悔い
画面の向こうでは、鈴音が女騎士を助け、スライムから全速力で逃げている。
しかし、その差は徐々に埋まりつつあり、やはり警告しておくべきだったと、アルジャックは後悔していた。
あのスライムは危険だと、啓蒙の邪魔をしてでも伝えるべきだった。
老魔術師は、固唾を飲んで生放送を見る人々から離れ、心の中でひとりごちる。
このままでは、いずれ彼はスライムに追いつかれて、その身を飲まれてしまうだろう。
いくら神の使いと言っても、我々と同じ生活を送るために肉体をスケールダウンしてくれているはず。
そんな状態で悪魔のスライムの体内に引き摺り込まれてしまえば、死は免れない。
なんという失態、何が老賢者か。
エリシダの住人の喜ぶ姿に満足し、最も大切な部分を見誤ってしまったと、彼は激しく後悔していた。
次の瞬間、背後で人々の大きな叫び声が上がった。
木のようなものが砕ける音と、何かが擦れる音が聞こえた。
鈴音が捕まってしまったと、アルジャックはそう理解した。
「……神よ、彼を助けられなかった事をお許しください」
過去に魔王と戦った時、それ以来の神への呼びかけ。
せめてもの償いとして、私たちを導こうとしてくれた者の最期を見届けますと、彼は覚悟を決めた。
しかし、振り返ったアルジャックは、自らの常識から外れた、信じられないものを目にする。
・
――私の初恋は終わったんだな。そう思った。
私が壺を持っていくと、スズネちゃんはいつも通りの優しい、でも、少し凛々しい表情をしていた。
彼ならなんとかしてくれると思っていた。
だって、いつもそうだったから。
口では面倒だって言うけれど、影では常に私を心配して、大切にしてくれる。
彼の笑顔を見るたびに、心臓が掴まれているような感覚に陥る。
初めてそう感じたのは、エリシダのメルン様の像の前に、彼の姿が映し出された時。
自分の身体に雷が落ちたのかと錯覚するほどの衝撃だった。
彼は信じてくれなかったけど、紛れもない一目惚れ。
何をすれば良いのか分かってるけど、どこか無理をしているような、でも強い意志を感じさせる瞳。
今まで私は、恋を知らなかったんだと一瞬で理解した。
迷惑をかけるだとか、そんな事は頭になくて、無我夢中で会いに行った。
初めて、直接彼の姿を見た時は、心臓の音が五月蠅過ぎて空回ってしまった。
確かに、私の理由では納得できないのも無理はない。
きっと恋とは、何か相応の理由があって落ちるものなのだ。
私のそれとは違うのだろう。
でも、最終的に一緒に居て良いと彼は言ってくれた。
それからの毎日は夢のようで、彼はいつも私の知らないことを教えてくれる。
少しずつ出来上がってくる家を見ているのは楽しいし、二人と一匹で住める未来は輝いて見える。
料理を作ったり、プールに入ったり、何より嬉しかったのは、彼が指輪をプレゼントしてくれた事だ。
好きな人に心のこもった贈り物を貰うことが、こんなにも嬉しいだなんて、なんで知らなかったんだろう。
好きな人に心から感謝されることがこんなにも幸せだなんて、なんで誰も教えてくれなかったんだろう。
スズネちゃんが大好き。
きっと、私のたった一人の王子様。
スズネちゃんが居てくれたら他に何もいらなくて、私たち二人でなら、この生活をずっとずっと守っていける。
でも、彼の真後ろにいる魔物を見た時、そんな安心感は消し飛んでしまった。
悪魔のスライム。
まさか本当に実在しているとは思わなかったけど、その脅威を知らない人間はこの世界にはいない。
どんな攻撃も魔法も効かなくて、飲み込まれれば一瞬で溶かされてしまう。
人間も魔族も、どんな存在であれ、アレに傷をつけることは叶わない。
おとぎ話で聞かされていた、そんな存在が目の前にいるのだ。
プールに落ちたとしても、一跳ねすれば簡単に私の最愛の人を飲み込んでしまうだろう。
――あのスライムが跳ねた瞬間、私の初恋は終わる。
半ば諦めに近い気持ちが心を支配するなか、スライムは獲物を始末しようと、身体を屈める。
待って、待って、連れて行かないで。
全速力で向かっても絶対に間に合わない。
しかし、誰もが想像する二秒後が訪れることは、永遠になかった。




