかった。



「お嬢様…。今日はまた珍しいお客様が来られましたよ…。静かに暮らしたいのに…。最近は少し騒がしいですねぇ…」

 ヨハンナ以外、誰もいない部屋で安楽椅子が揺れる。ヨハンナがうさぎのぬいぐるみを膝に乗せて、安楽椅子へ座っているのだ。

 西日が傾き、黄金の波がさざめく。

 優しくフカフカとした毛並みを撫でながらヨハンナは小さく呟いた。

「お嬢様…。ヨハンナはもう一度、お嬢様の笑顔を見とうございますよ…」

 ギィギィと床の軋む音が響く部屋でヨハンナは冷めてしまったミルクティーを飲みながら、日が沈むのを眺めていた。



グイド・アークトゥルス

アークトゥルス侯爵家当主

アストラ王国の宰相

長年アストラ王国へ身を捧げ尽くした生涯

多忙な故に家庭を顧みなかった時期もあったが献身的な妻に支えられ二人の子供の理解もあり政界引退後は幸せな余生を送ったという

王都にしかなかった学術研究学校を邸宅を解放して創立

また晩年は妻と共に領地の孤児たちの義親となり数多くの子供を育てた

ご報告いただき誤字訂正を致しました。

ありがとうございます。

誤字脱字が多いと自覚しております。

至らないことも多々ございますが今後とも宜しくお願いいたします。

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