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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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 After story 闇商人の格言に救われた愚者 

「法の師」の後日談的話です。

大部分は時系列的には前日談的話ですが

 午後三時を少しだけ過ぎた神奈川県横浜市。

 この地の観光名所のひとつにもなっている独特の形をした「みなとみらい」地区に建つ高級ホテルのひとつ。

 横浜港が見渡せる眺めの良いそのラウンジで四人の男がつくりものの笑顔を浮かべてコーヒーを飲み、無意味な言葉を交わしていた。


 実は、この男たちはすべて闇市場に蠢くものであったのだが、このような者たちが観光客で賑わうこのような場所で顔を合わせているというのは一見するとやや奇異な感じがするかもしれない。

 なにしろ闇市場の関係者の取引といえば、深夜の人気のない場所、そうでなければ、闇画商木村恭次や蒐書官がおこなうように所有者の自宅でおこなうという世間一般のイメージなのだから。


 だが、実はそのようなものこそ彼ら闇の住人にとってはレアケースなのであるが、それには理由がある。

 人気のない場所や夜間、一方の屋敷を交渉場所に設定するのは彼らにとって重要な要素である対等な条件下での交渉をおこなうには相応しくないというだけではなく、安全上の問題も生じる。

 つまり、あえて昼間という時間帯に人気の多い場所で交渉をおこなうという彼らの行動は、部外者にはそう見えなくても、少なくても彼らの理にはかなっていたのである。


 さすがに商品や購入資金の確認は別室でおこなわれるのだが。


「これで三回目となりますので顔合わせはもういいでしょう。さっそくビジネスの話を始めましょうか」

 彼らのなかでの取り決めにある交渉の立会人を務めるふたりの闇商人のうちのひとりである小原晃司がその宣言をおこなうと、三人の男が同意するように頷き、その日の交渉は始まった。


 とは言っても、彼の言葉のとおり過去二回の交渉で条件はすでに詰められ、今日は、商品と代金の交換がおこなうだけであり、そしてそれはすなわちこの取引はまもなく終了することを意味する。


「決められた手続きとはいえ、少々堅苦しいものですね」

 ほんの少しだけ面倒くさそうな表情を浮かべて本音が見え隠れする言葉を口にしたのは、この場にいる者の中で唯一商人ではなく、かつ商品の受け取り手になる男である。

「早く商品を鑑賞したいという君塚氏の気持ちは重々承知していますが、これは我々この世界に住む人間にとって重要な儀式なのです。もう少々お付き合いください」

「もちろんですとも」

 宥めるように言われたその言葉に頷き、そう返事をしながらも彼は心の中で皮肉めいた言葉を口にしていた。


 ……人を騙して金を奪い取る輩が闊歩する日の当たる場所。

 ……一方、愚直なまでに契約と手続きに固着する住人ばかりの闇の世界。

 ……いったい、どちらの商人が客として好ましいのだろう。


「君塚様」

 現実世界に呼び戻すようなその声に彼は心の中で続けていた永遠に答えの出ない禅問答を慌てて打ち切る。

「何かな?」

「契約完了するにあたりお話しなければならない重要なことがあります」

 それは彼にその商品を売った相手である闇商人垣野絵の言葉だった。


 特別なものに思えるその言葉。

 だが、それが何かが想像できた君塚は少しだけうんざりした表情を浮かべる。

「それはあなたがたと取引する際の注意事項のことでしょうか?」

 闇商人から何度も商品を買い、コレクションを増やしていた彼はその度にそれを聞かされており、今では諳んじて言えるほどになっていた。


 彼は目を閉じ、口を開く。

「いかなる事情があっても自らの商品の購入先を明かしてはいけない」

 彼は自らが口にしたそのもっとも重要な掟に続き、これまで何度も聞かされたそれを次々と詠唱するように口ずさむ。

 それらはすべて闇市場で取引をする者が守らなければならぬものであり、それを犯した者は取引ができなくなるというだけではなく、この世に存在できなくなることもありえるという厳しい戒律だった。

「いかがですか?」

「……そのとおり。さすがです」

 最後の条項を言い終わった男に小さく拍手を送りながら彼はその言葉を口にしたのだが、彼の言葉には続きがあった。

「ですが、今日はそれに加えてお伝えしなければならないことがあります」

「……ほう」

「まあ、そちらについては我々と取引をおこなうときに守ってもらうものというよりは、我々の大事なお客者である君塚様が自らの身を守るために注意すべきものといったところでしょうか」

「それはありがたい。聞かせてもらいましょうか。いったいどのような助言なのでしょうか」


 ……回りくどいことだ。

 ……単にもったいぶりたいだけだろう。


 君塚のその心の声が届いたかのように男は少しだけ俯き、口にしたのはあきらかに彼が注意を引くために加えた言葉だった。

「ついでに言えば、それは私が君塚様にお譲りする『法の師』にも関係するものでもあります」


「……それは興味深い」

 どうやらその言葉は予定通り君塚の注意を引いたようだった。

 安心したように男は彼を除くふたりの男にゆっくりと視線を送り、それから口を開き、彼らにとっての忌まわしき存在につけられたあの名を口にする。


「……蒐書官」


「蒐書官?」

「聞いたことはありませんか?蒐書官という言葉を」

「ないですね。寡聞にして」

「なるほど。この世界に関わりそれを知らないとは実に幸せなことです。ですが、そういうことなら、十分に話す価値はありますね。なんと言っても君塚様はあれを手にしてしまったのですから」


 あれ。


 それはもちろん彼が男から大枚を叩いて手に入れた今回の商品のことである。

 さらに言えば、それに与えられた「法の師」という名は今でも存在の有無が議論の的となっているものの、現在は除外されるべきものということで一応の結論が出されている源氏物語の一巻につけられたものである。


 ……売りつけた直後にそれか。


 不快だった。

 君塚が心に籠ったその気持ちを載せた言葉を吐きだす。


「まるであれが呪われている本のように聞こえますが」


 ハッキリとわかる彼の不愉快な表情と言葉に相手は少しだけ慌て、すぐに訂正するための言葉をつけ加える。

「それは失礼してしまいました。言葉が少々足りませんでしたが、あの書自体にはそのような怪しげな噂は一切ありません。それどころか、驚くべきという言葉をつけなければならないくらいの貴重な本であることを保証いたします」


 もちろんそれで負の感情が解けるはずがない君塚は少々語気を強めて重ねて問う。

「では、どういうことですか?その蒐書官とやらと『法の師』がどのように関係があるのですか?というか、そもそも何ですか?蒐書官とは」

 彼にその商品を売った闇世界の住人である男は一瞬だけ考え、まとめてやってきた彼からの問いの中から、最初に答えるものとして一番重要なものを選び出す。

「蒐書官というのは、ある女性のために世界中を飛び回って貴重な書を蒐集している彼女の使い魔を指す言葉です」


「使い魔?もしかして、その女は魔女なのですか?」

 もちろん半分は冗談である。

 だが、残りの半分も冗談かといえばそうとは言えない。

 なぜなら、彼自身、世間では存在しないことになっているものを数多く所有している以上、存在しないとされているものが実は存在していてもまったく不思議ではない。

 それが君塚の考えでもあった。


 しかし、目の前の男はそれをあっさりと否定する。

 付加価値をつけて。


「もちろん魔女や使い魔という表現は比喩ではありますが、蒐書官の彼女に対する異常なくらいの忠誠ぶりから両者の関係はまさに魔女と使い魔というに相応しいと言えます」

「なるほど。ですが、魔女本人ならともかく使い魔ごとき何とでもなるのではありませんか。そこまで恐れなくても……」

「いいえ。そうはならないのです」

「……どういうことですか?」

「彼ら蒐書官は狙いをつけたターゲットは絶対に逃がさない。もちろん金で解決できるものは金でおこないます。彼らと接触したことがある同業者によれば金払いは非常によいそうです。ですが……」

「ですが?」

「彼らの要求を拒絶した場合には、別の手段を講じて目的の書を手に入れます」

「……その手段とは?」

「相手をこの世から消す。本人だけではなく家族共々もまったく証拠も残さずに忽然とこの世から消し去る芸当を彼らは身に着けています」


 ……つまり、殺して奪うということか。

 ……だが、腑に落ちない点がある。

 ……もしかして、裏世界の都市伝説ではないのか?


「そうは言いますが、証拠がないのならその蒐書官がやったかどうかもわからないのではないでしょうか?」

「そのとおり。ですが、消えた同業者には共通点があります」

「それは?」

「まず貴重な書を手にしていたこと。それから、直前に蒐書官から接触があったこと。そして、最後に全員が蒐書官の要求を拒んでいたこと。これらにはついては疑いようのない事実です」

「……なるほど」

「ですから、もし彼らが接触してきたら、我々が生き残る手段として用いる方法でもある彼らの要求に素直に従うことをおすすめします。もちろん貴重な書を手放すのですから、それに相応しい対価は受け取るべきだとは思いますが、それも彼らが提示したものはどのようなものであっても満足し余計なトラブルになることは避けるべきでしょう」

 そこまで男が話したところで割り込むように別の男の言葉がそこに被さる。

「それについては、私からひとこと」


 それはこれまで無言を貫いてきた四人目の男の言葉だった。

「彼らは冷徹ではありますが、その一方、素直に商品を差し出した相手には非常に紳士的な対応をすると聞いています。私の知り合いは精巧にできたまがい物を掴まされたことがきっかけになり破産寸前にまで追い込まれていたのですが、そこにやってきた蒐書官は足元を見て買い叩くどころか、その巨額の負債を帳消しにする驚くべき買い取り額を提示して彼が偶然手に入れていた一冊の書を買い取り、彼はそのおかげで破産を免れています」

「……その額とは?」

「三百億円とも三百五十億円ともいわれています」

「三百億円……ですと」

 君塚が驚くのも無理はない。

 その金額は幻の本である「法の師」のために彼がつぎ込んだ額よりも桁がふたつも違っていたのだから。


「……もしかして、蒐書官は本の価値以上の額を提示したのですか?」

「さすがに三百億円を超える本など考えられませんから、そういうことになるでしょう。もっとも、彼らがいつもそうであるという保証はありませんから色々な意味でそのような状況にならないことが一番ではありますが」

「ちなみに、その方は大金の代わりに何を差し出したのでしょうか?」

「詳しくはわかりませんが、源氏物語に関係する聞いたこともない名の写本だったと思います。そして、今回君塚様が手に入れた品『法の師』も源氏物語の幻の一巻。ですから、彼らに知られれば狙われることは十分に考えられます。先ほど垣野絵氏も言いましたが、彼らが接触したてきたら諦めること。最悪ただで本を差し出すくらいの心づもりは必要でしょう。ですから、そのような悲惨なことにならないためには彼らと関わらないということが肝要でしょう」

「ですが、断りなく現れる招かざる客への有効な対策などあるのですか?」

「ないわけではないです」

「それはありがたい」


 ……それにしても……。

 ……偽物ではないかと疑いたくなるくらいに価格が安いと思ったが、要するに掴んだジョーカーを一刻も早く手放すためだったのか。

 ……そして、私は格安でお宝を手にしたつもりが、自ら進んで金を払って忌まわしきジョーカーを掴んでいたというわけか。

 ……とんだ道化だ。


 さすがにここまで聞かされてはもう笑って済ますことができなくなった彼はそれまでになく真剣な表情で口を開く。

「……できれば、ご教授を」

「もちろん。我々もそのつもりです。では、お話します。実にシンプルなものではありますが蒐書官に知られない努力をする。これに尽きます。そして、そのためには先ほど君塚様が口にしたこちらの取引をおこなう上でのきまりのひとつ『闇で手に入れたものを日の当たる場所に持ち出さない』ことは一番に気をつけるべきものといえるでしょう」

「なるほど」


「それから、くどいようですが、万が一彼らが目の前に現れたら、潔く彼らが提示した買い取り額で商品を引き渡してください。くれぐれも男気を出して抵抗したり、欲深なことは考えたりすることがないようにお願いします」


 それから数か月が過ぎた同じ場所。

「……お久しぶりですね。紀ノ川さん」

「こちらこそ。小原さん」

 あのときと同じようにテーブルを挟んで向かい合い、程よい苦みを含んだコーヒーを飲むそのふたりはあの日の取引で立会人を務めた闇商人だった。

「それで、私をわざわざ呼び出した理由は何でしょうか?」

 そのひとり紀ノ川が口にしたそれは顔いっぱいに浮かぶ笑みとは対照的な極寒の地を吹く風を思わせる冷たさを帯びたものだった。


 当然である。

 彼らはビジネス以外では公私両面で他人というがその世界にしきたりであり、ついでにいえば商人同士が特別な場合を除けば慣れ合うなどということはあり得ぬことだったから。


 ……どうせ、ろくでもないことだ。


 紀ノ川が心の中で呟いた。

 それでも、こうして時間どおりにやってきたのは、行けば利になるようなものがあるかもしれないと思ってしまう商人の性というものなのだろう。


 さて、彼にとっては人間の形をした厄介ごと以外の何物でもない目の前に座る人物であるが、彼の氷の刃のような言葉にもまったく動じることはなかった。

 そして、返す。

 それ以上に冷え切った内容でつくられた言葉を。


「君塚氏のところに蒐書官が現れたそうです」


 ……なるほど。


 紀ノ川はこれですべてを納得した。


 ……つまり、直接か間接かは別にして君塚氏から連絡があったということか。

 ……となれば、要件は決まっている。


「……目的は奴らに君塚氏を売った犯人探しということですか?」

「たしかに君塚氏が『法の師』を手に入れたことを知っているのは我々と売り手である垣野絵氏となるわけですから、そういうことであればその三人の中に蒐書官に情報を流した者がいた可能性は高いということになります」


 ……回りくどい。

 ……だが、言っておくが、私を疑っているのならお門違いというものだ。


 自分を呼び出した男の意図を読み切った紀ノ川は鼻で笑う。


「まったくそのとおりです。せっかく手に入れたものを毟り取られた君塚氏はさぞ犯人を恨んでいることでしょう」

 言うまでもない。

 身に覚えのない彼にとってそれは間違いなく他人事だったのだ。 


 ……さて、茶番は終わりだ。

 ……他人を疑う前にまず自分の無実を証明してもらいましょうか?


 だが、紀ノ川がその言葉を吐きだそうとした瞬間、目の前に座る男が口を開き意外な言葉を囁く。


「……普通ならば」

「普通ならば?どういうことですか?」

「ですから今回はそうではないということです」

「というと?」

「つまらぬオチですが、蒐書官に嗅ぎつけられた原因は君塚氏本人にあったということです」


 それは彼がまったく予想していなかったものだった。

「……どういうことでしょうか?」

「順を追って説明します」


 ウエーターにふたり分の追加のコーヒーを注文してから小原が再び口を開く。


 貴重な一巻「法の師」を手に入れた君塚がそれをきっかけにして「源氏物語」にのめり込み、やがて自らが持つ「法の師」が考えていたもの以上に価値があるものだと気づく。

 そうなると、今度はその本当の価値がどれほどのものかが知りたくなる。

 つまり、それはそれなりの知識を持つ者による鑑定を受けるということだ。

 もちろん「闇で手に入れたものを日の当たる場所に持ち出さない」という商人たちの戒めの言葉を忘れたわけではなかったのだが、それを眺め続けているうちにその思いは強くなっていく。

 そして、遂にそれを実行してしまうのだが、当然ながらその結果はいい方向には転がらない。

 君塚は「法の師」という名を出すことはなく用心に用心を重ねて裏世界で鑑定者を募ったのだが、そこに含まれた『古い「源氏物語」の写本』というフレーズは、当然蒐書官に触手に触れる。

 そして、その情報を手に入れるとあっという間にターゲットを見つけ出した彼らは笑顔をたたえて君塚のもとを訪れた。


 それが小原の話のあらましだった。


「つまり、浦島太郎の玉手箱というわけですか」

「笑いどころなのかは微妙な表現ですが、言ってしまえば、そのとおり。つまり自業自得というわけです。君塚氏本人も非常に反省していました。甘く見過ぎていたと」


 ……では、目的は犯人探しではない?


「ということは、今回の要件というのはそれとは別件ということですか?」

「そのとおり。我々が顔を合わせるのですから、本題は当然商売に関するものです。ですが、その前に頼まれたことは済ませておきたい。最初に蒐書官の話を持ち出したのはそう思っただけです」

「頼まれたこと?」

「君塚氏から『あのときの忠告が役に立ちました。命拾いをしただけではなく、次の買い物ができるほど法外な金を手にすることができました』という感謝の言葉を頂いております」


「……なるほど。そういうことですか」

 疑問と疑念が氷解し、ようやく彼の顔に笑みが浮かぶ。


「つまり、我々の処世術、格言が彼を救ったわけですね。やはり、いいことはしておくものですね」


 紀ノ川は笑った。


 いや、彼ら全員が笑った。

 心に多くのものを含みながら。

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