11. 後悔する日々の中で
「……あまり、嬉しそうな顔ではないな」
「はい?」
私の目の前でお茶を飲みながらヴィルヘルム殿下はそう言った。
眼鏡が無いせいで表情は全く分からないけれど、声色からは明らかな不満が伝わってくる。
「王宮の者達に聞いた。クリスティーナは以前、アーネストとここで茶とケーキを嬉しそうに食べていたと」
「あ……」
今も私の目の前に出されているのは、王宮御用達の最高級の茶葉で入れられたお茶と、王宮料理人のお手製のケーキ。
それは以前と同じで変わらないはずなのに。
アーネスト様と過ごした時のように心が弾まないのは……
(ボンヤリした視界のせいで美味しそうなケーキが見えていないから?)
違うわ。
アーネスト様だったから。
一緒に居るのがアーネスト様だったから楽しくて……美味しかったんだ。
本当に大切な物は失ってから気付く。
気付いた時にはすでにもう遅い──なんて話をどこかで聞いた事があるけれど。
本当にその通りね。
私は何てバカだったのだろう……
あの日、馬車の中でアーネスト様の想いに応えていたら、何かが変わっていたのかな?
情けない事に、今の私は毎日そんな後悔ばかりを繰り返していた。
「……まぁ、いい。それで半月後の婚約発表の事だが……」
「あ、はい……」
仕方なくヴィルヘルム殿下の話に耳を傾ける。
だって、この婚約は断れない。
アーネスト様の時みたいに、一度だけ不敬を承知で「断りたい」と口にしてみた。
すると、ヴィルヘルム殿下はとても怒り、発言を撤回するまで部屋に軟禁され全ての外出を禁止された。
……あれはツラい。
(今更ながらアーネスト様がどれだけ優しくしてくれていたのかが分かる……)
……アーネスト様はどうしているのかしら。
国から出て行って貰うとヴィルヘルム殿下は言っていたけれど、まだこの国にいる?
それとも……もういない? 本当にもう二度と会えないの?
そう考えるだけで胸が苦しくて悲しくなる。
「……全く話を聞いていないな?」
「う! あ、す、すみません……」
「…………そんなにアーネストがいいのか?」
「っ!」
図星をさされてしまい私はうまく答える事が出来ない。
ヴィルヘルム殿下はため息を吐きながら言った。
「アーネストには俺達の婚約発表が終わるまでは大人しくしてもらっている。会おうとしても無駄だ。諦めろ」
「え?」
「今、あいつを野放しにして婚約の邪魔をされたら困るからな。国から追い出すのは俺達の婚約発表後だ」
大人しく……?
それってアーネスト様は今、一体どんな扱いを受けているの?
とたんに心配になる。
「クリスティーナ。君は俺の婚約者となり、ゆくゆくは俺と結婚する。これはもう決定事項だ。いい加減無駄な足掻きはやめて覚悟を決めろ」
「…………」
そう口にするヴィルヘルム殿下に対して私は何も答えられない。
覚悟なんて決められるわけがない。
だって、私はヴィルヘルム殿下に全く好意が抱けないんだもの。
むしろ、不快感の方が強いわ。
アーネスト様からの求婚に悩んでた時は、こんなキラキラしたアーネスト様の隣には立てない、王子妃なんて無理……そんな思いばかりで、アーネスト様自身を嫌だと思った事は無かったのに。
けれど、ヴィルヘルム殿下に対する思いは違う。
私の気持ちを何一つ考えようともしないで、勝手な事ばかり押し付けてくるこの方がどうしても好きになれない。
──何より! 眼鏡を破壊した事。私はそれが許せない。
(もう嫌だ。ここから逃げたい)
自分の誕生日、そして婚約発表の日が迫る中、最近の私はそんな思いばかりがどんどん膨らんでいる。
──初恋の少女だかなんだか知らないけれど、このままヴィルヘルム殿下の婚約者になってこの方と結婚するのはやっぱり嫌。
そもそも、私はヴィルヘルム殿下ともアーネスト殿下とも会った事を覚えていない……
(アーネスト様……)
アーネスト様に一目だけでも会いたい。せめて無事なあなたの姿が見たい。
ヴィルヘルム殿下と過ごしていても、そんな事ばかり私は考えていた。
◇◇◇
「絶対ダメです!」
「そこまで拒否しなくてもいいじゃないの」
「ダメと言ったらダメです! クリスティーナ様はそのままのお姿で出歩いたら危険しかありません!」
王宮に住む事になってから私に付いている世話係のメイドに一人で王宮内を歩きたいと申し出たら、凄い勢いで却下されてしまった。
「物は壊さないように気をつけるわ、ね? お願いよ」
「壊さない? 無理です。信じられません! そもそもそういう問題でもありません!」
「どういう事?」
てっきり破壊魔になるから出歩く事を禁止されているのだろうと思ったのだけど、どうやら違うらしい。
「クリスティーナ様はご自分の容姿を分かっていないのですか!?」
「は?」
自分の容姿? そんなの眼鏡でしょ……って今はその眼鏡が無いわね?
だったらなにかしら?
そもそもまともに自分の顔を見ていない……
「…………よく分かっていないわね」
私は正直に答えた。
「ほらぁぁぁ、だからですよ!」
「だから?」
「クリスティーナ様みたいな美しい方が王宮内を一人でウロウロして無事でいられるわけがありません! 誘拐されてしまいます!」
「はぁ?」
美しい方? 誰の事を言ってるの??
しかも誘拐って大袈裟ね。貧乏伯爵家の娘だから身代金払えないわよ?
お父様が泣いちゃう。
キャンキャン喚くメイドを横目に心の底から意味が分からないと思った。
私は静かにため息を吐く。
一人になって隙を見てどうにか逃げられないかしら、なんて思ったけれど眼鏡も無いし、どう考えてもやっぱり無謀よね……
逃げ出したいとどんなに強く思っていても一人になる事も出来ず、ヴィルヘルム殿下を納得させる事も出来ず、とことん私は無力だった。
──コンコン
そんな自分の無力さに打ちひしがれていると、突然私の部屋の扉がノックされた。
「……誰でしょうか? 訪問の予定なんてありましたかね? 確認して参ります。待っててくださいね、クリスティーナ様」
喚くのをやめたメイドが確認の為に扉へと向かう。
「えぇ」
私の部屋に訪問者とはこれまた珍しい事ね。
ヴィルヘルム殿下は、私を婚約者にと望んでいるにも関わらず、お忙しいのか部屋に訪れる事はほとんど無いし、まだ婚約者として正式に発表されていない私は客人扱いなので訪ねてくる人なんていないはずなのに。
すると、入口から押し問答する声が聞こえて来た。
「あぁ、もう! いいからさっさと部屋に入れなさいと言っているのよ! 私を誰だと思っているの!?」
「え、そ、それは……」
「えぇい、邪魔よ! さっさとそこをどきなさい! そしてクリスティーナに会わせなさい!」
(……ん?)
その声の主は問答無用に部屋に押し入って来たようだった。
(こ、この押しの強い声はまさか……)
私はその声の主を確かめようと慌てて扉の入口の方を振り返る。(もちろん見えないけれど)
「はーい、クリスティーナ! って、どこ見てるのよ……そっちは壁よ?」
「か!?」
なんて事なの……また、方向が違ったらしい。
「まぁ、いいわ。そんなのいつもの事だものね。さて、久しぶり! んー……思っていたよりは元気そうねぇ」
お母様譲りの美貌とムンムンなお色気を兼ね備えた事で有名なトリントン家の長女、マデリーン。
それは、どこからどう聞いてもそんな私のお姉様の声だった。