いと尊きもの
都内某所。
その日ベテラン蒐書官の神崎と向坂はある組織が間接的に経営に関わるレトロではあるが、どこにでもあると言うにはやや高級感が漂いすぎる喫茶店で打ち合わせをしていた。
「そろそろ当たりを引きたいですね」
苦いコーヒーをいかにも苦そうに飲んだひとつ年下の相棒がその言葉を吐きだすと、それ以上に苦いものを口にしたかのように渋い顔をつくる彼が応える。
「まったくだ。だが、こればかりは我々の力でどうにかできるものではないのも事実だ。なにしろ我々は自らが向かう場所を選択できないのだから」
「……どれだけ優秀な鉱夫が揃っていても砂山で金は掘り出せない」
「そのとおり。この仕事について語った先輩方の格言はどれも素晴らしいものだ。だが、せっかく格言を残すのなら、砂山を金山に変える方法か、せめて金山に辿り着く方法についての言葉も欲しかったな」
「まったくです」
ふたりが蒐書官らしくもない弱気な発言を繰り返しているのにはわけがあった。
彼らが探しているもの。
それが彼らを悩ましているものだった。
それなら、いつものと変わらないように思うのだがそうではない。
現在彼らが探しているものは本ではなく人だったのだ。
しかも、その相手は特定の誰かというわけではなく、それどころかいるかどうかもわからぬ、どちらかといえば噂を頼りにあてもなく探し回るという心身ともに疲労させる類のものだった。
「向坂君。現在の仕事と命がけの幻の書探し。選択の機会が与えられたら君はどちらを選ぶ?」
「後者でしょうね」
「即答だな。だが、そちらは失敗した場合は死が待っているのだぞ」
「ですが、そちらは失敗しなければいいわけでしょう。その自信はありますから問題はありません。そう言う神崎さんはどうなのですか?」
「もちろん向坂君の側に立つ。先ほどの君の言葉につけ加えるならば、こちらについては完遂する自信などまったくない」
「そうですよね。なんとかなりなりませんかね。この状況」
「まったくだ。役目とはいえとんだ貧乏くじを引いたものだ」
さて、普段は職務に忠実で陽気な彼らをこれだけ意気消沈させる彼らが探し求めている相手……。
それは蒐書官だった。
蒐書官探し。
正確には蒐書官や書籍鑑定官になりうる適合者と呼ばれる人材を探すことであり、言ってしまえば、人材発掘いわばリクルート業務である。
蒐書官の仕事、それ以上に能力者の独占を図るため、巷に溢れる多くの仕事とは違い、彼らの人材募集は大ぴらにはおこなえない。
そのため、そのやり方は可能性がある者を見つけると彼らのようなリクルーターが適合者と思われるその人物に接触し、その能力を確認してから事実を隠して好条件をエサに橘花グループへと勧誘するというものに限られていた。
だが、勧誘に至るまでの道のりが実は非常に険しいものだった。
まず「触れただけでその材質の年代測定ができる」という蒐書官にとって絶対必要なその能力は努力して身に着くものではないため、先天的にそれを持つ者を見つけなければならないという前提がある。
それだけではない。
そのような人物は数が非常に少なく、さらにその多くがどこにいるのかもわからないという第二の事実。
それがこの仕事をより困難なものにしている。
そして、それが現在はヨーロッパ大陸で辣腕を振るう某統括官のものとされる「新たな蒐書官候補の発見は十年分の蒐書活動の成果を上回る」という究極のひとことをはじめとしたこの仕事に従事した先人たちによる多くの金言を産み出した遠因といえるだろう。
「以前から思っていたのですが、あの能力は本当に日本人だけが持っているものなのですか?」
これから始めなければならないその仕事から逃げるように年下の蒐書官はその言葉を口にした。
……今さらだろう。
もちろん彼は心の中で即座にそれを切り捨てた。
だが、実際に口に出したのはそれとは別の言葉だった。
「知らないな」
説明の必要などないだろう。
つまり、彼自身もこのまま会話を続けて現実逃避をしたい気分だったのだ。
彼の言葉は続く。
「だが、海外駐在の統括官たちが現地スタッフにテストしても、ひとりとして適合者が見つかっていないという事実は確かにある」
その言葉には当然のようにすぐさま新たな問いが返ってくる。
「人種の差なのでしょうか?」
「そうであれば、同じ黄色人種の国である中国には日本の何倍も適合者がいるべきだろう。だが、かの地で適合者が見つかった話は聞いたことがない」
「たしかに。ということは人種でもない。不思議ですね」
「まったくだ。だから、日本人自身も気づかなかったその能力に気づき、その人材を効率よく手に入れるために日本に移住してきた初代立花家当主はたいしたものだと言えるのだが、それとともに、そこには重要な点が含まれている」
「というと?」
「お嬢様だ」
「お嬢様?」
「夜見子様によれば、お嬢様は夜見子様以上の能力をお持ちだという。これがもし事実なら、先ほどの『能力者は日本人のみ』という前提が崩れる」
「六代、いや、七代目ともなれば外国人の血が相当薄まっているのでもう純日本人なのでは?」
「さあな。だが、万が一どの国の人間にも適合者がいるということが真実となり、さらにその探索方法が確立されればライバルたちはこぞってその人物を囲い始め、我々が手に入れていたこれまでのアドバンテージは大幅に失われる。もちろん国内でも同じだ。それは絶対避けなければならない。そのためには適合者判定方法を外部に漏らすわけにはいかない」
「たしかに。ですが、適合者を探す立場から言えば、やはり何かしらのサインは欲しいですよね」
「サイン?」
「性別や血統とか」
「探す基準ということか。統計上の話をすれば、適合者の性別は男のほうがやや多い。ただし、適合者の子供はそうでない場合に比べて適合者が多く現れるが、母親が適合者である場合のほうが、父親が適合者であった場合よりも適合者が現れる確率が高い。そして、双方が適合者の場合はその確率が跳ね上がる」
「それは自家培養の話を聞かされたときのものですよね?ちなみに、私の場合は父親が適合者です」
「私もそうだ。自分たちはレアケースであるという自慢話は脇に置き、そうであっても、能力の顕現は肉体的な特徴を引き継ぐよりも圧倒的に確率が低く能力は突然変異のようなものによって手にするとしかいいようがないようだ。しかも、能力が顕現する年齢は一定ではないうえにそれを自覚する者はほとんどいないというのも事実だ」
「我々も厳しい訓練によってあの能力を手に入れたと言っているわけですし。まあ、実際にそれを引き出し高める訓練はしていますが。とにかく、あの能力が現れるには最低でも日本人の血が必要ということ以外はわからないということですね」
「だから、こうやって可能性がある者に丹念に会って適合者を探しているのだろう」
「そうですね。地道な努力。蒐書活動の訓練と思ってがんばりましょう」
ふたりの会話は終焉が近づき、宴を終わらせるかのように何杯目かのコーヒーかを勢いよく飲み干した年下の相棒は、彼の希望がはっきりとわかる期待を詰め込んだ言葉を紡ぐ。
「それで、これから訪ねる人物はどのようなお方なのですか?」
「これだ」
ようやく本題に入り、取り出す機会を得た鮎原から渡されていたファイルを彼は相棒に差し出す。
そこにはふたりの名前が記されていた。
「紫智也、智子。兄妹ですか?」
「そうだ」
「具体的にはどのような人物なのですか?」
「まだ子供で、ふたりの父親はつぶれかけた古書店の店主とある」
「つまり、その親が適合者ということですか?」
「確実なことはわからないがそれについては否定的なレポートが書かれている。ちなみにレポートには母親も違うようだとあった」
「つまり、完全な新人。しかも、ふたり。これはポイントが高いですね。ですが、どうやって……というのは野暮ですね。古書店ということはフェイクを持ち込んで鑑定させたということですか?」
「それ以外にはないだろう」
「ですが、それであってもどうやって親ではなく子供が適合者の可能性があるとわかったのですか?」
「目の前で実演したのだそうだ。まず、兄。それから妹に鑑定させたあとに見た目は古文書だが最近つくられた贋作なので買い取りはできないと言われたとある。これがすべて正しければ、少なくても父親は兄妹に特別な鑑定眼があることを知っているということになるな」
「ちなみにそのフェイクの出来は?」
「蒐書官なら絶対に引っ掛からないEランク。つまり、『すべてを写す場所』にとっては下から三番目のレベルだ。だが、それでもフェイクと見破るには科学的調査を待たねばならない。それを瞬時に偽物と判断した。しかも、ふたりがまだ子供だということを考えれば本格的調査をするに値するというのが鮎原さんの判断だ」
「なるほど。そういうことなら今度こそ期待できるというわけですね」
「そう願いたいものだ」
「それで、神崎さんが彼らに対して用意したものは?」
「こいつだ」
彼はさらに一冊の古文書を取り出す。
「……いいですね。ですが……」
それを手に取った相棒が思わず唸ったもの。
それは……。
「これは初心者には少々難題ですね。紙は江戸時代初期の本物。ただし、精巧に加工はしてあるが墨は古くはない。つまり、プロがおこなう典型的フェイク作品。しかも書かれているものは本物を写し取ったものであるうえ、豊臣家滅亡に関わる刺激的な内容が含まれているので罠に気がつかなければ相当な高値で買い取る。まさに適合者でなければ身を亡ぼすもの」
「そういうことだ。それに親が適合者だった場合にはこれだけのものを扱う取引を子供だけには任せない。まず自分で確かめるだろう」
「なるほど。つまり、一粒で二度、いや、三度おいしいというわけですね」
「そういうことだ。では、そろそろ行こうか。我々を明るい未来に導いてくれるかもしれない『いと尊きかた』の御もとへ」




