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「……私、マティアス様とは婚約したくありません」
婚約前の顔合わせの後、八歳の私は言いました。
両親が驚いた顔をしています。
あの日、マティアス様に殺されて目覚めた日にお寝坊を許されていたのは、クライン侯爵家へ婚約前の顔合わせに行く日だったからです。どういう理由かわかりませんが、私は死後の世界ではなく過去の世界へ来ていました。
「マティアス君が嫌いなのかい?」
お父様は、私と目線を合わせて優しい声でおっしゃいました。
お母様がお亡くなりになって、あの親娘を我が家に引き入れるまでは良い父だった気がします。
でも今の私は知っています。いずれお母様がお亡くなりになったら、私の言葉は父の耳には入らなくなるのです。
「嫌いです。お父様もクライン侯爵も」
「え?」
「娼婦の息子などとは結婚したくありません!」
「ルーツィエ、なんてことを!」
「お父様は娼婦の娘のほうがお好きなのでしょう? 私はお母様とお爺様のところへ参ります。そうしたら、好きになされば良いのです」
母親が娼婦だったのはマティアス様のせいではありません。
そのことで侮辱するような発言は良くないとわかっています。
ですが今の両親に未来のことは話せません。頭がおかしくなったのかと思われるでしょうし、なにより信じてもらえないでしょう。ふたりを納得させられる婚約を拒む理由がほかに見つからなかったのです。
だからと言って、婚約を受け入れるわけにはいきません。
マティアス様はやがてラオビアを愛するようになって、私を殺すのです。
このまま殺される日を待つだけの人生なんて真っ平。私を愛してくださらない方をこれ以上愛することは出来ません。
「こんな幼い子に君が教えたのか?」
「違います。けれど、もしかしたら……」
お母様を責める父を睨みつけて、私は告げました。
「先日いらしたお爺様がおっしゃっていたのです。お父様はお母様が私を身籠って身重だったときに娼館へ行かれたと、このままではクライン侯爵家のように娼婦の子どもに伯爵家を乗っ取られるのではないかと。酷い仕打ちを受ける前に、私とお母様はお爺様のところへ戻ったほうが良いのではないかと」
「義父上が……」
「申し訳ありません、あなた。クライン侯爵はマティアス様を溺愛していらっしゃいます。嫡子のレオンハルト様を廃して、マティアス様に侯爵家を継がせるのではないかという噂があるようなのです。アーデルハイト様はマティアス様を養子としてお迎えになりましたので、彼が当主になることも可能なわけですから」
「それはないよ。さすがにそれは周囲が止める。いや……今のクライン侯爵を見ていたら信じられないよな」
父は溜息をつきました。
「わかったよ、マティアス君が嫌いなら婚約はなかったことにしよう。でも……反省するから、父様のことは嫌いにならないでくれないか?」
「……」
私は俯いて、父から目を逸らしました。
マティアス様に殺される前の記憶が強過ぎて、本当に幼かったころのように父を受け入れることは出来なかったのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お姉様ー」
「なぁに、マルガレーテ」
「抱っこして欲しいのです」
「駄目だよ、マルガレーテ嬢。ルーツィエのお腹には赤ちゃんがいるんだ。兄様の抱っこじゃいけないかい?」
「……お姉様と赤ちゃんが大事なので、お義兄様の抱っこで我慢してあげますの」
「こら、マルガレーテ!」
「あはは。いいんだよ、ルーツィエ。さあ、おいで」
「はい、レオンハルトお義兄様!」
マティアス様との婚約を拒んで十一年後、私は彼の異母弟のレオンハルト様の元に嫁いでいました。
クライン侯爵となったレオンハルト様に嫁げたのは、年の離れた可愛い妹マルガレーテをお母様が産んでくださったからです。
ケーラー伯爵家はこの子が婿を取って継いでくれます。
あれから、いろいろなことがありました。
まずお父様が、私とお爺様に誠意を見せようとラオビアの母親のことを調べました。もし子どもがいたら、引き取った上で神殿に入れるなどしてケーラー伯爵家から遠ざけるためです。
それがきっかけで、様々なことが明らかになりました。
時間が戻っただけなので、母親と一緒にラオビアはいました。
でも彼女は私よりもみっつも年上だったのです。
もちろんお父様の子どもではありません。情人の子です。