不協和音
各駅停車に揺られながら、志乃は誰もいない車両で読みかけの文庫本を開く。栞が挟まったページをふと見ると、桜の花弁が一枚ついていて目を瞬いた。
今は12月の寒い冬だ。この時期になると山に雪が積もって、地面も凍る。桜の木はまだ蕾が開いていないし、時期にはまだ早い。どうしてここにと思考を巡らせていると、電車がトンネル内に差し掛かり走行音が大きく音を立て、レールの軋む音に不安が駆り立てられる。
毎日通学で使う電車のルートに、トンネルは無かったはずだ。
次から次へと起こる不可解な現象にパニックになっていると、すぐにトンネルを抜けていつもと変わらない車窓に映る景色を見て志乃は小さく息を吐く。
少し、落ち着こう。
深く息を吸ってゆっくり吐き出す。
程なくして最寄り駅に着くことを知らせるアナウンスがかかり、着くには早すぎると違和感を覚えながらも見慣れた駅のホームが見え、志乃は慌てて席を立つ。
停車してドアが開く際、志乃は同じ年ぐらいの黒髪の少年が、俯きながら薄手のパーカーを頭から被り立っていることに気付く。志乃は人がいることに安心して視線を向けていると、彼が顔を上げて目が合い、すぐに逸らされると志乃の制服姿を見るなり僅かに眉を顰めた。
志乃はその反応が少し気になったが、いつもと何だか違う気味の悪い電車から早く降りたくてその場を足早に去る。
「あっ、しまった……」
鞄から定期を取り出す際に先程まで手に持っていた文庫本が無いことに気付いて、慌てて振り返るも電車は動き出していた。
仕方がない、明日落とし物で届いていないか聞いてみよう。
志乃はひとまず改札を出ようと定期券を取り出して機械にかざすと、エラー音が鳴って赤く光る。驚いてもう一度かざしてみても、エラー音が虚しく鳴るだけだ。
切符を回収箱に入れて不思議そうに振り返る年配のお爺さんと目が合い、志乃はへらりと取り繕った笑みを浮かべながら、どうしておかしなことが立て続けに起こるのかと頭を抱えたくなる。
定期券の期限は切れていないし、駅員さんに聞こうにも田舎町にある無人駅なので、この時間には立っていない。
仕方がない。これも明日の朝、通学時間の時に立っている駅員さんに聞いてみようと、この場はとりあえずと志乃は簡易改札を通り抜ける。
なんか、もういいや、疲れた。早く帰りたい。
電車に降りる時にも感じたが、電車に乗る前より気温が高い気がするし、何だかやけに暑い。意識すると余計にそう感じて、志乃は制服の上に着ていたコートを脱いだ。
古びた駅舎を出ると、風に乗って木々が揺れる音と共に、志乃の目には突然予想もしていなかったピンク色が飛び込んできた。辺りを見渡しながら志乃は何度も目を瞬く。目の前に広がる光景を疑うも間違いなくそこにあって、志乃は思わず立ち尽くして言葉を失った。
志乃の目線の先にあるのは鮮やかな深い緑の山々、川沿いに並ぶ桜並木、足元に散らばる桜の花弁。
春の風物詩である桜が、12月のこの時期に咲いていた。
悪い夢でも見ているのだろうか。
志乃は駅舎を振り返って確認するも、いつもと変わらない慣れ親しんだ建物がそこにあるだけで。
春になれば、確かにこの場所には一斉に桜が咲く。でも今は12月だ。だから、今見ているこの光景は、どう考えてもおかしい。
目眩がするような感覚に足元がふらつく。立っていられなくてその場に蹲ると、志乃は頭を腕で抱えるようにしながら目を閉じた。悪い夢なら醒めて欲しい。
いつか読んだ小説の中で、似たような状況が書かれた内容があった。少し違ったかな。あの時主人公はどうしてたんだっけ。
記憶と感情がごちゃ混ぜになりながら自分に問いかける。
私は主人公になんかなれないしなる気も無い。脇役で充分だ。これはきっと、悪い夢だから。大丈夫。
志乃が腕をそっと解いて顔を上げると、変わらない光景に落胆しながら漫画でよくあるようなやり方で自身の頬を抓る。現実だと突きつけるように痛みが広がって、信じたくないと抗いたくなるけれどこの場でこうしていても状況は変わりそうもなかった。
志乃はゆっくり立ち上がると、足取りは重いまま覚悟を決めて家までの道を歩き出した。