After story Ⅱ 奸計の代償
「須磨」の後日談的話となります
あの日の翌々日。
闇商人藤島淳一は精神衛生上非常によくない汗を流していた。
もちろん、その原因はすべてその喫茶店に彼を呼び出し、現在彼の目の前に笑顔を浮かべて座っている男にある。
「では、伺いましょうか?あなたの言葉を」
本来その言葉は呼びつけられた者が言うべきものなのだろうが、実際にそれを口にしたのは呼びつけた側だった。
「せ、先日はありがとうございました。千秋氏も絵が売れたことを非常に喜んでおりました」
吹き出る嫌な汗を拭きながらやっとの思いで口にした彼の言葉に目の前の男は首を傾げる。
「それだけですか?」
「……と、言いますと?」
「言葉の通りですよ。あなたは私に言わなければいけないことがあるでしょう。たとえば、今回の件を依頼したときに隠していたこととか、偽っていたこととか」
その瞬間、彼の顔色が変わる。
……もしかして、すでに全部調べ終わっているのか。
……それとも、最初から知っていたのか。
目の前が真っ暗になり青ざめる彼を楽しそうに眺めた男が囁く。
「まあ、安心してください。だからと言って、この場ですぐにあなたを厳しく罰したりはしませんよ。とにかく、しばらく話をしましょう」
「……」
「しかし、千秋氏の奥方があなたの妹だったとは驚きです。ですが、そういうことであれば、収入がない千秋氏の一家がどうやってあれだけの生活を維持しているのかも理解できますし、あなたや私が住む世界では即排除対象となる暴挙をおこなった千秋氏を、あなたが抹殺しないという不可思議な決断にも納得できます」
「……」
「まあ、それを踏まえてあのときの会話を振り返れば、あなたが彼に言ったのは、『あなたとは古いつきあいだが、さすがに税金や借金の肩代わりするほどの仲ではない』ではなく、おそらく『親族としてできるかぎりのことはするが、さすがに税金や借金の肩代わりするほどの余裕は私にはない』であり、脅されたというのもほぼ嘘でしょう。なにしろ彼はいまだあなたの本業を知らないのだから」
「本当に申しわけございませんでした」
……終わった。完全に。
もちろん蒐書官を騙した者にどのような運命が待っているかはこの世界に長く身を置く彼は知っている。
先ほどはあのように言っていたが、謝罪の言葉だけで許されるはずはない。
……まちがいなく殺される。
……下手をすれば家族も……それだけは避けたい。
だが、切羽詰まっていたとはいえ蒐書官相手につまらぬ奸計を巡らした自らの愚かさを悔い、その代償である死を覚悟した彼に予想外のことが起きる。
男がコーヒーカップを置くと渋い表情のままで口を開く。
「だが、まもなく自分は死に、その後家屋敷が失われる可能性があると彼に相談されたのは確かであり、それを阻止するまでの金がないあなたはその対策として別の後援者が必要であったのも事実でしょう。つまり、肝心な部分ではあなたは本当のことを言っていた。それに、そもそもそれを拒否できるにもかかわらず、あなたのいかにも胡散臭い人助け話を受けたのは私だ。だから、あなたにすべての責任を擦り付けるつもりはない」
「……もしかして、許してくださるのですか?」
「もちろん。ただし、今後も私のための仕事に励むという条件つきですが」
「そういうことであれば」
この機を逃すまいと彼は誠心誠意を体全体で表現する。
「も、もちろんです。これまで以上に全身全霊を込めて芦名さんのために尽くさせていただきます」
「他の客の目があります。こんなところでの土下座はいらないですよ。藤島さん。それよりも、あなたにはまずやってもらいたいことがあります」
「なんなりと」
「では、これを。あなたが属している組織専属の掃除屋を動かし、この男を消してもらいたい。この世から」
そう耳元で囁き、男は床にひれ伏している彼に写真付きのファイルを渡す。
「つまり、この男を殺せと……」
「そういうことです」
何でもやると言ったものの、さすがにこの言葉には彼も戸惑う。
たしかにせっかくの助かる機会を自ら手放し、このまま殺されたくはない。
だが、だからと言って自分が助かるために無関係な人間を人身御供にするわけにはいかない。
……そもそもなぜこの男が選ばれたのだ。
……いや、彼らの場合快楽的な殺しはしない。要するにこの男は蒐書官の敵ということなのだろう。
……だが、それならなぜいつものように自らの手でおこなわず、私にそれを任せるのか?
……私に無関係な人間を手にかけさせて首輪を嵌め、後戻りできないようにするつもりということなのだろうか。
「……どうやら、戸惑っているようですね。ちなみに、この男は広い意味ではあなたの関係者となります」
「と、おっしゃられても、私にはこの男に関する記憶はまったくまったくないのですが」
「そうですか。では、もう少し詳しく説明しましょう。彼は妹さんの亭主、つまり千秋万春氏の病気の根源です」
……病気の根源?
「……どういうことですか?」
「実はお会いしたときにあまりにも元気だったので不思議に思い、千秋氏に訊ねたのですよ」
「えっ?」
「実は過去にいくつか似たようなケースに遭遇したことがあるもので。最近義理の兄であるあなた以外の誰かに悩みを打ち明けたかと彼に確認しました。そのときに彼の口から名前が挙がったのがこの男、猿沢善治だった」
「何者ですか?」
「よく当たると評判の占い師兼除霊師だそうです。その彼に千秋氏はなぜ自分の絵が売れないのかを訊ねたそうなのですが、そのときにこの占い師はあなたにはまもなく死がやってくると言ったそうです」
「ということは、奴は不治の病などではないと。そんな戯言を信じているとは愚かすぎる……」
「だが、猿沢という男の死にまつわる占いはよく当たると評判で、それは噂だけではなく私が調べた結果でもその確率は占いではなく予言と言ったほうがいいくらいに高いものだった。だから、千秋氏がもうすぐ死ぬというその言葉を鵜呑みにしても致し方がないところはあるでしょう。そして、もう少し踏み込んで言えば、このまま何もせずこの男を放置すれば千秋氏の死は現実のものとなるでしょう」
「……つまり、占い通りに死ぬと?芦名さんのお言葉ではありますが、私にはそのすべてがにわかには信じがたいものです」
「たしかに」
彼の言葉に男は黒味を帯びた笑みを浮かべる。
「おっしゃるとおり。実はこれにはカラクリがある。つまり、この占い師はこれから起こることを言い当てているのではなく、これから起こそうとしていることを言っているのですよ」
「……マッチポンプということですか?」
「それは表現としてあまり適当ではない。どちらかとして自作自演の喜劇というほうがよりよいでしょう。ついでに言えば、この男の背後にはあなたがたとは別の裏世界が広がっており、この占い師はその表側の代表となっています。さらに、この男は今回の占いでコネができた千秋氏を食い物にしようとしています。つまり、死のドサクサに紛れてあの土地を狙っているのは税務署などではなくこの占い師とその後ろにいるグループということです」
「……まったく気づきませんでした」
「とにかく占いでは今月中にお迎えが来るそうですから、すぐに手を打ったほうがいいでしょう。もちろん掃除屋に対する報酬は安くない。だが、たとえそれがいくらであっても絵が売れて二億円を手に入れた千秋氏の健康が保たれ、あなたの妹である彼の奥方もふたりのお子さんも安心して暮らせるのだから安いものだと考えるべきでしょう」
「まったくそのとおりです。とにかくありがとうございました。芦名さん」
「それから、あなたにわざわざ言う必要はないと思いますが、この件はのちのち揉め事の種になるので千秋氏には言わないほうがいいでしょう」
「……承知しました」
……偶然の結果とはいえ、あなたのおかげで大変すばらしいものが手に入ったのですから、これくらいのことはさせてもらいますよ。
彼は心の中でそう呟いた。




