10. 私の意思など関係無いらしい
「……お、お待ちくださいませ。何故、そのようなお話になっているのでしょうか?」
私はたった今、告げられた言葉が信じられず震える身体をどうにか抑えながら聞き返した。聞き間違いであって欲しい……そう思いながら。
そんなヴィルヘルム殿下はニッコリ笑って私の元へ近付いて来る。
(兄弟なだけあってアーネスト様とよく似ているわ……でも、雰囲気は全然違う。この方は……何だか怖い)
そんな事を思っていると、ヴィルヘルム殿下の手が私の眼鏡に伸びた。
そして、そのまま眼鏡を外されてしまった。
一瞬で私の視界はボンヤリしてしまい、もう殿下がどんな表情をしているのかさえ分からない。
「決まっているだろう? 俺が君を望んだからだ」
ヴィルヘルム殿下はあっさりとそう告げる。
だから、私はその理由を教えてと言っているのに……
「ですが……私は今、アーネスト様から求婚を……」
「知っている。だが、返事はまだなのだろう? つまり今の君はアーネストの婚約者候補の一人に過ぎない。だから、私の婚約者になる事は可能だ」
「……っ」
「君がアーネストに返事をしていて正式な婚約者となっていれば、さすがの俺でも手出しは出来なかったがな」
その言葉に衝撃を受けた。
(……あぁ、だから……だから、さっきアーネスト様は約束の期日前なのに返事を聞こうとしていたんだ……)
ヴィルヘルム殿下が突然、こんな事を言い出した理由はよく分からないけれど、アーネスト様はきっと薔薇の花束と手紙の内容で殿下が私に何を求めていて、言い出すのか気付いてしまった。
だからアーネスト様はあんなに様子がおかしかったんだわ。
私はようやくその事に気付いた。
「フッ……アーネストも甘いな。最初から俺みたいに“婚約者となれ”と命令しておけば良かったのに、悠長に君の気持ちを待っているからこんな事になるんだ」
「!!」
表情は見えなくても声色で分かる。
ヴィルヘルム殿下はアーネスト様をバカにしている……その事がすごく悔しい。
……もちろん命令する事だって出来たのに、それをしないでアーネスト様は私の気持ちを尊重してくれていただけなのに!
「…………何故、私なのですか」
ヴィルヘルム殿下が、アーネスト様の求婚を受けている最中の私を望む理由が分からない。
ましてや、(今は取り上げられてしまったけれど)私は単なる地味眼鏡令嬢。
アーネスト様の隣に並ぶのにも気後れしたのに、ヴィルヘルム殿下の隣だって無理!
私の言葉を受けて、目の前のヴィルヘルム殿下がフッと笑った気配がした。
「俺はずっと君を探していた、クリスティーナ」
「!?」
──私を?
「いや、正確に言うなら俺とアーネスト……我々はずっと同じ“初恋の少女”を探していた」
「……え?」
「それは、君の事だ。クリスティーナ」
「!!」
───僕はね、クリスティーナの事が本当に好きなんだよ。君は覚えていないけれど、僕の初恋は君。僕がずっと好きなのは君だけだったんだ。
(……アーネスト様!)
ついさっき、アーネスト様に耳元で囁かれた言葉が頭の中に浮かぶ。
アーネスト様の言葉だって耳を疑ったのに……
だけど、ヴィルヘルム殿下も……とはどういう事?
自分に身に覚えがないせいで全く分からない。
「……アーネスト様は今どこにいますか?」
「……」
ヴィルヘルム殿下は黙り込んだまま答えない。
つまり、“会わせる気は無い”そう言っている。
「安心するといい。君の心を煩わせたアーネストと君が会う事はもう二度と無いだろう」
「……え?」
「俺の妻になる人に恋心を抱く弟なんてのは邪魔なだけだからな、適当な理由をつけて国から出て行って貰おうと思っている」
「……!」
その発言に言葉を失う。どこまで身勝手なの……!
「さぁ、あいつの話はもういいだろう? これから君が住む部屋に案内する」
「え?」
「何を驚いているんだ? クリスティーナ。君は今日から王宮に住むんだ」
「!?」
何故、勝手にどんどん決まってしまっているの!? 私の意思は!?
「お、お父様……は……」
「伯爵か? もちろん、話は済んでる。もちろん快く受け入れてくれたとも」
(嘘よっ!)
ゾッとした。
表情が見えなくても分かるわ。
ヴィルヘルム殿下は今とても黒い笑みを浮かべているに違いない。
「それと、俺達の婚約発表は君の誕生日に決まったから心しておけ」
「!」
それは、私がアーネスト様に答えを出す事になっていた日──わざと? わざとなの?
「そうそう。あと、もう眼鏡は君には必要無いだろう?」
「え?」
そう言ってヴィルヘルム殿下は、よく見えないけれど、さっき私から取り上げた眼鏡を見せる。
「必要無い? こ、困ります!」
「いらないだろう? 王宮では、常に誰かの手があるんだからな」
「で、ですが……」
「俺は眼鏡の君は好きになれん! これを掛けられると顔も表情も分からず何を考えているのかさっぱり分からなくなるからな!」
「……そんな!」
「それに、君の美しさも阻害するしな。よってこれは今後一切不要だ!」
そう言ってヴィルヘルム殿下は私の目の前で私の大事な眼鏡をグシャリと破壊した。
「……!!」
ヴィルヘルム殿下もロビン様や、これまでの他の人達と同じ。
眼鏡はダメだと言う。
(眼鏡も含めて私なのに……)
だけど、今までの誰よりもこの方が一番酷い……酷すぎる……
私はショックで反論する気力が起きず、その場にへたり込んでしまった。
「さぁ、これで君は私の物だ」
「……」
どこか嬉しそうなヴィルヘルム殿下の声。
力が抜けてしまった私はもう、ヴィルヘルム殿下の言う事をただただ聞く事しか出来なかった。
◇◇◇
ガシャーン
「ひぃぃぃ! クリスティーナ様! だ、大丈夫ですか!?」
「ご、ごめんなさいっ!!」
あぁぁぁ、またやってしまったわ。もうこれで何回目かしら?
「いえ、どうにか壊れてはいません! だから請求書送付まではいかないはずです!」
「そ、そう? それなら良いのだけど……」
「それより、お怪我はありませんか?」
「そ、それは大丈夫」
ヴィルヘルム殿下に眼鏡を壊され素顔の生活が始まったものの、私は事ある毎に王宮内で壁や物にぶつかってばかりいる。
おかげで、私の世話係は毎日毎日悲鳴をあげている。本当に申し訳ないわ……
人の手があっても無くても結局こうなるのよ、私は。
(まるで幼い頃の眼鏡をかける前の生活みたい……あの頃もこんな状態だったわ)
お父様がいつも嘆いていた意味がようやく分かったわ。
これは絶対に外すなと言いたくもなるわね……
こんな事になってしまってきっとお父様は毎日、請求書が届かないかビクビクと怯えているでしょうね……
そう思うと申し訳なくなってしまう。
…………だから、眼鏡のままの私を受け入れてくれる人を欲していたのに。
(私が自分の気持ちと向き合わずに理由をつけて逃げていたから……)
「アーネスト様……」
私は小さく彼の名前を呟いた。
「クリスティーナ様? 今、何か仰いましたか?」
「い、いいえ! 何でもないわ」
私は慌てて首を横に振る。
──眼鏡が恋しい。
そして、アーネスト様が恋しい……あなたに……会いたい。
同じ王宮で過ごしているはずなのに、アーネスト様とは全く会うことすらない。
話も聞かない。
ヴィルヘルム殿下は徹底して、アーネスト様の事を私の耳に入れないようにしているみたいだった。
着々と婚約の準備は進んでいるらしい。
私は自分自身の気持ちにようやく気付いて認めたけれど、時すでに遅く……
何もかもが今更で手遅れ状態だった。