リカンナの猫 1
セリナはある日、思いついた。若様はいろいろと傷ついている様子なので、動物を触って貰って、心が慰められたらいいと思ったのだ。セリナも落ち込んだ時に、リカンナの飼っている猫を撫でたら、心が慰められることがある。
セリナは思い立って、リカンナに聞いてみた。
「ねえ、お屋敷に猫のミーを連れて行って、若様に触って貰ったらどう?きっと、若様は動物が好きだから、とても喜ぶと思う。」
「なんで、動物が好きだって分かるの?」
リカンナが問う。当たり前の質問だ。
「だって、初めて会った時、ロバのクーのことを心配してたもん。きっと、好きだと思う。」
「…ふーん。」
リカンナは言って、セリナを半眼で睨む。
「…あんた。単に若様がふわふわの可愛い物を抱っこしている姿、見たいだけなんじゃないの?」
「…そんなことないわよ。」
「図星でしょ。」
リカンナに指摘されて、セリナは開き直った。
「そ、そうよ、図星だもん。だって、抱っこしてたらすっごく可愛いよ、絶対。」
すると、リカンナが笑い出した。
「そうだよねー、きっと可愛いよね。想像するだけで分かる。実物見たいよね。」
「でしょー?見たいよねぇ。」
「…でも、難しいかも。」
リカンナは盛り上がった後で言い出した。
「えー、なんで?」
「あんた、猫は臆病なのよ。借りてきた猫って言うでしょ。知らないとこに行ったら床に敷物みたいに這いつくばって、部屋の隅っこに逃げちゃうわよ。それに、若様を引っ掻いたりするかも。事前にのみ取りもしないといけないし。」
セリナはため息をついた。
「たしかにのみはまずいわ。若様のほっそりした首筋に、のみに食われた赤い発疹がたくさんできたら、かわいそう。」
「若様のお肌ってしっとりしてて、きめ細かいわよね。」
「あんたもそう思う?きっと虫も好きよ。」
フォーリもジリナもいないと分かっている、お屋敷からの帰り道だからできる会話だ。
「とりあえず、一応、お風呂に入れておいてみる。」
リカンナは言って帰って行った。
休みが終わってお屋敷に行くと、親衛隊用の厨房で騒動が起きた。ネズミが出たのだ。
料理係の娘達がきゃーきゃー言っているので、若様用の厨房にいたセリナもフォーリも様子を見に行った。
「ネズミは速いから、そう簡単に捕まらない。罠をしかけるしかない。」
隊長のヴァドサ・シークが言った。
「ネズミ?」
フォーリの眉根が寄った。その声にシークが振り返る。
「何も大したことじゃない。ネズミが出ただけだ。罠をしかけるから、大丈夫だ。」
「ダメだ。若様用の厨房に来たら困る。それにネズミは病気を媒介するから危険だとベリー先生が言っていた。絶対にかじられないように、と注意を受けた。」
みんなたかがネズミだと思っていたので、そんな注意があったと聞いて驚いた。ネズミは人が来て驚いているのか、物の下を走り回ったり人の足下を走り抜けたりしている。普通あんまり、日中には出て来ないものだ。
フォーリの話を聞いてから、この小さなチューチュー鳴く小さな生き物がとんでもなく、危険な代物に思えてくる。
「みんなよけてくれ。」
フォーリの言葉に素直に従い、捕まえようとした兵士達も料理係の娘達も厨房の外に出た。
フォーリはどうやら、ずっとネズミがどこにいるか目で追っているらしかったが、パイ生地をから焼きする時に使う重り用の石をつかむと、シュ、シュ、シュ、と投げ始めた。チー…!という悲鳴が上がったが、決定打にはならなかったらしい。
「く…!仕留め損なったか。」
物凄く悔しそうに言った後、フォーリは飛刀と呼ばれるらしい、小さな刃物を取り出すと投げた。
「ようやく仕留めた。」
小さなネズミの脳天には、大きすぎる飛刀が突き刺さって絶命している。
「……。」
誰もがあの小さくて素早い生き物の脳天に当てられる、フォーリの腕に驚嘆していた。
フォーリは飛刀を回収すると、ゴミ拾いに使うための火箸を使い、ネズミをつまみ、竈の燃えさかる炎の中に投げ込んだ。さらに飛刀を洗うと、熱湯をかけて消毒し、布で拭いてからしまい、さっさと厨房を後にした。
「後はネズミの穴を探すだけだ。」
「あ、ああ。そうだな。」
フォーリが戻ってわざわざ言ったので、シークが慌てて答える。
「おい、セリナ、何をしている。野次馬をしている場合じゃないだろう。」
フォーリに注意され、セリナは急いで厨房に戻った。戻ると若様が一人で芋洗いを全部終わらせてしまった所だった。