9. それはまるで別れの挨拶
(何で赤い薔薇……?)
贈られた花も意味深すぎて気になるけれど、こうなると送られた手紙の内容の方が気になってしまう。
「アーネスト様、今、ここで手紙を開封させて読ませていただいてもよろしいでしょうか?」
「……うん」
アーネスト様は明らかに元気も無いし様子もおかしいけれど頷いてくれた。
「ありがとうございます」
申し訳ないと思いながら、そっと手紙を開封した。
ヴィルヘルム殿下はいったい私に何の用事があると言うの……?
そんな事を思いながら手紙に目を通した。
そして、書かれていた内容に驚き、思わず声を上げてしまった。
「……え!」
「クリスティーナ?」
私の声を拾ったアーネスト様がどうかしたのかと不思議そうに問いかけてくる。
「……」
「クリスティーナ? 大丈夫?」
アーネスト様は心配そうに声をかけてくれたけれど私は上手く答えられない。
──ヴィルヘルム殿下からのその手紙は要約すると、
《今すぐ王宮に来い!》
というような内容だったから。
アーネスト様にそう告げると、アーネスト様はますます酷い顔色になった。
ガタゴトと揺られながら王宮に向かう馬車の中で考える。
(いったい私はヴィルヘルム殿下に何をしてしまったのかしら?)
声をかけられて、眼鏡を取れと言われて素顔を晒したら、もう帰っていいと言われて帰った。それだけよ。
失礼をした事と言えば銅像と殿下を間違えた事くらい。
まさかそんな事でわざわざ呼ぶとも思えない……
考えても考えても呼び出される理由が分からなかった。
ヴィルヘルム殿下からの手紙には至急来い! と書いてあったので、アーネスト様が帰りに使用するという馬車に一緒に乗せてもらい王宮に向かう事になった。
さすが、王家御用達! 我が家の馬車とは大違いの乗り心地に密かに感動したわ。
けれど、アーネスト様の様子がおかしいから、馬車の中はずっとお互い無言だった。
(いつもなら、会話もポンポン弾むのに……)
アーネスト様と一緒にいるのに何だか気まずい空気になってしまっている事が酷く悲しい。
(それに、アーネスト様の好きな人の話も聞きそびれたまま……)
だけど知りたくない。
自分の中に生まれたこのモヤモヤが何を意味するのか……認めてしまうのが嫌で私は必死に考えないようにしようとしていた。
あと少しで王宮に着くという時、ようやくアーネスト様が口を開いた。
「……クリスティーナ」
「はい」
「…………約束の期日まで、まだ日にちがある事は分かっているんだけど」
「?」
ドキッとした。
約束の期日とは、私の誕生日の事よね?
アーネスト様の求婚を受けるかどうかの答えを出さなくてはならない日。
「今、この場で答えが欲しいと言ったら君は応えてくれるだろうか?」
「え?」
「クリスティーナの気持ちは、あの日から変わっていない? やっぱり僕の求婚は受け入れられない? 今もそう思ってる?」
「あの、アーネスト様?」
何かしら? アーネスト様がどこか焦っているように見えるわ。
今までのアーネスト様ならこんな風に畳み掛けるように聞いてくる事も急かしてくる事も無かったはずなのに……
「で、ですが、アーネスト様……先程、話は途中になってしまいましたが、アーネスト様には好きな方がいるのでしょう?」
本当は聞きたくないけれど。
知りたくなんかないけれど、でもアーネスト様に本当にそんな方がいるのなら私は絶対に求婚に頷く事なんて出来ない。
「……クリスティーナ、ごめん。その事も含めてちゃんと話さなくてはいけない事があるんだけど、今はもう説明してる時間が……ってダメだよね。こんなの単なる言い訳だ……」
「アーネスト様……?」
アーネスト様が頭を抱え始めた。
どうしよう。本当に本当に様子がおかしい。私はどうしたらいいの?
「はは……こんなんじゃ応えてもらえるわけがないって分かっていたのにな」
アーネスト様のどこか自虐的なその言葉は、自分自身に言い聞かせているみたいだった。
そんな様子に困惑していると、アーネスト様が俯けていた顔を上げる。
同時に私に近付いて来たと思ったらそっと抱きしめられた。
「!?」
「……ごめん、今だけ許して」
「……?」
私を抱きしめるアーネスト様の身体は震えていた。
「…………クリスティーナ」
「?」
「僕はね……──」
──アーネスト様は顔を私の近くに寄せると、私の耳元でそっとある言葉を囁いた。
(えっ!?)
「……あぁ、時間切れだ」
「あ……」
「王宮に着いてしまった」
そう言ってアーネスト様が寂しそうに私から離れる。
抱きしめられていた温もりが無くなり私も寂しさを感じてしまう。
「はは、クリスティーナが少し寂しそうに見えるのは…………僕の願望かな?」
「……っ!」
こんな時まで眼鏡の奥の奥まですっかり見抜かれていて私は顔が赤くなる。
本当にこの方には敵わない。
「あはは、うん。やっぱりクリスティーナは可愛いね」
「アーネスト様……」
これも聞き慣れてしまったいつもの言葉。
なのに、そう呟いたアーネスト様の方が寂しそうだった。
「……アルバン、クリスティーナを兄上の元まで送ってあげて」
「承知しました」
「え!?」
馬車が王宮に着きアーネスト様の手を借りて降りると、アーネスト様は一緒に馬車に乗っていた護衛の一人に私を預けた。
「ごめんね、クリスティーナ。付き添ってあげたかったけど、僕はこのまま行かないといけない所があるんだ」
「そう……なのですか」
何だろう……嫌な予感しかしない。
「クリスティーナ」
切なそうな声で私の名前を呼んだアーネスト様は私の手を取りその甲にそっとキスを落とした。
「……たくさん振り回してごめん。でも、ありがとう。僕は君といられて本当に楽しかった」
「アーネスト様……?」
「僕はクリスティーナの幸せを願ってるよ…………どこにいても」
「あ……」
それだけ言ってアーネスト様は私に背を向けて歩き出す。
(どうして? どうして、まるで別れの挨拶みたいな事を言うの!?)
引き留めたいのにうまく声が出せない。
何で? どうして? さっき耳元で囁かれた言葉は何だったの?
あの言葉が嘘でないのなら……
(行かないで──)
そう言いたいのに、言えなかった。
私は遠ざかって行くアーネスト様の背中を黙って見守る事しか出来なかった。
「クリスティーナ様、ヴィルヘルム殿下の元へご案内します。行きましょう」
「……は、はい」
アルバンと呼ばれていたアーネスト様の護衛はずっとこのやり取りを見ていたのに、言及もせず淡々とそう口にし、さっさと歩き出してしまった。
私は慌てて彼に遅れないように着いて行く。
「……」
ヴィルヘルム殿下からの突然の呼び出し。そこから様子がおかしくなってしまったアーネスト様。
そして、先程のまるで別れのような挨拶。
(嫌な予感がする……)
──この時に感じていた嫌な予感はこの後、的中する事になる。
◇◇◇
「ヴィルヘルム殿下……すみません、もう一度仰っていただけますか?」
私はたった今、告げられた言葉が信じられず、聞き返してしまった。
「だから今、言った通りだ。何度も言わせるな! クリスティーナ・トリントン伯爵令嬢」
「……」
目の前のヴィルヘルム殿下は、今日も不遜な態度で私を見下ろしていた。
そして、とんでもない事を口にされた。
「君に拒否権は無い。クリスティーナ。君には俺──ヴィルヘルム・ルスフェルンの婚約者となってもらう事が決定した」