プロローグ
「ルキアっ!私の愛しい人を殺そうなどとっ!何と醜い心持ちだ!死罪に値するぞっ!」
憎々しそうに顔歪めた貴方の眼差しが私へ突き刺さる。
嘗て、私の瞳へ映っていた貴方の微笑みはあんなに優しかったのに…。
アストラ王立高等学園の大広間では卒業生を祝う舞踏会が華々しく開催されていた。
天上の中央に吊るされている星のモチーフは講堂内を照らし、星を求めて飛んでいるかのように、翼を広げ各々の楽器を持った天使たちが円柱へ彫刻されている。
薔薇やクレマチス、ライラック、デルフィニウムなどの色彩豊かな花々で会場は美しく飾られ、芳しい香りで満ちていた。
しかし、会場の雰囲気にそぐわず、集った観衆は重苦しい空気に包まれていた。その中心に少女が一人立つ…。
ルキア・アークトゥルス
それが彼女の名前だ。
春の大陸、アストラ王国の侯爵令嬢であり、王太子ヴィクトル・ポラリスの婚約者であった。
国の安寧を保つため、それだけの契約関係ではあったが…。
ヴィクトルとの初顔合わせをルキアは今でも鮮明に覚えている。あれは、宮殿庭園の若葉が息吹き、萌える緑が目に眩しい日だった。
当時からヴィクトルの整った容姿は誰も彼もが羨むほど麗しかった。
柔らかな金髪は陽光に透けて輝き、神秘的で清らかな紫の眼差しは、穏やかで思慮深く大人びていた。
ルキアは9歳、ヴィクトルは11歳…。
二つしか違えないのに、ヴィクトルはすでに王太子としての威光を放っていた。清廉で近寄りがたいような印象をルキアは受けた。
ヴィクトル殿下もきっと…。私を好きになってくださることはないのだわ…。
だが、ルキアの予想と異なりヴィクトルは温かく親切だった。歳下の婚約者をヴィクトルは常に気遣ったのだ。
ルキアへの妃教育は王太后が一任された。
民からの信頼が厚く人気もあった王太后はルキアへにも寛容であったが、指導の手を緩めることなく厳しかった。ルキアはよく隠れて泣いていた。
ヴィクトルはそんなルキアを見つけては、いつも声をかけた。
「大丈夫か…」
ルキアは顔を覆っていた両手を離して、ヴィクトルを見上げる。凛としたヴィクトルの面立ちにルキアは何度勇気づけられたことだろう。
「私ができることなら、一緒に努力しよう…。一人で悩むな…」
ルキアはヴィクトルから言葉をもらう度、嬉しくて幸せな気持ちでいっぱいになった。
そうか…。私は貴方に恋をしていたんだわ。
愚かな恋に身を焦がすヴィクトルを蔑んでいたのに、本当に愚かだったのは自分だったのだとルキアは気づいたのだった。
今まで、貴方への気持ちを恋心だと思わなかったのだから…。
「私…。貴方をお慕いしていたのですわ…」
ルキアは小さく言葉を零す。
ヘレナとの恋に溺れるヴィクトルをルキアが窘めるたび、ヴィクトルの態度は頑なになった。
今なら分かる…。
アストラ王国の太平を求めて、生涯仕えるべき主君、王太子のヴィクトルへ苦言を呈していたのではない。
誰にも渡したくなくて、足掻いていたのだわ…。
王家のために民がいるのではない…。民のために王家は存在するのだと…。王太后様も仰っていたのに…。
王族も貴族も庶民も、皆等しくアストラ王国の民である…。ルキアは自身の欲によって、アストラ王国の民であるヘレナを殺そうと思った。
王太子の婚約者など、己の身の丈にあった生き方ではなかったのだとルキアは自嘲した。
「さようなら…。私の愛しい人…」
ルキアは手元に隠し持っていた毒のガラス瓶の蓋を開ける。
侮蔑の滲んだ視線でも構わない…。最後ぐらいは貴方の目に留まりたい…。
ルキアは一気に瓶の中身を飲み干した。