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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story Ⅱ バックステージ Ⅱ

「篝火」の後日談的話となります

内容的には本編で語られなかった話といったものになりますが

 東京都千代田区神田神保町。

 古書店街としても有名なこの地に溶け込むように建てられてはいるものの、やはり極端に窓が少ない石柱のようなその異様な外観は行きかう者の目に留まらずにはいられないその建物。

 もちろん、それは世界的書籍コレクターである天野川夜見子の城である。

 毎日のように世界中から貴重な本が集まるその建物だが、実は建物の主である天野川夜見子以外にもうひとり建物内に私室を持つ者がいる。

 今回は天野川夜見子の側近のひとりでもあるその部屋の持ち主が主人公となる。


 その日の朝。

 その男はニューヨークに住む部下のひとりから連絡を受けていた。

「……つまり、エマーソン氏が自身も参加している闇オークションのひとつに我々も参加できるように主催者に話をつけてくれるということなのかな?」

「そうなります。しかも、出品される品のリストをあらかじめ知らせてくるとのことです」

「なるほど」

 ひと呼吸だけおき、再び彼の口を開く。

「……秋島君。いくつか訊ねてもいいかな?」

 彼が最初に訊ねたいこと。

 もちろんそれは電話の向こうにいる部下がつけ加えた言葉についてだった。

「まず出品リストを参加者に事前に知らせるのは主催者として当然のことではないのかね」

 彼の問いの答えとなる言葉にすぐさま聞こえる。

「当然通常のオークションならそうなります。ですが、どうやらそのオークションはそれをやらないことが伝統になっているようで、特別な者にだけこっそりとそれを知らせるとのことのようです」

「なるほど。新参者でありながら、そこに入れてもらえるのは光栄なことだが、当然おこなうべきサービスで顧客の差別化をおこなっているとはなかなか効率のよい商売をしているな。まあ、それは了解した」

 もちろんそうは言ったものの、かつてカイロで同様のオークションを開いていた彼がそのようなやり方があることを知らないはずがない。

 つまり、挨拶代わりのようなものである。

 そして、ここからが本当の本番である。

「もうひとつ。このオークションの評価というものはどうなのかね」

「エマーソン氏曰く、金持ちで、しかも参加者に特定のものに固執するコレクターが多いので落札価格は総じて高いが、買い手にふさわしい変わった商品が持ち込まれることが多いので、我々も押さえておくべきオークションのひとつだろうとのことです」

「わかった。ちなみに、エマーソン氏からはその件について報酬として何か要求されたかね?」

「目的のものがバッティングした場合の優先権だけは主張されましたが、それ以外には特に要求らしきものはありませんでした」

「なるほど」

 ここで、彼はエマーソンの意図について思考する。

 ……優先権については問題ない。

 ……研究が終わればどれだけ貴重な物でも彼は手放す。

 ……つまり、いずれ我々のものになるのだから、彼との良好な関係を壊してまで無理に手に入れる必要はない。

 ……問題は彼が我々をオークションに誘った目的だ。

 ……エマーソン氏がこれをただの親切でおこなっているわけではない以上、目的を把握しておく必要がある。

「秋島君に訊ねる。エマーソン氏が我々を自分の縄張りであるそのオークションに招き入れた目的は何だと思う?」

「……そうですね」

 彼に訊ねられた男は少しだけ間をあけるものの、実はやってくることがわかっていたその質問に対して彼の中にはその問いに対する答えはすでに用意されていた。


「罠やオークショニアのカモを増やすという選択肢を除外すれば考えられる理由はふたつ」


「聞こう」

「まず、報酬の格上げ」

「『篝火』に関する情報提供に対して我々からの贈り物をさらに有益なものにするための布石ということかな」

「そのとおりです。ただし、この場合エマーソンは『篝火』が出品されることを事前に知っていたことが前提条件となりますが」

 ……そういえば、オークションへの参加権をエマーソン氏が持ち出したのは、アトランタに行く前だったな。つまり、状況的にこれは順番が逆。口利き料の上乗せのために『篝火』の情報を加えたという方が正しいのか。

 ……まあ、我々にとってやはり上位は「篝火」であるのだが。

 彼は心の中で苦笑し、さらに言葉を続ける。

「ちなみに彼は『篝火』に対する報酬として我々がどのようなものを用意するのかを知っているかな」

「彼がどのようなものを期待しているのかは予想できませんが、私は『情報の対価として十分に満足していただける品』としか言っておりません。それに、彼が思い浮かべているものはあくまで『平安時代の写本』に対する報酬であって、『原本』のものではありません。ですが、彼としてはまだ確定されていない段階なら格上げも可能と踏んでもおかしくはないでしょう」

 ……そのとおり。

 部下の言葉に彼は心の中で呟く。

「もうひとつは?」

「将来への投資」

「具体的には?」

「いわゆる貸しとして次回以降の報酬に上乗せしてもらおうと考えていた」

 ……まあ、こちらの方が妥当な理由ではある。

「なるほど」

 一瞬の間の後にそれを肯定した彼だったが、実を言うと、自身の頭の中にはそれ以外にも可能性のあるものがいくつも並べられていた。

 だが、それをあえて口にしなかったのは、エマーソンが秋島以上の策略家であるとは思えないため、若いとはいえ統括官という地位にある秋島が思いつかないものはエマーソンにも考えつかないだろうと考えたからである。


「とにかく、エマーソン氏に悪意があるわけではない以上、その好意はありがたく受けっておくべきだろう。それから、君にその言葉は不要であることは承知しているが、念のためにつけくわえておく。彼に差し出す報酬は、『篝火』に関する情報だけではなく、今回のオークション参加の口利きも含めて勘案されたものであることをはっきりと申し添えておくように」


「それから、もう一件相談したいことがあるのですが……」

「聞こう」

 彼のその言葉から少しだけ間が開いて電話口から部下の少し硬い声が聞こえてきた。

「今回『篝火』を手に入れる交渉をおこなった結城君より元の所有者を配下にしたい旨のリクエストが届いております。それについて、いかがするべきかを夜見子様にお諮りしたいのですが……」

「いかがするもなにも、それについては北米地区の統括官である秋島君の裁量で……」

 そこまで口にしたところで彼の言葉は止まる。

 当然である。

 電話の相手である秋島の報告で名前の挙がった蒐書官結城は、アメリカ東部を中心に日の当たらない世界に蠢く人間を情報提供者として数多く抱えていることは、彼だけではなく彼の上司にあたる女性も承知している。

 つまり、結城が自らの手足として働くその同類をひとり増やすことなど、結城の上司である秋島がわざわざ自分を通じて夜見子に裁可を求める案件ではない。

 北米地区の統括官であるこの男だってその程度のことは十分に承知している。

 それをこうしてわざわざ話題として持ち出してくるというのは、特別な事情があると考えるべきなのだ。

「失礼した。では、詳細を聞かせてもらおうか」

 思い直した彼の言葉に秋島が応じる。

「実は……」

 秋島が語ったこと。

 それはもちろん『篝火』の元の所有者であるジョン・ローガンに関するものだった。

「……なるほど」

 すべてを聞き終えた彼が口を開く。

「ひとつ訊ねる」

「どうぞ」

「今、秋島君が語っている問題点はどちらかといえば、ローガン氏のモラルに関わる話だと思うのだが、それで間違いないかね」

「そのとおりです」

 疑念に満ちた彼の問いに秋島は明確すぎる言葉で応じると彼の思考が始まる。

 ……そのローガンなる男がモラル的に問題のあることはすぐに理解できる。

 ……だが、彼は対等な立場であるエマーソン氏のような協力者ではなく、結城君配下のいわば使い捨ての道具。

 ……その点を踏まえて考えれば、配下に入れることの収支はプラスになるとした結城君の判断は間違っていないのだが、秋島君はどの部分を問題と考えているのだろうか。

 ……まあ、考えられるのはひとつしかないのだが。

 ほんのわずかな時間で辿り着いた結論に思わず苦笑いをした彼がその表情を見ることができない相手に言葉を伝えるために口を開く。

「ということは、君が指摘する問題とは彼を我々の側に加えることに対する夜見子様の心情ということかな?」

「そうです」

「だが、結城君はすでにいわゆる悪党の類を多数抱えている。そして、夜見子様もそれは承知している。さらにいえば、我々も結城君が抱えるその悪党の同類と言えなくもない」

「もちろんそれはすべて承知しています。ですが、たとえ悪党であっても悪党なりの矜持と誇りは持つ必要はあります」

「つまり、悪党は自らが悪であることを自覚し、それに徹しろというわけか。そのようなものは仕事の邪魔になるだけだと私は考えるが、とりあえずこの男にはそれが感じられないと君は言いたいのかね」

「私というよりも、表では人々の安寧や平和、それに正義を言いふらし、見えないところでそれとは正反対の悪行を繰り返すこの男の姿を見た夜見子様の目にはそう写るのではないかと言ったほうが正しいでしょう」

 ……やはり、そうか。

 彼は辿り着いていた少々苦みのある正解を噛みしめる。

 ……つまり、我々が現役を退いた未来のために夜見子様が利益よりも感情を優先させて判断を誤ることがないように手本を示せ。いや、これはどちらかといえば実地で教育しろということか。

 ……だが、その役を私に押しつけるとは、秋島君もとんだ策士だ。

 彼は先ほどよりもさらに黒い笑みを浮かべてたったひとこと、それだけを口にする。


「……君も成長したものだ」


 もちろんそれだけで相手には彼の言いたいことが伝わる。

 相手も同様に黒い笑みを浮かべていることが電話の向こうでもハッキリとわかるその声がそれに応じる。

「別にそういうわけではなく、ただそれは私には荷が重すぎる役だというだけですよ」

「ものは言いようだが、その役目たしかに我々がおこなう務めのひとつではある。よろしい。謹んでお受けしよう。その代わり次回の帰国する際にはこの借りは利子をつけて返してもらうから覚悟しておくことように」

「喜んで支払います。では、よろしくお願いします。鮎原さん」


「せっかくだ。この件について私からも君へひとつお願いをしておこうか」

「それは構いませんが高いですよ」

「ほう。それは困った」


 その後におこなわれたいくつかの報告を聞いた後に口にした彼の言葉に対して弟子が即座に答えたそれはもちろん本気ではないことは彼も十分わかっている。

 ……だが、お返しは必要だ。

 彼は心の中で呟き、その言葉を口にする。

「では、経費節減のためにお願いではなく命令にしておこうか」

「そうであれば仕方がありませんね。では、無料でやらせていただきますので何なりとお申し付けつけください。といっても、それがどのようなものかは見当がついていますが」

 ……まあ、そうだろうな。

 冗談の最後につけ加えられたそれに彼は心の中で感想を呟く。

 ……もっとも、この程度のことがわからなければ北中米地区の統括官は務まるはずがないのだが。


「それは素晴らしい。では、聞かせてもらおうか。私が言わんとしたことが何であるのかを」


 彼に促されるように電話口からその声が流れ始める。

「……骨子はふたつ。ひとつは、今回の反省を踏まえて『篝火』がいつどうやってアメリカに持ち込まれたかを調べること」

「そのとおり。それで、もうひとつは?」

「これまで『篝火』がその存在がこれまでおおやけになっていなかったということは、アメリカ国内における過去の持ち主は日の当たる世界の住人ではない。ということは、それなりのルートを使ってアメリカに持ち込んでいる可能性が高い。そして、それはさらにある可能性を示しています」

「それは?」

「それだけのルートが確立されているのであればアメリカに持ち込まれたものは『篝火』だけではないということです。たとえば『篝火』以外の原本。それ以外の数多くの貴重な本も同じルートで流れ込んでいることも十分に考えられます」

 相手は語ったのはそこまでだった。

 だが、彼にとってはそれで十分だった。

 表情を緩めた彼が口を開く。

「さすがだ。そこまでわかっているということは、その探索と回収をおこなうための準備は始まっているということでいいのかな」

「もちろんです。手始めにエマーソン氏のコネを使ってこの件についての唯一の手掛かりである例のオークションへの出品者にあたります。こちらについてはすでに手配済みです。続いて、当該オークションの過去の商品も確認し必要があれば探索をおこないます。こちらも人選は終わっていますので準備ができ次第作業にかかります」

 ……目が覚めるような剛腕も、驚くほどの交渉術があるわけではない彼を、私が統括官の一員に加えた理由。

 ……それがこれだ。

 彼は電話の向こうの人物の秀でた能力をあらためて実感する。


 ……綿密な情報収集に基づいた手抜きとは無縁な周到な準備。

 ……そして、適材適所を極めた人材配置。

 ……ことが始まったときにはすでに結果が確定しているような手際の良さ。

 ……まさに私好み。


「さすがだよ。秋島君」

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