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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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82/104

消えた王都で発見された古代エジプト非公式文書

 エジプトの首都カイロ。

 その中心部から六十キロほど南に行ったリシュトには中王国時代のふたりの王のピラミッドが残されている。

 このピラミッドは多くの観光客が訪れエジプト観光のトップポジションにあると言ってもいいギザのピラミッド群とは違い、その核にあたる部分に巨大な石材が使われていなかったために現在は砂山のような哀れな姿になっているのだが、それでも、その遺構は興味がある者にとっては十分に魅力的なものだ。

 だが、二十一世紀に起こった国内情勢の不安定期に始まった盗掘と墓地の拡張によってピラミッド周辺に存在した遺構の多くが失われてしまう。

 もちろんそれは国内外のエジプト学者が失望する由々しき事態なのだが、すべてのことに表と裏があるようにそう思っていない者もこのようには数多く存在する。

 その代表となるのが盗掘品の買い取り業者と裏の世界に足を踏み入れているコレクターたちとなるのだが、そこには当然のようにあの者たちも含まれる。


 それがよく見渡せる建物の屋上。

 以前訪れたときとはまったく違う光景をぼんやりと眺めていた男の背後にもうひとりの男が現れる。

「お待たせしてすいません」

 約束の時間に三十分ほど遅れたことを謝罪する年少の男の声を背中で聞いたまま、その男は口を開いた。

「いや、エジプト的にはオンタイムだから気にする必要はない。それよりも、せっかくだ。目の前に広がるこの状況について君の見解を聞いておこうか」

 予想もしなかった問いに、それが特別な意味を持ったものなのかを少しだけ吟味した後、年少の男は自らではなく目の前の男がもっとも好ましいと思う言葉を選び出すと当然のようにそれを口にする。

「もちろん素晴らしいという言葉以外にはありません」

 心にもない言葉を爽やかに答えたのはカイロからこの地にやってきた清水という名の蒐書官だった。

「驚いたな。君なら遺跡が無秩序に荒らされているこの光景を見ててっきり心が痛いなどと言って涙ぐむのかと思っていたよ」

 ……そうきますか。やはり。

 背中越しに投げかけられたその男西野の言葉にうんざりするように彼は心の中で言葉を吐きだす。

 相手が口にしたそれは蒐書官の活動とは対極にあるともいえる元エジプト学者という肩書を持つ彼について回るものであり、どこに行っても問われる「使い古された」という表現が実に似合う言葉でもあった。

 当然それについての対応など手慣れたものであり、最近は誰に対しても容赦のない倍返しを心がけていた彼だったが、さすがに今回の相手にはルクソールでの一件をはじめとしてこれまで多くの借りがあるうえに、そもそも自分が約束の時間に遅れたことが発端であるという負い目もあり、手加減が必要だった。

「まあ、私が選んだ仕事がこれなのですから、そのような過去に関わる些事など気になどしておりません」

 彼は素早く、そしてそつなく答える。

「なるほど。ようやく悪人が板についてきたというわけだ」

 そう言って先輩は遅刻に対するお仕置きの鉾を納めることにする。

 ……感情を隠すことがうまくなったようだ。

 ……だが、まだまだ言葉の端々から心の声が漏れているが。

 心のなかではそう呟き、薄く笑いながら。

 破壊される遺跡に対する自分の思いなど蒐書官の職務の前には些細なことだ。

 彼はたしかにそうは言った。

 だが、彼がこのような状況を素晴らしいと本気で思っているわけではないのはあきらかであり、理由はまったく違うものの、自らも同じ思いである西野はようやく彼の方を振り返るとさらに言葉を加える。

「ところで、君は新池谷さんからどの程度まで聞いているのかな?」

「と言いますと?」

「元エジプト学者である君とフィールドワークが専門である私がアマルナの作業チームだけではなく居合わせた『すべてを癒す場所』のメンバーごとここに送り込まれたのだ。盗掘者たちからの商品買い取りなどが今回の仕事ではあるまい。本命は何かと聞いているのだ。聞かされているのだろう。新池谷さんに」

 ……なるほど。そういうことですか。

 彼はひと呼吸おいてから口を開く。

「もちろんです。一応西野さんに対する指示書も預かってきていますが、まずお話しておけば今回の本命のありかはピラミッド周辺ではありません」

「ほう。では、どこにあるかな。本命は」

「ここです」

 そう言って彼は人差し指を下に向けた。

「それはこの町の地下ということかな」

「そうなります。正確にはこの町を含む地下となりますが」

「つまり、遂に見つけたというわけか。ということは、君は随分前からそれに関わっていたということになるが間違いないのかな」

 先輩の蒐書官のその言葉を肯定するように彼は頷く。

「もちろん我々が手をつけるのは都市全体ではなくそのほんの一部ということになりますが、我々の目的は調査のための発掘ではありませんから、それでも十分なものだとはいえます」

「……なるほど。それにしても素晴らしい。いや、ここはさすがと言うべきだろうな。やはり」

 二重の意味を込めて先輩蒐書官はその言葉を口にした。


 さて、ふたりの謎かけのような話に登場したこの地の地下にあるものだが、それについて語るには、やはり少しだけ古代エジプトの話をしなければならないだろう。

 今から約四千年前。

 その頃エジプトを統治していたのは第十二王朝の開祖アメンエムハト一世だった。

 彼は元々現在のルクソール周辺を根城にしていた王の臣下だったのだが、簒奪と言ってもいい不可思議な形で自らが王位に就くと、彼が「イチ・タウィ」と名付けたそこから遥か北にあるこの地に王都を移していた。

 彼の後継者たちもこの地を中心にエジプト全土を支配していたのだが、王朝の始まりから約百年と少し経ったところで「盛者必衰の理」のとおり、この王朝は急速に崩壊へと向かう。

 その後、第二中間期と呼ばれる長い動乱期を経て古代エジプト史の有名人がズラリと並ぶ新王国時代を迎えるのだが、その過程で彼が王都に定めた「イチ・タウィ」はナイルが運ぶ土砂の下に消え、現在もその正確な位置はわからないままとなっている。

 もちろんそこを発見することはエジプト学者の夢のひとつであり、アメンエムハト一世と彼の後継者センウセルト一世のピラミッドの近くである地がその場所である可能性が高いと調査を続けられているものの、これまでのところそこが幻の都であることを確定されるだけの物的証拠は見つかっていないという調査する者にとって努力がまったく報われない残念な状況が続いていた。

 だが、そのことに考古学者とは別の視点から重要な意味を持たせている者たちがいた。

 いうまでもない。

 盗掘者とそれを裏で糸を引く者たちである。

 彼らの側に立てば、一世紀以上も繁栄した王都がいまだ発見されていないというその事実は、少なくても過去二千年は手つかずのままの宝が埋まっているということになる。

 それは、つまりその場所に一番乗りをした者には古代の盗賊たちが荒らした後の残り物ではあるが、現代人にとっては十分に宝とされる物を好きなだけ手にできる機会を与えられるというわけである。

 むろん蒐書官を率いる新池谷も一番にゴールしようと張り切ってその気前のよいレースに参加していた。

 そして、これも言うまでもないことなのだが、彼は他のチームと違い、その気になれば以前メンフィスで「王名表」を手に入れた際におこなったように裏から手をまわして関係各所を黙らせてから大規模な作業をおこなうというとんでもない切り札を懐に隠し持っていた。

 だが、そうであっても、いや、ここはそうであるからと言った方がよいのかもしれないのだが、とにかく、それだけの力を行使するからには空振りなどという失態は絶対に許されないため、確実にそこが目的の場所であるという確証がなければならないのだが、肝心のその証拠がいつまで経っても手に入らない。

 そう。

 実は彼も学者を含む多くのライバルたちと同様の状況に陥り、長い時間を無為に過ごすことを強要されていたのである。

 もちろん彼と彼の配下の蒐書官たちはそこに固執していたわけではなく、その間にも多くの成果を手に入れていたわけなのだが、「イチ・タウィ」の一件は彼のなかで喉に刺さった小骨にように取れそうで取れない微妙な存在になっていたのも事実である。

 そんなある日、その状況を大きな変える情報がもたらされる。


「現在地よりもさらに東を捜索しなさい。そうすれば、目指すものが現れます」


 新池谷にその言葉を届けたのは、彼の主である天野川夜見子であり、結果だけ見ればそれは的確な指示だったということになる。

 だが、当然ながらある疑問が浮かぶ。

 東京から離れないままでなぜ彼女がそこまで的確な指示ができたのか?

 そして、突然そのような指示を彼に送りつけたのか?

 その答えは、「過去から現在、そして未来をも見通すことができる眼を持つ」といわれるあの少女が関係する。


 それは彼女が自らにとって生きることと同義語である本を読むことよりも唯一上席に置いているイベントである少女とお茶を楽しんでいたときに始まる。

「そういえば、最近エジプトの話が先生の口から出てきませんが、かの地の統括官である新池谷は何か大きなプロジェクトをおこなっているのですか?」

 少女にとってそれは何気ない一言だった。

 だが、その言葉を受け取った者にとってはそうはいかない。

 いくら多くの蒐書官が活動しているエジプトといえども、そう簡単に素晴らしい書が手に入るわけがないのだが、そのようなことが言えるはずもなく口ごもる彼女にのしかかる少女のさらなる言葉がこれだった。

「違うのですか?」

 いよいよ追い詰められ焦る彼女が口にしたのが「イチ・タウィ」の一件だった。

 もちろんそれは心からのものではなく、よく言えば窮余の一策、悪く言えば偶然思い出したそれを口にした出まかせだったのだが、知的好奇心をそそられた少女はその内容にいたく気に入り笑みを浮かべる。

 ……おや?お嬢様が満足している。

 それが少女のツボに嵌ったことに気づいた彼女はここぞとばかりにありったけの情報をかき集め言葉として流し始める。

「……なるほど」

 精神衛生上よくない汗を流しながら彼女が必死に語ったすべてを聞き終えた少女は目を瞑り少しだけ時間を使う。

 それから、少女の口が再び開くと、水の流れのように次々と真実が溶け込んだ言葉を紡ぎ出され、年長者が必死に応えるといういつものやり取りが始まる。

「おそらくその地に留まっていてはどれだけ資金と時間を費やしても目的のものを手に入れることはできないでしょう」

 少女の言葉に女性が遠慮がちに疑問を投げかける。

「ということは、『イチ・タウィ』はそこにないということでしょうか?つまり、全員が場違いな場所を探していると?」

「いいえ。そういうわけではありません。新池谷が現在探している場所も広義には王都だったかもしれませんから、目指すべき中心部から遠く外れているというのが正しい表現でしょう。そして、ここが重要なところですが、彼も彼のライバルにあたるチームも同時期の都市であるカフーンを参考に中王国時代の消えた王都を探している。しかし、本当に参考にすべきはギザの王宮の場所。そして、古都メンフィス」

 少女は簡素な言葉でそう説明したものの、それらの事情についてそれほど詳しくはない彼女がその程度の説明だけですぐに理解するのはやや困難だった。

「……すいません。もう少し説明を加えていただけますか?」

 彼女の言葉に少女が頷く。

「もう少しわかりやすくいえば思考が現代人のままであるということです。つまり、現代人であれば洪水期であってもさほど影響を受けないカフーンのような場所に王宮をつくろうと考えますが、当時のエジプト人も同じ思想だったのかは大いに議論すべき案件です。他のサイトを眺めて判断するならば彼らにとって水没してはいけないのは墳墓だけであり、神殿も宮殿もそれは絶対条件ではなかったと思われます。実際にギザの王宮や古都メンフィスは高台ではなくナイルの川岸にありましたから。さらに言えば、砂漠に建つピラミッドの麓ではメンフィスに行くのにも交易をおこなうにもあまりにも地の利が良くない。当時の遠方への主要交通手段が何かを考えれば、彼らがどのような場所に王都をつくったのかは自明の理ではないでしょうか」

「……なるほど。それで、お嬢様は『イチ・タウィ』はどこにあると考えているのでしょうか?」

「一部の学者は耕作地と砂漠地帯の境が王都の場所だと主張しているようですが、私ならもっと東、ナイル西岸に広がる現在の耕作地帯の下に王都が残されていると考えて探索するでしょうね。もちろんナイルの流れは当時と現在ではかなり変わっていますからその点は配慮すべきですが」

「具体的には?」

「アメンエムハトとセンウセルトのピラミッドの間を東に進んだ地域。ボーリングをしてターゲットを探すのならナイル河の岸から西へと進むのが効率的でしょう」

「な、なるほど。では、そのように新池谷に指示します」

「大きな成果が出ることを楽しみにしています。それにしても誰が言いだしたのかは知りませんが、ナイル河東岸は生者の領域、西岸は死者の領域などとはお笑い草ですね」

 唐突過ぎる少女の言葉に彼女は戸惑い、多くの専門家も口にする常識となっているそれを遠慮気味に提示する。

「ですが、たしかに西は死者が向かう場所ではないのですか?」

「それは宗教上というか死生観の話です。よそ者が支配をしていたグレコローマン時代には本当にそう信じられていたかもしれませんが、純エジプト人が支配していた新王国時代まではナイル西岸が死者の都として建築活動をしていたのかは非常に怪しいといえるでしょう」

「お嬢様はそうはおっしゃいますが、ルクソールは実際にそのようになっています。これについては?」

「それは地形上そうなっただけのいわば偶然の産物です。ルクソールにおける東岸と西岸の話はよくある後世の誰かが見たままの状況に思い浮かぶ理由をつけた後付け理論です。そもそもそのような怪しげな話がまかり通るのならナイル西岸に聳え立つギザのピラミッドの麓にクフの王宮があることをどのように説明するのですか。そして、その理論を本気で唱えるのであればまず語るべきは古代から古代エジプトの終焉までナイル西岸で変わることなく栄えた古都メンフィスをどのように位置づけるかということです。あれを死者の都と主張するのであれば是非その話を拝聴したいものです」

「なるほど。そういえば、『イチ・タウィ』を探索している者たちも皆西岸に集まり、東岸を探している者は皆無ですね」

「そういうことです。ついでに言えば、アクエンアテンや彼の臣下が東岸に墓を造営したのも彼が変わり者だという理由ではなく岩窟墳墓を造営するのに適した崖が東岸にのみ存在したアマルナの地形のためです。このアクエンアテン変人であるためという説を否定する根拠としてアマルナのすぐ北にあるナイルに迫る東岸の崖に古王国時代や中王国時代の貴族の墓が多数つくられていたことが挙げられます」


 二時間後。

 少女との楽しい時間を終えた直後、彼女は相談役でもある側近の男を呼び出す。

 そして、それほど時間をおくことなく現れた彼女よりふた回りほど年長の男に彼女は少女が語った話をくまなく伝え、やや早口でそれについての対応を訊ねる。

「そうですね……」

 彼女とは対照的に、慌てる様子などまったく見せず、名物ともいえるその建物の隣に店を構える小さな喫茶店自慢のコーヒーで十分に口を湿らせてから男がゆっくりと口を開く。

「まず、確認しておきたいことは、夜見子様が私に訊ねているのは『イチ・タウィ』についての部分のことということでよろしいでしょうか?」

「もちろん」

「では、お答えします。『この世のすべてを見通す眼』を持つお嬢様の言葉を否定する勇気も見識も私にはありません」

「それは私だって同じです。私が訊ねているのは作業の進め方をどうしたらよいかということです。あそこまでアドバイスを頂きながら発見できなかったでは済みませんから」

「なるほど。ですが、先ほどの話では、それについても夜見子様はお嬢様からアドバイスは頂いていたようですが」

「それはそうですが……もう少し時間を短縮できませんか?」

 ……なるほど。

 男は気づく。

 自分の主が少々焦っていることを。

 ……そういうことなら、まずは夜見子様が暴走しないようにしなければならない。

「夜見子様。残念ながらこういうものは時間がかかるものなのです。地道な作業。これが一番の近道なのです」

 自らの役目を果たすようにその言葉を口にして主を落胆させるものの、もちろんそこで彼の言葉は終わらない。

「ですが、巨大な砂山から小さな宝石を見つけるのならともかく今回のターゲットはとてつもなく大きなものです。資金は必要ですが、それを気にしなければ時間を短縮する方法はあります」

「本当ですか?」

「もちろんです」

 そう言ってから、彼は続けて彼女に具体的な方策を説明し始める。

 彼が口にしたその方策。

 それは、ナイル河から砂漠地帯までの五キロほどの幅を百メートル間隔にチームを配置し、少女が示したエリアよりも少しだけ外側から南から北へボーリングを主とした地下調査をしながら約十キロ進むというものだった。

「……なるほど」

 彼女は思った。

 ……手段自体は珍しいものではない。

 ……しかし、その規模の調査チームを並べる壮観さは他にはできないことです。

 ……しかも、使い込まれた手段だから運用上のトラブルは少ない。

 ……なるほど。これなら大幅に調査時間が短縮されます。

 ……さすがです。

「ですが、百メートルごとの調査とは少々目が粗くはありませんか?」

「先ほども言いましたが、これが墓の入り口を見つける探査ということであれば、夜見子様のおっしゃるとおりです。ですが、ありがたいことに我々の目的は都市。これでも十分その位置と概要は掴めます。それに概要さえつかめば、いくらでも調査の目は細かくできます」

「わかりました。では、それからどうしますか?」

「まず、言っておかなければならないことは、ここが過去数千年手をつけられていない場所だということです。つまり、都市の位置さえわかればどこを掘っても宝の山なのは間違いありません。それに我々は愚かにも日本エジプト学会が手放したこの世でもっとも頂きに近いエジプト学者を抱えています。我々が探す場所は彼が指し示してくれることでしょう」

「この世でもっとも頂きに近いエジプト学者?たいそうな称号ですが、それはもしかして新池谷が現地採用した男のことですか?」

「そうです。しかも、アマルナで活動している西野君と彼が抱える現地スタッフは、メンフィスでおこなった例の仕事の大戦果ですでにそのことが証明されていますが、あの手の作業のプロです。我々の目的とするものをはっきりと伝えたうえで、清水君に我々にとっての宝がどこに埋まっていそうかを判断させ、西野君に掘り出し作業の指揮をさせましょう」

「わかりました。では、新池谷にそのように指示してください」


「……なるほど。君と私がここにやってきた経緯はよく理解した」

 手渡された指示書と彼が来る前に試掘までおこなっていたという調査責任者を務めた後輩蒐書官清水が語った鮎原を経由した夜見子から新池谷への言葉に納得した彼は心の中で苦笑する。

 ……完璧な準備だ。

 ……だが、それでも出ないときは出ない。

 ……それがこの仕事だ。

 ……そして、そうなった場合には例の一件がある以上、今度こそ責任を問われる者が必要となる。

 彼はここに来る前におこなった仕事を思い出し、苦い想いを噛みしめる。

 ……さて、そうなるといったい誰が責任を取るのだろうか。

 彼は心の中で呟きながら、一番の候補者に目をやる。

「何か心配ごとでもあるのですか?」

「心配事というほどのものではないのだが、これだけ広いエリアからたった二か所の狭い場所に的を絞ってもよいものなのかと思っただけだ」

「なるほど」

 清水は先輩の懸念に納得し、それを解く義務が自分にあることに気づく。

「元エジプト学者としましては、やはり都市全体を調査したいという気持ちがないとは言いません。なにしろ我々にはすべての発掘チームが羨むくらいの質の高い人材と機材、そして無尽蔵の資金もあるわけですから。ですが、現在の私はエジプト学者ではなく蒐書官です」

「君の告解と覚悟は理解した。せっかくだから、ついでに私が知りたいこれだけ狭い範囲に探査範囲を絞った理由も教えてもらおうか?」

「私たちの目的とは夜見子様が求める書を探し出すことであり、幻の王都の全貌をあきらかにすることではありません。たしかに掘れば掘るだけ闇市場で流せる商品は出てくるでしょうが、それでは切りがありません。ですから、私たちが最も望むものが眠る場所をできるだけ早く見つけ出し、効率的にそれを回収する。そのためには不必要に大風呂敷を広げてはいけないという判断しました」

「範囲を狭くすれば探索は楽なのは確かだ。だが、それも空振りしたのであれば元も子もない。つまり、君が示したポイントに我々が求めるものが確実になければならない。その保証はあるのかね?」

「というか、そこになければ他にはないと言ったほうがいいでしょう」

「たいした自信だな。ちなみに、その自信はどこから来るのかな」

「地下調査で判明した都市の概要を経験と知識に基づいて解析した結果」

「……なるほど」

 ……新池谷さんがゴーサインを出しているので私がそれを言っても栓亡きことだが……。

 納得したかのように頷きはしたものの、それは表面上のことだった。

 ……いかにもという言葉を並べているが、おそらくこれは彼の本心でもないし真実でもない。

 ……もちろん相応の調査とデータ分析がおこなったのは事実だろうし、この男が驚くべき知識を持ち、考古学に関する解析能力も高いことはこれまで多くの場面で実証されている。

 ……だが、今回に関していえば、データ分析だけに頼っていてはここまで自信をもって狭い範囲に絞り込むのは無理というものだ。

 ……では、どうやって広大なエリアからピンポイントでそこを選び出したのか。

 ……言うまでもない。

 ……勘だ。

 ……通常なら、そのようなものを絶対にはずしてはいけないこの場面でプランの根幹に据えるなどあり得ぬことだが、逆にいえばこの男は自らの勘に余程の自信があるということになる。

 ……そして、もしこの男がその勘で選定したその場所から我々の望むものが本当に見つかることになれば、この男は噂どおり相当の化け物だということになる。

 ……これはおもしろい。

 彼は心のなかで皮肉を交えてそう呟いていたものの、表情のどこにもそれを出すことなく何事もなかったかのように言葉を続ける。

「それで、君が示したその場所は具体的にどういうものなのかね」

「二か所のうち一か所はその一角だけ妙に頑丈につくられていたのでおそらく王宮の機密文書保管庫のようなところだと思われます」

 ……ほう。広い王都ですでに王宮の位置まで特定していたのか。

 ……それはすごい。だが……。

「……発見しながら今まで手をつけなかったは驚きだ。その理由は何かな?」

「ひとつは掘り出される商品の保存状態が悪いことが予想されるため、西野さんとともにアマルナに滞在していた『すべてを癒す場所』の主力が到着まで触りたくなかったこと。もうひとつは、私が抱える作業スタッフはあくまで調査用の穴掘りが専門。知識と精密さが要求されるこの後の作業には不向きだということです」

「なるほど」

 ……そうであっても、功名心から自らの手で確認したくなる。

 ……特に彼は元エジプト学者。その思いは人一倍だ。

 ……それを自重するとは、相当成長したと言えるのだろうな。

 彼が再び口を開く。

「すべて承知した。ところで、『すべてを癒す場所』の大部分は私に同行してやってきているが、作業はすぐに始まるのかな」

「いいえ。今回は『すべてを癒す場所』のほぼすべてが参加することになっています。ギザからのやってくる先発隊は例の方とともにすでに到着し、残りも二日後にはカイロの大型機材を持って到着し、その翌々日には仮設の工房設営が完了するそうです」

「ほう」

 ……やはり来たのか。

 彼は後輩が口にした「例の方」の顔を思い浮かべる。

 ……さすがにこれだけの大規模な仕事となれば黙ってはいられないのは当然か。

 ……これで、ますます空振りは許されないな。

 自嘲ぎみに笑みを浮かべ、彼は会話を進める。

「承知した。そういえば目障りな各国の兵隊アリはまったく見当たらないが排除はすでに終わっているということなのかな」

「もちろん。新池谷さんが手配しました。ついでにいえばこの辺で作業していた発掘チームにも撤収命令が出ているので、現在作業しているのは我々だけです。それから、調査を中止させられた調査チームに対する罪滅ぼしというわけではありませんが、盗掘グループも買い取り業者共々すべて駆逐しておきました」

「それは良いことをした。ただし、その手の輩は一度追い払って済むというものではないから、そういう気持ちがあるのなら作業終了後もう一度駆除作業が必要だろう。ところで、この周辺はあの美術館に近しい者たちの縄張りだったはず。奴らがおとなしく退いたのは驚きだな」

「まあ、それなりの見返りが用意されているのでしょう。ちなみに、彼らに撤収勧告をしたのは当局ではなくスコット・ジェームス氏だということです」

「彼も大変な役を仰せつかったものだ」

 それは彼の偽らざる気持ちだった。

 ……大概の者ならこれだけ彼我の力関係があれば緩みが出る。

 ……そうなれば、つけ入るスキも出てくるのだ。

 ……あの男にとって不幸だったのは、相手が新池谷さんだったことだ。

 ……あの人に限ってそのようなことはない。

 ……永久に。

 心の中で一通り相手を憐れんでから、彼が後輩蒐書官に言葉を返す。

「なるほど。だが、そうであってもやはり手早く作業するためには手数が少々足りない。今のうちに増援要請はしておいたほうがいいだろう。新池谷さんに作業予定を伝え、手すきな蒐書官、それから優秀な作業員を抱える蒐書官は暇でなくてもここに送り込むようにと連絡を」


 それから一週間後に本格的に始まった作業だったが、その結果は目を見張るものだった。

 準備は完璧。

 機材は最新。

 作業を指揮する者の能力が高く、配下の作業員は質量ともに申し分ない。

 しかも、その場所は現代人にとっては手つかずの場所。

 そのうえ彼らは簡単な記録こそ取っているものの遺構の保存は気にすることなく作業を進めることができる。

 これだけの好条件がそろっていれば、その結果も当然といえば、当然なのだろうが。

「……やはり出ますね。驚くべき数です」

 十分に予想はしていたはずだったのだが、実際に次々に発掘品が掘り出される様子を目の当たりにすると感動のあまり漏れてしまった年少の男の言葉に先輩も頷く。

「まったくだ。目の前にお宝が並ぶツタンカーメン王墓を発掘中のカーターの気持ちとはこんなものだったのだろう。だが、場所を考えればやむを得ないことではあるが、石像やステラはともかく、やはりパピルスの保存状態はかなり悪いな。『すべてを癒す場所』がこの場にいなかったらと思うとゾッとする。まあ、彼らはようやく腕が振るえると大喜びしているのだが」

「ところでそのパピルスですが……」

 男の言葉に大きく頷いてから、彼が先輩を驚かせるために用意していたあるものを取り出す。

「これを見てください」

 それは二か所に分かれた作業現場を飛び回って撮影していた写真の一枚だった。

「午前に発見されたものの写真なのですが、どうです。興味を引かれませんか?」

「ん?」

 彼の声からそれが重大なものであることはわかったものの、いかんせんその写真に写るそれはあまりにも鮮明さが欠けていた。

「悪いが、これではまったく読み取れん」

 先輩蒐書官の反応は当然すぎるものだったのだが、彼が期待するものとは雲泥の差があったのも事実である。

 ……失敗した。撒き餌のつもりだったのだが出し惜しみが過ぎた。

 ……仕方がない。

 ……少々鮮度が落ちたが、では本命のこれではどうですか?

 小細工を弄しすぎたことを後悔しながら彼はそれを大写しにしたもう一枚を見せる。

「では、解像度をあげたこちらならいかがですか?」

「どれ……これは……」

 それを見た瞬間先輩蒐書官の顔色が変わる。

「……なるほど。君が言いたいことが何かがわかったよ」

 長くエジプト活動している先輩蒐書官も元エジプト学者である彼に劣らず古代エジプト語が堪能であるうえに、古代史への造詣もある。

 そのパピルスがこの王朝初期に起こったとされるある事件について言及しているものだとすぐさま理解した先輩は湧き上がる驚きを隠そうとして失敗した。

 いや、隠そうなどという気などまったくなく、まさに世紀の大発見をしたときの考古学者のように紅潮した顔で言葉を続ける。

「……でかしたよ。清水君。それで、これの続きはどうした?」

「……すでに断片はすべて回収されていると思いますが、なにぶん細かく寸断されているうえ破損がひどく、まず洗浄修復措置をおこなったうえで並べ直さなければ読むことはできないと思います」

「つまり、すぐには無理ということか。……よりによって肝心なところがそれとは、まったくたちの悪い嫌がらせのようだな」

「まったくです」

 ……その表情。

 ……私が見たかったのがそれです。

 ……もっとも、私も先ほど同じ顔をしていたのですが。

 盛大に失望の色を浮かび上がらせる先輩の顔を眺めながら彼はいつぞやのお返しに成功して心の中で会心の笑みを浮かべる。

 もっとも、先輩蒐書官は彼の期待どおり一瞬の間はあったものの、すぐさま自らを取り戻していたのだが。

 目の前の仕事を効率的におこなう段取りを頭の中で構築し終えた先輩蒐書官の口が開く。

「これが夜見子様が喜ぶような素晴らしい発見であるのは間違いない。だが、待っているだけで修復時間の短縮されるわけではない。一刻も早く夜見子様に真実を知らせるためにも『すべてを癒す場所』にすべてを任せるのではなく、君も修復前に撮った写真から文章の復元に取り掛かってくれ」

「それはもちろん。それで、西野さんは?」

「私はどんな小さな断片も残さず回収するようにと現場で指揮をとる河合君にハッパをかけてくる。それから……」

「はい?」

「新池谷さんへの一報は君がおこなってくれ」


 三か月後。

 三週間に及ぶ喧騒の期間が終わると、彼らが作業をしていた痕跡を示す埋め戻された跡が残る以外は以前と変わらぬのどかな光景に戻ったその場所から九千キロ以上離れた東京都千代田区神田神保町。

 その一角に建てられた極端に窓が少ない建物。

 その一室でその建物の主である彼女が眺めていたもの。

 それはもちろんあの地で発見されたパピルス。

 と言いたいところだが、実は違う。

 ふたりの蒐書官の心配は残念なことに見事に的中し、回収したパピルスの修復作業は大幅に遅れていたのだ。

 そうはいっても、この時点で作業完了までもう少しというところまでこぎつけているのはまさにそれが「すべてを癒す場所」だからであり、他のいかなる機関であってもあの劣悪な状態のパピルスの断片からそこまでのものに仕上げるには年単位の時間が必要だったことは疑う余地がないところである。

 さて、それはさておき、では、彼女が読んでいたパピルスは何かということになるわけなのだが、答えは多くの商品とともに一時帰国していた元エジプト学者の蒐書官清水が撮影された写真から復元し、それをもとに「すべてを写す場所」がつくり上げた試作品である。

 同じ場所では他にもパピルスは多数発見されており、その中からこのパピルスに加えるピースの見つけ出し文章をつくり上げた清水によれば、これは「スピード重視のため想像力を駆使した補完を大々的におこなって文章を組み上げたもので、この後に『すべてを癒す場所』から上がってくる本物との差異は最低でも一割はある人に見せられない代物」となるのだが、それでも大幅に足りないピースでこの難解なパズルを短期間で完成させたのは清水の驚くべき才の一端を見せたものといえるだろう。

 もっとも、清水自身はこれをつくったのはあくまで自らの技術向上を含めた今後の参考にするためであり夜見子に見せるつもり気など毛頭もなかったのだが、その存在を知った彼女の強い要望には抗しきれず、できるだけ本物に近い形に修正したうえでこの日急遽届けられたものだった。

「いかがでしたか?」

 パピルスを手にしている彼女にそっと声をかけたのは、彼女が真っ先に読ませ、すでにそれを読み終えた彼女よりひと回りほど年少の小柄な少女だった。

「ここに書かれていることが本当であれば、やはり噂はほぼ真実だということになります。ですが、これが本当に正しいのかは不明なのではないでしょうか」

「その点については、私は先生とは少々考えが異なります。というのは、もちろん絶対ということはありませんが、こうしてヒエログリフによって書かれた証拠が残っている以上、これが当時の公式の発表ということは十分に考えられます。ですが、いくつかの疑問からたしかに別の考え方を構築することも可能ではあります」

「それは?」

「問題はこのパピルスが見つかった場所です。本当に公文書というものは王宮に保管されていたのでしょうか?アメンエムハトを殺害した者の取り調べ調書は別の場所にあり、これはあくまで後継者であるセンウセルトが子孫に自慢するためにつくらせた偽公文書または非公式文書ということも考えられるからです」

「……それを非公式文書とするこという根拠はあるのですか?」

「特に何かがあるというわけではありませんが、強いて挙げるのであれば、まず内容があまりにも盛り過ぎている点。それから、やはりこのパピルスが保管されていたのが王宮ということとも気になります。そして、最後にパピルスが放置されていたことでしょうか」

「たしかに報告書にしてはセンウセルト一世を持ち上げすぎという点は私が疑いを持った部分でもあります。ですが、残りのふたつは……すいません。理解が及ばないので説明していただけますか」

「この王朝から約千年後のアマルナでは王宮と行政府は別の場所に存在していました。その時代よりも第十二王朝の諸王は政治に深く関与していましたが、それでも中王国時代にもそのような形態をとっていた可能性は十分考えられます。そうなると、やはり重要書類の保管庫は王宮ではなく行政府にあったのではないでしょうか。そして、実はそのことはこのパピルスが残されていたこととも辻褄があってきます。つまり、この都市が放棄されたときに重要文書は行政官たちによって持ち出されていた。しかし、王宮に保管されていた非公式な文書の扱いであるこのパピルスは彼ら行政官にとっては持ち出す権利もないうえその対象でもなかったために最初からそのような意志もなかった。では、王の子孫にとってはどうかといえば、彼らにとってもその価値はそれほどではなかったために王宮に放置されたままになったというわけです。ですが、皮肉なことに避難のために持ち出された重要書類は最終的には失われ、彼らに避難させるほどの価値はないとみなされ放置されたそれは時間を超え手に入れた私たちに歴史の一端を知らしめたというストーリーはいかがですか」

「すばらしいです。そういえば、王宮では破片を含めて多数のパピルスが見つかったにもかかわらず、本命のひとつだった行政府からはパピルスが一枚も見つかりませんでしたね」

「そういうことです。ただし、今回新池谷が手がけたのは王都のほんの僅かな部分ですから、将来他の誰かがこの王都を調査したときに別の結論を抱いた証拠の品が見つかるかもしれません」

「……それはさらに作業を続けたほうがよかったということでしょうか?」

「まさか。私はこれを読めただけで十分ですし、これの修復に集中していた『すべてを癒す場所』が次に手掛けるものも概要を聞くかぎりなかなか興味深い内容のようですから。それに、すべてを手に入れようとするのはやはり強欲が過るというものです。残りは広く世界に情報を届けることができる組織に任せることが適当であると私は考えます。もっとも、私の期待通りにそれができる研究者が首尾よく見つけてくれるかは五分五分なのでしょうが」

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