ピラミッド建造パピルス
エジプト。
この組織に関わる者の間でもあまり知られていないことだが、実はここエジプトはアメリカ、イギリスとともにもっとも多くの蒐書官を派遣されている国であり、この国の首都であるカイロは彼らの多くが拠点にしている場所でもある。
そして、在エジプトの蒐書官については、さらにもうひとつ知られていないことがある。
その仕事の性質上避けられないこととはいえ、毎年小さな国ならまとめて十数か国分の国家予算を賄えるくらいの書籍購入代金を垂れ流している蒐書官たちであったが、ここエジプトについては彼らの収支は大幅とまでいかぬものの、とりあえずは黒字を記録し続けていたのだ。
もちろん、そうなるにはそれなりのことをおこなわなければならないのだが、それを指揮しているのがこの国の蒐書官を束ねている統括官新池谷勤である。
新池谷はこう嘯く。
「我々は悪逆非道なおこないをする犯罪集団ではないが慈善団体に属しているわけでもない。夜見子様に指示されたものを手に入れるためならば、それが一般社会においてどれほど悪辣と思われていることでも躊躇なくおこなう。それが蒐書官である。反省?後悔?それは自分の仕事に失敗し死ぬときにおこなうものだ」
蒐書官の権化と評される新池谷が組織のためにおこなってきたこととはいったい何か?
それは盗掘品や盗品の買い取りと密売。
といっても、その黒い言葉とは裏腹に新池谷はその世界での相場よりも数割高く買い取ったそれらの大部分を当局に引き渡していた。
しかも無償で。
もし、話がここで終われば、新池谷がおこなっていることは単なるエジプト好きの金持ちによる道楽でしかなく、彼が属している組織の収支が黒字になることも絶対にない。
だが、残念ながらこれこそが新池谷のアンダーカバーであり、彼の真の顔は常に日の当たらない場所に存在していた。
そう。
新池谷が当局に引き渡さず壁裏にある倉庫に隠し持っていたごく一部の品こそ正真正銘の宝であり、それこそが莫大な利益を彼らにもたらしているものであった。
新池谷を経由して闇から闇へと消えていく周辺地域から持ち出された古代の宝は額にして年間数千億円は下らない。
当然新池谷のもとには日の当たる世界に出れば「世紀に大発見」と言われるというような驚くべき逸品もやってくる。
自らが取り扱った、そのひとつについて新池谷が述べたこのような言葉がそれを証明している。
「ベルリンにあるネフェルティティの胸像はたしかに美しい。しかし、古代エジプトでつくられた彫像のなかで一番美しく、そして一番価値のあるものは別にある」
さて、そろそろ本題に入ろう。
その新池谷に率いられた在エジプトの蒐書官たちが現在探し求めているもの。
それは彼らが「ピラミッド設計図パピルス」または「ピラミッド建造パピルス」と呼ぶ書である。
古代エジプトにおける大きな謎のひとつがピラミッドの建造方法である。
たとえば、ギザの台地に聳え立つ大ピラミッド。
それを完成させるために二百三十万個とも言われる途方もない数の石を積み上げたとされるが、複雑な内部構造とその中心と頂上が一致する驚くべき正確さを形も大きさ違う石を漫然と積み上げていたのではそのようなものは到底完成できるはずもなく、それにふさわしい設計図は存在したとされる。
もちろん、これまでそのようなものは見つかっておらず、そのようなものがあったという証拠も記録されていない。
だが、蒐書官たちはそれがあることを確信し長年にわたり探索していた。
彼らの信念の根拠。
それは彼らの主である天野川夜見子がこの組織に加わって日も浅い頃を見つけた一文だった。
その夜、当時はまだこの組織のオーナーである立花家直属で名称も蒐書官ではなく蒐集官だった彼らが集めてきたものの読む者もなく放置されていた十八世紀から十九世紀の書簡を眺めていた夜見子の目に留まったのは名もない旅行者が書いたものだった。
そこにはカイロの古物商が売り込みに来た出どころ不明のパピルスに関するこのような記述が残されていた。
「古物商は本物だと言う。たしかにそれらしく見えるし美しいものだが土産にするにはあまりにも高すぎるのでやめた」
そして、メモ書きのようにそのパピルスに書かれていたヒエログリフの一部を写し取ったものが添えられていた。
「……アケト・クフ」
そこに書かれ、夜見子が口にしたそれはギザの台地に聳え立つ有名な大ピラミッドの古名である。
それだけではない。
その言葉が含まれている短い文章は間違いなくそのピラミッドを建造について述べているのだ。
つまり、これは大ピラミッドの建造について書かれたパピルス。
それどころか、これこそがギザの大ピラミッド設計図の可能性だってある。
「……欲しい」
こうしてそのパピルス探しが始まった。
当初夜見子はそれがすでにヨーロッパの蒐集家の手に収まっているに違いないと考え、橘花グループの組織再編成に伴って自らの配下となった蒐書官の大部分を投入してヨーロッパ中を探し回ったのだが見つからない。
さらに、アメリカ、最後には湾岸産油国にまで探索の手を伸ばしたものの、その売買の痕跡すら見つけることができなかった。
その結果は当然夜見子をがっかりさせるものだったのだが、それとともに彼女をある結論に導くことになる。
それは……。
そのパピルスはまだエジプトにある。
「まさか、このときに立ち会えるとは思いませんでした」
作業の様子を眺めながら現在のパートナーでもある後輩蒐書官安斎が口にしたその言葉に応えたのはエジプトの蒐書官のなかでもベテランに域に入る高坂だった。
「安斎君。希望や期待の言葉ならともかく、今その言葉を言うのはまだ早いな」
後輩を嗜める高坂の言葉は事実として正しい。
なにしろ作業は始まっているものの、まだ何も見つかっていないのだから。
だが、話はそこで終わらない。
経験上、高坂のこのような言葉の後には何がやってくるかを知っている後輩蒐書官は、そっと、いや、強引に話題を変える。
「それにしても新池谷さんはよく場所を特定しましたね」
あまりにもその意図が露骨な彼の言葉に先輩蒐書官が苦笑する。
だが、問われたことには答えねばならないと考えたのは生真面目な高坂らしいといえる。
高坂が口を開く。
「たしかにすごいことだ。だが、特定したのは新池谷さんではないらしい」
「では、夜見子様ということですか?」
「そういうことになるな」
「まあ、特定といっても奇怪な条件を並べただけの抽象的なもので、実際にここを見つけ出したのは我々だったのですが」
先輩蒐書官は一瞬だけだがその言葉を口にした後輩の顔を冷たい目で眺め、心の中で呟く。
……大きな発見をして自慢したい気持ちはよくわかる。
……だが、先ほどからずっと浮かれている。
……このまま彼を放置していては、いずれ誰かに締められる。
……そうであれば、私がやるべきだろうな。やはり。
それまで以上に表情を厳しくした高坂が言葉を紡ぐ。
「それが我々の仕事だろうが。それに夜見子様のアドバイスがなければ我々は到底ここまで辿り着くことはできなかったことも知るべきだ。それから、安斎君。今度夜見子様を愚弄するような発言をしたら君はナセル湖に浮かび魚のエサになる。そして、それをおこなうのはこの私だ」
もちろん後輩蒐書官はすぐに気づく。
自分が蒐書官として言ってはいけないことを口にしてしまったことを。
そして、それを咎めた先輩が本気であることも。
「こ、今後気をつけます」
さて、ここでカイロ駐在のふたりの蒐書官高坂と安斎の会話に少しだけ補足を加えれば、実はこれよりも数か月前、彼らのいるカイロから遠く離れた日本でパピルス探索が十年経ってもスタートラインから一歩も動かないことに業を煮やした彼らの主天野川夜見子は自らが複数の語学を教えているある少女に助けを求めていた。
そして、彼女から捜索状況を聞き終えたその少女の助言に基づいて蒐書官たちに例の指示が出されることになったわけなのだが、夜見子から出されたその抽象的かつ奇怪な指示とは、「書簡の送り主エドワード・ハリスがエジプトを訪れた時代に彼の宿泊地近くで古物商をしていた人物の特定と、その古物商の周辺で手癖の悪くこの直後に急死した者の家を見つけよ。私が求める品はそこにある」というものだった。
「ハリスにパピルスを売ろうとした古物商を見つけろというところまでは理解できたのですが、夜見子様はなぜコソ泥がそのパピルスを持っていると思ったのでしょうか?しかも、急死した者という奇妙な条件までつけて」
後輩蒐書官の素朴な疑問に高坂が答える。
「その古物商が突然自ら古物蒐集を始めたのでなければ、売りに出せない理由はひとつしかないだろう」
「手元から売るはずだった商品が消えたということですか?」
「そう。焼失という可能性もあるが、とりあえずそれは無視しよう。さて安斎君が蒐書官ではなくコソ泥だったとして、古物商からそのパピルスを盗みだしたとしたらどうする?」
「即座に売ります」
「まあ、そうだろうな。だが、持ち主がそれを探していたらどうする?しかも自分は彼の近くに家族とともに住んでいるとしたら?」
「ほとぼりが冷めるまで隠します」
「そのとおり。しかも、自分が常習犯として目を付けられていたのなら隠す場所は限られる。そこは他人に横取りされないような安全かつ盗品を隠しているところを他人に見られない場所となるわけだが、その条件を揃い実際にそのコソ泥が盗品を隠した可能性が高いのは自宅となる。だが、その男はいつでも取り出せる場所に隠していたにもかかわらず取り出すことができなかった」
「それは盗品を取り出す前に死んだからということですか。しかし、それでも家族には話していたのでは?」
「そうであれば当然家族によって売りに出されているだろう。そこが夜見子様が急死という条件をつけた理由だろう。それと同じ理由で家も取り壊されていない。すなわちそのコソ泥の子孫はお宝の存在を知らないまま今もその家に住み続けているはず。おそらく夜見子様はそう考えたのだろう」
「それがビンゴだったわけですね。ところでこのボロ屋を買い取るために新池谷さんはいくら払ったのですか?」
「さあな。欲張りなエジプト人が喜んで家を売るくらいの金額としかわからない。だが、意外に安いという可能性はある。なにしろ交渉したのがあの辣腕商人だからな」
辣蘭商人。
蒐書官がこの言葉を口にしたとき、それはある特定の人物を示す。
後輩蒐書官は大きく頷くと、もう一度口を開く。
「親友であるとはいえ南米地区の統括官である長谷川さんまでペルーから呼び寄せたとは新池谷さんの力の入れ具合が窺えますね。それにしても集まりましたね。これだけ蒐書官が集まっているのは初めて見ました」
「私もそうだ。だが、こればかりは自分たちだけでやらざるを得ないからな。新池谷さんがルクソールやアレクサンドリアにいる蒐書官を呼び戻しただけでなく世界中の蒐書官にも声をかけたようだ」
「出ますかね」
後輩蒐書官のその問いに対し、高坂は先ほど自らが口にした言葉をきっぱりと否定するかのように堂々とこう宣言する。
「もちろん。そして、私は確信しているよ。それが本物だと」
そして、二時間後、彼の言葉は現実のものとなる。
「おめでとうございます、夜見子様。かの場所より待望の品を発見することができました。確認したところ設計図で間違いありません。また、保管及び販売のためと思われますが、四十八枚に分割されているものの、保存状態は五千年近く前のものとは思えぬほど極めて良好で完全修復も可能です。パピルスが隠されていた家の状況から考えればこれは奇跡としか思えません。品物の重要性を鑑み日本へは在エジプトの蒐書官全員を使って分割運搬させます。なお、バックアップ用に撮影した写真はこの後送ります」
「……おめでとうございます。これで先生はピラミッド建造にかかわる正しい知識を世界一、いや世界で唯一持つ人となりました」
新池谷からその連絡を受けた夜見子に目の前に座る少女がねぎらうように声をかけると、大きくかぶりを振った彼女はこう答える。
「……いいえ。お嬢さまもいらっしゃいますので、世界でふたりです。そう、これは世界で私たちふたりだけが持つ大いなる知識です。お嬢様」
お嬢様。
それは特別な感情を込めて視線を注ぐ夜見子にとって唯一無二の存在。
そして、彼女が属す組織を統べる一族の次期の当主でもある。
少女は頷き、もう一度口を開く。
「そのパピルスに出会えるのが楽しみです」
一応言っておけば、このエピソードに登場する高坂は、「響け!ユーフォニアム」の登場人物からの借用で、安斎は、このキャラクターの声優さんからお借りしたものです。