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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story Ⅱ もうひとつの乙女の戦い

「ロイヤルワディ写本」の後日談的話になります

 東京都千代田区神田神保町。

 その日、ふたりの上級書籍鑑定官による微笑ましい乙女の戦いがおこなわれたこともあるその建物周辺はあの時と似て非なる出来事が起ころうとしていた。

 もちろんあのときのふたりは今回も当事者であるのだが、そこに加わるもうひとりの女性の存在があの時とは違うこの妙に緊張感がある空気をつくりだしていると言ってもいいだろう。

 そして、それは始まる。

「お久しぶりです」

「こちらこそお久しぶりです。みなさん。お元気でしたか」

 前日に通告があったその時刻の五分前に姿を現し、あくまで自分たちは中立であり相手にはまったく加担していないことを宣言するかのように「排他的」という看板を下ろした実に愛想のよい笑顔と驚くほど礼儀正しい蒐書官たちの出迎えにその明るい言葉とは裏腹のあくまでも冷たい笑顔で応じる女性。

 如月麗。

 エジプトがその活動の中心地である「すべてを癒す場所」第二工房のトップである彼女がその人物となる。

 さて、エジプトにいるはずの彼女がこうしてこの場所がある日本に現れたのは、いくつかの私用もこなす予定はあるものの、主要な目的は最近当地の蒐書官がおこなった大規模な作業で手に入れた遺物の修復について工房一ともいわれる修復技術を持つ彼女が日本国内にいる関係者を集めてレクチャーするためであった。

 だが、彼女が属する「すべてを癒す場所」を含めた三工房は形式上すべてこの建物の主天野川夜見子の配下にあるため、帰国の目的がどうであれ組織の幹部であれば帰国したからには主である夜見子に挨拶をするのは当然のことであろう。

 もちろん常識人でもある彼女はその辺を十分にわきまえており、短い滞在期間中に時間をつくってこうしてやってきたわけなのだが、実はそれこそが問題の根本だった。

 彼女如月麗は、主たる天野川夜見子に対して特別な敬意を示さないことで有名な人物だったのだ。

 当然ながら夜見子を崇拝している上級書籍鑑定官のふたりはそのような彼女の振舞いを好ましく思っていなかったのだが、話はそこでは終わらない。

 これも関係者のなかでは有名な話なのだが、彼女は直接の上司となる鮎原に病的なくらいに心酔しており、その鮎原に日々無礼を働くふたりの上級書籍鑑定官を相手と同じくらい快く思っていなかった。

 そのような彼女たちが顔を合わせ、少しでもそのきっかけがあればすぐに口論が始まるのだが、すでに何度もおこなわれたその戦い、実は一見すると一対二で圧倒的な不利にみえる彼女が常に勝者となっていた。

 そのため、麗と同じく自分たちの尊敬の対象である鮎原に理不尽な暴言を吐く上級書籍鑑定官を好ましく思っていない蒐書官のなかには彼女の戦いぶりにこっそりと拍手喝采するだけではなく、彼女そのものを好ましい存在と思っている者も多く、それが出迎え時にあった彼らの異常なまでの愛想のよさの原因となっていたのだ。

 もっとも、彼女自身が蒐書官をどう思っているのかは、エジプトでの彼女の言動を見ればあきらかであり、先日もひどい目に遭わされた当地の蒐書官を束ねるあの男が彼らの心の中を覗き見ることができたのなら、苦笑いしながらこう言ったことだろう。

「君たち。彼女の外見に騙されてはいけない」


 さて、その日の前日、ふたりの上級書籍鑑定官は、彼女たちの主が住む建物近くのカフェで毎度おなじみの店主自慢のフルーツパフェを食べながらあることについて話し合いをおこなっていた。

「どうやら明日あの無礼者が挨拶に来るらしい」

「無礼者?もしかして、陰険女の如月麗?」

「そのとおり。工房関係者を集めての講演をやるために日本に戻っているらしく、夜見子様にひとこと挨拶したいのだそうだ」

「来なくていいのに」

「まったくね。と言いたいところだけど、礼儀知らずのくせにそういうところは義理堅い」

「仕方がないわね。わかった。どうせ挨拶してすぐに帰るのだろうから、その時間は外に出ていようかな」

「真紀。それはいかん」

「なぜ?偶然その場にいなければあの嫌な顔を見なくて済むのよ」

 ……いったいそれのどこが偶然なのじゃ。

 いつもの癖で思わずやってしまった盛大なツッコミを飲み込んでから、もうひとりの上級書籍鑑定官はそれよりもはるかに重要な別の言葉を口にする。

「たしかにそう。でも、それでは堂々とやってくるあの女からこそこそ逃げるということになるわよ」

 彼女の言葉にスプーンを手に持ったままの相方は頷く。

「言われてみれば確かにそうだ。私たちは悪いことをしているわけでないのに。というか、悪いのは向こうだ。でも、顔を合わせれば口論になる。そうなると……」

「口が達者なあの女には勝てない」

「悔しいけどそういうこと。それにしても本当によく口が動くわよね。工房の他の人間は皆無口な『ザ・職人』なのに、なぜあの女だけが違うのかしら?」

「知らん。まあ、それはそれとして、実は過去の苦い経験を糧として今回はあの無礼者をギャフンと言わせる策を考えついた」

「聞きましょう」

「それは……」


 そして、その翌日。

 つまり今日。

 その部屋に通された彼女はすこしだけ驚く。

 そこにはいつもならいない人物がいたのだ。

 鮎原進。

 つまり、これこそが北浦美奈子考案の対如月麗の秘策だった。

 いわく、心酔する鮎原の前なら麗もいつものような傍若無人なふるまいはできまい。

 そして、口封じが敢行された彼女なら勝てる。

 そこで、適当な理由をつけて鮎原を呼びつけたのだ。

 だが、彼女が自分に心酔していることも、彼女とふたりの上級書籍鑑定官の関係が良好ではないことも知っている鮎原はふたりの思惑をすぐに察知し、苦笑いをしていた。

 ……おふたりとも甘いです。

 ……たとえ彼が本気ではないとはいえ、あなたがたよりも遥かに格上の新池谷君を一方的にやり込める彼女をその程度のことで止められるはずがないでしょう。

 ……むしろ状況は悪くなるだけです。

 ……まあ、あなたがた自身が望むのなら、それでも構いませんが。

 もちろん状況は師の予想どおりになる。

 ……なるほど。そういうことですか。

 本来ならばその部屋にただひとりでいるべき天野川夜見子とともに椅子に座る鮎原に続いて、勝ち誇ったような表情を浮かべるふたりの上級書籍鑑定官を眺めた彼女はその理由をすべて理解した。

 ……この程度のことで私を抑え込めると思っているとはまったく浅はかですね。

 ……いいでしょう。

 ……受けて立ちますから、どこからでもかかってきなさい。

 ……愚かなおばさんたち。


 そして、それからわずか三十分後。

「……麗さん。その辺で許してやってはどうですか。ふたりも言いがかりだったと深く反省していることですし。鮎原からもお願いしてください」

「麗さん。物事にはすべて限度というものがあります。もちろん相手が敵なら容赦する必要などないのですが、ふたりも夜見子様の配下として同じ目標に進む者なのですから、ほどほどにしないと久しぶりに帰国したあなたのために彼女たちが体を張っておこなってくれたおもしろい余興が楽しめなくなります」

 今回の「乙女の戦い」も相手に最初の一撃を撃たせたあとは、いつもどおり彼女の独壇場だったのだ。

 理路整然と、しかも容赦のなく降り注ぐ彼女の言葉はふたりの上級書籍鑑定官を圧倒し、戦いが中盤に差し掛かるころには口論というよりも、年下の女性に厳しく叱りつけられるふたりの年長者という図式になっており、部外者に近い審判役の夜見子はあまりのおかしさに笑いを堪えるのが精いっぱいであった。

 ……おのれ、鮎原。何が体を張ったおもしろい余興だ。

 ……この女がいなくなったら、たっぷりお返ししてやる。

 うなだれながら、本末転倒、場違いな八つ当たり、その他諸々何でも当てはまる怨嗟の言葉を心の中で吐くふたりの敗者であった。

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