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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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法の師

 神奈川県横浜市。

 この名を聞いて多くの者は海や港を思い浮かべるのだろうが、実は横浜市にある十八の行政区の三分の二は海に面してはいない。 

 そのひとつが今回の舞台となる。


 その日、この地に姿を現したふたりの蒐書官北園と宮方も、自分たちが思い描いた横浜市のイメージにかけ離れた目の前に広がるその光景に少々落胆していた。


「宮方君。君ががっかりしているのはよくわかるが、ここには観光ではなく仕事で来ていることを忘れてはいけない」

「その言葉。そっくり北園さんにお返しします。それに北園さんと違い、私はこのすばらしい風景を楽しんでいます」

「悲しみと怒りを混ぜ合わせたような表情でそう言われても、まったく説得力がないな」


 こうしてお互いに自分の心情を相手に押し付けようとして失敗したわけなのだが、そうは言っても、海が見えない程度で彼らがこの地に対して本気で不満を持っていたというわけではなかった。

 なにしろひとつ前の仕事場所では、彼らが滞在していた場所には、現在彼らがくつろぐおしゃれなカフェどころか満足な食事をする場所さえなかったのだから。


「さて、いよいよ本丸に乗り込むわけなのだが、品物を手に入れる前にひとつ賭けをしないか」


 それは突然やってきた先輩である北園から彼への言葉だった。

 だが、彼はその言葉にさして驚くことはなかった。

 それどころか、その言葉を待っていたかのようにニヤリと笑う。


「つまり、今回の賭けのお題は君塚氏が『法の師』を持っているかどうかということですね。そういうことなら、私は持っている方に賭けさせていただきます」


 賭け好きの先輩とのやり取り後に毎回やってくる理不尽な要求に悩まされていたこの後輩蒐書官は今回こそはと先回りをしてすぐさま勝者側にベットする。

 だが、その様子を冷ややかな目で眺め終わった彼の先輩は「だから、君は何もわかっていない。困ったものだ」といわんばかりにわざとらしい表情をつくり、大きく首を振る。


「ここでその賭けをして、持っていない方にかける者などいないだろう。それならば『持っていないほうにかける蒐書官がいるかどうか』という賭けをおこなった方がまだ勝負として成立するというものだ。私が用意したお題はもちろんそんな陳腐なものではない」

「では、何について賭をするというのですか?」

「君塚氏が持つ『法の師』がどのようなものかということだ。これなら、十分に賭けとして成立するだろう」

「……確かに」

「もちろん賭けを成立するために同じ札を掴むわけにはいかないので、私は君とは別の意見を提示する。それから、もうひとつ。当然ながら私は先輩風を吹かせて正解を先に取るなどという卑怯なことはしない。これなら、君だってどれだけ支払ってもあきらめがつくだろう」

「……なるほど」


 彼は頷きながら、先輩蒐書官のあまりの気前のよさに疑念の気持ちが鎌首をもたげる。


「ちなみに、今回の敗者は勝者に何を差し出すのですか?……も、もしかして、今回の成功報酬ですか?」

「宮方君は日頃ケチなくせに随分と気前がいいな。支払う君が望むのなら、私はそれでも構わないが」

「北園さんこそ。先行は私なのでしょう」

「そうだ」

「それで、なぜ自分が勝てると思っているのですか?」

「それはもちろん先行の君は間違いなくハズレを引くからだ。そして、その後に私が残った正解を頂く。これぞ王者の戦いだ。だが、いくら君からの提案だからと言っても後輩から金を巻き上げて泣かしたと言われては迷惑このうえない。今回は横浜中華街でのフルコースディナーで許す。寛大な私に君はおおいに感謝するがいい」

「店は?」

「勝者が決めるということでいいだろう」

「上限は?」

「それは青天井に決まっている」


 ……それでは、同じではないですか。


 後輩蒐書官は心の中でそう呟いた。


 ……もっとも、今回ばかりは勝つのは私ですが。

 ……これまで支払ったものを、取り返させていただきます。


「わかりました」

「それで、どうするかね?本来ならすべてを話した時点で強制参加だが、今なら昼食一回で降りることを認める」

「もちろん受けて立ちます。北園さんこそ負けてから後輩に泣きながら土下座して許しを乞うなどという恥知らずの行為はしないでくださいね」

「言ってくれる。だが、これで契約成立だな。では、早速始めよう。まずは君の意見を聞こうか」


「さて……」


 彼は考える。


 ……我々との売買交渉に応じるということは、君塚氏が「法の師」を持っていることは間違いない。

 ……北園さんの言うとおりこれを賭けのお題にするのは少々無理がある。


 彼は先ほど口にした自らの言葉を思い出し、少しだけ苦笑する。


 ……問題はここからだ。

 ……君塚氏が所有している「法の師」は、大きくわけてふたつの可能性がある。

 ……ひとつは、源氏物語の作者である紫式部によって書かれ、現在は消えてしまった幻の物語の一部である。

 ……そして、もうひとつは源氏物語が完成した後に、別の誰かがつくり上げた所謂二次創作的作品。

 ……つまり、原本説と二次創作説の二択。


 そこまで考えたところで、彼は対戦相手の顔を見る。


 ……賭けを持ち掛けただけではなく、先行を私に譲るところをみると、北園さんは自らの考えにかなりの自信をもっている。

 ……いや、違う。それ以前に私が正解である自分とは違う選択をするという自信があるということになる。

 ……だが、当然私はすでにその存在が確認されている二次創作説を選ぶのだから北園さんは残った原本説を選ぶことになるのは北園さんだってわかっているはず。

 ……つまり、北園さんは紫式部の手による「法の師」が存在していたと考えているということなのか?


 そう思った彼は、これまでの失敗を振り返る。


 ……正しく思えた方にはかならず罠があり、違うと思われた方に真実があった。

 ……それを見過ごし、私は敗戦を重ねてきた。

 ……今回も一見しただけでは、二次創作説以外に考えられないのだが、どこか見落としがあるのだろうか?

 ……答えを口にする前に、原本説の根拠が本当に存在しないのかを考えてみよう。

 彼は熟考に入る。

 ……我々はこれまでの活動のなかでそのような根拠を手に入れたことはない。

 ……では、これまで夜見子様が手に入れたものの中に、そのようなものがあっただろうか?


 そう考えた彼の頭の中にひとつの名が浮かぶ。


「桜人」


 それは「法の師」と同じく「雲隠六帖」に属する一帖と思われたものの、紫式部の手による同名の独立した一帖が仲間の蒐書官によって発見されている。


 ……まさか、それを根拠にしているのか?

 ……だが、その程度のことを根拠にしてあれほどの自信を見せられるだろうか?

 ……まさか虚勢?

 ……ん?


 その時、彼にある思いが浮かぶ。


 ……もしかして……。


 ……実は北園さんも二次創作説一択なのではないだろうか。

 ……だが、先行は私。

 ……そこで、私を惑わせ、疑心暗鬼に陥った私にハズレを引かせ、自分は悠々と残った正解を手に入れる。

 ……それはまさに北園さんの言葉どおり。

 ……なるほど。そういうことか。

 すべてを読み切ったと確信した彼は笑顔を浮かべる。

 ……今日こそ勝ちはもらった。


「君塚氏が所有している『法の師』は室町時代以降につくられた所謂『雲隠六帖』のひとつと思われます」


「なるほど」


 後輩の言葉に先輩蒐書官は大きく頷く。


「確認するが、宮方君は君塚氏が持つ『法の師』は紫式部作のものではないと言いたいのだね」

「そのとおりです」

「素晴らしい」

「もしかして、もう白旗ですか?」


 先輩の思惑をすべて読み切ったと確信している後輩は少々皮肉を込めてその言葉を口にした。

 だが……。


「宮方君」

「はい」

「勝ったと思っているようだが、君はおおいなる勘違いをしている」

「勘違い?」

「そうだ。ちなみに、私は君塚氏所蔵の『法の師』は紫式部の手による物語が書かれており、室町時代の二次創作ではないと思っている。つまり、君は私の思ったとおりハズレを選択したというわけだ」


 ……あり得ない。


 彼はその心の思いを口に出す。


「私には北園さんの言葉が単なる強がりにしか聞こえませんが……」


 もちろん彼の本心である。

 だが、その言葉にも先輩蒐書官の自信に満ちた表情が崩れることはない。

 先輩蒐書官が口を開く。


「では、君にひとつ訊ねる。鮎原さんが我々に対して常々口にしていることとは何か?」

「鮎原さんの言葉?それは『我々には負けは許されない』です」

「まあ、ほぼ正解だな。だが、鮎原さんが本当に言いたいこととはその言葉の表面に現れていることではない」

「つまり、それには違う意味が隠されているのですか?」

「当然だ。その言葉は真であるならば、鮎原さんの口から『百戦して百勝はありえない』という言葉は出てこないだろう」

「では、何を……」

「負けてはいけない我々は絶対に勝てると確信するまでこちらから戦いを仕掛けてはいけない。そのために入念な準備と情報収集をおこない、ことが始まる前にこちらが圧倒的に有利な状況をつくり出すこと。鮎原さんが言いたいのはこれなのだ。さて、これを今回の賭けに当てはみたまえ。まず賭けを仕掛けたのは私だ」

「はい」

「しかも、私は先行を君に譲った。つまり、この状況だけを見れば圧倒的に有利なのは君だ」

「はい」

「そして、有利な立場に立つ君は君塚氏が持つ『法の師』は式部とは縁もゆかりもない人物の創作物だと言った」

「そのとおりです。私のその判断にどこか誤りはありましたか?」

「たしかに君の立場ならそう判断するだろう」

「では……」

「だが、それでは先ほどの話と整合性が取れないだろう。先行である君が圧倒的に有利になる賭けを私がわざわざ仕掛けると思うかね」

「……いいえ」

「君が知らない重要情報を私が知っており、しかも、私はそれを君に開示しなかった。当然その情報を知らない君が辿り着く答えは決まっている。今回の賭けのカラクリは以上だ」

「……ということは……」

「つまり、君が勝つためには、罠の存在を疑い、君が手に入れたすべての情報から導かれるその結論とは逆張りをおこなわなければならなかったということだよ。だが、あまりにも露骨な罠の匂いに真実は逆の逆にあると君は読んだ。違うかね」

「いいえ。そのとおりです」

「まあ、君がそう思うように言葉の端々に細工をしたわけなのだが」

「それは確定事項なのですか?」

「残念ながらそのとおりだ。あとは君塚氏所有の『法の師』が本物かどうかということを確かめる程度だ。そういうことで今回のことは安い授業料だと思っていつもどおり気前よくディナー代を支払いたまえ」


「北園さん。ひとつ訊ねてもよろしいですか?」

「もちろん」

「北園さんがそこまで自信を持つ根拠とは何でしょうか?」

「本人の言葉だ」

「本人?というと、君塚氏ということですか?」

「そうだ」

「それはいつの話なのですか?」

「先ほど訪問時間を確認したときだ。実を言うと、その時まで私も君と同じく彼が所有している『法の師』は室町時代以降につくられたものだろうと予想していた。だから、その情報の持ち合わせがない君が二次創作説を選択すると予想するのは難しいことではなかったのだよ」

「つまり、君塚氏の言葉にそれだけのインパクトがあったということですか。彼は何と言ったのですか?」

「まず、概要を。それから序文を少し」

「……そこから判断したのですか?」

「もちろん。ちなみに君は『雲隠六帖』における『法の師』が源氏物語のどの部分にあたるかを知っているか」

「もちろんです。このミッションに加わる前に『阿里莫本』も読んでいますから」

「そういうことなら説明は省くが、彼の語った内容はあきらかにそれとは違った」

「まだ知られていない別の補作という可能性はありませんか?」

「そういうことなら、勝負は君の勝ちとなる」

「では、それに期待することにしましょう」

「だが……」

「まだ何かあるのですか?」

「君には残念なことなのだが、彼の話には続きがある。彼は最後に裏表紙にある落書きについて言及したのだが、それはどうやらどこかの時点での持ち主がそこに書きとめたもののようなのだ」

「そこには何と?」

「鎌倉時代初期に実在した人物の名前とその人物が所有していた写本を書き写した旨が書かれているそうだ。室町時代につくられたものなら、それはあり得ぬ話だ」

「……その人物は有名人なのですか?」

「いや。君塚氏も気になって調べたらしいのだが、実在したのが確認できる程度ということだ」

「……たとえば、定家の名が記されていれば、箔をつけるために偽造したとも考えられますが、そのような無名の者であるならばそれもありませんね」

「そういうことだ。どちらにしても、我々蒐書官であればすぐにでもそれがどの時代のものか白黒ハッキリさせられる」

「そうですね。ところで、彼は『法の師』をどうやって手に入れたのでしょうか?」

「さあな。そのことについては君塚氏から聞いていないので私は知らないし、自らの今後のことを考えれば君塚氏も話す気はないだろう。だが、それは状況からでも推測はできる。我々だって国内にあるすべての闇オークションサイトを把握しているわけではない。まして、個人で動く闇商人となるとさらに動きはつかめない。君塚氏は太陽が当たらない場所に住むそのようなバイヤーたちの間では名の通ったコレクターであり、旧家や名門の家系というわけではない所謂成金であることを考えれば闇市場から手に入れたことは間違いないだろう」

「だが、詳しく調べているうちにその価値を知りたくなった」

「闇市場で品物を手に入れる者にとってそれがどれほど危険なことかは多くの者から聞かされていただろうに。結果は我々の監視網にかかったというわけだ。さて、そろそろ時間だ。では、宮方君のディナー代の支払いを確定しにいくとしようか」


「終わりましたね」

「ああ。終わった」


 三時間後、ふたりは先ほどのカフェに戻っていた。

 通常ならこのあと手に入れた商品を主のもとまで届けるという大事な仕事が残されていたのだが、それをせずにここでふたりがコーヒーを飲んでいるのには訳があった。


「まさか、鮎原さんがそれを承諾するとは思いませんでした」

「鮎原さんは部下思いのいい人だからな。だが、鮎原さん本人が出向いてくるところまでは私も想像できなかった。しかも、夜見子様まで一緒にとは。君にとってこれは完全なご褒美。最高級のもてなしをしなければならないな」

「……はい。まあ、こういう機会でもなければふたりと食事を共にすることなどないでしょうから、夜見子様と鮎原さんに食事をご馳走するところまではよしとしましょう。ですが、なぜ呼ばれもしないあのふたりまで来るのですか?」

「それは本人に訊ねるしかないな。君にその勇気がないのなら私が代わりに『なぜ夜見子様の金魚の糞まで来たのだと彼が言っています』と聞いてやってもいいが」

「やめてください。拷問されたうえで殺されます」

「では、諦めて全員分をご馳走するのだな。もちろんその時は最高の笑顔でもてなさなければならない。ついでにいえば、夜見子様の護衛役の蒐書官の分も君の負担になる。成功報酬が入るのだ。今後のことを考えたらケチらずしっかり支払うことをおすすめする」

「……はい」


 そう。

 つまり、仕事が終わったあとに、横浜中華街でのディナーが控えていた北園は自分たちの代わりに品物の運搬をおこなう者を手配したのだが、その話を聞いた鮎原と彼からその話を聞いた夜見子がご相伴に預かるついでに自ら足を運ぶと連絡してきたのである。

 しかも、偶然その場にいたふたりの上級書籍鑑定官もその宴に参加すると言い出し、ディナー代を支払う者の許可も得ず同行することになったのだ。

 もちろん、すべてが決定してからそれを聞いた彼は頭を抱えたわけだが、諸々の事情により断るわけにもいかず、目の前にいる人物にこうやって愚痴をこぼしていたわけである。


「成功報酬で収まるか心配になってきました」

「安心してくれたまえ。足りなくなったら金は貸してやる。しかも、一日あたり五パーセントの利子という親切プライスだ。大船に乗った気持ちが楽しもうではないか。ちなみに、夜見子様も参加するので横浜中華街で一番に格が高く、当然値段も一番だというあの店を貸し切り予約しておいた。予約客を追い払う経費も君の持ち出しになるが仕方がないことだとあきらめたまえ」


 ……最高級中華料理店での六人分のディナー代をすべて支出するだけではなく、諸経費もすべて支払うだと。


 目の前に迫った悪夢のような未来を想像して頭を抱える彼に先輩蒐書官が声をかける。


「さて、店も決まったところで、夜見子様たちが到着するまでもうしばらく時間がある。せっかくだからこれについての君の見解を聞こうか」

「……そうですね」


 先輩蒐書官の言葉に彼が答える。


「紙の年代から考えて平安時代中期から鎌倉時代初期に書かれているのは間違いないでしょう」

「内容については?」

「ざっと見ただけですが本編と大きな齟齬はないと思われます。ただし、源氏物語を読み込んだ者にとっては蛇足感のようなものが残るかもしれないですね。定家が切り落としたというのも頷けます」

「つまり、これは源氏物語にとって不要なものということなのかな」

「なくてもいいという程度に」

「今の君の言葉を作者に聞かせてやりたいな。それで、文章自体はどうだろうか?補作に類するものは室町時代以前にも書かれていただろう。その可能性を放棄して構わないのかな?」

「私は夜見子様や上級書籍鑑定官のふたりほど源氏物語に造詣があるわけではありませんが、言い回しや言葉遣いに違和感はなかったです。これ以上無駄な足掻きをして醜態を晒す愚は犯したくないです」

「つまり、紫式部の文章であると判断するのだな」

「そのとおりです」

「ということは、君は著者である紫式部本人が必要であると思い書き加えたものにケチをつけていたということになる。たいしたものだな」

「い、いえ。そのようなことは……」

「冗談だ。実は私も宮方君とおおむね同じ意見だ。だが、たとえ蛇足であっても、それ単体では十分にすばらしい文章だと評価できるものだった。さて、ついでだ。君が持っているもうひとつの疑問も解決しておこうか」


 先輩の言葉にかれは少しだけ驚く。


「……わかっていたのですか?」

「君塚氏との交渉中に何度も口から出かかっていたからな。我慢をした褒美に私がそれに答えようと思う。もちろん、彼に聞いたものではなくあくまで私の想像でしかないが」

「もちろんそれで結構です。では、お言葉に甘えて教えていただきます」

「素直でよろしい。では、心して聞きたまえ。まず、君の疑問。せっかく手に入れた『法の師』をいとも簡単に手放すことに君塚氏が同意したのはなぜかということだが……」

「はい」

「おそらくつきあいのあるバイヤーたちに忠告されていたのだろう。蒐書官に目を付けられたらおとなしく交渉に応じるようにと。金払いはいい。ただし、一度目をつけたものは相手の命を奪ってでも手に入れる。声をかけられたら潔く差し出された金を受け取って商品を引き渡すべし。これが彼らの処世術らしいから大事な顧客にもそれを教えていてもおかしくない」

「なるほど。ですが、金は腐るほどあるのだから、どうせ手放すのなら名を残すように我々が来る前に研究者に……は、無理ですね」

「そういうことだ。それをやってしまえば、出どころをあきらかにしなければならない。そうなれば今後闇バイヤーとの取引ができなくなるだけではなく、下手をすれば掟破りとしてこの世から消される。つまり、それはやりたくてもできないことなのだよ。それに、太陽の当たらない場所で手に入れた品を日の当たる場所に出すには時間と労力とそれに伴う膨大な資金が必要なのだ。そのような芸当をやってのけられるのは?」

「例の美術館のような巨大組織だけ。ということですか?」

「そういうことだ。しかも、彼が研究者のもとに『法の師』を持ち込んでも歴史に名前が残るのはそれを調査し世間に発表した者なのはこれまでの多くの例からあきらかだ。つまり、命の危険を冒してやるまで価値はない。ん?外が騒がしくなってきた。いよいよお出ましかな」

「そのようですね」

「夜見子様を待たせるわけにはいかない。では、宮方君。そろそろ行くとしようか」

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