158話
その頃、クリアフォレストのとある高級洋食店にて。
「おぉ~、坊っちゃん!探しましたぞ!」
1人の少々恰幅の良い40歳位の男性が、やや大仰気味にアレックスへと歩み寄っていた。
「…ん?おお、バダムじゃねぇか。つか坊っちゃん呼ばわりは止めろって。俺もいい加減大人なんだぜ?」
アレックスが食事の手を止め、呆れた顔で恰幅の良い男性━━━バダムの方を向く。
「まぁまぁ、良いではありませんか。」
「バダム様、お久しぶりにございますわ。」
「おや、アイシャ嬢お久しぶりです。いやぁ、お綺麗になられましたな。」
そんな彼を宥め、お辞儀するアイシャに目を丸くしつつ互いに笑い合う。
「ふふ、ありがとうございます。」
「アレク、こちらは?」
「バダム・ヴァン・ノートン。ノートン公爵家当主…つまり親父の弟で、俺の叔父に当たる。」
バダムは身長178センチとそこそこ高く、灰色がかった赤髪ショートヘアーに髭を蓄えた、人の良さそうな風貌。
帝国皇帝とは兄弟を理由に昔から交流があり、アレックスはその度に可愛がられて来た。
結婚をしてすぐに亡くした妻に操を立てて以降再婚はしておらず、子供もいない。
なのでもし息子がいたらこんな感じになるであろうとの予想から余計に愛着が湧き、今でもアレックスの事を坊っちゃん呼ばわり。
彼を困らせる珍しい存在であるとも言える。
「え、当主自らって、しかも公爵でしょ?フットワーク軽過ぎない?」
「それな。」
パトリシアはパトリシアで、バダムのあまりの自由っぷりに驚いていた。
それから王女である旨を伝え、こちらも頭を下げ合う。
「一応、これでも何回か止めてはいるんだが…まあいいや。バダムが来たって事は、親父達は決闘に関しては…?」
「ええ。存じ上げております。(忍ばせた)暗者からの伝いではありますが、ね。それから帝都に知らせを寄越し、私がやって来た次第です。そうそう、陛下は頭を痛めておられましたよ?とある侯爵も勿論そうですが、坊っちゃんと姉君にも。」
「いや俺もかよ…2人に比べたら随分おとなしい方だと思うんだが?」
「お忘れですか?ダンジョンなるものを制覇したではありませんか。」
「そうだった。こりゃ、根掘り葉掘り聞かれそうだな…ま、知らせる手間が省けて助かっただけ良しとするか。」
アレックスは今日パトリシアとアイシャと共に過ごしていたが、凛やステラ等と行動するパターンの方が多い。
つまり毎日が目まぐるしい速度で過ぎ、先日行われたダンジョン制覇も随分と昔の様に感じられたのだろう。
また、自分に関する事なのにまるで他人事みたく振る舞うのも彼らしいとも取れる。
「坊っちゃん?」
「ん?あぁ、何でもねぇよ。取り敢えず決闘開始までまだもうちょい時間があるし、バダムも楽しんでいくと良い。後は…そうだ。朔夜も紹介しねぇとか。」
「朔夜…とは?」
「龍人だ。それも竜の谷の長よりも強い、な。ここクリアフォレストの纏め役に就いている。」
「ほう。」
「そんな朔夜にアイシャが喧嘩売っちまった事があってよー。」
「え?」
「…思い出させないで下さいまし。あの時は本当、生きた心地がしませんでしたわ。」
「けど良い薬にはなったろ。」
「…否定出来ないのが悔しいですわ。」
アイシャが眉間に皺を寄せ、当時驕っていた自分を恥じて悔しそうにする。
それをアレックスがくつくつと笑い、再びバダムと向かい合う。
「そんな訳でな、朔夜は竜胆…あ、竜胆ってのは竜の谷の長の名前な。竜胆より歳上なんだが、年寄り扱いされるのを殊更嫌がる。それさえなきゃ基本寛容だから、あんま気にしなくて大丈夫だぜ。」
「…成程。坊っちゃん。」
どうして竜の谷の代表についての情報がここで?と思ったのはさて置き。
バダムはひとまず頷いた後、何か気になる点を見付けたらしい。
居住まいを正し、意を決した様子で尋ねる。
「ん?どうしたよ?」
「確認ですが、朔夜殿と仰られる方は『女性』でしょうか?」
「朔夜?…女ではあるな。雌とも言うが。」
「ほう!」
「相当にお綺麗な方ですわよ。それこそ、世界全体で考えても最上位に君臨なさってもおかしくない位には。」
「ねー、私ですら嫉妬しちゃう美しさだわ。」
「ほうほう!」
「ちょっと待て、お前ら━━━」
「つまり!坊っちゃんにも遂に春が訪れようとしている訳ですな!何十何百と女性を勧めても一向に興味がなかった坊っちゃんが…立派になられましたねぇっ!」
「お前は俺の父親か!」
バダムは感極まった様子で泣き始め、途中ポケットからハンカチの様な物を取り出す。
そして涙を拭い、鼻を擤むシーンまで見られ、アレックスの突っ込みに大小の笑いに包まれた。
「はぁ…何か一気に疲れたわ。」
ややあって、頬杖を突き、ぶすーっとしたアレックスが告げる。
見るからに不機嫌で、パトリシアとアイシャは子供っぽさに呆れ、バダムは少々からかい過ぎたかと焦る程だ。
アレックスと朔夜の仲は、男女のと言うよりも悪友のそれ。
お互いがお互いに悪口を叩き、その発言が元で軽い喧嘩になる事もしょっちゅう。
双方共大人であるにも関わらず、この時だけ童心に帰っているとも考えられる。
「そう言やバダム、昼飯まだだろ?」
「そ、そうですな。こちらへは急いで来たので━━━」
「ならここで食ってけ。この店にはな、俺が昔やろうとして失敗した揚げ物もあるんだよ。」
「揚げ物…あぁ、食材を油で煮た。」
「そうそう、それそれ。」
バダムが遠い目をし、アレックスが彼を指差す形で肯定。
2人しか分からない世界にパトリシアとアイシャが取り残され、共に疑問符を浮かべる。
アレックスは凛と知り合って以降、和食関連かファミレスでのみ食事を行い、結構な頻度で揚げ物を注文。
これは揚げ物が大好きだと彼が公言し、実践している証左でもある。
ただアレックスは食べる専門で、料理に関する知識は皆無。
それは転生後も同様で、漠然と素材を様々な手段で揚げては違うを繰り返し、味付けも最終的に塩やトマトソースっぽいものに。
これはこれでウケは良かったのだが当の本人が納得出来ず、計画はお蔵入り。
また、当時長兄から貧乏臭い料理だと散々馬鹿にされた事も重なり、揚げ物に関する一切を拒否。
諦め切れなかった料理人達が多少発展させたものを食卓に並べ、それに気付いたアレックスがブチ切れ、手を付けないままダイニングを後にする。
それを何回か繰り返し、本人から次やったらクビだと言われ、ようやく料理人達も不味いと判断。
リスクを恐れて作らなくなり、そのまま揚げ物に纏わる話は終了となった。
(坊っちゃんが怒っていないと言う事は、試みが成功したものがここにはある。しかも他人へ勧める位には美味しいのだろう)
その事を思い出しバダムは、メニューにある揚げ物について饒舌に語るアレックスに目を細めつつ、食べてみるのも一興かと考える。
「…てな訳で、バダムも(揚げ物を)きっと気に入ると思うぜ。」
「そこまで仰るのでしたら、坊っちゃんのオススメを頂くとしましょうか。」
「おっ、そうか?俺的にはコロッケが1番だが…人によって好みは分かれるからな。色々頼んでみるか。2人は?」
「私は大丈夫かな。」
「私もですわ。」
「そうか。ならデザートも━━━」
「ちょーーーっと待ちなさい!デザートは別よ。」
「まーた別腹ってやつか…。」
「そうよ!」
「当然ですわ!」
「お前らなぁ…後で苦労する羽目になっても俺は知らねぇからな。」
「「うっ。」」
「見ろよ。デザートの話になった辺りから、従者達が微妙な顔になってんぞ。」
アレックスの視線に釣られる様にして、2人が後ろを向いてみる。
すると彼女らの従者が既に諦めた、或いは上に何と報告しようか…と言いたげな哀愁漂う顔をしているのが伝わり、揃って冷や汗を掻く。
「…私、明日から本気出すわ。」
「奇遇ですわね。私もそう思ったところですわ。」
「ま、いざとなれば最終兵器もあるしな。」
「それは分かってても口にしない!」
「アレク様、そう言うところですわよ!」
「何で俺が怒られる側なんだよ…。」
アレックスの言う最終兵器とは、最高級エステ…でマッサージの際に用いられる、バーニングポーション(ただしオプションで、名称こそポーションだが形状はオイル)を差す。
高い脂肪燃焼効果を持ち、1回の施術で500グラム。
人によっては1〜2キロ落ちたとの報告例も。
2人も1度受けた事があり、一時期代謝が良くなっただけでく、マッサージ効果で肌の艶も向上。
故にアレックスへああは言ったものの、心の中ではもう1回受けてみたいとの思いで揺れ動いていたりする。
「…こうなったらヤケ食いよ!私、前から1度アイスクリームの天ぷらを食べてみたかったの。」
「私もですわ。だって味の想像が全く出来ませんもの。」
「今日でしばらくデザートは食べられないだろうし、折角だから制覇してやるわ!」
「お付き合い致しますわ!」
等と勝手に盛り上がり、メニュー表を見ながらあれやこれやと討論し出すパトリシアとアイシャ。
「2人がこうなったらお手上げだし、俺も追加で━━━」
「坊っちゃん。」
「ん?」
アレックスが立て掛けてあるメニュー表へ手を伸ばそうとし、途中でバダムに声を掛けられる。
隣に座る彼は一心不乱にメニューへ目を向け、丁度声掛けする前に読み終えた様だ。
「こちらについて、追及したい点が多々あるのですが…その前にこれだけは教えて下さい。『生ビール』とは何ですか?帝国にあるラガーとは違うのでしょうか?」
「確か…ラガーもビールの中の1つで、生ってのは熱処理を行わないとかそんな感じだったはず。」
「熱処理を行わない…ほほう。私の知らない製法がここにはあるのですな!」
バダムは帝国内でかなりのお酒好き、その中でもとりわけラガー好きとして知られる。
公爵たる彼のおかげで以て帝国はラガーに力を入れ、自らも開発に携わっていたり。
その彼がビール類に興味を示すのは極々自然な事で、そう言いながら再びメニュー表に目を落とし、6種類あるビールのどれを頼むか真剣に悩み始める。
「気になるなら全部頼みゃ良いじゃねぇか。俺も付き合うぜ?ここのビールはキンッキンに冷えててよ、揚げ物と一緒に食べてみな。世界が変わるぜ?」
「何とそこまで…!?このバダム、感無量でございます!」
バダムは先程とは異なるハンカチを取り出し、またもや泣き出した。
彼は一体何枚のハンカチを持ち歩いているのだろうか。
「いや泣くなよ…。」
「これが泣けずにいられますか!坊っちゃんはこれまで散々ラガーは不味いラガーは不味いと嫌がっていたではありませんか!」
「悪かったって。ほらほら、あっちも注文してるみてーだし、俺らも頼もうぜ!」
「はい!」
帝国のラガーは温く、苦味がより引き立つを理由にこれまでアレックスは苦手としていた。
しかしクリアフォレストに来て冷たいビールを味わい、また凛の配下(特に火燐と朔夜)から散々付き合わされ、今では普通に飲めるにまで成長。
そうとは知らないバダムは感動のあまり滂沱の涙を流し、アレックスからの言葉を受け、目の端に涙を溜めながらも更ににっこりと笑う。
「アッと驚く為五郎!」
同時期、領主の館では。
食後の紅茶を嗜んでいた朔夜がいきなり叫び出した。
「…お嬢、どうかしたので?」
「何でもないのじゃ。」
かと思えば不思議がった段蔵の問いに澄まし顔で答え、再度紅茶を口にする。
彼女から出た言葉は日本にあるフレーズの1つではあるが、凛やステラ、アレックスは疎か、下手すると彼らの元両親(凛は亡くなった訳ではないので除外)ですら知らない可能性が。
それを当たり前の様に話す朔夜をアレックスが年寄り扱いする所以で、何か自分を噂された気がするとして叫ばざるを得なかった理由でもある。
朔夜の言うアッと驚く為五郎の為五郎とは、元は雫が連れて来た熊の魔物から来ている。
彼女は彼を『熊五郎』と名付けた後にアッと驚く熊五郎と漏らし、凛が微妙に違う様な…と発言。
ステラからはどんな意味かを求められ、勢いで言ってみただけだと返す雫に意見したのが朔夜。
それなら聞いた事があるかもと凛が口にし、そこからどうして知っているのかとなり、アレックスが彼女を年寄り扱い。
すると急遽取っ組み合いの喧嘩が開始され、彼らの様子を眺めている内にトゥルーヴァンパイア兼熊スキーのミレイが熊五郎を確保。
背中にピッタリと張り付き、まるで自分のものだと言わんばかりに熊さん…と告げ、そのまま雫から分捕る形に。
「???」
それからも段蔵は朔夜を見続けるも、ただただ静かに紅茶を飲むだけ。
結局何がしたかったのか分からず、謎が深まるだけで終わるのだった。




