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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story Ⅲ 列を成す者 

「新字」の後日談的話となります

 東京都国立市にある高級洋菓子店「ソハーグ」のあと十五分もすれば開店という時間。

 その時間になると店先からかなり遠く離れたところまで延びているその長い行列は周辺に住む者にとってはもはや見慣れた光景であったのだが、この日のそれは、なぜか眺める者に奇妙な違和感を与えていた。

 実は妙な緊張感を伴ったその空気は行列周辺の複数の地点から立ち上っていたものだったのが、それに気づかぬまま行列を眺める多くの者たちの目に留まり、その原因がこれであると納得をさせていたものとは先頭から十番目という好ポジションを確保しているグループだった。

 ……全員がスーツにネクタイという一見すると出社前のサラリーマンに見えるものの、その纏う雰囲気はサラリーマンのそれとはまったく違う次元のもの。

 それがあるひとりを取り囲むようにして集団をつくる十人近くの男たちの異様さを端的に表現する言葉だった。


「当主様。予定通りです」

 やがて、遠くに少々騒がしい集団が見えてくると、外側の男のひとりが声をかける。

「手配が無駄にならずに済みそうですね」

 脇に立つ彼よりも年長の男がそう声をかけると、彼は笑みを浮かべて頷く。

「私自身は空振りでもよかったのだが、まあ、準備はしておくものだな。では、彼女たちを丁重にもてなすように彼らに合図を」

「承知しました」


 その二日前。

「当主様。天野川様からお品物が届きました。菓子とありましたが、こちらで開封するのは失礼かと思いましたので、とりあえずお持ちいたしました。中をご確認ください」

「そ、そうか。彼女からの品か。それは楽しみだな」

 日頃は冷静、というより冷徹と表現したほうが良いその屋敷の主がこれだけ嬉しそうな感情を載せた声を上げるのは珍しい。

「武臣様が最近頻繁に送りつけているプレゼントの返礼だとは思いますが、何かの罠ということも考えられます。ご注意を」

 執事である年長の男の注意を促す言葉を左耳から右耳へ聞き流し、持って来たメイドから奪うように受け取ったその小さな箱を開けた男は少しだけ戸惑った。

「……洋菓子?これはケーキか」

「そのようですね。それにしても実に美しい。これほど手の込んだ菓子はあまり見たことがないですね」

 訝しげな顔をする主に釣られ、それを覗き込んだ年長の男は見たままの状況を言葉にする。

 ……まったくそのとおり。いつもどおりおまえの説明は実に的確だ。

 心の中ではそう言ったものの、彼が口にしたのはそれとは別の言葉だった。

「最近は菓子に限らず見た目重視の飲食物が流行りだそうだが、口に入れるものである以上一番重要なものは味であるべきだと私は思う。ところで、箱に書かれた『ソハーグ』という店名に私は心当たりがないが、柏崎は聞いたことがあるか?」

「いいえ。私もまったく存じません」

 主に問われた年長者は即答する。

 執事という立場上、彼は和洋問わず一流店といわれる菓子屋の名を数多く知っていたのだが、彼の頭にある名店目録には国立市の洋菓子店「ソハーグ」の名は載せられていなかった。

「まあ、私にとっては彼女からの品であれば、たとえどれほど冴えない味であろうが、最高のものでしかないのだが」

「武臣様。趙高の故事をなぞることのなきようにお願いいたします」

 執事長が口にしたそれは、一部で「馬鹿」の語源ともされる中国の故事のことである。

 もちろんそれを知らぬはずがない彼は苦笑しつつ大きく頷く。

「……そうだな。まずいものはまずいと言うべきか。だが、それはそれでよいではないか。本物の菓子の味を知らない彼女に美味しい菓子を贈ればきっと喜んでもらえるのだから」

「ものは言いようですね」

「まあ、とにかく食べてみようではないか。ちょうど三つある。我々ふたりとそれからこれは君の分だ。とりあえず紅茶を急いで頼む」

 彼はそれをここまで届けた三十歳を少しだけ超えたベテランメイドに紅茶を用意させ、三人がそれぞれ「輝く日の宮」と書かれた和紙製の包みにくるまれたその菓子を口に入れる。

 そして……。


「……柏崎」

「はい」

「これは絶品だ。私はこれ以上の菓子を口にしたことがない。そう断言してもいい」

「私も武臣様の言葉に同意します。見た目も非常に美しかったのですが、味はそれを遥かに凌駕していると言ってもいいでしょう。もしかしてこれは特注品なのでしょうか?」

「それ以外には考えられない。もし、これが市販されているものなら、我が屋敷のティータイムの主役になっていなければならないくらいの逸品だ」

「あの一族の専属菓子工房の作ということも考えられます」

「それも十分にあり得る。店を直ちに調べさせろ」


 このときのことを毒見役も兼ねてご相伴に預かり、この屋敷の誰よりも先にその菓子の味を堪能した間宮美紀が同僚に語った言葉が残されている。


「長年桐花家にお仕えしておりますが、それを口にしたときに見せた当主様の驚きの表情は初めて見るものであり、またそれ以降見たことがないものです。もっとも私自身があまりの美味しさに前後の記憶がはっきりしないので、本当に私はそれを見たのか自信をもって言うことはできませんが」


 当然ながら店はほどなく特定されたのだが、事態はそこからさらに一波乱起こることになる。

 いうまでもない。

 自分たちの思い通りにことを進めようとした彼らの前に、いつもどおり「ソハーグ」店主である最強の頑固者向山紘一郎が立ちはだかったのだ。


「私がつくった菓子が欲しければ、店まで買いに来てもらおうか。それ以外の購入方法は私の店には存在しない」


 出来立ての「輝く日の宮」をすぐに屋敷に届けるように伝える執事のひとり三島木裕也に対して紘一郎はそう言い放った。

 当然紘一郎のその傲慢そのものという言葉により薄く塗られたメッキはあっさりと剥がれ落とされ、三島木のどす黒い本性が現れる。

「それでは……」

 まず札束、続いて多くの政治家を従わせた桐花家の名前と強烈な脅し文句を使っての交渉という名ばかりの強要が始まる。

 だが、それでも紘一郎は何も変わらない。

「つまらん脅しなど私には通用しない。そもそも私が決めたルールに従いたくなければ私がつくった菓子を買わなければよいだろう」

 取りつく島もないその言葉に続き、さらにもうひとつ、彼は電話口にいる相手の神経を逆なでするある言葉を口にする。


「私にどうしても頼みごとがあるのなら、まず立花家に出向き土下座して許可を取れ」


 自分からの贈り物を気に入った桐花武臣がいずれこの店にアプローチしてくると予想していた夜見子に授けられたその言葉の効果は絶大だった。

 ……調子に乗りやがって。

 口に出かかった言葉をどうにか飲み込んだ彼は口惜しさに歯ぎしりするが、かといって次にどうしたらよいかが思いつかない。

 桐花家の名前を使って多くの者を脅していた彼がライバルである立花家の名前で黙らされるというのはなんとも皮肉なものなのだが、立花家の名前が出た以上事態は彼のような一介の執事レベルでどうにかできるものではないことはあきらかだった。

 紘一郎に電話を一方的に切られると、彼はすぐさま交渉が失敗したことを手に入れた情報とともに報告する。

 ……厳しく罵倒される。

 ……だが、失敗した以上仕方がないことだ。

 脂汗を流しながら説明する彼はそう覚悟したのだが、意外にも報告を受けた武臣は驚くほど寛容だった。

「そういうことなら仕方あるまい」

 彼はそれだけ言って恐縮する三島木を下がらせる。

「随分と寛大な措置ですね」

 部屋に残っていた彼の相談役である執事長柏崎がその言葉を口にすると彼は鷹揚に応える。

「まあ、あれだけの腕の職人を見つければ囲わないはずがない。つまり、奴らよりも早くあの菓子職人を見つけられなかったことこそ問題であって、その落ち度を店主との交渉に失敗した彼ひとりに背負わせるのは酷というものだ」

「ですが、このまま手をこまねいてばかりはいられないでしょう。もしかして、あの能力を使うのですか?」

 主の秘密を知る男は彼に確認するようにそう訊ねると彼は両手を上げ、わざとらしいアクションとともにその言葉を吐きだす。

「馬鹿を言え。そのようなことに貴重な能力を使えるか」

「ということは、諦めるのですか?」

「まさか」

「では、どうするのですか?」

「簡単なことだ。その男も言っていたのだろう。列に並んで買うだけの話だ。ほんの少しの努力であれが手に入るのであれば文句はない。まあ、時間が惜しいのは確かだが、あれにはそれだけの価値はあることは間違いない」


「ということで、明日は早起きして国立に行き『輝く日の宮』を手に入れるために並ぶ」


 さて、彼が自ら行列のひとりとなっている事情をひとととり説明したところで、そろそろ時間を当日に戻すことにしよう。

 その代わりとして十分に満足できる品は手に入れたものの、目的の品であった「輝く日の宮」購入には失敗した前日よりも早くから並んでいた彼らの数列前には中年の女性ふたり組がいたのだが、開店直前に姿を現した二人の友人らしい女性グループはさも当然のようにそのふたり組を飲み込み、あっという間に一桁人数が多い集団が出来上がる。

 それはまさに前日に起こったことの再現であり、その結果昨日は彼らの目の前で「輝く日の宮」は売り切れとなり、彼はもう少しのところでそれを手に入れそこなったのだ。

 だが、彼は悪夢再びともいえるその光景にもまったく動じない。

 いや、笑みさえ浮かべていた。

 そう。

 副次的なものではあったのだが、今日の彼には「輝く日の宮」を購入する以外にもうひとつ目的があったのだ。

 もちろんそれは彼女たちをもてなすこと。

 冷たい視線で彼女たちを眺めていた彼はやがて短い言葉を口にする。

「……宴を始めろ」

 そして、彼のその言葉とともにそれは動き出す。

 その始まりは大騒ぎしているそのグループに対して真後ろに並んでいた女性が抗議の声を上げるというものだった。

 もちろん相手は全員で屁理屈のような怒号を浴びせ、あっという間にその女性をやり込める。

 彼女たちにとってはいつもどおりの一件落着。

 その時だった。

「警察です」

 その声とともに、そうなることを待っていたかのように突如現れた三人、いや、その後続々と姿を現した計十二人もの私服警官がその女性グループを取り囲む。

 それから、喚き散らす女性たちをすべて連行するまでに要する時間僅か数分。

 あまりの手際のよさに列に並ぶほとんどの者には何が起こったかわからなかったものの、複数の場所から警察の仕事に対して拍手が起こったのは彼女たちが常習的にそれをおこなっていた証左なのだろう。

 そして、彼女たちがいなくなったスペースを埋めるようにして少しだけ前に進むあのグループの中でも……。

「お見事でした」

 隣に立つ弾除け役を兼ねた執事のひとりが言葉と共に深々と頭を下げたのは、彼らの主だった。

 男は周りに注意してから、どこにも届かないような小さな声で主に訊ねる。

「ところで、捕まえさせたのはいいのですが、あの女どもの行動はどのような罪に当たるのでしょうか?」

「まあ、軽犯罪法違反か抵抗すれば公務執行妨害といったところだろうが、彼女たちの罪を決めるのは私ではなく警察だし、こちらの要請通り逮捕したのだから一晩考えて彼らなりの根拠を用意してきたのだろう。どちらにしても私にとって彼女たちがどのような罪を犯してこれからどうなるのかなど問題ではない。大事なのは……」

「この行列からあの女どもをひとり残らず排除すること」

「そういうことだ」

「なるほど、確かにそのとおりです。ところで着火剤役の間宮の演技はいかがでしたか?」

「完璧だった。あれがなければ今回の立ち回りは始まらなかったのだから、こちらの希望通り素晴らしい仕事をしてくれた警察官たちとともに最大の功労者である彼女のために『輝く日の宮』をひとつ余計に買わなければならないな」

「証人として警察に向かった間宮に成り代わり私からお礼を申し上げます」

「それから君のことだ。抜かりはないと思うが、朝早くからやりたくもない仕事に従事してくれた警察官の方々にも仕事に見合った十分なお礼を頼む」

「承知しました」

 そう。

 つまり、この逮捕劇の発端となった女性による割り込みへの抗議、それに続くこの日この時間にここで騒動が起こることを知っていたかのように待ち構えていた私服警官による異常なまでの速さでおこなわれた割り込みグループの逮捕連行。

 そのすべてが彼の書いたシナリオどおりだったということである。

 そして、それは前日に遡って周到に準備されたものだった。


 前日。

「あの無礼者たちをただちに排除します」

 目の前に大挙して割り込みをする女性グループを眉間に皺を寄せながら見つめる主に対して護衛役のひとりが慌てて声をあげるが、彼はそれを軽く押しとどめる。

「いや、構わない。どこにでもあのような無作法者はいるだろう。小さな出来事にいちいち目くじらを立てていたらきりがない。それに、いつもあれ以上のことをやっている我々に彼女たちを咎める資格はないだろう。だが……」

「だが?」

「法でも規範でもそれを破るときにはやはり慎み深さが必要だ。目の前であれだけ堂々とやられるとさすがに見ている方は気分を害す。見たところかなり手慣れた様子であることから彼女たちは毎回あれを繰り返しているのだろう。今日はもう間に合わないが明日に関してはそれなりの準備をし、彼女たちが明日また私の前で今日と同じことをおこなった場合には少々痛い目をみてもらうことにしようではないか」

「承知しました。では、さっそく手配をします。それで、いかような手段を講じますか?」

 男の言葉は言外にこの世から目障りな女たちを排除する手段を問うていたのだが、彼は軽く笑みを浮かべながらかぶりを振る。

「この程度のことで我々が直接乗り出すことはない。専門家に任せよう」

「専門家?と言いますと?」

「明日の同じ時間、同じ場所に現れる躾のできていないメス犬約十匹を捕獲するようにと桜田門に伝えてくれ」

 桜田門。

 つまり警視庁ということである。

「承知しました。ですが、本当にその程度でよろしいのですか?」

「もちろん。それから捕獲についてはどんな手段を講じようとも必ずおこなってもらいたいが、その後についてはそちらに任せるということもつけ加えてくれたまえ」

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