決意
我が家の中心に坐禅の形で座り、肺の中の空気を全て吐き出す。
ゆっくりと息を吸って、体内を整える。
思い返してみよう。
神に趣味を聞かれたとき、俺は「実況ですかね」と、そう答えたはずだ。
もちろん「実況動画を観ることです」という意味だ。
しかし、客観的に考えればこれは「実況することです」と捉えられるかもしれない。
実際にその後返ってきた返事は 「実況か……。わかったよ! 君の言いたいことが!」である。
つまり、神はこう考えたのだ。
『天野鈴音は、異世界で実況動画を投稿したいのだ』と。
なるほど。確かに未知の世界のことなら実況しがいがありそうだ。
草の一本から動物の一匹まで、実質全てが初めて目にするものなのだから。
当然、自分の反応は新鮮なもので、そこにヤラセの余地はない。
それを残したいと考えるのも納得できる。
一般的に、剣と魔法の世界に科学技術は普及していないはずだ。
であれば、録画した動画を誰に観せるのか、という部分だけが謎だが、それでも完全に自業自得である。
あの時「実況動画を見るのが好きです」と言えば済んだ話なのに、面倒臭がって会話を省略した事が裏目に出た。
俺が死んだ原因はさておき、今回の件について、神には一片の落ち度もない。
当たり前に答えすぎて、俺の心を読もうとしても、実況を「する」か「みる」のどちらかまではわからなかったのだろうし、どの世界に俺を飛ばすのかに集中していたため、彼の理解に任せるしかなかった。
いくら人智を超越した存在であろうとミスはするのだ。
そもそも、間違えないのなら俺が死ぬはずもなかったのだから。
しかし、あの不用意な一言で、俺にとって一番の娯楽がこの世界から消え去ったのもまた事実。
実況動画を作るという、娯楽を提供する側に回ることはできるが、受け取る側には一生回れなくなってしまった。
「そ、そんな……」
改めて現実を理解すると、身体中の力が一気に抜け、膝をついてしまう。
俺は、これから半世紀は続くであろう人生を、何を楽しみに過ごせばいい?
気付けば涙が流れていて、激しく脈打つ鼓動が、呼吸を荒くする。
立っていられなくなって、うつ伏せに地面に倒れ込む。
硬い石が頬にぶつかり、自分の呼吸で肌が湿る。
実況動画が観れるなら、たとえ住処が殺風景な洞窟でも、満足に腹を満たすことができなくても苦痛はない。
昼前に起きて、散歩がてら水を汲みに行く。
毎日ではなくとも肉や木の実が獲れて、午後はゆっくり動画鑑賞。
危険を冒さずとも、背伸びせずともそんな日々を送る事はできた。
しかし、手を伸ばせば届くはずの夢のような生活は、手を伸ばす前に泡へと代わっていた。
神に自分の考えが伝わっていると思い込んでいた、あの時の自分に腹が立つ。
せっかく異世界で第二の人生を送る事ができるのに、俺はこのままひっそりと楽しみもなく、何も成すことがないまま終わるのか――?
「……それは絶対に嫌だ」
両腕に、肘から先に力を入れて身体を起こそうとする。
まだ身体からショックが抜けておらず、すぐに力が抜けて、もう一度地面に叩きつけられる。
だが、諦めない。
人生の価値は、生きた証を残すことだと俺は思う。
人間が死ぬ時には知識も思い出も、何もかもが消え去ってしまう。
どれだけ楽しもうと、苦しもうと、全て等しく「無」にされてしまう。
それが怖いから、悲しいから人は何かを残すのだ。
書物を記したり、誰かの思い出に住む事が出来なければ、その人が確かに生きていたという証拠は綺麗さっぱり無くなってしまうだろう。
だがら、いつか忘れ去られて「死んで」しまうとしても、少しでも自分の生きていた証を残すために行動するんだ。
もう一度、腕に力を入れる。
動けと強く念じ、地面を強く押す。
心臓は早いし、気分も悪かったが、どうにか起き上がる。
前の世界の俺は、天涯孤独の身で、その上誰とも関わろうとしなかった。
特別目立つ才能があったわけでもないから他人に求められもしなかったし、行動しようと思っても、結局何もできずに、中途半端なまま終わってしまう。
つまり、自分が生きた証を何一つ残さないまま、無惨に爆発四散して死んだのだ。
あの世界に俺を覚えている人間はいない。
あの世界に俺が存在していた証はない。
この世界では、再び巡ってきたチャンスのために、俺という生命のために、悲しい結末を迎えてなるものか。
だから、残すのだ。
俺がここにいたという証明を。
精一杯努力して、自分という存在を誰かに認めさせてやる。
そのために、今の俺にできることは一つしかない。
「なってやる……異世界実況者に」
実況でもなんでもやってやる。
たとえ人と関わらなくたって、誰の目にも止まらなくたって。
俺はこの世界で、メルンヴァラで何かを成し遂げる。
そして遠い未来、その証を観た誰かに、ここに俺がいたことを証明してみせる。
気付けば、頬の痛みも気分の悪さも消えていた。