表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

84/104

 After story Ⅱ 毒を食らわば皿まで

「消えた王都で発見された古代エジプト非公式文書」の後日談的話になります

本編で語られなかった話と言ったほうが正しいのですが

 今も昔も混沌が渦巻く都市エジプトの首都カイロ。

 その混沌を含めたこの地のすべてを愛し、その始まりからこれまでのキャリアのほぼすべてがこの地での出来事であるというその男。

 名を新池谷勤といい、天野川夜見子のために働くエジプトとその周辺国担当の蒐書官を束ねる統括官の地位にある者である。

 その日、ランチを兼ねてある男と会っていた彼がオフィスに戻ってくると、その場にいた者は一瞬だけ彼に視線を向けたものの、すぐに自らの仕事に戻る。

「いかがでしたか?」

 一瞬でも彼の表情を見れば、その結果がどうだったなどあきらかだったのだが、訊ねないままにするのは申しわけないと思ったのか部下のひとり高坂が少しだけ気を利かせて声をかけた。

「もちろん申し分ない結果だ」

 予想通り、そして当然過ぎるともいえる答えがピンポイントで彼の口から返ってくる。

 ……まあ、そうだろうな。

 そう思った高坂はついでとばかりに再び口を開く。

「それにしても、かの御仁もついていませんでしたね」

 多分に皮肉の香りを漂わせているものの、その部屋においては非常に珍しい敵対する相手を憐れむような言葉に興味を引かれた彼が真顔で訊ねる。

「どういうことかな?高坂君」

「私はジェームスとかいう名のその主席交渉官とやらとは相対したことはありませんが、話を聞くかぎり、かなりのやり手に思えます。おそらく相手が新池谷さんでなければこうも一方的にやられて、仲間のような者たちにまで恨まれるような仕事も押しつけられなくても済んだのだろうと思いまして」

「なるほど」

 彼は高坂の言葉を聞き流しながら心の中で先ほどまで会っていた男のことを考える。

 ……高坂君の言うとおり、ジェームスは油断ならぬ男だ。

 ……だが、優秀であることは事実であり、当然手駒にしておけば使える男ではある。

 ……もちろん取り扱いには慎重のうえにも慎重を期さなければならないし、飼うためにはそれなりのエサが必要となるのだが。


「ちなみに今回彼にどのような好条件を提示したのですか?」

 再びやってきた高坂からの問いに対し、彼は気難しい顔をつくり直してからから言葉を返す。

「君の問いに答える前にまず聞こう。なぜ条件に『好』という文字をつけたのかね」

「新池谷さんから押しつけられた今回彼がおこなうべき仕事は軽いものではない。というよりも、重いと言ったほうがよいくらいです。それをこの短時間で了承したのです。彼にとって条件がよほどよかった以外には考えられないではありませんか」

「脅されたり、弱みを握られたりしている可能性もあるだろう」

「それは本来考慮すべきものではありますが、それによっておこなうことは個人レベルでのものに限定されます。万が一、個人的な弱みによってトップに立つ者が自らの組織に不利益な行動をおこなうようであれば、彼はそれまでの人であり、当然ニューヨークから厳しい処分がおこなわれる」

「使い捨ての駒にはお似合いの結末だろう」

「たしかに。ですが、使い捨ての駒ではない彼はそれには該当しない」

 高坂はそこまで言ったところで言葉を区切り、彼からの言葉を待つ。

「どういうことかな?」

 返ってきた彼の言葉に高坂が答える。

「人物蒐集が趣味の新池谷さんが彼ほど有能な男を簡単に使い捨てにするわけがないということです」

 ……これは一本取られたかな。

 ……それにしても、うちの連中はなぜこうも主張の根拠を裏口に求めるのだろうか。

 ……これを教え込んだ人の顔が見たいものだ。

 自らの師であり憧れの人でもあるその人物の顔を思い浮かべながら彼は心の中でそう呟き、こっそりと苦笑した。

「まあ、そういうことだ。さすが高坂君と言ったところだな」

「ありがとうございます。それで、彼にはどのような条件を提示したのですか?」

「掘り出した遺物のうち、我々が手に入れるべきものを除いたものから二十点を優先的に譲る。もちろん無料で。それから、十万ドルのキャッシュ」

「なるほど。ちなみに以前からの彼らとの取り決めでは、我々が手に入れるべきものとは文字が記されている遺物ということになりますが、今回もそれを適用するのでしょうか?」

「当然そうなる」

「つまり、装飾品の類は彼らが優先的に手に入れられるということですか?」

「小細工を施さなければそうなるな」

「それは随分と気前のいいことですね」

 高坂のそれはあきらかに批判の要素が含まれているものだった。

 だが、黒い笑みを浮かべた彼は何事もなかったかのようにそれを聞き流す。

 ……洞察力は高い。

 ……だが、まだまだ目の前に示されたことを重視しすぎる。

 ……つまり、我々統括官レベルには達していない。

 心の中でそうきながら。

 ……では、教えてやろう。君がいまだ埋められぬ私との差を。

 彼はニヤリと笑うと口を開く。

「君は私が出した条件によって彼が一方的にいい思いをするかのように言いたいようだが、果たしてそのとおりかな?」

「つまり違うのですか?」

「高坂君。よく考えてみたまえ。『イチ・タウィ』は放棄された都だ。いくら紀元後は手つかずとはいえ、当然当時の盗賊が入念に調べている。そもそも当時の人間が貴金属を我々のために放棄していくなど考えられないことだろう。逃げ出すといってもポンペイなどと違い彼らには十分な時間はあったのだから」

「……たしかに」

 高坂はその言葉のすべてを納得し大きく頷く。

「つまり、大部分は持ち出されていたと?」

「アマルナの例を考えればわかるだろう。しかも、こちらには『文字が入ったものは我々が手に入れる』という条文がある。つまり……」

 発見されたものの大部分は彼らに優先権はないということだ。

「言葉で豪華に飾っていても彼が開ける宝箱は空ということではありませんか。……これはよく言って出来の悪いペテンです」

 よくそのような低レベルの罠が成功したものだとあきれ顔をした高坂の言葉に対し、彼の笑みは先ほどよりもさらに黒さが増す。

「そんなことはないだろう。先ほどのアマルナの例を挙げればベルリンの『ネフェルティティの彩色胸像』には文字はない。もしかしたら、そのようなとんでもないお宝があるかもしれない」

「ですが、そのようなものが今度の作業で発見されるという保証などまったくありません。……つまり、彼はあるかどうかもわからないものを対価に厳しい仕事を受けたということですか?」

「見た目上はそうかもしれない。だが、彼はわかっている。一番の収穫は、『イチ・タウィ』の特定そのものだということを。大金がかかり当たりはずれも大きい地味な調査を我々が代行し、お宝が埋まっていそうな場所まで突き止めてくれるのだ。たとえば彼ら裏組織存在そのものを批判する表側の奴らにそれを流して黙らせることができる。それだけでも十分にペイすると彼は考えたのだろう。そこに何かが出てきた場合は、闇オークションよりも先に好きな品物をただで手にできるオプションまで付く」

「悪い条件ではないと……」

「賢い彼はそう考えた。ただし、君が指摘したとおり、手に入れるものよりもまず彼のもとにやってくる失うものもそれに負けないくらい大きい」

「つまり、十万ドルというのはその償いということですか?」

「……まさか」

「では、何のために?」

「交渉前に言っただろう。我々の作業中に所払いをするのは彼の直属の者たちだけではないと」

「たしかに周辺にはもうひとつアメリカのチームが……そういえば大英博物館が抱えるチームも近くに入っていますが」

「そのとおり。そして、それらすべてに対する休業要請をするのも彼の仕事だ」

「つまり、これはその資金ということですか」

 ……だが、リシュトで調査しているアメリカチームだけでもあの変人を説得しなければならないというのに、ライバルの大英博物館傘下のチームもそこに含まれるとなれば交渉は簡単なものではない。

 ……金で解決しようとすれば十万ドルなどあっという間に吹っ飛ぶ。

 ……もしかして……。

「彼に渡された十万ドルは説得工作の軍資金に見せかけているものの、新池谷さんは別の目的のために提供したのではないのではありませんか?」

 高坂の絞り出すように訊ねる言葉に彼は笑みを浮かべるだけで答えることはなかった。

 ……つまり、ビンゴか。

 ……ということは、それは彼ら自身の金を使わせるための呼び水。

「彼は新池谷さんからのオーダーを完璧にこなし、提示された報酬を百パーセント手には入らなければ明るい明日を迎えられないのでは?」


「正解」


「彼の背後には君以上に物欲旺盛な輩がいる。そのような輩に尻尾を掴まれている以上、彼は早晩貴重な知識や将来生きてくる情報ではなく手っ取り早く利益を実感できる目に見えるものを差し出すように要求されるのは疑いようもない。当然ながら、万が一、我々の作業が空振りに終わり、目ぼしいものが手に入らなければ、彼には汚名だけが残る悲惨な運命が待っているだろうな」

「つまり、清濁綯交ぜにされた情報を天秤にかけて精査し多少なりとも利が重いと見て彼は新池谷さんの誘いに乗った。だが、実際にはそうではなかったということですか?」

「それは少し違うな」

「どういうことですか?」

「おそらく彼は今君が言ったところまで読み切っている。読み切っていても乗らざるを得ない。私はそのような状況をつくったのだよ。まあ、賢い彼がじっくりと考えればもう少しましな対処方法は思いつくかもしれないが、当然そのような時間など与えない。そして、一度我々の提案に乗ってしまったからには彼は我々の成功のために最大限の協力をしたうえで、我々の成功を祈るしかないのだ」

「まさに『毒を食らわば皿まで』ですね」

「素晴らしい表現だ。そういうことで我々に己の未来を委ねた彼の未来のためにも我々は『イチ・タウィ』を発見し、彼の首が繋がるようなものを見つけなければならないのだよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ