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「ほかに好きな男がいるんだろう?」
初夜の床で言われたのは、思いもかけない言葉でした。
「どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」
尋ねると彼は──私の夫、マティアス様は苦虫を噛み潰したような顔で答えます。
「……ラオビアがそう言っていた」
「……ラオビアが、ですか」
ラオビアは私の異母妹です。
私を産んだ正妻の死後、父であるケーラー伯爵が母親とともに伯爵家に連れ込んだ美しい少女。
私の婚約者であるクライン侯爵家の長男マティアス様は、彼女に夢中になりました。
伯爵家に来ても会うのはラオビアとだけ、どうしてなのかとこちらから手紙を送っても返事は来ない。
挙句の果てには私が病気だと称して、庶子である彼女と夜会に出席する始末。
ケーラー伯爵家はもちろん、クライン侯爵家の家名も地に落ちました。
「マティアス様を自分の体で篭絡している間に、母親の情人に私を襲わせようとしたラオビアの発言を信じるとおっしゃるのですね」
「……っ」
マティアス様は口籠りました。
私達が婚約したのは十二年前、私が八歳でマティアス様が十歳のときです。
本当ならば私が学園を卒業した二年前に結婚していました。
結婚が延びたのは、今私が言ったことが二年前に起きたからです。
ラオビアと母親とその情人は罰を受け、父も半年前私に伯爵家を譲って隠居しました。
伯爵領にある別荘で暮らす父は気鬱の病にかかって閉じ籠っているようなので、先は長くないでしょう。
「うるさいうるさいうるさいっ!」
マティアス様が叫び出します。
「あのラオビアがそんなことをするはずがないだろう? すべてお前の自作自演に違いない!」
ラオビアが我が家に入り込んできたのは三年前です。
私が十七歳で、ひとつ年下の彼女が十六歳のとき。
マティアス様は私と過ごした長い年月よりも、ラオビアとの短い蜜月を尊んでいます。
彼女はとても美しい少女でした。
──とてもとても美しい少女でした。
その妖艶な微笑みには、同性で異母姉の私でさえ心臓を掴まれそうになりました。
「あのラオビア? 使用人を誘惑してマティアス様からの先触れを握り潰し、マティアス様がご自身の意思で私と会わないのだとみなに思い込ませたラオビアのことですか? 母親の情人に女中を襲わせて脅迫し、私宛てに来たマティアス様の手紙や贈り物を横取りして質に入れていたラオビアのことですよね? そもそも彼女が本当に私の異母妹なのかどうかもわかりませんわ。もしかしたらマティアス様の……」
「うるさいっ!」
マティアス様に殴られて、私は凍りつきました。
自分が言い過ぎたことはわかっています。
だけどまさか殴られるとは思いませんでした。
ラオビアと出会ってからのマティアス様はそれまでとは別人になったかのように冷たくなって、彼女に騙されていたとはいえ、顔を合わせると私に暴言を投げかけてきました。
訪れたマティアス様をお迎えしないのも、夜会へ同行出来なかったのも私のせいではないのに。
そして私が反論する前にラオビアと去って行かれました。
ですが暴力は、暴力だけは振るうことはない方でした。
「黙れ黙れ黙れっ!」
怒鳴りながら押し倒されて、全身が強張ります。
あの夜──私は学園時代の友達とのお茶会に出かけていました。
友達の家に泊まる予定だったのがラオビアから手紙が届いて、私は慌てて帰路に就いたのです。
ラオビアは自分でマティアス様を連れ込んでおきながら、ぬけぬけと急にご訪問があったと告げてきたのです。
異母妹の策略のせいだとは気づかないでいたものの、マティアス様と心が離れているのを感じていた私は、関係を改善する好機だと思い馬車を急がせたのです。
……ラオビアに誘惑された使用人が走らせる馬車を。
途中で車輪がおかしくなったと言われて馬車が停まり、私が車内で待っていると扉が開いて、あの男が入ってきました。
ラオビアの母親の情人で、下町で女を食いものにして暮らすならず者です。
マティアス様と同じ黒い髪に緑の瞳のその男は、マティアス様の本当の母君の情人でもあったといいます。
マティアス様はラオビアと同じ庶子で、正妻のアーデルハイト様のご厚意で侯爵家の養子として迎え入れられていましたが、アーデルハイト様にも子どもが出来たため侯爵家は継がせられないとなって、将来ケーラー伯爵家の婿養子に入る約束で私の婚約者になったのです。
父とクライン侯爵は親友でした。
ふたりで一緒に下町の娼館へ行っていたのだと聞きます。ラオビアの母親ともマティアス様の母親ともそこで出会い、彼女達があのならず者に貢ぐためのお金を支払ったのでしょう。