トラウマ
それは僕が小学生の時の話、当時同世代の間では誰が誰のことを好いているか、そんな話題で持ちきりだった。当然僕のところにもその余波が押し寄せてくる。しかしその当時の僕はそんな恋愛沙汰には興味がなく、ただ読書と勉強とバスケットボールに打ち込んでいた。だがそんな僕にも容赦なく恋愛感情を抱くことを同級生たちは強制した。そしてたまたまグループ活動で話す機会があったとか、体育館で一緒になる機会があったとか、家が近かったとかそんな適当なこじつけを根拠にありもしない恋物語がいくつも作られていった。
だがそんなことはどうでもよいと思っていたが、周りは違った。ある日いつものように読書をしているとクラスの男子が僕のもとに集まってきた。
「お前あいつのことが好きなんだってな」
あいつとは当時の僕の恋の相手(嘘)として名が挙がっていた女子のことを指すのだとすぐに理解した。
「別に何とも思ってない」
「嘘つけ。恥ずかしいのは分かってるから俺らに任せな」
何を任せることがあるのか、何も分かっていないはずの彼らはそれでも得意げな顔を一度僕に見せそのまま僕の両脇を抑え無理やり席を立たせた。
「ほら行くぞ、大丈夫俺らが付いてるから」
「ちょっとやめろって」
「いいからいいから」
これからどこに連れて行かれるのか、まあどちらにしてもろくな目にあうはずがない。しかし両脇を抑えている男子を振り払うにはあまりにことは非力な僕にはできずそのままずるずると廊下まで連れて行かれたそしてそこで今度は床に押さえつけられた。その隙に別のやつが隣の教室に入っていく。そして例の女を連れてきた。
「ねえさ、実は裕介がお前のこと好きらしいよ」
女を連れてきた男が面白がりながらそう言った。もちろん僕にはそんな気は全くなしわけだが、彼らにはそんなことはどうでもいいのだ。ただどういう結果になろうがこの代理告白は彼らが求める面白い結果に終わる。それが分かり切っているから僕の気持ちなど一切考えずにこのようなことが出来るのだろう。
「え、嘘いや信じられない。マジでやめてそう言うの気持ち悪いから」
「あちゃ~残念、うまくいかなかったな。まあどんまい。でもこれで気持ちの整理がついたろ」
何が信じられないだ。何が残念だ。すべてお前らが仕組んだ茶番劇じゃないか。それが分かっていながらも、何もしていないにも関わらず軽蔑の視線を向けられていることに僕は確かな気分の悪さを覚えた。きっと頭が状況を整理できていないためであろう。次第に騒ぎを聞きつけたのかギャラリーが集まってきた。最初は何事かと思っていた彼らも周りの人間から事情を聴くにつれ、女と同じように僕に対して軽蔑、嘲笑の視線を向けだした。
上から力ずくで床に押さえつけられ一切身動きができない状態で僕は360度ごみを見るような視線に囲まれている。そんな状況で平静を保っていられるわけがなくどんどん心拍数が上がっていき、嫌な汗が頬を伝う。呼吸も荒くなり肺が苦しい。
「どうしたの」
またギャラリーに女の子が加わる。その人のことをあまり詳しくは知らないがおそらくは仲良しの子なのだろう。
「いや、さっき裕介君から告白されてさ」
「えーマジでかわいそう」
「ほんとね大丈夫気分悪くない?」
彼女達は女の肩に手を当てその場から一歩後ろに下げる。それはまるで体調が悪い人を保健室に連れて行く様子に見える。しかし彼女たちはその優しい言葉とは裏腹に僕に向けられた視線は軽蔑と怒りを孕んでいた。
一体どうして僕が起こられなければいけないのか、どちらかと言えば僕は被害者だ。無理やり連れてこられ体を押さえつけられ事実を捻じ曲げれた上に笑いものにされ軽蔑される。そんな状況を見てもなお、僕よりも女の方が被害者として周りから受け入れられている、そんな受け入れがたい現実だけが質量を伴って僕の心に深い影を落とした。
それからどうやって解放されたのか、どうやって一日を過ごしたのか記憶がない。ただ一つだけ誓ったことがあった。こんなつらい思いをするくらいならもう恋なんてしない。一生一人で生きていくそう決めたのだ。こうして僕はトラウマと引き換えに恋愛感情を小学校に捨ててきたのだ。
きっと今私と18歳の彼は同じことを思い出しているのだろう。自分というだけあって信頼を得るための勝手は分かっていたがそれでも配慮が足りていなかったことは否めない。彼は動揺しながらもゆっくりと胸元から手を離した。
「あんた本当に俺なんだな」
「理解してくれ他みたいだね
」
「嫌々だけど、認めざるを得ないって感じだけど」
自分しか知らない秘密を用いたとはいえ、こんなおかしな事態を受け入れられるのは当時の僕の中に中二病の残り香があったからかもしれない。
「それで僕に忠告ってんなんですか」
「ああそうだった」
僕は一呼吸間を置くと改めて口を開いた。
「君はそう遠くない未来恋に落ちる。だけど君はそのことを自覚できない。だがその気持ちに目をそらしちゃあだめだ」
「え、ちょっとまってください。僕が恋に落ちる?まだ仲のいい女の子すらいないのに」
「それはどうかな、よくよく考えてみれば相手に心当たりくらいはあるんじゃない? 」
そう言うと彼は黙り込んでしまった。どうやら深く考え込んでいるようだが、思い当たる節を探しているというよりかは、どう言い返そうかということの方に頭のリソースを割いているようだ。
さあどう返答するのか18の僕よ、なんてことを考えているとどこからか視線を感じたので辺りを見渡したてみると、僕たちのことをいろんな角度から見つめる老人たちの姿があった。きっとこの辺りに住んでいる人が騒ぎを聞きつけて顔を出したのだろう。まあ端から見れば18歳の青年に30代のおっさんが絡んでいるという変な状況にしか見えないだろう。あまり考えたくもないがもし怪しい人物として通報されてしまっては今後動きづらくなってしまうため、僕は一度この場から離れることにした。
「今日の話よく考えてみてくれると嬉しいな」
「・・・・・・」
彼はなにも言葉を返さなかったが、何かを思考する際に僕が取る姿勢を崩さないまま僕の話に耳を傾けている様子を見てこの一連のやり取りに意味があったことを読み取った。
「それじゃあまたね」
それだけ言い残して僕は足早にその場から去った。
翌日、僕は昨日30歳の自分に合うという奇妙な出来事を思い出しながら、昼食の弁当を持って教室を出ていた。もともとは教室で食べていたがとある事情から食べずらくなってしまいそれ以降は廊下から出ることが出来るベランダのような場所に陣取るようになった。ここは屋外ということもあり、夏は暑く冬は寒く、梅雨の時期には湿っているため生徒たちからは不人気なスポットになっていた。しかしそれが僕にとっては都合がよかった。誰も来ないそこはボッチな僕にとっては最高の場所だった。しかし最近は少し事情が異なっていた。
その日もいつものようにお弁当の蓋を開けるのと同時に僕の後ろの大窓が開いた。
「隣いい?」
そう言ってきたのは 僕が座っている場所から窓を挟んですぐ真後ろの教室の子で名を葉月という、僕と彼女は同じ中学校の出でその縁あってか入学当初は行動を共にすることが何度かあった。しかし学年が上がりクラスが変わってからはあまり関わることがなくなっていた。
「どうぞ」
特に断る理由がないので僕は周りを少しだけ片付け彼女が座るスペースを確保する。
「ありがとう」
葉月は僕の隣に座ると同じようにお弁当を広げる。
「そういえばあと少しで修学旅行だね」
「そうだね」
「それでね、二日目の遊園地なんだけど、よかったら一緒に周らない」
おそらくこれが彼女が今日ここに来た理由なのだろう。だが幸か不幸僕には一緒に周る相手がいない、それに遊園地事態そこまで好きというわけではないので、別に他の人の楽しみに付き合うくらいの方がまだ楽しいのかもしれない。
「いいよ」
「よかった。ならどこか行きたいとかある」
お互い遊園地とは縁遠い生活をしてきたため、今度行く遊園地にどんなアトラクションやイベントがあるのか全く分かっていなかった。なので今度の休日にゆっくりと話し合って決めようということになりその日は話のオチが付いた。