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ロンゴロンゴ

 ペルーの首都リマ。

 マチュピチュやナスカの地上絵など魅力的な遺跡が数多くあるこの国にやってきたにもかかわらず、観光もせず朝から晩まで有名なレストランを渡り歩く神林と遠藤と名乗る風変わりなふたりの日本人がこの地に現れたのは三日前のことである。

 彼らは著名なグルメジャーナリストなのか?

 もし、彼らの普段の食生活を知る者がこの質問を耳にしたら、口の中どころか胃の中のものまで噴き出して笑い、まじめな顔をつくり直した後にこう言ったことだろう。

「どうやったらそういう言葉が出てくるのだ。ただ貪り食うだけで味の良し悪しなどわからぬ奴らはグルメとは対極の存在だぞ」

 もちろん、これについては彼らにも言い分はある。

 その言葉を実際に聞いたら、彼らはおそらくこう反論したはずだ。

「楽ばかりしている君たちとは違い、我々が活動しているのは治安が悪いところばかりだ。食べられるときに食べられるものを食べる。これがかの地で生き残るための鉄則だ」


 さて、自他共に認めるふたりの反グルメぶりをたっぷりと語ったところで、そろそろ種明かしをすることにしよう。

 実はこれでも彼らはビジネスでペルーを訪れていた。

 そして、彼らが天野川夜見子配下の蒐書官であることを考えれば、その目的が蒐書であるのは言うまでもない。

 では、現在多数の護衛に囲まれて豪華なディナーを楽しんでいる彼らはペルーでどのような蒐書活動をしているのか?


「遠藤君、味はどうだい?」

「どうだいと言われてもおいしいとしか言えないですね。まあ、いつも食べているものが食べているものですから。神林さんこそどうですか?」

「悔しいが遠藤君と同意見だ。それにしてもペルーの料理がこれほど日本人の口に合うとは思わなかった。長谷川さんはこのようなものを毎日食べているとは羨ましいかぎりだ」

「まったくです」

 神林が羨ましそうに口にしたのはペルーだけでなく南米全体からオセアニアまでの蒐書官を統括する人物の名である。

「ところで、それについて神林さんはどう思いますか?」

 遠藤のその言葉に釣られるように神林はテーブルに置かれた大きな封筒を見やった。

「これについての最終的な判断は夜見子様にしてもらうべきだと思うが、バックアップ用の写真を撮影したときに軽く見たかぎりでは本物に見えた。しかし、まさかこのようなものが本当にあるとは。しかも、長谷川さんはこれをタダ同然の価格で手に入れたという。長谷川さんが買い取り交渉の技術では蒐書官一であるとはいえ、その価値の分からぬ者が持っていたとは神のご加護があるとしか思えないな」

「しかし、まったく価値がわからないのですから、焚き付けに使われていた可能性だってあったわけで、無知とはありがたいようで実はおそろしいです」

「それもそうだ。さて、食事も済んだところでそろそろ空港に向かうことにしよう」

「はい。これだけリマで時間を浪費すれば、誰も私たちがこれを受け取るためだけにやってきたとは思わないでしょう」

「遠藤君。ちなみに君の言う誰もとは特定の組織の人間を指しているのかい?」

「はい。私の言う誰もとは神林さんが考えている人たちのことを言っているのですが、それが何か?」

「……いや」


 それはこの二週間前、彼女のもとに長谷川から奇妙な情報がもたらされたことから始まる。

「十八世紀末から十九世紀のものであるが出どころ不明の古い日記と大量のメモをペルー人が売りに来た。これを買い取る予定」

 この時点では、それほど食指を動かす気がなかった彼女だったが、長谷川からあらたな情報がもたらされると、すぐさまグアテマラで活動していたふたりのベテラン蒐書官に連絡し、ペルーに向かわせた。

 そして、通常なら「運び屋」または「運送屋」と呼ばれる専門のスタッフが日本から派遣されて現地で蒐書官が入手した品物を受け取るところを、彼らより格上の蒐書官であるふたりがその仕事を担うためペルーに向かうきっかけとなった情報がこれである。


「例の日記とメモの入手成功。メモにはあの島で使用されていた変わった絵文字の発音と意味が記されているほか、これまで知られていなかった文字も記されている。文章の特殊な読み方も例文とともに詳しく書かれており、年代に不合なし。私見ながら本物の可能性大。大発見の可能性あり。なお、諸事情によりこちらの人員を運搬に割くことはできない。要運び屋。大至急」


 そして、彼の言う「あの島で使用されていた変わった絵文字」とはいうまでもなくロンゴロンゴ。

 かつてイースター島で使用されていた文字で、ヨーロッパ人がこの島を発見後、島民の奴隷化とその後に起こった疫病の蔓延によってこの言葉を理解する識字層の消滅し、この言葉を完全に理解するのは困難になっているものである。


「ところで、遠藤君。現地人がこれを売りにきたら君ならどうする?」

「即買いです」

「私もそうだ」

「長谷川さんは違ったのですか?」

 後輩の言葉に神林は頷き、続いて問いの言葉を口にする。

「遠藤君は長谷川さんが仲間内で何と呼ばれているか知っているかい?」

「もちろんです。辣腕商人ですよね」

「そのとおり。ちなみに遠藤君は自分が辣腕商人と呼ばれたらどう思う?」

「それは怒りますよ。これでも誇り高き蒐書官ですから」

「まあ、それが普通の反応だ。ところが、長谷川さんはそれを喜んでおり、自らの称号にも使っている」

「そうなのですか?」

「ああ。だが、今回の取引の詳細を聞いて私は改めて思ったよ。あの人は間違いなく蒐書官随一の商人だと。いいかい。今回、ガラクタを良い値で買ってくれる日本から来た骨董屋というアンダーカバーを持つ長谷川さんのもとにペルー人がこれを売りに来たときに彼はどうしたと思う?」

「すぐに買い取った。……というわけではなさそうですね」

「そのペルー人を追い返したそうだ。中身を確かめ、これが重要なものだとわかっていながら」

「それで他人のところに持っていったらどうするつもりだったのですか?」

「それはないと確信していたのだろう。そして、帰り際にこう言ったそうだ。『これだけでだめだ。ほかの骨董品と一緒ならいい値段で買ってやる』と」

「……それで」

「そのペルー人は家じゅうどころか、他人の家まで探していくつかを加えて再び現れたそうだ。もちろんそのすべてガラクタだったそうだが、彼はそのひとつを気に入ったのですべて引き取ると言ったわけだ。もちろん目的は最初に持ってきたこれだったわけだが、結果として売り手にはそれをまったく気がつかせなかった」

「……すごいですね。それでいくらで買ったのですか?タダ同然とは聞きましたが」

「最初は十ドルを提示し、最終的には六十五ドルで買い取ったそうだ」

 六十五ドル。

 つまり、この時点でのレートで計算すれば日本円で七千円ほどである。

「本当にタダ同然ですね」

「もし、これが本当に王族や神官のような当時の識字層から見聞きした『ロンゴロンゴ』についてのものなら、まちがいなく夜見子様はこの分野の第一人者になるだけでなく、定説をひっくり返すだけのものを手に入れたことになる。それを手に入れるために要した費用がわずか六十五ドル。驚きだな」

「まったくです。ところで質問があるのですが」

「何かな」

「この当時この周辺はスペイン人が治めていましたよね。今も公用語はスペイン語ですし」

「そのとおりだ」

「それで、なぜそれは英語で書かれているのですか?」

「だからこそ、これが残ったわけだし、ペルー人が長谷川さんのもとに売りにきたわけだ。ここですべてを教えてやるのは簡単だが、こういうことは自分で調べるのが一番だ。イースター島の歴史について日本に戻ったときに調べてみるといい。特にイースター島民の奴隷化に関する部分を念入りに。そうすればその理由はわかるだろう」

「勉強します」

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