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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story Ⅲ ノルウェー人蒲焼を食す

「ヴァイキングの航海日誌」の後日談的話となります

内容的には本編で語られなかった話といったものになりますが

 千葉県成田市成田国際空港。

 利用者はもちろん空港関係者でさえごく一部の者しか立ち入ることができない「ターミナルゼロ」と呼ばれているエリア内でおこなわれた天野川夜見子とノルウェー人エドヴァルト・ハーゲンとの商談は双方にとって十分に満足できる結果となった。


「契約が成立したところで、食事にしましょうか」


 彼女はその言葉を口にすると、同意するかのように相手も大きく頷く。


「ちょうどお腹がすいていたところでした。さて、どのようなものが食せるのか楽しみですと言いたいところなのですが、私はせっかちな性分。何が出てくるのか考えながら待つのは嫌いなのです。まず、それがどのようなものかをお伺いしてもよろしいでしょうか?ミス天野川」

「もちろんです。私があなたのために用意したものは鰻を使った料理です」


 夜見子は自信満々にその言葉を口にしたのには訳がある。

 実は夜見子自身成田に来るたびにそれを口にしているほどこの地の鰻を食べることを楽しみにしているのだ。

 当然、夜見子はその美味しい料理を振舞えばノルウェーからの来訪者に喜んでもらえると信じていた。

 だが、事態は夜見子の予想と違う方向に進み始める。

 それまでの笑顔とは一転、夜見子の言葉を聞いたハーゲンの顔は歪んだ。


「……鰻」

「はい」

「……鰻ですか?」

「……はい」


 双方の言葉に大きな温度差があり、そしてその温度差が何からもたらされているのかはその人物に問い直すまでもなくあきらかだった。


 ……もしかして。


 自らが出くわしたある経験によりハーゲンの困惑の原因がその地を訪れた日本人の間でも有名なある料理ではないかという思いと不安が夜見子は心の中に広がる。


 ……かの地で鰻を食べたのではないでしょうか。


「ミスターハーゲン。あなたはどこかで鰻を食べたことがあるのですか?」

「はい。フランスとイギリスで」

「なるほど」


 ハーゲンの言葉に含まれていたその国名を聞き、夜見子は自らの予想を確信へと変えた。


「一応、その感想を伺いましょうか?」

「フランスで食べた鰻料理は『鰻の赤ワイン煮』というもので、絶品とまではいきませんでしたが、まあおいしく食べられるものでした。ですが、イギリスでのそれは、なんというか……」


 ハーゲンはその時のことを思い出したのか、体を震わせる。


 ……罰ゲームのようなものと言いたそうですね。それについては私も同感です。


 夜見子は苦みを帯びた笑みを浮かべる。


「もしかして、ロンドン名物『鰻のゼリー寄せ』を食べたのですか?」

「……はい」


 それからハーゲンは悪夢を再現するかのようにそのときのことを詳しく話し始める。


 その地に住む知人から「イギリスの有名な家庭料理」でありイギリスに来たら必ず食べるべきものとして紹介されていたその一品を市場で見つけ購入したハーゲンは口に入れた瞬間記憶が消えるほどの衝撃を受けた。


「まずいという言葉に申しわけないと思える料理に出会ったのは後にも先にもあのときだけですね」


 つまり、ハーゲンにとってその味はそれほどのものだったということである。

 もちろん騙されたと感じた彼は翌日友人に猛抗議した。

 だが、その友人は「騙されたとは失礼なうえにその抗議は著しく正当性を欠く。いわゆる不当抗議である」といわんばかりにこう答えたという。


「災難だったな。だが、それはよほどのハズレを引いた君の運が悪いのであって料理そのもののせいでもないし、まして私のせいでもない。だいたい金をケチらず一流店で食べればそのようなことにはならなかったはずだ。まあ、とりあえず本当に騙されたと思って私が紹介する店でもう一度食したまえ。評価は劇的に変わること請け合いだ」

「わかった」


 そこまで言われては試さなければならないと思ったハーゲンはその晩紹介されたロンドンの名店のひとつに出かけ、再びそれを口に入れた。


「それで、結果はいかがでしたか?」

「一口食べた私は店員を呼び、やってきた店主らしい男に訊ねた。材料の選定か調理方法を間違えていないかと。もちろん言葉だけでは伝わらないからと彼にもそれを食わせたよ」

「彼は何と?」

「最高の味ですと」

「まあ、そうでしょうね。ロンドンで食べるあれは、バッタ物から高級店までどこでもそのような味ですから」

「知っていたのですか?ということは、あなたもあれを……」

「はい。ですが、慣れれば美味しくなるそうですよ。ロンドンで活動する蒐書官の中には好んであれを食べている者もいるくらいですから。そのひとりがオスロの一件のときにあなたも会った蒲原です。まあ、私には一生無理そうですが」

「私にも無理ですな。ですから、私にとって鰻料理とはあれのイメージが強いのです」


 ……それはご愁傷様です。


 夜見子は心の中でハーゲンと、調理された多くの鰻たちを憐れむ。


 ……まあ、私だってアレに関しては二度と御免被るのですが。


 苦笑いを零すように浮かべ、それから、日本人であることを感謝しながら、夜見子は続く言葉を口にする。


「ですが、ご心配なく」

「と言われても……」

「同じ鰻料理かと疑いたくなるものをお出しします。……ご安心を。私も同じものを食べますから」


 最後に夜見子が言葉をつけ加えたのはハーゲンが彼女に疑いの目を向けていたからである。


「日本に来る外国人は、鮨や天ぷらを絶賛しますが、私はそこにこれからお出しする鰻料理も加えるべきだと思っています。それくらいの味です」

「なるほど。あなたがそこまで言うのなら食べてみましょう。ところで、ミス天野川」

「はい」

「まだその料理の名を聞いていませんでした。その料理は何というのですか?」

「蒲焼。鰻の蒲焼といいます」


 さて、その「鰻の蒲焼」をハーゲンが食した結果であるが、言うまでもない。

 ロンドンで口にした究極の一品のおかげで、鰻料理のハードルが大幅に下がっていたとはいえ、それを差し引いてもそれは十分に美味といえるものであった。

 同席した側近の鮎原から出された提案によりハーゲン夫妻だけではなく彼女を含めた全員が箸ではなく木製スプーンで鰻重を食べるという珍妙な光景が終了すると、ハーゲンが言葉を絞り出す。


「……ミス天野川」

「はい」

「素晴らしい。確かに素晴らしいのだが、これが本当にあの鰻を使った料理なのかという疑いを持たざるを得ない。本当にこれは鰻料理なのですか?」

「もちろんです」

「驚きです。同じ鰻を使いながら……いや、わかりました。種類が、種類が違うのですね。そうでなければこうはならない」

「一応、これに使われているものは天然のニホンウナギですが、ヨーロッパで流通している鰻でもほぼ同じものをつくることは可能でしょう」

「それは本当ですか?」

「おそらく……」

「すばらしい。ノルウェーに戻ったらすぐにつくらせることにしよう」

「では、レシピを用意させておきます。もちろん、温めればすぐに食べられる冷蔵品も帰国までに準備しておきましょう」

「ありがたい。……できればおおめに」

「承知しました」


 こうしてロンドンで始まったハーゲンの悪夢は成田で見事に覚めたのだが、その反動なのか、この後、彼と、同じくこの料理をいたく気に入った妻アガーテ、そしてわずか二歳で最高級蒲焼の味を知ってしまった娘のマッタはひたすら鰻の蒲焼を所望し続け、警護役としてノルウェーから同行していた蒐書官菫川ともうひとりを閉口させることになる。


「……私は毎晩同じ悪夢に魘されているのだよ。植村君」

「それは大変ですね。それで、菫川さんを悩ます夢とはどのようなものなのですか?」

「決まっている。鰻だ。鰻の蒲焼が私を襲うのだ」

「なるほど」

「……言いたいことがあるなら聞こうではないか。言ってみたまえ。植村君」

「実は私も同じ夢を見ているのですよ。こういうのを異床同夢というのでしょうか」

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