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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story Ⅰ バックステージ Ⅰ 

「篝火」の後日談的話となります

 ニューヨーク。

 源氏物語の一巻「篝火」を巡る騒動が一段落してからしばらく経ったこの日、その都市の名を聞いた日本人の多くが思い浮かべる光景に必ず登場する高級ホテル内にあるレストランの一角は異様な空気を漂わせていた。

 その空気の中心である自らが呼びつけた七人の男を目の前に並ばせるという、このような場所ではあまりお目にかかれないその席次の主役の名をエリオット・エマーソンという。

 予定の時間より五分ほど遅れて現れた彼に男たちは歯が浮きそうな挨拶の言葉を送るが、形だけの返礼はするものの、彼らを見るその目はあきらかに冷ややかだった。

「さて、さっそくだが、言い訳を聞かせてもらおうか」

 それが彼の第一声だった。


 話はあの日に遡る。

 アトランタ。

 彼が準備させた宴も終わり、盛大なもてなしを受けた賓客のなかで唯一生き残った男が彼の前に引き出されていた。

「また会ったな、スチュアート。だが、まさか、おまえまでこの場にいるとは思わなかったぞ。安全な場所から果実が収穫される様子を眺めているのがお似合いな腰抜けのおまえらしくもないことをした結果がこれとは……」

「お言葉ですが、エリオット様」

 黒い笑みを浮かべその男への痛烈な皮肉として口にした彼の言葉をあっさりと否定したのは、たった今までおこなわれていた見事な宴を企画演出した男だった。

 呼びかけの言葉に続いて、その男はそれを口にする。

「彼がここにいるのは驚くべきことではありません。むしろ当然と言ったほうがいいでしょう」

「どういう意味だ?」

 その言葉に少々機嫌を損ねた彼が冷気を帯びた声で訊ねると、その男が感情の薄い声でその問いに答える。

「普段の彼ならエリオット様のおっしゃるとおりでしょう。ですが、今回だけは違います。なにしろ彼にとって今回の襲撃計画は完璧なものだった。だから、彼は取り押さえたエリオット様の前に現れ、『これがオークション前に言った理由ですよ』と自慢げに種明かしをするつもりだったのですから」

 ……なるほど。

「自身の存在そのものを含めてすべてが三文芝居であるこの男ならたしかにそれはあり得ることだ。それで、どうなのだ?スチュアート」

 会話を中断したふたりの視線が降り注ぐ先にいる男は自らの意図を正確に言い当てられた驚きを隠すように横を向きながら答える。

「もちろん違う。と言いたいところだが、そのとおりだ。そして、そうならなかったのは実に残念だ。だが、エマーソン。いくらおまえが富豪でもこれ以上やったらただでは済まないぞ」

 押さえつけられながら罵声を浴びせるその男を彼は冷ややかに眺める。

「おまえの言いたいことはわかる。これだけ人の目があるのだ。正当防衛は認められても、それ以上のことは許されない。つまり、ここで捕らえたおまえを殺せば私は罪に問われる」

「そのとおりだ」

「私を害し、私が手に入れたものをすべて奪おうとした者のセリフとは思えぬが、まあ、基本的には筋は通っている。だが、残念ながらそうはならない」

「なぜだ?」

「それは私がエリオット・エマーソンだからだ」

 もちろんその言葉は冗談や皮肉ではなく事実として語ったものだったのだが、彼が視線を向けた男の表情はあきらかにその言葉を疑い、むしろそれを嘲っているようにすら見えた。

 彼が再び口を開く。

「……どうやら私の言葉が理解できないようだな。スチュアート」

「あたりまえだ。何様のつもりかは知らないが傲慢が過ぎるぞ。エマーソン」

「自分の無能を棚に上げて傲慢とは言ってくれる。だが、伝わらないのであれば仕方がない。サル並みの脳しかないおまえにもわかるようにもう少し詳しく説明してやろう。その理由は、私、いや、私が属している組織こそ、普段おまえが唱えるこの世界を裏から支配する超常的な存在。そのひとつだからだ」

「何だと」

「だから、おまえが普段口にしている存在とは実は私だったということだ。これならいくら愚かなおまえでも理解ができたであろう」

「ふん」

 彼の言葉に下品な薄ら笑いで応じた男がさらに言葉を加える。

「まったく笑わせてくれる。いくら有利な立場といえそれはないだろう。どうせ嘘をつくのならもう少しマシなものにしたらどうだ」

「嘘?」

「そうだ」

「なぜそう言い切れる?」

「決まっているだろう。そのようなものはこの世に存在しないからだ」

 普段スチュアートの主張を「出来の悪い誇大妄想」であると断罪している彼が自らをそれと同様の存在であると語ることにはたしかに強烈な違和感がある。

 だが、即座にその存在を否と断言した男の言葉はさらにそれの上をいくありえないことだといえるだろう。

 だが、そうなることを十分に予想し、むしろそれを望んでいた彼はニヤリと笑う。

「これは異なことを言う。それでは、まるで自らが語っていたことをおまえ自身はまったく信じていないようではないか。もしかして、普段おまえが口にしていることすべてが偽りだったというのか?」

「そうだ。そのとおりだ。決まっているだ……おや?どうした。驚いたのか?エマーソン」

 そのとおり。

 彼は内心で驚いていた。

 そして、それとともにある結論に辿り着く。

 ……助かりたいのはわかる。

 ……だが、そうであっても、躊躇いもなくこの言葉は出てこない。

 ……つまり、この男はそのようなものの存在を信じていなかった。

 ……私を含む他の誰よりも。

 ……そうでありながら、爪の先ほども信じていないことを他人に信じさせていた。

 ……金儲けのために。

 ……やはり、おまえはつくづく腐った男だな。スチュアート。

 ……そのようなおまえにはそれにふさわしい罰を与えなければならない。

 彼が口を開く。

「いや。すばらしい。今の発言は非常にすばらしいぞ。スチュアート。もしかしたら、おまえがこれまで口にした言葉で一番のものかもしれない。せっかくだ。ついでに聞いておこう。魔術だの超常現象だの……それに呪いの類はどうだ?」

「もちろんこの世にそのようなものは存在しない。だいたいそのようなものが存在するのなら、私はこんな目に遭ってはいないだろう」

「たしかにそうだ。では、『ピーリー・レイースの地図』はどうだ。たしか、おまえは最近もあれには南極が描かれていると言って、それを否定する学者たちを散々こき下ろしていただろう。あれは間違いなくオーパーツだという話はどうなる?」

「そのような発言していたこと自体は否定しない。ただし、内容が正しいのかはそれとは別だ……」


 そして……。

「おい、エマーソン。ここまで言えばもう十分だろう」

 十五分が経ち、この時点でこれまで自らが大声で主張していたことのほぼすべてを否定していた男は顔を真っ赤にして喚き散らす。

 だが、実を言うと、ここまでの行動にはこの男なりの計算があった。

 ……奴は私をここでは殺さない。

 ……いや、殺せない。

 だから、とにかく相手の話に合わせ時間稼ぎをしてこの場に留まり警察が到着するのを待つ。

 もちろん逮捕はされるだろうが、最悪の事態だけは避けられる。

 僅かしかない選択肢の中で男が選んだこの判断はたしかに間違ってはいない。

 ただし、その結果を見れば、肝心の前提条件が間違っていたために希望は成就されなかったのだが、もちろんこのときには男はまだそれに気づいていなかった。

 一方、こちらは彼の身にこれから起こることのすべてを知るエマーソンだったが、ある重要情報を聞き出すために表面上ではあるものの彼のあがきに快く応じる。

「まあ、おまえが金儲けのためだけに神秘主義を信奉していたことがわかったのだ。今回限りは見逃してやってもよい。ただし、そのためにはいくつか条件がある」

「何だ?」

「おまえはまだ大事なことを喋っていない。助かりたければ、それを喋ってもらおうか」

「大事なこと?何の話だ」

「もちろん共犯者のことに決まっているだろう」

「共犯者?そこに転がっている奴らの何が知りたいのだ?」

「おまえに雇われたこの者たちのことではない。いるだろう。今回の件についておまえと手を組んで金儲けをたくらんだ相手が。私はその者たちのことを訊ねているのだ。残らず話せ」

 ……くそっ。

 その言葉を聞いた瞬間、男は心の中で大きく舌打ちをする。

 そう。

 現在囚われの身ではあるものの、彼には将来に向けてのある目算があった。

 ここではそれについて一切語らず、それをテコにして恩を押し付け、実はこっそりと手を組んでいた相手を完全に自らの側に引き寄せる。

 だが、それもこれも自分がこの窮地から生きて生還することが前提であり、こうしてそれらを天秤にかけられてしまえば、話はまったく別のものとなる。

 ……とにかく今は生き残ることが最優先だ。

 ……そのためには奴らの情報を残らず流すしかない。

 ……だが、この男はいったいどこまで知っているのだろうか?

「どうした?スチュアート。彼らのために口をつぐみ、あの世まで秘密を持っていくつもりか」

 自らの生殺与奪を握る彼の言葉に余計なことを考えている猶予はないことを悟った男が口を開く。


「もちろん話す……話すに決まっているだろう」


「……そうか」

 男の言葉に彼はたっぷりと皮肉を聞かせた言葉で応える。

「少しはおまえの男気が見られるかと期待したのだが残念だよ、スチュアート」

「う、うるさい」

 ……誰が他人のために死ぬか。

 ……というか、そんなことおまえだって爪の先ほども思っていないだろうが。

 再び舌打ちをし、相手に罵声を浴びせたい衝動に駆られた男だったが、まずはこの状況をなんとしなければならない。

 目前に迫った現実の死。

 それに対して男はその回避のための行動を起こす。

 この場でできる最大の誠意を形にして。

「……それは命乞いか?」

「それ以外に見えるのか?と、とにかく……何でも話す。話すから助けてくれ」

 その言葉とともに慈悲を願うように地面に頭を擦りつける男を彼は黒い笑みを浮かべる。

「でかい口を叩く割にはプライドのかけらもないようだな。よし。とりあえずわかった。では、聞いてやる。すべてを話せ」


 場面を異様な光景が広がるあのレストランに戻そう。

 ある程度のことは予想していたものの、彼らにとってさらに数段階は悪い状況を聞かされた男たちの顔からは血の気が完全に失われていた。

 ……あれだけ自信満々に成功を口にしていながら、強奪に失敗しただけではなく、生き残って余計なことまで喋っていたとは。

 彼の前に並ぶ男たちは一様にその言葉を思い浮かべていた。

 もちろんそれを口に出すことなどない。

 生き残ることに必死な彼らにとって、それを口にすることはマイナスにしかならないのだから。

 それに、今言葉にしなければならないのは別のものだ。

 彼らの中のひとりが全員の総意であるその言葉を口にする。


「そ、それでスチュアートはすべてを話したのですか?」


 ……まあ、当然そうなるな。

 彼は憐れむようにその男を眺め、それから少しだけ色を加えた真実を吐き出す。

「助かりたい一心のあの男に他人のために死んでも秘密を守るなどというヒーローの真似ができるはずがないだろう。悪事はすべて話した。もちろんおまえたちとの密約のことも」

 彼はそこで一度言葉を切り、男たちを眺める。

 それから、つけ加えるように、もう一度言葉を語り始める。

「だが、それはあくまで奴を言い分だ。平等を期すためにも、とりあえずおまえたちの言い訳も聞かねばならないだろう」

 つまり、弁解の機会を与える。

 彼はそう言ったのだ。

 男たちは口々に感謝の言葉を口にするが、だからと言って彼らの立場が劇的に完全されたというわけでもない。

 彼が口を開き、言葉にしたのは辛辣そのものと言えるものだったのだから。


「言っておくが、おまえたちを呼びつける前に私も相当調べてある。少しでも嘘偽りがあれば、その時点でおまえたちは生きてこのホテルから出られないと思え。もちろん隠匿も同罪だ」


 ……どうした。またダンマリか。 

 ……せめて、同意の言葉くらいは欲しかったな。

 ……だが、待っていても埒が明かぬ。

 ……進めるか。

 圧倒的な威圧感に気圧され、言葉を口できない男たちに心の中で嘲りの言葉をくれた彼は、ゆっくりと口を開く。


「では、とりあえず話してもらおうか。私を生贄にしたあのエセ神秘主義者と金儲けを企んだ一部始終を」


 一時間後。

 彼らの言葉をBGMにしながらやってくるランチコースのメニューを堪能するエマーソンに対し、生き残りをかけて必死の言い訳をおこなう男たちには食事に手をつける余裕などない。

 すべての説明を聞き終えた彼はテーブルの上にある皿を片付けさせると、目の前に並ぶ男たちをひととおり眺める。

「おまえたちの言い分が理解した。いくつか聞き直さなければならない点があるが、それは別室で個別に聞くことにして……」

 彼はそこで言葉を区切り、もう一度全員を眺める。

「おまえたちの話を聞いていると、すべては金儲けをするためだけにオカルティストを気取っていたあのクズがすべてを仕切っており、おまえたちも実は騙された被害者だったと主張しているように聞こえるが」

 むろんそれは彼の聞き違いなどではなく、大量のカモフラージュを施していたものの彼らの言葉の核になる部分はそのように語っていたのは間違いないことだった。

「だが、スチュアートは、そそのかしたのはおまえたちだと言っていたぞ」

「そのようなことは絶対にありません」

「それはあの男が助かりたいために言った妄言」

 彼の言葉に男たちは口々に反論する。

 当然である。

 そもそもこの話を持って来たスチュアートが自分も被害者であるという主張自体が事実ではないうえに、それをほんの一部でも認めてしまっては自分たちの身にどれほどの災いが降り注ぐのかわからないのだから。

「まあ、そうだろうな」

 口角泡を飛ばすという表現がぴったりな彼らの弁明のすべてを聞き終え、やってきたコーヒーを飲み終わった後に彼が口にしたその言葉に男たちは一様に安堵する。

 だが、彼の言葉はそこで終わりではなかった。

「まず結論を言おう。あの男とおまえたちの主張はほぼ同じだった。主語を変えればという条件つきなのだが」

 そう。

 つまり、両者はともに取り決めやその計画によっておこなったこと、それに得られた利益についてはほぼ正しく説明をしたのだが、肝心の誰が首謀者であり、自分たちがどれだけそれに賛同し、計画に関わったという部分についてはその説明は違っていた。

 いや、ある意味は彼の言葉どおり同じだったと言ったほうがいいかもしれない。

 なにしろ、お互いに相手こそが主体的に動いていたのであり、自分たちは相手の策に乗せられただけだと主張していたのだから。

「だが、これでハッキリした。おまえたちはお互いに相手を利用して最大限の利益を得ようとした。この私を殺して。そして、おまえたちが自分たちの利益のために私を殺そうとした以上、当然私にもおまえたちを殺す権利がある」

 死刑宣告。

 それが彼の言葉が意味するものを表現するのにもっとも相応しい言葉であろう。

 ……この場はエマーソン氏の配下に取り囲まれている。たとえ逃げても、あっという間に撃ち殺されるのが関の山だ。ここはどれほど可能性が低くても床に頭を擦りつけて命乞いをするしかない。

 男たち全員の心に同じ思いがよぎる。

 その時だった。


「では、そのおまえたちが助かる条件を言おう」


 助かるためなら、どのような条件でも飲む。

 たとえ、自分以外の誰かを人身御供として差し出すことになったとしても。

 お互いの意見を調整する時間はなかったものの、それがこの場にいる全員の意志だった。

 ……だが、いったいどのような条件を持ち出してくるのだろうか?

 ……とりあえずその条件とやらを聞かねばなるまい。

「お伺いいたします」

 その組織を取りまとめる立場にある彼の正面に座る男の言葉に彼は頷く。

「条件といっても、さして難しいものではない」

「と言いますと?」

「大まかに言って、要求は三つ。最初のひとつは、もちろん私に不当に払わせた金の返却。その額はおまえたちが決めて構わないが、私が納得しなければそれなりの措置がおまえたちとその家族に向けられると思え」

 つまり、全額返金の要求。

 もちろんそれは途方もない額であり、その穴埋めは自分たちでおこなわなければならない。

 だが……。

 ……助かるためだ。仕方がない。

 彼ら全員が無言のうちにそれを承諾する。

「次。私が必要としている商品はオークションにかけることなく買い取りの優先権を与えること」

 それはこれまでも内々におこなわれていたことでもあり、とても飲めない条件というわけではない。

 むしろ、このような場で提示されるものとは思えないくらいにハードルの低いものと言えるだろう。

 むろん拒む理由など何もない。

「……承知しました」

 代表の男の言葉に彼は頷く。

「今後は出品されるもののリストを事前に知らせることをつけ加えておこう」

「それももちろん承知します。それで、最後の一点は何でしょうか?」

 全員がゴクリと唾を飲み込む。

 ……おそらく、次が本命だ。

 ……今度こそ難題を要求される。

 ……だが、ここにいたってはどのようなものでも受け入れざるを得ない。

 男たちは身構えるなか、彼の口が開く。

「もうひとつは、オークション参加者に加えてもらえてもらいたい者がいる」

「……はあ」

 男の中のひとりが間の抜けた言葉を吐きだしてしまうが、それは彼ひとりのものではなくここにいる全員の言葉だと言っていいだろう。

 ……こんなもの……。

 ただし、それはあくまで彼らの言い分であり、どうやったら入会基準が厳しいこのオークションの参加資格をもう一枠手に入れられるかと苦慮していた彼にとってはこの騒動は勿怪の幸いだったのである。

 ……恩を売り、奴らから知識が詰め込まれたあらたな本をせしめる足掛かりにするためとはいえ、相当な裏金が必要だと思っていたが、ただでそれが手に入るとは……。

 見えないところでニヤリと笑う彼の胸の内など知る由もない代表の男が口を開く。

「……たとえどのような方であっても我々は拒む意志など毛頭ありませんが、その方はエマーソン様のお知り合いの方なのですか」

「そうだ。もっとも知り合いといっても貸しをつくっておきたい程度の知り合いなのだが」

「なるほど」

 エマーソンほどの男が貸しをつくりたい相手とはどのような者なのかはもちろん気にはなるが、今はそれどころではない。

 先ほどの男が再び口を開く。

「その件についても承知いたしました。それで、どなたでしょうか?その方は」

「個人というよりも日本人のグループだ。代表は秋島という」

 ……日本人?この前のオークションでエマーソン氏の護衛をし、スチュアートが雇ったチンピラども瞬殺したグループのリーダーであるあの日本人ということか?

 ……エマーソン氏が日本人とつながりがあるとは驚きだが、まあ、とにかくこの程度で命が助かるなら儲けものだ。

「……条件はこれで終わりなのでしょうか」

「先ほど条件は三つと言ったはずだが。それとも、もっと厳しい条件をつけてもらいたいのかな」

「いいえ。そのようなことは……それで……その……我々の沙汰はいかがなるのでしょうか?」

「心配するな。今回の件は忘れてやる。今後は今回のようなつまらぬことを考えず私のためにしっかり働け」

 つまり、殺さないだけではなく、これまでどおりこのビジネスを続けてもよい。

 彼はそう言ったのだ。


「もちろんでございます。寛大なご沙汰、ありがとうございました。エマーソン様」


 こうして、驚くほど、本当に驚くほど何もなくそれは終了した。

 男たちの数人が心の中で安心したところで何かが起こるのではないかと疑い持つほどに。

 もちろん彼にはスチュアートの共犯であるオークショニアたちを許すだけの理由があった。

 彼のコレクションの重要な入手先のひとつであるこのオークションを運営しているこの七人を葬り閉鎖に追い込むよりも支配下に置いたほうが得策。

 それがその理由である。

 ……もっとも私に弓を引いたおまえたち七人がこのまま永久に許されるわけはなく、いずれはこの世から消えてもらう。

 ……だが、それはすぐではない。

 ……そう。私の息がかかった者たちが経験を積み一人前に成長しオークションの仕切れるようになるまで。それまでの短い期間せいぜい働いてくれ。

 彼は心の中でそう呟いた。

「ところで、エマーソン様。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

 それは末席に座る者からの言葉だった。

「何だ?」

「あの忌々しいスチュアートには現在どうなっているのでしょうか?」

「気になるのか?」

「……はい。我々に罪を擦りつけた男を野放しというわけにはいきませんから」

 つまり、組織としてスチュアートを葬る。

 男の言葉は言外にそう言っていた。

 ……当然だな。

 彼は心の中でそう呟く。

 ……だが、残念ながら、その希望は叶えられない。

「なるほど。だが、今何をしているのか私は知らん。そういうことは本人に聞いてみるのが一番だと思うが?」

「本人に聞く?」

「そうだ」

 そう言った彼は人差し指で上に向けた。

「……スチュアートはこのホテルに泊まっていると?」

 訝し気に訊ねる男に彼は少々皮肉を込めて答える。

「いや。あの男はもう少し上にいる」

「もう少し上?それは……どこでしょうか?」

「もちろん天国だ。いや、奴は地獄に行ったのだろうから、上ではなく下だったか」

 自らが口にした冗談の出来の悪さを彼は笑った。

 だが、居並ぶ男たちのなかに彼に同調するものはいない。

 当然だ

 彼が何を言っているかを理解できれば。

「つまり、彼はもうこの世の住人ではないということですか?」

 男のひとりがやっとの思いで口にした言葉に彼は黒さを増した笑みで応える。

「そういうことだ。もっとも、おかしな魔術を会得していたと自称する男だ。肉体が滅びても魂はどこかで生き残っているかもしれない」


 そして、彼が語る自称神秘主義者の伝道師の最期とは……。


「……約束どおりすべて話したぞ。エマーソン」

「……そうだな」

 目の前に死がぶら下がっているにもかかわらずどこまでも傲慢でいられるのは、この男の最後のプライドと、今のところ自らの策が順調に進み、十分に生き残れるという自信があったからだ。

 ……多少なりとも下手に出れば可愛げがあるというものを。

 だが、男の心情のすべてを読み取り、もちろんこれから起こるその結末も知っている彼は心の中で冷笑する。

 ……幕引きだ。

「さて、スチュアート。では、最後に大事な取引をしよう」

「何だ」

「決まっているだろう。おまえが抱えている資料の提供だ。私の知らないところでどれほどのものを集めたのかは知らないが、自らをこれだけ否定したおまえだ。もうすべてが無用の長物だろう。安心しろ。タダで差し出せなどという理不尽なことは言わない。家族が安心して暮らせるだけの金は支払ってやる」

「……なるほど。それはありがたい。ありがたいよ。エマーソン」

 そう言った男の顔にこの状況にはまったくふさわしくない会心の笑みが浮かぶ。

 その様子に少しだけ困惑した彼が声をかける。

「どうした?」

 彼の疑念にふてぶてしさを増した男が黒い笑みを浮かべて答える。

「だが、残念だったな。私の手元にはおまえが手に入れるべきものはない」

「この場に及んでまだ嘘をつくとは、おまえもつくづく根性の曲がった男だな。私が何も知らないと思うなよ」

「嘘ではない」

「では、何だというのだ」

「たしかにおまえが喜びそうなものを購入した事実はある。だが、それはもうない」

 その言葉を聞いた彼は唸る。

 ……おそらくこいつの言葉は本当であろう。

 ……となれば、理由は大きくわけて三つ。

 ……この馬鹿のありもしない常識とモラルに期待しなければならないとは私もいよいよ焼きが回ったな。

 彼は心の中でそう自嘲し、心によぎる最悪の理由ではなく、きわめて妥当なものを選び出し男に問うた。

「それは売ったということか?」

「まさか。そうなれば、いずれおまえの手に渡るではないか」

 ……やはりそうか。

 その言葉に彼は大きな舌打ちをした。

「……では、どうした?」

 落胆と怒りでトーンと温度が下がった彼の問いに男は勝ち誇ったように答える。

「もちろん滅してやった」

 自らの主張にとって都合の悪い品を高額で買い取り、そして、人知れず破壊し闇に葬った。

 その男はそう言ったのだ。

 だが、男は気づいていない。

 それが自らの死刑執行書にサインをしたようなものだったことを。

 実は、この時点よりもはるか前からこの男の結末は彼の中で決定していた。

 唯一、自らが持つその膨大な資料を差し出す代わりに確実な助命を約束しろと条件が出された場合だけは、さすがに何かしらの譲歩をしないわけにはいかないというのが、彼の心積もりであった。

 だが、この男は僅かに残っていた生き残る機会を自ら手放した。

 男はさらに言葉を加える。

「さあ、もうこれで私がおまえにとって用なしだ。さっさと開放しろ。エマーソン」

 そして、その言葉に応えるようにそれはやってくる。

「……スチュアート」

「何だ」

「たしかにおまえは用済みだ」

「そうだろう。だから……」

「死ね」

「何だと……」


「貴重な資料を破壊し私の研究の邪魔をする者を私が助ける理由はこの世どころかあの世にだって存在しない。だが、安心しろ。私はおまえと違い温情はある。おまえがこの世に存在すると主張した怪しげな儀礼に則って葬ってやる。同胞たちを金儲けの手段にしか考えていなかった裏切り者のおまえにはまったくふさわしくないことではあるが、信じていたと称したものに殉じられ名誉は守られるのだ。少しは感謝してもらいたいものだ。では、行こうか。おまえを弔う儀式をおこなうのにふさわしい場所へ……」

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