13. 秘密の逢瀬
──会いたかった……
真っ先にそんな言葉が飛び出しそうになった。
「アーネスト様!」
「……久しぶりだね、クリスティーナ」
私は一旦周りを見回し、他に誰もいない事を確認してから慌ててアーネスト様の元に駆け寄る。
「良かった。マデリーン嬢は無事に君に手紙と眼鏡を渡せたんだね。ごめんね、こんな時間にこんな所に無理やり呼び出したりして」
アーネスト様がそう謝罪する。
確かにいくら王宮内とは言え、深夜に呼び出すなんて何かあったら危険ではあるけれど。
それでも会いたかったから構わない。そんな思いで私は首を横に振った。
「幸い、私の部屋からここまでは遠くありません」
「……なら良かった。僕はクリスティーナが王宮に留められている事までは聞かされていたけど、どこの部屋を与えられてるかは秘されていたから」
──本当は部屋に忍び込めたら良かったんだけどね。
アーネスト様は残念そうな顔でそんな事を言った。
(……いえ、夜這いは色んな意味で困るのでこれでいいと思います!)
私はその危うい発言を聞かなかった事にして続ける。
「……ですが、私よりもアーネスト様こそ……なんて無茶をしているのですか!」
昨日、城を抜け出し我が家を訪ねた事も、こうして深夜に外に出てくる事もどれもこれも見つかれば私よりアーネスト様の方がただでは済まない。
それも、監禁されていたと言うのなら尚更よ。
よく見るとアーネスト様の顔には殴られたような跡が何ヶ所も見て取れた。
(確かにボロボロだわ。いったいどんな扱いを受けていたの……?)
「あ、もしかして傷を気にしてる?」
私の視線で傷を見ている事に気付いたのかアーネスト様が苦笑した。
「これはいつの傷ですか……?」
「クリスティーナが兄上からの呼び出しを受けて王宮に来た日……君と別れた後だね。まぁ、それ以降も何度かあったけど……」
「……っ」
私は思わず口元を押さえる。
ヴィルヘルム殿下はどうしてここまでの事を……
「兄上は、よっぽど僕に腹が立っていたみたいだ。僕が先にクリスティーナを見つけただけでなく先に求婚までしていたから。まぁ、抜け駆けした事は確かに事実だからしょうがないけどね……」
「……」
なんて答えたらいいのか分からず、私が黙るとアーネスト様は優しい瞳で私を見つめてくる。
「僕は、クリスティーナが好きだ。ずっとずっともう一度君に会いたいと思ってたし、再会してからもクリスティーナと過ごす日々は楽しくて……ますますその想いは強くなっていった」
そこまで言われると何一つ覚えていない自分が申し訳ない気持ちになる。
「わ、たし、アーネスト様の事もヴィルヘルム殿下の事も覚えていなくて……」
「知っているよ。当時、僕らと会った君は眼鏡を掛ける前だったからね。その頃に会った人の事は顔を認識出来ていなかったんだろう?」
「……そう、ですね」
「出会った時の事はいつか思い出してくれたらいいなとは思うけど、別にいいんだ」
別にいい──その言葉にちょっと驚いた。
「思い出さなくてもいいのですか?」
「うん。僕にとっては大事な思い出の一つではあるけど、大事なのは過去じゃなくて未来だと思っているし。僕はもちろん過去の君も好きだったけど、今のクリスティーナが好きなんだから」
(今の私が好き……眼鏡な私を……)
私の胸が盛大にときめく。
「アーネスト様……」
「クリスティーナ。その眼鏡も可愛いね。暗くてよく見えないのが残念だ」
「な……何を言っているんですか……」
本当にこの方は……
だけど、そんな事を言ってくれるアーネスト様の事がもう愛しくて愛しくて仕方ない。
暗くてよかった。だって、絶対に今の私の顔は真っ赤だから。
「お姉様からアーネスト様はずっとヴィルヘルム殿下に監禁されていたと聞きました」
「あー……うん。あの王宮に来た日、アルバンにクリスティーナを兄上の元に案内させている時、実はちょっと遠回りをしてもらっていてね? 僕はその間、先に兄上に会いに行っていたんだ」
「え?」
「……兄上もクリスティーナの事を好きなのは知ってたからね……だから、もし兄上がクリスティーナを心から想い大切にして幸せに出来るというのなら、僕は身を引いてもいいと思った。それを先に確かめたかったんだ」
……あの別れの挨拶みたいなのは、気の所為ではなく本当に別れの挨拶だった?
アーネスト様は身を引こうとしていた。
その事に私はショックを受ける。
だけど、アーネスト様がそう思うのも仕方の無い事だった。
アーネスト様の言葉に甘えて求婚の応えを先延ばしにしていたのは私。馬車の中でも応えられなかった。
期限より前に応える事はいつでも出来たはずなのに。
「でも、違った。僕は甘かったね……兄上は怒り狂った後、そのまま僕を捕らえた。クリスティーナにも自分の気持ちを押し付けただけだったんだろう? 眼鏡だって壊されたと聞いたよ」
「……」
「だから、僕は兄上に君を譲るのはやっぱり嫌だ。どう考えても嫌だ。そもそも諦めるのも無理だった!! そんな事を考えた自分は本当にバカだった!!」
「ア、アーネスト様……?」
突然の宣言に私が戸惑っていると、アーネスト様は手を伸ばして私をそのまま抱き締める。
そして、私の耳元で囁いた。
「今度こそ、クリスティーナの……君の気持ちが聞きたい……」
その言葉に胸がドキンッと大きく跳ねる。
アーネスト様は私の目を見つめて言う。
「お願いだ。兄上ではなく、僕を選んで? ……クリスティーナ」
アーネスト様の顔は真剣だった。
そんなアーネスト様の顔を見ていたら自然と涙がポロリと流れた。
「……クリスティーナ!?」
私が涙を流したのが分かったのかアーネスト様がギョッとし慌て始めた。
「私……ずっと後悔してました……」
「後悔?」
「アーネスト様の気持ちから逃げようとしていた事……あの日、馬車の中で応えられなかった事……全部です」
「クリスティーナ……」
アーネスト様の手が私の頬に優しく触れ、涙を拭う。
「……アーネスト様、前にも言いました。私は眼鏡です」
「ブッ……コホンッ……知っているよ?」
前と同じ省略の仕方をしたせいで、アーネスト様が顔を逸らして少し吹き出した。
「以前の婚約者も、その後、婚約を打診した方々も……そしてヴィルヘルム殿下もみんな眼鏡はダメだと言いました」
「何を言ってるんだろうね? クリスティーナは眼鏡があっても無くてもこんなに可愛いのに」
アーネスト様の呆れた声が聞こえて、本当に本当にこの方は、私を眼鏡ごと受け入れてくれる人なんだと改めて実感する。
「アーネスト様……あなただけです。そんな事を言ってくださったのは」
「え? そうなの? 皆、見る目無いんだね」
「……だから、私はあなたがいい……アーネスト様。眼鏡ごと私を受け入れてくれるアーネスト様……あなたと、あなたの隣でこれからも生きていきたいです」
私の言葉にアーネスト様が目を丸くした。
「クリスティーナ……それは……」
「あなたが好きです、アーネスト様。遅くなってごめんなさい。でももう、この気持ちからは逃げたくありません」
私は眼鏡越しにアーネスト様をしっかり見つめて想いを伝えた。
──大丈夫。この方には眼鏡があっても伝わるから!
「クリスティーナ!!」
ほらね!
アーネスト様がさっきよりも強い力で私を抱き締めた。
「どうしよう……僕は自分にとって都合のいい夢でも見ているのかな?」
「違いますよ。勝手に夢になんてしないで下さい!」
「……そっか……だよね……なら」
「?」
──これが夢では無いのだと信じさせて欲しい
そう呟いたアーネスト様の顔が私の顔に近づいて来る。
(あ……)
何をされるのか察した私は自然と瞳を閉じる。
「……っ」
アーネスト様が小さく息を呑んだ気配がした。
私が抵抗なく受け入れようとしたから驚いたのかもしれない。
(抵抗なんかしないわ……あなたが好きなんだもの)
そして、そのすぐ後に、私達の唇がそっと重なる。
「……」
「……」
なのにすぐに離れてしまいちょっと残念に思っていたら、
「……ダメだ……足りない。もう一度……」
「え?」
その言葉と共に今度はもっとしっかりと口付けられた。
そうしてアーネスト様は何度も角度を変えては触れてきて今度はなかなか離れてくれなかった。
「……好きだよ、クリスティーナ」
「~~!」
そしてキスの合間、合間にそんな事を囁くものだから私は腰が砕けそうになってしまった。
そうしてしばらく、お互いを求めあった後、ようやく離れてくれたアーネスト様が小さな声で呟く。
「…………困ったな。初めて眼鏡が邪魔だと思ったかもしれない」
「え?」
そう言ってアーネスト様がそっと私の眼鏡に手をかけて外す。
「クリスティーナ……愛してるよ」
「私もです……」
そう言ってもう一度……今度は眼鏡の無い状態で私達の唇が重なった。
あぁ、確かに……今この時だけは眼鏡が無い方がいいかもしれないわ。
眼鏡を掛けて感動したあの日から早数年。
初めてそんな事を思ってしまった。
──アーネスト様と気持ちを通じ合わせる事が出来たけれど、私達はこのままでは絶対に一緒にはなれない。
ヴィルヘルム殿下の存在がどうしても邪魔をする。
なら、私がこの先とる行動はたった一つ。
「アーネスト様、私……」
アーネスト様の温もりを感じながら、私は自分の決意を彼に伝える事にした。
──あなたとこの先を生きていく為に。