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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story Ⅰ 兄妹

「新字」の後日談的話となります

「朝から驚くものを見てしまった」

「まったくです。七不思議から八不思議になりました」

 

 JR東京駅八重洲地下中央口から広がる広大な地下街の一角にある喫茶店「ハトヌブ」の朝。

 いつもどおりにモーニングコーヒーを堪能するためにやってきたこの店の常連であるその男は店に入るなり、驚くべき光景を出くわす。

 しばらく固まったその男だったが、やがて黙ったまま自らにとってのいつもの席ではなく、そこから少し離れたもうひとりの常連が座る地下街を行きかう人々を眺められる窓際のテーブルに向かい、彼と目を合わせるなりその言葉をかける。

 そして、誰かに自分の思いを話したいと思っていた相手の口からも同様の言葉が返ってくる。

 それがふたりの会話だった。


 さて、ふたりの常連にそこまで言わせるその光景であるが……。

 なんと、あの席、つまり謎席に座る客がふたりもいたのだ。

 それだけではない。

 そこにすわるふたりの客とは落ち着いた店の雰囲気にまったくそぐわない体の線を強調する派手な色合いの服を着た女性だったのだ。

「あなたは彼女たちをどう思う?」

「ここにやってくるということは、この辺で働く女性なのかもしれないが……」

「少なくてもこれから仕事に行くようには見えない」

「そう。つまり、彼女たちは朝に仕事が終わった女性」

 ふたりでようやく一つの答えに辿り着いた常連たち。

 だが、疑問は残る。

「なぜ、あの席に座れるのだ?」

 そう言いながら、ふたりはすでに彼らなりの正解に辿り着いていた。


「マスターの知り合い。それしかない」


「相変わらず客のいない店ですね」

「まあ、まだ開店したばかりの時間だし、もともと客がゾロゾロやってくる店ではないのは確かだ。だが、私はそのような店を目指しているわけではないし、万事が派手で下品な服がよく似合う誰かとは違い、この店の落ち着いた雰囲気を愛する素敵な客だっている」

 女性からのあきらかな嫌味を軽く受け流した男は、涼しい顔でそう言った後に会話を見守るようにこちらを見つめるふたりの常連客に愛想のよい視線を送る。

 もちろんからかい半分のその言葉を投げつけられた女性は盛大に気分を害す。

「ああ言えばこう言う。商売は下手なくせに相変わらず言い訳だけは得意なのね」

 男の言葉とそれ以上に自分の存在など些細なことでしかないかのようなその態度にかっとしたその女性はさらに言葉を加えたのだが、この分野に関しては男のほうが一枚も二枚も上だった。

「そちらこそ。朝早くから喧嘩を売りつけにやってくるとは、おまえさんはこの世にそのような者が存在するのかと世界中の人が驚くような暇人とみえる」

「アハハ。この勝負、あなたの負けね。美奈子」

「そ、そんなことはないから」

 さて、店主兼マスターである元蒐書官の男に盛大に喧嘩を売った挙句、見事に返り討ちに遭い隣の女性にたしなめられたこの女性が誰かということであるが、彼女の正体は天野川夜見子配下の上級書籍鑑定官のひとりで名を北浦美奈子という。

 つけくわえれば、彼女はマスターの妹でもある。


「ところで、朝寝坊が趣味のお前さんが、こんな朝からやってくるとはどのような風の吹き回しなのかな?ん?もしかして……」

 どうやら先ほどの妹に対してのお返しの言葉はまったく言い足りなかったらしく、今度は彼から妹に言葉をかける。

「……おまえさんは愛する兄貴が経営するかわいそうな店の売り上げに貢献するために友人を連れて朝からやってきてくれたのかな。そういうことであれば本当にできた妹だと褒めてやろう。まあ、それもこれも悪趣味な服と性格の悪さだけが取り柄の妹にさえ好かれるという私の人徳のなせる業ともいえるが」

 ……お見事。

 ……ここまで言われては、挑発とわかっていても、美奈子の性格上黙って見過ごせない。

 彼女の隣に座りふたりの会話を楽しむもうひとりの上級書籍鑑定官は心のなかでそう呟きながらこれから起こることを想像し思わず笑みを浮かべる。

 もちろん友人の指摘通り即座に頭に血が上り沸点にあっという間に到達した当事者たる彼の妹が黙っているはずがなく、すぐさま舌戦が始まる。

「そんなわけがないでしょうが。これからある会議で鮎原の馬鹿顔を見て不機嫌になるから、せめてその前につぶれかけの喫茶店店主の不景気なツラを眺めて気を紛らわせようと思っただけよ」

「つまり、私はブラコン妹の栄養剤というわけか」

「そんなわけがないでしょう。憂さ晴らしの先取りよ」

「つまり、私は美奈子の栄養剤ではないし、美奈子はブラコンでもないと」

「当たりまでしょう。だいたい何がブラコンよ。失礼な」

「子供の時から今に至るまで常に私に付きまとう美奈子は兄貴大好き妹だと思っていたが違ったのか」

「だから違うと言っているでしょう」

「本当に違うのか?」

「当然でしょう」

「わかった。そういうことなら、予定していたブラコン割引はなしだ。それだけではない。美奈子のおこないは自分の悪趣味に真紀君を朝早くからつき合わせたということになる。北浦家のしきたりではそのような場合、彼女の分は美奈子の支払いになる。真紀君。どうせこれの支払いだ。一番高い品を注文し、店の売り上げに貢献してくれ」

「はい、喜んで」

「ちょっと、初めて聞く怪しげなしきたりを持ち出して勝手に支払う者を決めないで。真紀も調子に乗って注文しないでよ」

 ……やはり、美奈子じゃこの人の相手にはならなわね。

 兄に軽くあしらわれおたおたする同僚を眺めながらもうひとりの上級書籍鑑定官は心の中で呟く。

 このままこの喜劇をもうしばらく楽しみたかった彼女だったが、彼女にはそうはいかない事情があった。

 もちろんこれから会議があるのもそのひとつだ。

 だが、それ以上に彼女たちには朝早くからここに来たのには理由があったのだ。

 それを果たさずに帰るわけにはいかない。

 そのことが彼女を動かした。

「美奈子。大好きな兄上との会話を邪魔して悪いのだけども、時間がないからそろそろ本題に入って」

「あ、そうね。仕方がない。今日はこの辺で許してあげる」

 喧嘩に負けた悪党の定番であるその捨て台詞を堂々と口にした妹は分が悪かった兄との口論をなかったことにするように完璧な仕切り直しをおこない、それから口にしようとしたのはその目的である兄との小さな相談だった。

 だが、ここであるすれ違いが生じる。

 それについては、非はほぼすべて兄側にあった。

「どうせ、またあの話だろう」

「何よ。あの話って」

 妹が勢い余って思わずその言葉を口にしてしまうと、やはりとばかりに頷いた兄が口を開き、それが語られる。


「以前から言っているが、蒐書官には蒐書官の、書籍鑑定官には彼女たちの能力にふさわしい仕事が与えられている。鮎原さんが男女差別をしているわけではない」

 そう。

 彼の妹は日頃彼女配下の書籍鑑定官に蒐書官と同じような仕事が与えられないことを不満に思い、その原因は蒐書活動を差配する鮎原の偏見だと兄に訴えていたのだ。

「そもそも、鮎原さんが本当に男女差別主義者なら、美奈子や真紀君に蒐書官がおこなう荒事の指揮を任せたりはしないだろう。つまり、その任務を安全かつ効率的におこない確実に成功させるためにもっともよい組み合わせを選びだしているだけだ。それ以外のつまらぬ差別やそのほかのどうでもいい感情でチームを編成するなどという非効率的なことはおこなわない。それが鮎原さんだ」

 これに関しては妹にひとことも反論させない。

 そのような強い意志を持った兄の言葉だった。

「だいたい、鮎原さんの選択は最終的に夜見子様の裁可を得ている。つまり、それは夜見子様の意志でもある。配下の身でそれに意見するとは驚きだ。もっとも、それがわかっているからここで愚痴をこぼしているのだろうが」

 すべてが正解であり正論でもあったのだが、それを聞き終えた妹の呟く言葉は彼にとって実に意外なものだった。

「……話してもいい?」

「なんだ?」

「今日はその話をするために来たわけではないわよ。朝っぱらからそんな重い話をした挙句、バッサリ斬られるほど私は精神を病んでいない」

「ということは、違う話なのか」

「そう」

「……本当なのか?」

「うん。本当に別の話」

 男は確認するように、妹の隣に座る彼女の同僚に視線をやり、同意するために頷く彼女の姿に少々照れ臭そうにため息をつく。

「……そうか。それは悪かった。では、改めて聞こうか。その話を」

 兄らしく余裕と威厳を見せる彼だったが、それからわずか十分後、妹がうれしそうに語ったその話によって双方の立場は逆転する。

「まさか……それは事実なのか?」

「もちろん。ちなみにこの件は夜見子様も了解しています」

 彼の絞り出すように問う言葉を妹が力強く肯定する。

「信じられない。まさか、夜見子様が……」

「いやいや、十分に信じられる話でしょう。ねえ、真紀」

「それに関しては私も確認していますし、私自身もこの案に百パーセント賛成しています。ですから、ぜひともご決断を」

「し、しかし……」

「悩む話ではないでしょう。兄貴の決断で多くの人が幸せになる。それに、そうなればこの見えない客だけしかいない冴えない店のマスター生活ともおさらばできる兄貴にとっても悪い話ではないはず。それから、もうひとつ。実はそれについて兄貴にとって悪いお知らせがあります」

「何だ?」

「実をいうと、すでに準備は終わり、今日これからすぐにそのプロジェクトは動き出します。つまり、兄貴には申しわけないけど、ことはすでにもう兄貴の意志でどうにかできるものではなくなっているのです」

「つまり、その状況になるまで黙っていたということか。図ったな。美奈子」

「いいえ。当日に兄貴に連絡するこの悪巧みを考えついたのは鮎原だから」

「鮎原さん?あの人までが関わっているのか。……ということは、その話はすでに詰んでいるということなのか」

「まあ、簡単に言ってしまえば、そうなるわね」

 妹の話に現役時代に頭の上がらない唯一の人物の名が加わったところで遂に観念した男が大きく息を吐きだす。

「……わかった。美奈子の望みを叶えるのは実に不本意だが、夜見子様が了承し、鮎原さんも一枚噛んでいるということならやむを得ない」

 男は唇を噛み、それから、もう一度大きく息を吐く。

「だが、まさか……」


「この店に噂の『輝く日の宮』を置くことになろうとは……」

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