過去の対面
大量のガスを吸ってしばらくし、やっと瞼が光を捕らえた。とりあえず瞳を開くと、そこはさっきまでいた研究室ではなく、狭い道路の真ん中だった。幸い車が通れないように車止めのポールがしてあるので、事故にあうことはなさそうだ。
とりあえず安全が確保できたため、改めてあたりを見渡す。左側には草木が生い茂った傾斜があり、右側にはそこそこの高さの塀があり、その上にはバスターミナルがある。この組み合わせを見て、僕はハッとした。ここは僕が高校生の頃によくとおっていた通学路だった。
大学を卒業してからという物の、一度も地元に帰ったことがなかったため、記憶が薄れつつあったが、それでもまだはっきりと覚えていた。だがあの研究室からここまで、相当距離があるにも関わらず僕はここにいる。なので僕が乗せられたのはタイムマシンというよりも、どこでもドアに近いのかもしれないと思う。
そうしていると、前方が騒がしくなってきた。少し様子が気になり音の方へと進むと、ちょうど高校生たちが下校していた。懐かしの母校がまだ残っていることにノスタルジーを感じながらも、一つ驚いた点がある。それは彼らが着ていた制服だった。僕が通っていた高校は、僕が三年生の頃にデザインの変更があり、それ以降に入った後輩たちは、皆新しい制服を着ていた。しかし今僕の横を通っていった学生が着ていたのは、僕がよく知る旧スタイルの制服だった。
デザインを元に戻したのかとも思ったが、新スタイルの制服を着た学生もいるので、やはりここは研究者たちが行っていた通り、過去の世界のようだ。そう認識してしまうと、思わずワクワクが止まらなくなってしまう。あの頃にあった店や公園はまだ残っているのか、そう言った些細な記憶の断片をたどりたくて仕方がない。
思わず僕はその場を飛び出し、記憶に残っている下校コースをたどる。きつい傾斜の坂も、小さなコンビニも、年老いた先生が診察をしている病院も記憶のままに残っている。だが唯一地域住民のことを考えずに爆走する自転車も残っていることだけは気に食わなかった。ちなみにもしここが僕が高校三年生の世界なら、この道路は自転車は通れなくなっているはずなので、おそらくここは僕が高校二年生の頃の世界なのだろう。
それから懐かしい光景を視界の端に捉えながらも、どんどん下校していく。そしてついに僕は自分の実家まで帰ってきていた。だがここは今の僕が帰るべき場所ではない。ここはこっちの僕が帰るべき場所であってその居場所を僕が奪っていいわけではない。それでも今の僕ならば、彼の肩代わりくらいはできるだろう。
だが顎に手を当てるとその当時にはなかった顎鬚がチリチリと存在感をアピールしている。それを感じるともう僕はその場所に近づくことが出来なくなり、静かに去ろうとする。その時一人の学生とすれ違った。僕は物珍しさから思わず、その子の顔を見てしまった。そこには僕と全く同じ顔があった。間違いなく。それはこっちの僕だった。よくよく考えてみれば、こんな辺境みたいな山の上の家に住んでいる高校生なんて、僕くらいだ。
思わず驚いて振り返る。しかしその学生は振り返らず、まっすぐに僕の家の扉をくぐった。そのことで僕は、今ここで自分自身とすれ違ったことを確信した。
翌日、放課後まで適当に時間を潰し、またこの時代の僕に出会うために、校門の近くに張り込んでいた。しばらくすると予想通り僕が出てきた。しかも今日は一人ではない。彼の隣には一人の女性がいた。
彼女のことを全く知らないわけではなかった。過去のことなのだから、当然といえば当然だが、あまりにも懐かしい顔に思わず僕は、隠れることを忘れ見入ってしまった。彼女の名は葉月、僕の知っている過去では彼女とは高校3年生の間の一年間恋人同士だった。彼女とは高校時代を最後に一切連絡が取れていない。
しばらく見つめていると、僕が葉月と別れこちらに近づいてきた。僕はばれないように一度隠れる。そして今度は、この当時の僕のことを改めて知るために後をつける。彼は僕の記憶通りの道順をたどり、家へと向かう。ここまでは本当によく見た光景だった。なので僕はつい油断をしてしまった。その一瞬をつき、彼は僕の視界から消えた。
まさかこんなきれいに尾行を巻かれてしまうは思わず、焦って駆け出した。そして最初の角に差し掛かった時、彼に呼び止められた
「いったい何のつもりですか」
「いや、違うんだ。怪しい人じゃないよ」
「あなた誰ですか」
「俺は・・・その」
未来から来たあなたです、なんて言って信じてくれる人が一体どこにいるのだろうか、いるわけがない。それでも言い訳できる状況ではない。
「僕は裕介。君に用事があったんだけど。なかなか声をかける機会がなくて」
「そうですか、それで用事とは」
「君に忠告しに来たんだ」
「忠告?」
「君にはいずれ、恋人ができる。だが君は己の未熟さゆえに、恋人のことを傷・・・」
そう言いかけた僕は、気づけば自分よりも一回りほど年下の自分に胸倉をつかまれていた。
「おい、おっさん人の事あんまり知らないくせに、舐めた口きいてんじゃねえぞ」
そう言えば、僕はそんな奴だった。普段は絶対に他人に見せないようにしているが、常にいろいろなことに怒っている。だからそれが解放されると人が変わったように、大胆かつ狂暴になる。それにわかっていたはずなのに、僕の配慮が足りなかった。
「悪かったよ、君のことはよく知っているつもりなのに。君は過去におこった事がきっかけで恋愛に対してトラウマを持っている。そうだろう」
そう言うとこっちの僕は手を離した。
「なんで、それを知ってんだ」
当然の反応だ。この事実は彼がずっと誰にも言わずに隠し通してきた、いわば彼の弱点のようなものだ。実際三十代になった今でもこの秘密を知っているのは、世界に4人しかいない。
「だって、私は君だから」
「はぁ?」
「私は三十歳になった君だからさ」
そう言うとこっちの僕は何も言い返せなかった。