14. 婚約発表の日
「フハハ! ようやくこの日が来たな!」
「……」
私の誕生日──つまり、ヴィルヘルム殿下が決めた私との婚約を発表する日がやって来た。
(とうとうこの日が来たのね……)
「おい、何だ? その顔は。いい加減諦めろ。今日の発表を持ってお前は私の正式な婚約者となれるんだぞ! 喜べ! 幸せな事だろう?」
「……」
また、奪われては大変なのでお姉様が届けてくれた眼鏡はいざという時の為に隠してある。そのせいで眼鏡が無いから私の表情で気持ちは筒抜けらしい。
けれど、ヴィルヘルム殿下は、どこまでも私の気持ちを考えてはくれない。
「それにしても今日の君はいつもに増して綺麗だな。クリスティーナ」
「……ありがとうございます」
そんな風に褒められても私の心は一向に弾まない。
「アーネストのヤツもこれで諦めがつくだろう。本当にしつこいヤツだ。ちょっと自分の方が先にクリスティーナを見つけたからと言ってズルいヤツめ……!」
「……」
ヴィルヘルム殿下には言われたくないわね……そう思うも口には出さない。
(……アーネスト様)
今日という日を迎えても私の心の中を占めるのはアーネスト様の事だけだった。
「……さて、今宵は私の婚約者となる令嬢をこの場で皆に発表、紹介したいと思う!」
パーティー開始の挨拶が終わると共にヴィルヘルム殿下はすぐに婚約発表に移った。
今日のパーティーは事前にヴィルヘルム殿下の婚約発表の場だと公表されていたので、選ばれた令嬢を一目見よう集まっている人達ばかり。
(……これで、もう後戻りは出来ないわ)
私の心臓はずっとバクバク鳴っていて落ち着く気配が無い。
そんな中、ヴィルヘルム殿下は私の名前を叫んだ。
「その令嬢は……トリントン伯爵家の次女、クリスティーナ嬢だ!」
ヴィルヘルム殿下のその声に、会場からはトリントン伯爵家? 次女? と動揺する声が聞こえる。
さすがだわ。地味眼鏡令嬢の私はやっぱりあまり知られていない。
でも、眼鏡……? なんて声も聞こえて来るから私の事を認識している人も少しはいるらしい。
「さぁ、私の元へ来い、クリスティーナ嬢」
「……」
その言葉を受けて私はヴィルヘルム殿下の元へと歩き出す。
(……トリントン伯爵家……潰されちゃうかしら……?)
それだけは阻止したいわ、何とか罰を受けるのは私だけにしてもらわないと!
これから、自分がしようとしている事を思い家族に申し訳なく思う。
ごめんなさい、お父様。これは請求書どころの騒ぎではないかもしれない。
と、心の中でますます老けたお父様を想像しつつ、謝罪の言葉を考えていたその時、会場内に聞き覚えのある声が響き渡った。
「お待ち下さい! ヴィルヘルム殿下!」
「……何だ?」
(え? お父様!?)
ヴィルヘルム殿下に待ったをかけたのは、今、私が心の中で盛大に謝罪をしたまさかのお父様だった。
───────……
あの夜、アーネスト様に自分の気持ちを伝える事が出来た私はアーネスト様に言った。
「……アーネスト様。私はヴィルヘルム殿下の婚約者になる事を婚約発表の場でお断りしようと思います」
「クリスティーナ?」
「殿下には一度、お断りしたいと告げてみましたが駄目でした。なら、もう公の場でハッキリさせるしかありません」
そんな事をして何をされるか分からないけれど。
まさか、首を撥ねられらる事は無いと願いたいけれど。
「ですが……そのせいでもしかしたら、私は……」
「クリスティーナ」
色んな想像をして震える私をアーネスト様が優しく抱き締める。
頭の上からアーネスト様の悔しそうな声が聞こえた。
「僕がクリスティーナを守りたいのに……!」
「構いません。これは私が勝手にやる事ですから」
アーネスト様は、当日会場には入れないだろう。私だってこれ以上の危険をおかしてほしくない。
だけど、ヴィルヘルム殿下の出方次第できっと私は……そうしたら、アーネスト様と生きていく事も出来ない……
なんて、暗い想像をしていたら、
「じゃあ、クリスティーナが追放されちゃったら二人で国を出て生きて行こうか?」
「え?」
思いもよらぬ言葉に私は顔を上げ、ポカンとした表情でアーネスト様を見つめる。
アーネスト様は不思議そうに首を傾げた。
さすが、アーネスト様ね。この暗闇、かつ眼鏡越しでも私が呆気にとられているのが伝わっている!
「あれ? 違うの?」
「い、え? ……ですが……」
「……僕と生きていきたいんじゃなかったの? さっきの言葉は嘘?」
「う、嘘ではありません!!」
私が必死にそう答えるとアーネスト様が、ハハッと笑った。
「クリスティーナ、好きだよ」
「!」
「兄上ではなく、僕を選んでくれてありがとう」
アーネスト様はそう囁きながら、たくさんのキスをくれた。
───────……
だから私は、後にどんな目に遭おうとも、今この場でハッキリと皆の前で断るつもりでいた。
なのに……
「お、お父様?」
ヴィルヘルム殿下に逆らうのは私のはずだったのに、どうしてここでお父様が?
戸惑う私の事など気にせずお父様は殿下の元へと進み、そして頭を下げた。
「……トリントン伯爵。何を待つのだ? そなたの娘の事だぞ?」
待ったをかけられたからか、ヴィルヘルム殿下の声は冷たい。苛立ちを隠そうともしていない。
「不敬を承知で申し上げます。私はクリスティーナの親としてこの婚約を認めるわけにはいきません」
「は?」
(え? お父様は何を言って……?)
「ヴィルヘルム殿下は大事な事を忘れています。私はまだこの婚約に対して許可を出しておりません」
「何!?」
「娘、クリスティーナが王宮に滞在する許可は出しましたがそれだけです。婚約に関しては了承しておりません」
「……っ」
ヴィルヘルム殿下が息を呑んだのが分かった。
てっきり陛下達もお父様も了承済みの話なのだとばかり思っていたのに!
「この場であなた様が妃に望む令嬢を発表した後、陛下達の正式な許可を得る……という流れとなっていますが、相手の令嬢の父親である私の許可は事前に必要だったはずです。ですが殿下はそれをお忘れになっていましたね?」
「だ、だったら今すぐこの場で許可を出せ! ……まさか王族の命令に従えないとは言わないだろう!?」
ヴィルヘルム殿下の声はどこか焦っているようにも聞こえた。
本気で忘れていたのか、もしくは許可が出ていると思い込んでいたのか……
「私は娘の意思を聞いていません。許可を出すのは娘……クリスティーナの気持ちを聞いてからです!」
「何だと!?」
呆然とする私の元にお父様が近寄って来る。
私は混乱しすぎて頭が上手く回らない。
お父様ったら、やっぱりちょっと老けてるわ……なんてどうでもいい事は頭に浮かぶのに!
「クリスティーナ。久しぶりだな」
「お、父様……」
「とりあえず、今日まで王家から請求書は来なかった。まずはそこに安心した。まぁ、クリスティーナの事だから多少の破壊活動はしていたのだろうがな」
「……」
やめて。力が抜けるから! あと今、重要なのそこじゃない!
「……と、冗談はこれくらいにして、クリスティーナ。お前はヴィルヘルム殿下の妃になりたいか?」
眼鏡が無くても分かる。今、お父様の顔は真剣だ。
お父様は、ヴィルヘルム殿下に公の場で逆らう事で今後の自分や伯爵家がどうなるかも分からないのに敢えてこうして出てきてくれた。
婚約に関してお父様の許可が出ているかどうかなんて、口にしなければこの会場の人達には誰も分からなかったのに。
全部私の為に──……泣きそうになった。
でも、泣くのは今じゃない。
そもそも私だってこの場でハッキリ宣言するつもりだったのだから!
私は大きく息を吸い込む。
「いいえ! 私にはヴィルヘルム殿下では無い、別に想う大切な人がいます!」
「……なっ!」
私の言葉にヴィルヘルム殿下は絶句し、会場内には大きな動揺と騒めきが広がる。
「ですから、ヴィルヘルム殿下。私はあなたとの婚約の話を受け入れる事は出来ません。どんな罰でも受けます。どうかお許し下さい」
私は頭を下げるけれど、顔が見えなくても分かる。ヴィルヘルム殿下は相当お怒りだ。
「ふざけるな! よくもこの場でそんな事を……!」
「……私は一度、お断りをさせてもらいました。それでも聞き入れてくれなかったのは殿下、あなたの方です」
「ぐっ!」
ヴィルヘルム殿下はちょっと押し黙った。我儘を押し通した自覚は多少あるらしい。
「……そんなにアイツの方がいいと言うのか!」
「その通りです!」
私とヴィルヘルム殿下が睨み合う。あぁ、全く殿下の顔は見えないけれどこの様子だと折れてはくれなそう。
そう思った時、横にいるお父様が再び口を開いた。
「……ヴィルヘルム殿下。失礼ながら申し上げます。殿下もご存知だと思いますが、クリスティーナはかなりの近眼。眼鏡が無いと人の顔すらも朧気です」
「……? あぁ、知っているが? なぜなら俺と間違えて銅像を見つめていたからな!」
……なんでここでそれを暴露するのよ……!
さり気なくあの時の話を持ち出されたわ。実は根に持っていたのかしら?
あと、会場内のあちらこちらから失笑がもれているんですけど!
「ならば、そんな眼鏡が無いと殿下を認識出来なかったクリスティーナがこの広い会場内で眼鏡が無いまま“本当に大切に想っている人”を見分ける事が出来たなら娘の気持ちを受け入れてもらいたい」
───!? 見分ける? お父様はなんて事を言い出したの!?
そんなの無理に決まっているでしょう!?
今、目の前にいるヴィルヘルム殿下の顔だってボンヤリしているのに!
「……フッ。成程な。真実の愛ならば見えなくとも分かる、そう言いたいのか?」
「左様でございます」
「ほぅ、それだけ自信があるのだな。分かった、いいだろう。クリスティーナがこの眼鏡の無い状態でアーネストをこの会場から見つけ出せたなら、今回の婚約の話は無かったことにしてやろう! もちろん、クリスティーナにも伯爵家にもお咎め無しでな!」
そう口にしながらヴィルヘルム殿下が会場内を見回したのが気配で分かった。
「フッ……どうせ、アイツの事だ。こっそりこの会場にも侵入している事だろうよ」
ヴィルヘルム殿下は吐き捨てるようにそう言った。
(……ほ、本当に……?)
あまりにも突然で信じられないけれど、それはまさに私にとって願ったり叶ったりの言葉だった。
──だけど、お父様ぁ!? それは無茶ぶりと言うんですってば!
そもそも、アーネスト様が会場内にいるとは限らないでしょう!?
ダラダラと冷や汗を流す私の耳元でお父様は言った。
「クリスティーナ。アーネスト殿下は今、会場内に来ているよ」
「え?」
「殿下に事前に頼まれていてね。手助けをさせてもらったんだ。まぁ、変装しているから殿下のあのキラキラした特徴は無くなっているけれど探してごらん?」
「事前に……?」
いったいアーネスト様はいつそんな事をお父様に頼んだのかしら?
「殿下が城を抜け出して我が家に来た日だよ。クリスティーナを奪い返すにはもう婚約発表の日しか無いから、と言っていてね」
「アーネスト様……」
「大丈夫だ。クリスティーナがアーネスト殿下の事を本当に好きならきっと見分けられるさ」
「……」
私はすっと立ち上がり、しっかり顔を上げて会場内を見渡す。
視界はいつものようにボンヤリしていて、人の塊がたくさん居るのは分かる。それだけだった。
(この中からどうやって探せと言うのよ!)
静まり返った会場の中を私はそっと歩き出す。
(アーネスト様……! どこにいるの?)
会場内の全ての人が固唾を飲んでこの先の展開を見守っていた。