2nd Case: 初任務 前半
彼らパンサー・クアドラプルは整然とした森へ踏み入った。土着民の手で剪定されきったマアリファの森はムァタウトの冒険者たちにとって、その神秘性も澄みきっていて甘い空気も含めて大いなる宝なのだとリリカは云う。
「この森は国土の五パーセントにも満たないけれど生物多様性は抜群です」
「ほへー」
なお、転生者レオンハルトを筆頭にだれもまともには聴いていなかったのであるが──。
「国内の維管束植物の種の約半数が観測されたり二〇〇種の鳥類や五六種もの哺乳類の生息がこれまでに確認されているんですが──、それでも聞いたことありませんね……。ここらにひとつ眼魔獣が出ただなんて‼」
「フェイクであることを願いますよ」
ほとばしる興奮をこらえる調教師へ彼女のなかま賢者ストウは、そんな高レベル帯の魔物がいてたまるか、と倦怠感を帯びた微笑を浮かべて云うと、最悪彼らがこの森に巣食っていてすでに生態系を破壊し出している可能性を考える。
(……その場合私たちの手には負えないか)
その会話を聞いていた転生者が、
「ソイツそんな強いのか。あと生きものの分類聞いてたカンジこっちといっしょかもだね」
と何か考え込むストウへ訊ねがてら隣のリリカにそう伝えた。
「ぜひ、あとで聞かせてくださいね。まっ、魔物つかいとして知っておかなければ」
「そちらの生物学では確かこちら側の生物や精霊、魔物、そして妖怪やモノノケを含む怪物と我われガドウィン以外の他種族はみな伝説とされていたはずですから『キュクロープス』って名前ぐらいなら、まあ聞いたことはあるでしょう?」
異世界の生物を教えてほしいと顔を覗かせるリリカを瞥見してからストウは彼に訊ね返す。レオンハルトは彼女らのほうへ向いた視線を一度上の空にやってから、象のような形の雲を見つけては連鎖的にとある存在の名を呟き答える。
「サイクロプスか」
「うんうん‼」
彼が再び目をやると、ふたりは凄いうなづいていた。
「実は神さまなんですよ!」
「え、だれがよ」
「キュクロープス」
リリカが得意げに言ってレオンハルトを驚かせたその事実に、
「……それを言うなら下級神族、だね」
と立ち所に賢者ストウからの迅速な訂正が入る。
「んもう、そんな言いかたヒドイですってば……」
「零落した神はやがて怪物へと堕ちる。残念なことですがね」
その物言いを聞いたレオンハルトはふと、このように呟いた。
「ってことはオレたち、まがりなりにも神と戦うってわけ⁉」
ストウは返す。
「私たち、運命共同体ですヨっ‼」
彼女から脈絡も何もないサムズアップが飛び出す。
(来なきゃよかった……)
そうしてレオンハルトが途方に暮れていると懐柔師リリカが間に割って入る。
「でっですから戦いませんよ」
「上手くいけばイイですね、交渉」
「こ、交渉?」
レオンハルトは聞こえた言葉に目を丸める。
「あなたたちには話してませんでしたか」
今方気づいて言ったストウは彼とメーガンへ討伐依頼の説明を進める。
「依頼書には、『倒して』ではなく『なんとかして』と書いてあります」
「『ナントカして』ってそれ文書として大丈夫かよォ」
「まあそこはおいといて、ハイどうぞ」
ガドウィン文字で書かれた依頼書その物を転生者に手渡し、
「──要するにですよ」
と彼女は申し訳程度に掌を胸の前へ固める。
「倒すのはムリだったとしても、なんとか森から出させればよいっ‼ のです」
わきわき踊り始めた聖職者にレオンハルトはたじろぎながら、
(食えねーアマだな)
と彼女がキュクロープスに対し何をするつもりか理解しては胸中悪態をついた。
「ン、ニャんかスゲーおもしれーニオイが漂ってきたよ」
メーガンはその猫鼻を上げて森全体に拡がる異質な匂いを感じ取った。
「どうかしましたか、メーガン」
(ニャんだィ、このニオイは? ──生理的に嫌だ。これ以上近寄ると鼻が曲がりそうよ)
ひざまずき鼻を押さえる斑獣人のもとへ小走りで歩み寄ったリリカは彼女の背を摩り、
「どこか具合でも優れないですか」
と再び訊ねる。
「なんかヘンなのでも食っちまったかァ?」
「ぜんぜん大丈夫だからシンパイは無用だぞ」
(……ニオイ)
転生者も彼は彼なりにメーガンの身を案じていた。傍からは揶揄にしか聞こえないのだが、悪夢や人肌恋しさからの解放を実感した彼女は、溢れる笑みに憂き身をやつす。その間も、賢者ストウは聖職者として思索に入り浸る。
(到着してからというもの、何の異常も感じなかったし今もない──)
周りを見渡すと彼女ら四人は休息を取るに丁度良い平地を発見した。
「そのニオイとやらがどんなものでどこからいつ発生したのか判らない」
彼女はこう立ち止まって提案する。
「みんな、いったん休憩を取りましょう」
その言葉につられて他の三人も立ち止まる。
「よいですよねリーダー」
「メーガンちゃん、明らかに元気がないですからね」
「ピクニックとでも洒落込むかい?」
レオンハルトが冗談めかして言うと、
「ご明察」
「でございますわ」
とバッグに詰まったレジャー用品一式を見せてストウが返す。リリカも便乗してありったけの食料品をその胸の前へ突き出して後に続ける。メーガンはその凜とした顔を上げては、唾を飲んで物欲しげに喉を鳴らした。
「……マジか‼」
眼光は鋭く。
「食べものとお飲みものも予備あわせてちょうど四人分あります」
「おー。用意周到ですなあ」
「リリカさんがつまみ食いでもしていなければ、ね」
賢者ストウは何故か隣のリリカを睨む。
「どっ⁇ どういうことですか⁇」
彼女らのもとへ届いた依頼書に書かれたとおり神獣キュクロープスを「なんとか」すべく、森のなか、この四人組はまず体勢を整えるという選択を取り、開けた場所で憩いを試みる。
「その口振り! 嬢ちゃんまさかほんとーに……⁉」
「するもんですか、そんなこと」
しかしながら気づいてはいない。たとえ彼女らが準備万端を期したとしても、その運命はもはや『不幸の星』のもと、これっきり大いに狂い始めていたのだ。その赫きは、すぐそこへ来ている。
後半へつづく