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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story Ⅰ 同族嫌悪

「ヴァイキングの航海日誌」の後日談的話となります

内容的には本編で語られなかった話といったものになりますが

 ノルウェーからハーゲンがやってきた日の晩。

 ある事件がきっかけとなって天野川夜見子との取引が始まり、そこで膨大な利益を得ていた闇画商木村恭次はどうにも表現が難しい表情を浮かべていた。

「彼女から依頼された仕事はあなたには荷が重すぎたということですか?そうであれば、『身分不相応な仕事ですので他の誰かにお頼みください』と断ればよかったのではないのですか?」

 テーブルを挟んで座る女性が珍しく皮肉めいた言葉を口にする。


 ……昼間の一件が尾を引いているのかな。


 普段ならありえないそれについて心当たりのある彼は敢えてそれには触れず、商売に関する部分についてのみ口にすることにした。

「冗談ではない。二百億円分のアンティークを右から左に流すだけで二十億円が手に入るのだ。しかも、成功すれば、その仕事は継続されるという。これを断るほど私は慎み深くない」


 ……つまり、欲深いということですね。


 一方、気遣われた女性であるが、それには気づかず、いつものように心のなかで男を蔑む。

「では、その手数料が安すぎるということですか?そうであれば、いつものように中抜きをすればいいのではないですか?」

「それは契約違反になり、それこそあり得ない話だ。他のクライアントならいざ知らずあの女……いや、天野川女史を相手にそのようなことをしていては命がいくつあっても足りない」

 木村恭次が慌てて「あの女」から「天野川女史」に訂正したのは愛する妻が無意識に垂れ流した殺意にも似た悪意を感じたためだった。

「どうかされましたか?」

「いや。どうも君はあの天野川女史に好意を持っているような気がしただけで……」

「それはありますとも。なんと言ってもあなたの命の恩人なのですから」

「な、なるほど。確かにそうだな。君の言葉は間違っていない」

 木村恭次は妻の言葉にすぐさま肯定したが、もちろんこれには彼が知らない多くの裏がある。

 まず、妻の「命の恩人」という言葉であるが、表面上は正しい。

 闇画商として盗品売買を生業としている彼が贋作を掴み、破産の危機にあったときに助けの手を差し伸べたのが天野川夜見子だったのは事実だからだ。

 だが、それはすべて彼が偶然手に入れた幻の書「輝く日の宮」を格安で手に入れるために彼女の側近である鮎原が書いたシナリオであり、一流の目利きである彼を騙すためにもうひとりが手を貸した驚くべき罠によって彼は贋作騒動に巻き込まれた、いわば一方的な被害者だったといえる。

 そして、最大の裏。

 それは彼が愛する妻真紀が天野川夜見子の側近上級書籍鑑定官嵯峨野真紀と同一人物であり、彼女は闇市場に流れる貴重な書の情報を得るために彼に近づいたということ。

 もちろん、それらについて何も知らない彼は、その時のことを思い出し、感謝の言葉を口にする。

「彼女のおかげでこうして今も画商を続けていられるだけではなく、何不自由なく君といられることを忘れてはいけないな」

 心から出た彼のその言葉の一部分にだけに彼女は頷き、それに続いて彼女は最後に残った疑問を彼にもう一度問う。

「仕事は請け負いたい。そして、依頼条件にも不満がない。では、何があなたをそれほど不機嫌にさせているのですか?」

「そうだな。やはり、問題はこの取引で一番得をする人物かな」

「得をする人物?それはあの方以外の誰を指しているのですか?」

「もちろんハーゲンとかいうノルウェー人だ」


 エドヴァルト・ハーゲン。

 それが闇画商を不機嫌にさせている男のフルネームである。

「どういうことですか?」

「私が苦労して集めたアンティークをその男が受け取るまではいい。だが、支払いは天野川女史。つまりその男はただ品物を受け取るだけだ。そこが気に入らない」

「ですが、それこそがあの方からの依頼であり、そのための多額の報酬なのではありませんか」

「そのとおりだ。だが、どうにも納得しがたい」

「自分の努力の成果が働かざる者の口に入るのが気に入らない。なるほど。あなたの言いたいことはわかりました」

 もちろんそれは表面上だけのことである。


 ……笑わせてくれる。

 ……だいたいおまえごときの納得など夜見子様には必要ない。

 ……それなのにそこまで偉そうなことをほざくとは身の程知らずとはこのことだ。


 だが、吐き出すように呟いたその心の声を表情のどこにも出すことはなく、彼女はいつものようにこの男を操るための艶のある声で言葉の糸を紡ぎ始める。

「では、命を張ってサボタージュしますか?」

「いや」

「それとも、贋作をそのハーゲンなる男に掴ませますか?」

「それはいい。と言いたいところであるが、相手も相当の目利きらしいので安物を差し出して偽物とバレたときには目も当てられないことになる。かといって、その男を欺くほどのものはそう簡単に手に入らない。偽物を用意するために本物以上の金をかけていては本末転倒だ」

「では、どうすると?」

「結局、私がハーゲンを上に立ち満足感を得るためには目の肥えた相手を唸らせるだけの逸品を用意するしかないのだ。つまり、ハーゲンを喜ばせること。そこがどうも感情の折り合いがつかないのだ」

「……なるほど。そういうことですか」

 彼女はようやく目の前の男の屈折した気持ちを理解した。

 気に入らない男のために仕事をしなければいけないという現実。

 しかも相手が同業者だけに手抜きが許されず、相手が喜ぶような最高のものを提供しなければならないという矛盾のような複雑な感情がこの男を不機嫌にさせている。


 ……だが、私にとってこの男のつまらぬ感情など考慮にも値しない些細なことでしかない。

 ……この男は何も考えず夜見子様のために最高の仕事をすればいいのだ。

 ……そして、そう仕向けることが私の務め。


 心の中でそう言った彼女はこの男にもっている軽蔑という感情とは正反対の表情をつくって男に声をかける。

「ですが、そういうことであれば手抜きは絶対に許されませんね」

「もちろんだ。その男が目をむくほどのものを用意してみせる」

「素敵です」

 男の言葉に彼女は大きく頷いた。

 内に秘めた黒い思いをどこにも出すことなく。

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