九十一話 「呪い」
「え、バルカン?一体どういうこと・・・?」
どうやらこの世界ではヘルバトスは、バルカンという名前らしい。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
突然の提案にエナは驚きを隠せないでいる。
それもそうだろう。
理由は告げられずにいきなり逃げようと言われても、何のために逃げるのかわからない。
まずは理由を教えてもらわない限り、納得はできない状況だった。
黙り込むバルカンにエナは、
「ねえ?どういうことなの?ちゃんと言ってもらわないと分からないよ?」
バルカンはそんなことは分かっていた。
だが、言葉が出てこない。
確かに腹から声を出そうとしている。
なのに声が出ていなかった。
なんで・・・っ!なんでなんでなんで・・・っ!
声が出ない原因が全くわからない。
一体バルカンの身に何が起こっているのか。
バルカンの見た目に変わったところはない。
口に出さない限り、エナにこれから起こる大賢者による龍王の殺戮を知ってもらう手段がない。
なんで声が出ないんだよ・・・・っ!・・・・っざけんな!・・・・っざけんなよ!
自暴自棄になったところで現状は変わらない。
なかなか喋らないバルカンにエナは優しく温かい視線を送る。
「大丈夫だよ?体調が良くないんだよね?大丈夫だから、そんなに慌てなくても大丈夫だから・・・」
やがてエナは、取り乱すバルカンをギュっと抱きしめる。
そうじゃない・・・・そうじゃないんだよ・・・・っ!
唇を力強く噛み締め、血が少量垂れるも声が出ることはない。
バルカンは必死に考えた。
言葉に出さずにして、大賢者のことを伝える最適な手段を。
何か・・・!何かないのか・・・!
極限の域に達するまでに、脳をフル回転させる。
そしてバルカンはひらめいた。
それと同時に、バルカンの体は無意識に先ほどいた部屋へと向かっていた。
言葉に出せないのなら、文字で表せばいい。
机に置かれていた何かの資料と思われる紙を乱暴に手にし、ペンを必死に探す。
この案なら・・・!この案ならきっと・・・・!
机に備わっている引き出しを片っ端から開けていくがペンが一本も入っていない。
なんでこんな時に限ってないんだ・・・!
引き出しを開けたままにして、もう一度机の上に視線を持っていく。
本来、ペンというのは作業用デスクに一本は置いてある文房具だ。
このデスクになかったらこの部屋には恐らくペンはない。
そうなれば、次に探す場所はエナの部屋かリアラの部屋に限定される。
どこだ・・・・!どこにあるんだ・・・・!
散らかるデスクの上の資料や本を勢いよく床に落としていき、デスクの上がクリーンになったところで、埋もれていたペン一本を発見した。
バルカンはさっそく手に持っている紙をデスクの上に置き、執筆を試みる。
だが、いくら文字を描こうとしても文字は現れてこない。
なんだよ・・・!なんなんだよ・・・・!
バルカンは、ペンのインク残量を確認すべく高速でその蓋となる部分を開けた。
そのペンの心となる部分は、透明でわずかに黒のインクと思われる物体が媚びりついていただけだった。
クソ・・・!インク切れかよ・・・!
バルカンは相当な物音を立てていた。
引き出しを思いっきり開け、机のものを強引に床に落とした。
一緒の家にいて、そんな物音に気が付かない人はまずいない。
様子を心配したエナがバルカンの部屋に入ってきて、
「どうしたの?そんなに慌てて・・・」
「エナ!ペンは!ペンを持ってないか?」
「ええ、持ってるけど・・・」
「早く貸してくれ!早く!」
「う、うん・・・!」
今までに、こんなバルカンの切羽詰まった形相を見たことがないのだろう。
伝染したかのように、エナも慌てて自室へと向かって行った。
ぼーっとしてても時間の無駄だ・・・!
この部屋に戻ってくるであろうエナを待ちきれないバルカンは、彼女の後をすぐに追った。
そしてノックなしにエナの部屋へと侵入した。
「ちょっと、ノックぐらいしてよ。恥ずかしいんだよ?」
「今はそんな時間はないんだ、それよりペンは?」
この時のエナは何か言いたそうだったが、バルカンは気にしもしなかった。
遠慮の二文字を完全に見失っているバルカンは、整理整頓されたエナの机で執筆を始めようとしたが、さらなる問題が発生した。
なんで・・・!なんで手が動かないんだ・・・っ!
まるでバルカンのみが知るその話を誰かに伝えることを拒否しているみたいだった。
いや、拒否というよりも禁止という単語の方がしっくりくるかもしれない。
バルカンが、龍王が大賢者によって殺されると紙に書こうと意識するも、手は全く使い物にならない。
ふざけんなよ・・・っ!なんで・・・っ!一体誰の仕業だよ・・・!
この過去の中ではエナとリアラとしかまだ関りを持っていない。
だが、この二人がバルカンにこんな「呪い」のようなものを付与する理由がない。
「呪い」・・・・・まさか・・・!
千年後に生きるドレイニーに聞いた話では、向こうの世界で生きたヘルバトスが大賢者による「呪い」をその身に受けていた。
「呪い」と大賢者。
まだ確信はないが、ある人物像がバルカンの頭をよぎった。
そして、気が付けば彼女の名前を叫んでいた。
「おい!テレナシア!どういうことだ!おい!返事をしろ!」
「ちょ!バルカン何言ってるの・・・!」
「俺に「呪い」をかけたやつの名前を読んでいるだけだ!」
「本当に何を言ってるの!一旦落ち着いて!」
エナがバルカンを見る目が大きく変わっているのがよくわかる。
魅力的だった笑顔は消え失せ、真剣な眼差しでこちらを窺っていた。
その眼差しでようやく正気に戻ったのか、バルカンは呼吸を整えながら黙り込む。
その空白の時間を巧みに利用したエナは、再び暖かい眼差しをバルカンに向けて、
「ねえ・・・?本当にどうしちゃったの・・・?」
そんな何て事のない、ありふれたセリフなのになぜだろう。
バルカンの頬に大きな雫が、休むことなく流れ落ちていく。
「どうじて・・・っ!どうじで、お゛ればっかこんな目に・・・っ!なんで・・・っ!なんでわかっでぐれないんだよ・・・っ!」
伝えたくても伝えられない怒りが限界を超えて悲しみへと変換される。
言いたいことがあっても言うことができない無力さ。
言いたいことを分かってもらえない孤独さ。
テレナシアが出した「試練」と思われるこの過去は、バルカンが思っていたような生易しいものではなかった。
それに、バルカンはテレナシアから言われていたことをすっかり忘れていた。
君には一部欠落しているものがあるんだよ・・・?
この言葉を、すっかり自分の脳内では自分に欠落しているものは記憶のみと綺麗に改ざんされていた。
決して、欠落しているのはバルカンの記憶だけではない。
何にでも立ち向かえ、聞き届けられる大胆な心を失っているということだった。
この試練の目的は、バルカンが失ってしまったものを復元させるというもの。
だが、この「試練」はもしかしたら失敗で終わってしまうかもしれない。
仮にもバルカンの中身は十代。
そして、今置かれている状況から考えると、改心できるとは到底思えなかった。
若くにして、この「試練」はあまりにも残虐すぎた。
俺は・・・死ぬのか・・・?このまま・・・死んでしまうのか・・・?何もできないまま・・・?
そんな不安を拭い去るようにエナは優しく、まるで子供あやすようにバルカンの頭を撫でる。
「バルカンはよく頑張ってるよ?私が一番よく知ってる。ちょっと疲れちゃったんだよね?」
違う・・・エナの知ってるバルカンは本当のバルカンじゃない・・・・バルカンの体を借りてるだけなんだ・・・
真実を告げようとするが、どうやらこれも「呪い」の禁止事項になっているらしい。
本当に何もすることができない。
テレナシアは一体何を考えているのか。
そもそも、仮にテレナシアが大賢者だとしてバルカンに何を求めているのか。
ヘルバトスの過去が龍王バルカンなら、大賢者にとっては害悪になる存在。
なぜそんなバルカンの力になるようのことをしているのか。
テレナシアの考えていることが分からない。
「バルカンはみんなのヒーローやり過ぎてストレスが溜まってたんだよね?気が付けなくてごめんね?」
違う・・・!エナが謝ることじゃない・・・っ!それにバルカンの体を借りてる俺はそんなヒーローとは無縁の存在だから・・・・だから・・・・プレッシャーをこれ以上かけないでくれ・・・
声に出せないバルカンがエナにそう願うも、無論エナにはその心の声は届いていない。
頭を子供のように撫でられ続けること十五分。
「ありゃりゃ、寝ちゃったかな?」
泣きながら寝落ちしてしまうバルカンは、本当に子供のようだった。
だが、そんな姿を見てもエナは決して笑うことなく、
「仕方がない、会議の欠席連絡は私がしておくか」
エナはタンスから毛布を取り出し、床の上で寝るバルカンを起こさないようにそっとかけた。
「これでよしっと!それじゃあバルカン・・・おやすみなさい・・・」
チュ・・・
エナはバルカンの頬に甘いキスをすると、バルカンに一瞥もくれることなく自室を後にした。
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