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ビーチボール

 何はともあれ、準備は万端である。

 燦々と照りつける太陽の光を反射して、水面は宝石のように輝いている。

 身に纏っていた服を脱ぎ捨てたことで、身体は環境の変化を受けやすくなり、温い風が一層心地よくなった。

 絶好のプール日和だ。


「スズネちゃ〜ん! おまたせ!」

「遅かった――なっ!?」


 背後から聞こえた上機嫌な声に振り向くと、あまりの光景に言葉を失ってしまう。

 雲ひとつない空から降り注ぐ光は、プールだけでなく彼女の銀髪をも煌めかせていた。

 夜に輝いて見えるのはもとより、昼であっても、目を奪われん程の美しさ。

 神々しい髪の先が触れるかどうかというところにある華奢な肩と、キュッとしまったくびれ。

 そんな体型にはアンバランスなはずの大きい胸は、長い脚のお陰で歪に見えず、むしろその美しさに磨きをかけていた。

 リリアが着ているのは、白地に黒い縁取りがしてあるビキニだった。


「もはや二次元じゃん……」


 リリアに聞こえないほどの、小さな声が思わず漏れてしまう。

 邪な心を感じなかったといえば嘘になるが、それよりも、ただ美しいという感想が強く湧き上がる。

 なんだこれ、肌なんてシミひとつなくて真っ白だし、脚長すぎないか?

 一緒に並んでたら俺があまりに滑稽な気がする。

 白くメイクしたつもりはないのに、誰がどう見ても俺はピエロだ。


「ど、どう……? 似合ってる……かな?」


 ちらちらと不安そうにこちらを見ながら聞いてくる。


「す、すごく似合ってる……良い素材に最高の料理人が手を加えたっていうか、いやもう、とにかく似合ってるよ」

「良かったぁ! 似合ってなかったらどうしようって、少し不安だったの!」


 似合ってないはずがあるものか。

 産まれたばかりの赤ん坊が見ても「綺麗だ……」としみじみ呟くほどの美しさだ。

 何百年もの間、評価されている名画を直に目にしたときも、こういう感想が出てくるのかもしれない。

 むしろ、リリアの水着姿を見て声を失うくらいで済んだ俺を褒めてあげたいくらいだ。

 異世界に転生した衝撃で心が強くなったんだろう。

 生前の俺なら、確実に心臓麻痺でお陀仏だった。

 ちなみに、牛柄の水着も一緒に置いてあったが、これはセンシティブ過ぎて、本気で心臓発作を起こすと思い焼却しておいた。

 お陰で大切な命が守られた、ありがとう一時間前の俺。

 そして、良い趣味してるぜ、神。


「スズネちゃんの水着姿も凄く似合ってるわ!」

「そ、そうか?」


 リリアにくるくると回転させられる。

 友達と海に行くという経験がないからかもしれないけれど、男の水着なんてどれも同じようなものだろう、似合うとかあるのか?

 まぁでも、リリアが似合ってるって言ってくれてるんだから、ありがたく受け取っておくことにした。


「可愛すぎて食べちゃいたいくらい……ほんとに……」


 若干、目の奥が笑っていないように見えるのは気のせいだろうか。

 食べちゃいたい、がどういう意味かわからないが、リリアのほうが力が強いので本気だったら困る。

 ……監禁するという寝言が、実は現実味を帯びてきていることに今更気付き出した。


「……よし、いくぞー!」


 そんな危険から遠ざかるように、俺はプールに飛び込んだ。


 水泡の音だけが耳に届く。

 冷たい水の感触を全身で感じながら、次第に俺の身体は水面に近づいていった。

 顔が水面を通過して、口を開くと新鮮な空気が肺を満たした。

 しばらくクラゲのように浮いて漂っていると、同じように水面を伝ってきたリリアとぶつかる。

 一瞬、肌と肌が触れ合っただけなのに、その感触は途方もなく柔らかで、滑らかだった。


「……たまには、こうやってのんびりするのも楽しいね」

「そうね。水になったみたいで、なんだか不思議な気持ち」


 俺がこの世界に転生してきてからそれほど月日が経ったわけではないが、思えば色々な出来事があった。

 狩りや建築、それこそ動画作りのように、初めて体験することばかりで、怠けはするものの飽きの来ない毎日だ。

 そして何よりも、リリアの存在。

 最初は俺のスローライフを脅かす存在かと思ったが、彼女はとても優しく協力してくれて、リリアなしでは、俺の生活は原始時代から抜け出す予兆すら見せなかっただろう。

 ふっと隣に目を向けると、楽しそうに微笑んでいる口元が視界に入る。


「……スズネちゃん、幸せだね」

「…………うん」


 今後もできる限り怠けながら、この世界で生きていきたいと思う。

 目の前にある笑顔を曇らせないように、もっと輝かせられるように。


 それからしばらくの間、平和に漂い続けていたが、気付けばリリアの姿が見えなくなっていた。

 水中に潜っているのか、それともどこかへ流れて行ってしまったのか。

 

「スズネちゃん!」

「ん? どうし――痛え!」


 顔面に強い衝撃が走る。

 しかし、それは痛みを伴ってはいなかった。

 何かがぶつかった衝撃だけが、たとえるなら無敵状態だけどのけぞりはする、的な感じだ。


「あ、ごめんね! 顔に当てるつもりはなかったんだけど……」


 そう、顔面に思いっきりビーチボールをぶつけられたのだ。

 プールの付随品として、ポイント交換してその辺りに置いておいたものを、リリアが見つけたのだろう。 


「これで遊びましょう!」


 この世界にもビーチボールはあるのかと疑問に思ったが、そりゃあ丸くてフワフワ浮いていきそうな球を見つけたら玩具だと思うか。


「……いいだろう。俺を本気にさせた事を後悔させてやる!」

「スズネちゃんこそ、やっつけちゃうんだから!」


 やっつけるとは大きく出たなぁ?

 いや、胸部は大き過ぎるほど出ているんだけど。

 そんなこんなで、俺とリリアはビーチボールで遊び始めた、のだが……。


「えいっ! えいっ!」

「リ、リリア待って! 身体強化して投げたら取れないから痛い痛い痛い!」


 自分の身体が、ドリルのように水中に突き刺さっているのを理解する。


「……ぷはっ! ちょっと待って!?」


 水面に上がり、息を整えながら中止を要請するが、プールで遊べるのがそんなに楽しいのか、俺の言葉はリリアに届いていない。

 このままでは俺の命が危ないし、一度ビーチボールを奪って逃げるしか……。

 そう思っていたのだが、顔面にぶち当たったビーチボールは某盾のヒーローの要領で彼女の手に戻り、再び――。


「えいーーーっ!!!」


「リリアーーーー!?」



「ご、ごめんなさい……」


 数十分後。

 俺はプールサイドに寝そべり、その横にはリリアが申し訳なさげに正座していた。

 簡単に言えば、彼女の宣言通りボコボコにされてしまったわけだ。

 全くと言っていいほど玉筋が見えず、オリンピック選手と戦ったらこんな感じなのだろうか、とか考えるほどには圧倒的だった。


「気にしないでいいよ。初めてだったんだろ、プール」

「うん……すっごく楽しくて、我を忘れちゃってたわ……」

「俺も昔はそうだったから大丈夫。結構休んだし、もう一回プールに入ろうか」


 苦笑いを浮かべながら起き上がる。

 荒ぶるリリアは静まったし、もう一度、二人でプールに入ることにした。

 俺が飛び込み、水面から顔を出したのを確認すると、リリアも綺麗なフォームで飛び込む。


「……あぁ、飛び込むのって気持ちいいわね!」

「そうだね。じゃあ次は何を――っ!?」


 その時の俺の顔は、戦慄と表現するのがピッタリだったはずだ。

 リリアは、俺の視線の先を捉えて目線を下に向ける。


「ん? どうしたの、スズネちゃ――!?!?」


 視界の端には、リリアが先ほどまで着用していたはずの布が浮かんでいた。

 飛び込みの際の衝撃で、リリアの水着のヒモが解けて流されてしまったのだ。

 なんか前もこんな事あったな、確か、彼女が水浴びをしていた時だ。

 全く、ダメじゃないか、そんな風に顔を真っ赤にして、ちゃんと大切な所を隠さないと。

 そうそう、今流れてきたビーチボールでちゃんと……なんで胸を隠さずにボールを構えてるんだ?


「スズネちゃんの、馬鹿ーー!!」


「なんでぇぇえぇぇえ!?!?」


 今日一番の豪速球が俺の顔面を撃ち抜いた。

 謎の満足感に心を満たされながら、俺は水中に沈んでいった。


 こんな夏も、悪くないな――。

 


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