After story Ⅲ 見返り美人
「前方後円墳の設計図」の後日談的話となります
内容的には本編で語られなかった話といったものになりますが
天野川夜見子が桐花武臣と会談しているころ。
その場所からそれほど遠くはない彼女が根城にしているあの建物の一室で、ふたりの女が自分たちの言葉をBGMのように聞き流す年長の男に食ってかかっていた。
「今回の件を黙認するとはどういうことなのですか?鮎原」
「もしかして、最側近でありながら夜見子様に同行しなかったのは命が惜しかったからではないでしょうね?」
「まさか」
言葉のかぎりに自分を罵るふたりの女を軽くあしらうように男はそれを否定すると、冷静そのものという風で言葉を続ける。
「そもそも我々がここに留め置かれているのにはそれなりの理由があります」
「言ってみなさい」
「まず、会談は一対一でおこなうと相手から指定があったのです」
「そのようなものは無視すればいいでしょう」
「そうはいきません。なんと言っても要求した相手はあの桐花家当主なのですから。そして、それがもうひとつの理由です」
「どういうことですか?」
「これをセッティングしたのは当主様。その結果先ほどの条件で会談が実現することになったのです。これを無視するということは当主様の顔に泥を塗るということになります」
「ですが、夜見子様おひとりというのは……」
「もちろん運転手を兼ねてふたりの蒐書官を同行させています。もっとも彼らも門前払いを食らい屋敷の中には入れませんが」
「誰が同行しても結果は同じ。だから、同行していないとでも言いたいのですか?」
「そのとおりです」
「ですが、それでは万が一のときでも夜見子様をお救いすることができないではないですか」
当主の名を出されて一旦は引き下がったものの、納得できない女のひとりが口にした言葉に男が答える。
「その点は問題ありません」
「どういうことですか?」
「夜見子様を娘同様にかわいがっていらっしゃる当主様が無策というわけがないでしょう。由紀子様をはじめとしたお嬢さまの護衛隊の主力を動かし、相手にもよくわかるように配置しています。それに……」
「それに?」
「桐花家の当主がそのようなことをするとは思えません」
「なぜそのようなことがいえるのですか?」
「桐花家当主の為人です。私が知るかぎりかの御仁はマキャベリストを極みのようなお方です。そのような方がたいした理由もなく、ここで圧倒的武力を誇る立花家とことを構えるとは思えません」
「いいえ。理由ならあります」
男の言葉に異を唱えたのは女のひとりである北浦美奈子だった。
「私たちはあの男から『枕草子』を奪っています。その男がそれを恨み、やってきた夜見子様を害しようと思っても不思議ではないでしょう」
「……なるほど」
彼女の言葉に男は頷くものの、直後の言葉はまったく逆のものだった。
「ですが、たとえかの御仁の心にあの一件が棘として刺さっていても、彼はそのようなことはしない。少なくても私が桐花家当主なら別の形でそれを利用します」
「たとえば?」
「夜見子様に『枕草子』の情報をもたらしたあなたの命を対価にして、夜見子様に仕事をさせる」
「私の命?」
「あのときは本当に気づかなかったのでしょうが、現在はあなたが我々の側の人間であることを桐花家当主は知っており、当然我々の小細工の全容も見抜いているのは間違いない。それにもかかわらずあなたがまだこうして生きているということはいずれこのような形で利用するつもりだったのでしょう。そうして、今その機会がやってきた。今頃彼は夜見子様になんらかの話を持ち掛けていることでしょう」
「……私のせいで夜見子様が苦境に立たされているというのですか……」
「そうなります。ですが、責任を感じてあなたがここで死んでも何も変わりません。彼は別の人物をターゲットにすればいいのですから。今さら言っても栓亡きことではありますが、我々はあの本に手を伸ばした時にこの覚悟をしておかなければならなかったということです」
青ざめる同僚の代わりに言葉を口にしたのはもうひとりの上級書籍鑑定官嵯峨野真紀だった。
「そ、それで、それに対する対応策は?鮎原。あなたはそこまで読んでいるということは夜見子様にそれに対する策を上申したのでしょうね」
「もちろん。それに夜見子様もその程度のことは考えているでしょう。心配ありません」
重苦しい空気の中で、女のひとりが口を開く。
「……鮎原に聞きます。その男はどのようなことを要求してくると思いますか?」
「おそらくライバルの殺害。と言っても、桐花家のライバルになるものなど立花家くらいしかないわけですが、それを夜見子様が飲むとは彼も思っていない。もちろん彼にはそれをおこなわせる力はありますが、その力を立花家に対して使うということはすなわち全面衝突を意味し、桐花家の滅亡に直結します。彼が要求するのはもっと身近で潜在的驚異になる者の排除」
「身内ということですか?」
「そうです。つまり名家によくある当主争いまたは跡目争いの類において彼が邪魔だと思う者がその対象になると思われます。しかし、いくら彼でも身内に対して目障りという理由だけで直接手を下すのは後々のことを考えれば簡単にはおこなえない。この機会に我々を使ってそれをおこなおうとすることは十分考えられます」
「我々を使用人扱いとは忌々しい男だ」
「ですが、それについて言えば、我々にとってありがたいことに、今回我々が手に入れようとしている『古墳の設計図』の所有者である九尾武久もそのひとりだということです。加えて彼は現当主桐花武臣氏の腹違いの兄で日頃から長兄である自分こそ桐花家の正当な後継者だと主張しているのは桐花家のなかでは有名な話」
「……つまり」
「桐花家当主が我々に殺害を依頼する人物はおそらく九尾武久となります。もちろんこの人物であれば、夜見子様が拒絶する理由はありませんし、この話が条件として出てきた場合は絶対に断ってはいけないと夜見子様に伝えてあります」
「なるほど。所有者の排除が許されるのであればたしかに仕事はやりやすくなる。私たちにとっても願ったり叶ったりというわけですね」
「そういうことです」
「ところで、鮎原」
「はい」
「九尾との交渉は誰がおこなうのですか?」
「当然情報を手に入れた北添君のペアになりますが何か問題がありますか?」
「彼らの腕はどうなの?当然この場合の腕とは実力行使をおこなう技術のことですが」
「確かに。相手はどんなに愚かでも桐花家の一族。武器の持ち込みはできそうもないのだから、素手で戦える者でなければいけません」
「なるほど。それは少々考慮すべき……ん?」
「どうかしましたか?」
「こういう仕事にうってつけの者がいたことを思い出しました」
「誰ですか?」
「適合者とわかり最近お嬢様の護衛部隊からこちらに来た山越陽という者です」
「由紀子様から推薦があった者ね」
「そうです。蒐書官としては未熟でとても蒐書活動ができるレベルにありませんが、それこそ真紀さんのいう実力行使の能力は非常に高いです」
「どれくらい?」
「模擬戦を見た限りでは相手が新人の蒐書官レベルであれば三人くらいあっという間に倒せるレベル」
「つまり甲種合格ということね」
「でも、それでは現在のパートナーはどうするのですか?」
「志摩君にはサポートに回ってもらいます」
「サポート?」
「九尾氏の屋敷には本人と護衛以外にも人間はいるでしょう。相手の屋敷内でそのような仕事をするということはそこに住む者すべてを排除しなければならないということです。志摩君ならたとえ女子供でも躊躇わずそれをおこなえますから」
「……なるほど」
「それとは別に、真紀さんには配下の書籍鑑定官を率いて現場に同行してもらいたい。ターゲット以外にもあるかもしれない有益な品物を見分け素早く回収するために。私の言っている意味がわかりますか?」
「もちろんトリアージが必要だということでしょう。了解した」
「お願いします。さて、そろそろ私は務めを果たすために出かけてきます」
「務め?」
「夜見子様の迎えですよ」
だが、男の表情はなぜか普段はあまり見せないような深刻なものだった。
「どうかしましたか?具合が悪いのなら代わりますよ」
「いいえ。これは私にしかできないことですから」
そう言って部屋を出た男は銃の中身を確かめ、柄にもなく神に祈る。
……いつも通り二発の銃弾。どうかこれを使わずに済みますように。




