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接敵

 それは、当たり前のように過ぎていく日々の中、突然やってきた。


 いつものように建築作業に取り掛かっているリリアを見て、本当に働き者だなと感心する。

 何ヶ月にも渡り、毎日のように生放送を行なっているが、彼女が作業をしていなかった日は果たしてあるだろうか。

 そのお陰で家の骨組みはほぼほぼ完成しており、春が来る頃には、二階建ての大きな家が完成していると容易に想像できる。

 俺一人では完成までたどり着けたかどうか。

 おそらく、今の段階までいくのにも相当な月日がかかっていたはずだ。

 本当にリリアには頭が上がらない。

 そう思い、テキパキと動く彼女を見つめている時――。


「あぁあぁぁぁぁぁ!」


 川の向こう岸、森中に悲痛な叫びが響き渡った。

 そして、それに次いで木々が倒れる音。

 瞬間、俺とリリアは顔を見合わせる。


「スズネちゃん!」

「わかってる! 行こう!」


 リリアはおそらく、何が起きているか、誰によって引き起こされたか、わかっていないだろう。

 ただ事ではない悲鳴に自然と身体が動いているようだった。

 だが、俺にはその悲鳴の元凶がわかる。

 

 ――間違いなくあのスライムだ。

 

 動物が襲われることは知っていたが、ついに人間が襲われる事態が起きてしまったのだ。

 今から全速力で向かっても数分かかるため、襲われた人間が無事でいられる保証はない。

 しかし、僅かな希望を胸に行動することにした。


 傍に駆け寄ってきたマロンにスイスイ君を履かせると、リリアと二人でマロンに跨った。

 マロンは高くいなないた後、凄まじい速さで駆け出す。

 賢く、察しの良いマロンのことだ、あいつの仕業だとわかっているのだろう。

 自分のように殺されかける者が現れないよう、必死に走っているように感じた。


 川に近付くと、向こう岸にある木の多くが倒されているのが目に入った。

 やはりあそこにいる、そして、おそらく声の主も。


「リリア! ここで待機していてくれ!」


 非力な俺は、きっと声の主を担いで逃げ切ることはできない。

 だから、リリアをここで下ろし、マロンとともに被害者を拾って逃げる。

 一番生存の可能性が高いのはリリアに全てを任せることだろうが、彼女には頼みたいことがある。

 ただ人間を助けるだけなら難易度は下がるが、きっとスライムは俺に獲物を取られたことに怒り、追ってくるだろう。

 今回は逃げられたとしても、俺を探して川を渡ってくるかもしれない。

 これは救助ではなく、スライムとの戦いなのだ。


「スズネちゃん一人で行くの!? それは危険すぎるわ!」


 背後から取り乱したリリアの声が聞こえる。

 彼女も、自分が向かう方が安全だと理解しているのだ。

 だが――。


「……大丈夫だよ。俺を信じて」


 振り返り、彼女の目を見つめて言う。


「――っ! 絶対帰ってきてね……」


 俺が真剣だと言うことが伝わると、リリアは素直に引き下がる。

 しかし、俺に何かあったと察すれば、すぐにでも命を捨てて助けにきそうな必死さがあった。

 そんなに大切にされているなら、絶対に失敗はできないな。

 再び決意を固めると、マロンに合図をだす。

 マロンは川の水面を力強く駆け、一瞬の内に向こう岸へ到達した。


 ……見えた。


 視界に入ったのは、以前見たのと同じ、三メートルを超える巨体を持つスライム。

 そして、鎧を着込み、鮮やかな長い金髪を垂らしながら倒れている女性の姿だった。

 スライムの体当たりを喰らい、何本もの木を倒すほどの衝撃を受けたのだろうが、鎧のお陰か主だった外傷は見られない。

 しかし、脳が揺れたのか、完全に気を失っているようだ。

 スライムはゆっくりと女性の方へ近づいている。

 その動きはまるで、舌なめずりをしているようだった。

 なんとか気を逸さねばならない。


「こっちだぷるぶる野郎! 俺を覚えてるか!?」


 そう叫びながら俺はスライムに向かい、ペットボトルを投げつける。

 それは大きな弧を選びながらスライムにぶつかったと思うと、次の瞬間にはその体内で溶かされていた。

 相手は、「お前には何もできない」と言いたげに、すぐに俺に興味をなくしたようだ。

 全く効果のない一撃、そう見えるだろう。


 ……だが、それでいい。


 スライムがペットボトルを吸収した箇所が、液体状に流れ出す。

 自分の身体に、予想もしない事態が起こったことに動揺しているのだろう、スライムの動きが止まった。

 俺がペットボトルに入れていたのは、リリアが家から持ってきた「酢」だ。

 スライムと酢を混ぜると、液体へと変化する。

 体格に対して酢の量が少なすぎるため、溶け出すのはほんの一部分。


 それでも、時間を作り出す事はできた。

 わずかな隙に、俺は女性に駆け寄り、火事場の馬鹿力で彼女を抱き抱えてマロンに乗せる。

 続いて俺も跨り、出発の合図を送った。

 我に返ったスライムがすかさず追いかけてくるが、もう遅い。

 俺たちは既に川を渡りきり、両者の間には川が、まるで壁のように隔たっていた。

 これで、あいつは追ってこれない。


「――――なっ!?」


 そう思ったのも束の間、スライムは川へと勢いよく飛び込んだ。

 凄まじい体積によって川から水が噴水のように噴き出す。


「――ッ! リリア!」


 俺が勢いよく戻ってきたことに驚いていたリリア、彼女に指示を出す。


「リリア、家に戻って壺を取ってきてくれ! 急いで!」

「――壺ね! わかったわ!」


 幸いなことに、すぐに状況を理解することができた。

 あのスライムは、川を渡れなかったのではない。

 わざわざ川を渡るほどの興味を、俺から感じなかったのだ。


 だが、今は違う。


 顔も言葉もないが、俺に獲物を取られたせいで、あのスライムは激怒しているのだ。

 そして、そんな不敬な外敵を殺すべく、餌を増やすべく川へ飛び込んだのだ。

 多少、川の流れに行動を阻害されているように見えるが、すぐにこちらへ上がってくるだろう。


 ……今こそ決戦の時だ。


 リリアは指示を受け、その意味を理解できていないが、俺を信じて洞窟へと走っていった。

 身体強化込みの彼女の脚力なら、作戦の遂行に十分間に合う。

 スライムが川から上がってきたことを確認するや否や、三度、マロンを全速力で走らせる。

 直線であればマロンが追いつかれる事はないが、こちらは木を避けながら進み、一方のスライムは、怒りに身を任せて木を薙ぎ倒しながら一直線に向かってくる。

 距離は少しずつ縮まっていき、遂には俺たちのすぐ後ろに着いてしまう。

 一手でも動きが遅れれば、俺たちはたちまち吹き飛ばされ、一巻の終わりだろう。

 だが、その一歩が現実になる事はなかった。

 

 ――突如、スライムの巨体が地面に埋まったのである。

 

 驚いたように暴れるスライム。


「……何が起きたか理解していないみたいだな」


 気付かないのも無理はない。


 何故ならスライムが落ちたのは――プールだからだ。


 プールの上に、あらかじめ木の板を敷いておいた。

 俺たちの重さでは板は壊れなかったが、スライムの重さに加え、その消化能力が仇となり、蓋がなくなって奴はプールに真っ逆さま、というわけである。


「スズネちゃん!」


 ちょうどよく、リリアが壺を両脇に抱えて持ってきた。

 だが、その勇ましい表情は、俺の脇に沈む生物を見た瞬間、恐怖に染まる。


「――悪魔のスライム!? スズネちゃん、逃げて!」


 背後でやつが動き出す音がし、悲痛な叫びが響き渡る。

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