新しい家族
それは、夏も近付いてきたのか、少し暑くなってきたある日のことである。
建築という毎日のタスクをこなしながらも、スライムの生態を探っていた俺は、時間を変えては川の向こう側へ渡り、あいつが現れる時間帯を見つけようとしていた。
だが、幸いというか残念ながらというか、あの日から巨大なスライムの姿を見ていない。
たまに、不自然に木が倒されていたり、そこにあるはずだと推測できる木が消えていたりという痕跡を見つけるのだが、何故か実物を目にすることはなかった。
俺を嘲笑うかのように、存在の証拠だけを残して去っていくスライム。
正直、諦めかけている自分がいるが、これで調査をやめてしまえば不足の事態に対応できず、最悪の場合、命を落とす。
いくらスライムといえど、その対処法を知らない以上、危険な存在なのだ。
リリアに聞いてみようとも思ったのだが、彼女は仮にも女の子だ。
魔物は怖いだろうし、怯えてしまうようなことを不用意に伝えるべきではないと考えて、こうして一人で偵察に向かっている。
下手すれば、過保護が発揮されて偵察を禁止されてしまうかもしれないしな。
俺の方が弱いだろうが、できることならリリアを守ってあげたい。
「ま、今日も見るだけ見てみるか……」
いつものようにスイスイ君で川を渡る。
相変わらず、水面はコンクリートのように安心感のある心地で、苦労せずに向こう岸に辿り着く。
見慣れた近場を散策してみるが、特にいつもと違うところはない。
しかし、油断した時にこそ変化は訪れるものだと、そう思って少し奥へ入ってみる。
すると――。
「…………?」
五メートル程先にある木の根元に、何か――動物が倒れているのを発見した。
二本の脚だけが飛び出して見えているが、その細さから察するに四足歩行の生き物だろう。
近付くべきかどうかを逡巡したのち、その動物の方へ足を踏み出す。
眠っている、ではなく倒れているという表現を使ったのは、見えている二本の脚のうち一本が、もう片方のそれの半分ほどの長さしかなかったからだ。
それに、観察していている間、ぴくりとも動いていないため、おそらく死んでいると判断したから近づくことにした。
ゲームでよく見るミミックのような、冒険者を鴨にするための罠の可能性もあるが、わざわざ巨大なスライムのいる森で罠を張る馬鹿はいないだろう。
段々と生き物に近付くにつれ、その全貌が明らかになっていく。
ゆっくりと木の後ろに回り込んでみると、美しい栗毛色をした馬が倒れていた。
「お、おい……! 大丈夫か?」
元気な時にはさぞ良い走りをしたであろうことが、健康的に引き締まった筋肉から容易に想像できる。
しかし今、俺の目には、脚のうち一本が無惨にも溶かされた姿が写っている。
察するに、あのスライムの仕業だろう。
捕食のために襲われたが、脚の一本を犠牲にしてなんとか逃げ出してきたのだろう。
万全な状態であれば逃げ切るのは苦ではないだろうが、この脚では相当な負担がかかったのだろう。
既にその身体は立ち上がることすらできず、生きてはいるようだが、目は虚で、瞬きする間にもその命を終えてしまいそうだった。
残念だが、ここまで消耗している馬を助けることはできない。
「――いや、あれがあったか……」
諦めかけた時、俺はエリクサーの存在を思い出した。
どんな傷もたちどころに完治させてしまうという凄まじい効果を持ったアイテム。
もしかしたら、神は俺のスライム調査を知っているのかもしれない。
いつの間にやら解禁されていたそれを、いつか魔物に襲われるかもしれないということを考慮して、十五万ポイントを消費して手に入れたおいたのだ。
高い買い物だが、命には代えられない。
たとえそれが、言葉を交わすことのできない他種族であってもだ。
焦らず、地面に耳をつけて、近くで物音がしないか確認する。
何も聞こえない。あいつはいないはず。
迷わずリュックからエリクサーを取り出す。
手にひらに収まるほどの大きさのひし形の瓶には、日光に照らされた海のような液体が詰まっている。
栓を開け、半信半疑の気持ちで手が止まらないよう、倒れている馬に飲ませた。
まるで意志を持っているように、輝く液体が口の中に入っていく。
数秒ほど待っているが、何も起こらない。
こういう時、ゲームなら目に見える変化が――。
そう思っていると、馬の身体が微かに光だした。
続いて、その光が溶かされて失ったはずの脚の位置に移動していき、徐々に実体化していく。
脚がみるみる再生し、目に光が戻ってきたのだ。
驚いている間に、最初から怪我などしていなかったかのような姿になる。
「こんなことができるのか……」
確かに、これは十五万ポイントの値打ちがあるアイテムだ。
エリクサーの驚異的な再生力があれば、即死でない限り、どんな傷でも治せるだろう。
口を開けて呆けている俺の横で、馬は意識を取り戻し、何事もなかったかのように立ち上がる。
最初は周りを必死に見回して、スライムがいないか確認していたのだろうが、危険がないことを理解すると、未だ立ちすくむ俺のことを見つめてきた。
馬は賢い生き物だ。
俺に手出しせず、逃げもしない様子から、命を救われたことを理解しているのがわかる。
そして、その目に疑問が込められているように感じた俺は、馬に話しかけてみることにした。
「特に理由はないよ。ただ、俺もお前みたいに襲われる可能性があるし、脚を失っても懸命に生きようとした姿が……すごいと思ったんだよ。特に恩返しなんかも望んでないから、好きなところに行きな」
倒れている馬の姿を見た時に「果たして俺も同じように逃げられただろうか」と疑問に思った。
馬といえど、三本脚であれば簡単には逃げられない。
この森の地形を利用し、体重で軋む身体を懸命に動かし、やっとの思いで振り切ったのだろう。
仮に、俺が同じシチュエーションに立たされたとして、死が視界いっぱいに迫っている状況で、必死に頭を使い、限界まで努力して逃げることができるのだろうか。
そう思うと、この馬に敬意を表さずにいられなかった。
俺が答えると、馬は気持ちを理解したのか、その瞳から戸惑いは消えて、優しさだけが残っていた。
その上、一向に去る気配を見せず、俺に頭を擦り付けてくる。
「……もしかして、一緒に来たいのか?」
馬は鼻を鳴らす。
わからないが、肯定しているのだろう。
「じゃあ、一緒に来るか?」
さらに大きく鼻を鳴らす。
家族が増えるのは喜ばしいことだ。
馬の主食は草のはずだから、食料の心配もいらないだろう。
何より背中に乗せてもらえるなら、森の中での移動も格段に楽になる。
新しい家族として迎え入れても良いはずだ。
「……今日からよろしくな。とりあえず家……って言っても洞窟だけど、案内するからついてきてくれ」
俺が歩き出すと、馬は意気揚々と後ろをついてきた。
馬を連れて川まで無事に戻った時、脳裏にあるアイデアが浮かんできた。
俺は便利道具のおかげで、歩いて川を渡ることができる。
そこそこの水深までなら、馬は川を歩いて渡れるらしい。
だが、馬にスイスイ君を履かせたら、もっと楽になるのではないか?
今でも覚えている、俺が初めてスイスイ君を履いた時のこと、脚の大きさに合わせてサイズが縮んだことを。
ならば、それは馬にも応用できるはずだ。
リュックからタブレットを出し、スイスイ君を二つ交換する。
人間が使うことを予想しているそれは、一つでは一対しか出てこない。
しかし、馬の脚は四本、つまり二つ手に入れる必要がある。
俺の分を渡しても良かったが、何かのアクシデントがあった場合のために、新品を用意した。
目の前に出てきたそれを馬に履かせると、予想通り、その蹄の大きさにフィットする。
馬が俺を見ている。
頷いて、馬を川へ進むよう促すと、信用してくれたのか、馬はゆっくりと水面に足をつける。
すると、やはり水面にその身体が固定された。
馬は驚いたような反応を見せつつも、無事に川を渡ることができたのだった。
向こう岸に着いた俺は馬に跨り、建築を続けているリリアの元へ向かう。
これぞ、雨降って地固まるというやつだ……違うか。
「いや、違くない……か……?」
思考がまとまる前に我にかえる。
普段より遥かに高い視点と、颯爽と地面を駆ける音、肌に感じる風が心地良い。
数分ほど爽やかな気分を感じていると、建築中の家、そしてリリアの姿が目に入った。
「おーいリリア〜!」
「……スズネちゃん、にお馬さん!?」
リリアは目をまん丸くして驚いている。
彼女の目の前まで行き、馬から降りる。
「――ってことで、今日から家族として迎え入れることにしたから、よろしく」
「わかったわ! とっても可愛いお馬さんね!」
ことの経緯を説明すると、快く新しい家族として迎え入れてくれた。
動物に苦手意識はないようで、しきりに馬を撫でている。
「私はリリア、スズネちゃんのお嫁さんよ。二人でスズネちゃんを支えていきましょうね!」
「いや違うから! お前もふんふん頷くな!」
さっそく間違った知識を植え付けられてしまったのだった。
「そういえば、お馬さんに名前を付けてあげないの?」
建築を切り上げ、三人で洞窟に戻った時、リリアがそう質問してきた。
確かにそうだな。
家族になったのにお前呼ばわりするのもどうかと思うし、ひとつ名前を付けてみても良いかもしれない。
「お前はどう思う?」
馬に聞いてみると、ブルブルと鼻を鳴らしている。
うん、これはきっと肯定だ。
段々と考えていることがわかるようになってきた気がするし、俺の前世はきっと馬だったのだろう。
いや、よく考えたら前世は人間だった。最期はとてつもなく悲惨なものだったが。
前々世が馬だったのだろう。
「それじゃあ考えるか……名前ねぇ」
口もとに手を当てて考える素振りをしてみるものの、自分に命名のセンスがあるとは微塵も思っていない。
形から入っても、何も生み出せずに時間だけがすぎていく。
愛用している道具の名前も大概だが、俺もきっと同レベルの命名力だ。
リリアに救援の視線を送ってみるも、照れたような笑みだけが返ってくる。
だめだこりゃ。ここは無難に、特徴から考えてみるか。
多分、この馬は牝馬なのだろう。
見分け方はよくわかっていないが、男であれば股に付いているはずのモノがなかったので、きっとそうだと思う。
だったら、可愛い名前の方が喜んでくれるよな。
「じゃ、じゃあ、マロンでどうだ……?」
栗毛色だからマロン。
……そこ、安直すぎるとか言わないように。
「マロンちゃん! いいんじゃないかしら!」
リリアは賛同してくれた。
割とどんな名前でも肯定してくれそうだが、多分いい名前を出せたと思う。
暫定マロンも頭を俺に擦り付けてきているし、大丈夫そうだな。
ということで、彼女の名前はマロンに決定した。
「それじゃあ今日からマロンね。正式に家族に迎え入れたわけだから、家が必要だよな」
「そうね! 洞窟で暮らすのはちょっと可哀想だし、マロンちゃんの前でイチャイチャするのは少し恥ずかしいものね」
マロンの前じゃなくてもいちゃいちゃはしないぞ?
馬の速度よりも、もっと速く理性が崩壊する自信がある。
それはさておき、新居の隣に馬小屋を建ててあげよう。
今後、そちらにも着手していくとして、しばらくの間は、俺の理性のためにも洞窟で寝てもらうことにする。
思いがけず家族が増え、俺とリリアは互いに微笑み合うのだった。




