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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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30/104

百済三書

 奈良県奈良市。

 かつては日本の中心であった平城宮を中心としたこの地は現在でも多くの歴史ある寺院や日常生活の隣に佇む墳墓から当時の面影を知ることができる。

 その古都から少しだけ南に位置するその集落に蒐書官滝沢と上月がやってきたのは、季節が春から夏へと変わる、そのような頃だった。

 もちろん彼ら蒐書官が古都の旅情を楽しむためにここにやってくるはずはなく、目的はいつものように失われた書を手に入れるためだった。

 さて、今回の目的の書。

 その書の名は「百済三書」と呼ばれるものである。


 百済三書。

 それはまだ奈良が都として栄えていた時代に朝鮮半島から日本にやってきた多くの百済人によってもたらされた「百済記」、「百済新撰」、そして「百済本記」の総称である。

 そして、日本書紀にもその一部が引用されているほど由緒正しき書であるものの、存在がわからなくなってから千年の月日が経ち公式には存在しないことになっているその幻の書「百済三書」の持ち主の名を史家忠一という。

 彼も天野川夜見子が住むその世界ではよく知られた蔵書家であり、特に自らの祖先から受け継いだものと思われる朝鮮半島から渡ってきた書物を多数所有していると噂されていた。

 ただし、それはあくまで噂であり、それをその目で確認した者はいない。

 

「史家氏所有の書を手に入れるための問題は大きくわけてふたつ。まず、当主以外は見ることさえ許されないという門外不出の書が多数あり、今回のターゲットである『百済三書』もそこに含まれていること。そして、もうひとつはそれらの存在を公式どころか非公式にも認めていないこと。つまり、本物かどうかどころか、あるかどうかも確認できないものを我々は手に入れなければならないということですか」

「そうだ。だが、少し前までは彼らがいったい何を持っているのかさえわからなかったのだから、それよりはかなりましだろう」

 史家の屋敷に向かう道すがら、三年後輩の上月の言葉に続けて話す滝沢の言葉どおり、蒐書官たちはその堅いガードに阻まれ史家忠一が秘蔵している書がいったい何かということも掴むことができないでいた。

 ある事件が起きるまでは。

 

 彼らがそれを知るそのきっかけ。

 それは史家忠一の屋敷に外国人窃盗グループ五人が押し入ったことだった。

 事件の一か月前。

 その盗賊団、実は蒐書官たちとはライバル関係にあるあの美術館の交渉グループなのだが、その彼らは観光客に紛れてに入国する。

 それを察知した蒐書官たちは入国直後から彼らをマークしていた。

 ただし、行動を監視する。

 それだけだった。

 常に武器を使った血みどろの抗争を繰り広げているようにと思われがちだが、特別な事情がないかぎり蒐書官にとっては彼らもただの落札競争の相手でしかなく、それは相手も同様であった。

 そういうことで今回も遠巻きで彼らの行動を監視していたのだが、やがて彼らが頻繁にその屋敷を訪れるようになり、彼らの目的が史家忠一の持つ蔵書らしいことがわかると状況が一変する。


「日本でゴミ虫どもに出し抜かれるなどもってのほかです。すぐに始末しましょう」

「いや。そんなことよりも私たちもあの者の屋敷に乗り込んで交渉をおこなうべきでしょう。あなたが行かないというのであれば、私と美奈子でその屋敷に乗り込んでカタをつけてきます」

 その情報に手にすると、ふたりの上級書籍鑑定官は喚きたてる。

 だが、その相手である蒐書官を束ねる鮎原はふたりの言葉を聞き終えると、静かな口調ながら強い意志を持った言葉を使って彼らへの手出しも史家との交渉を否定する。

「相手があの史家忠一氏である以上、単純な交渉によっては目的のものは手に入りません。入念な準備が必要です。ですから、彼らが何を狙っているかもわからないまま私たちが獲得競争に加わるわけにはいかないのです。そもそも交渉して手に入れると言いますが、我々は彼の持つ何を手に入れるのですか?」

「全部でいいではありませんか」

「それではただの強盗でしょう」

「では、黙って見ているつもりですか。手をこまねいて出し抜かれた場合には責任を取ってもらいますよ。鮎原」

「結構です。ですが、先ほども言いましたが、史家氏は一筋縄でいく相手ではない。銃を突きつけながら札束で頬を叩く彼らがおこなう単純なアメリカンスタイルの交渉では目的が何であってもそれを引き出すことなど絶対にできない。それよりも彼らを噛ませ犬として利用し策を講じましょう」

 その後もふたりの女性は必死に食い下がったものの、結局年長の男に軽くあしらわれ、仲裁に入った三人の主である夜見子が鮎原の案を採用したため、ふたりの女性も渋々同意し、監視を続けることになったのだが、そうこうしているうちに、鮎原の言葉どおり、交渉に行き詰った彼らは史家忠一の屋敷を強襲したものの、返り討ちにあって殺害されたのだ。

 その惨劇の様子を冷たい目で眺めていた蒐書官たちは同業者の哀れな姿を確認すると、すぐさま行動を開始し、証拠隠滅を図る史家の部下たちよりも早く彼らの宿泊先を捜索する。

 そうして、ようやく判明する。

 ライバルが狙っていたものの名を。

 

「……なるほど。彼らの狙いは『百済三書』でしたか。確かに門外不出の書に相応しいものですが、よくそのようなものの存在を今まで隠し通していたものです」

 その情報がもたらされたその建物の主と側近三人との打ち合わせはいつものように最年長の男の言葉から始まる。

「まったくです。見上げた努力としか言いようがありません」

「それにしても、あのゴミどもは史家忠一が『百済三書』を所有しているという私たちでさえ知らなかった情報をどこから掴んだのでしょうか?」

「さあ。それは今後の課題としますが、私たちがまずやることはそれとは別です。ターゲットがわかったからには、私たちはそれを必ず手に入れなければなりません」

 彼に続いて語ったふたりの女性の言葉を拾い上げたのはこの建物の主である彼女の言葉だった。

「ですが、物が物だけにまともな単純な買い取り交渉によって手に入る可能性は低いと思われます」

「では、強硬手段しかありません。ということで、私が指揮を……」

「真紀。あなたにはあれの世話があるでしょう。そうなると、やはり私しかいませんね」

「木村恭次の面倒を見るために参加できないと言いたいのらご心配なく。今すぐ土に埋めるから」

 ふたりの主である女性はすぐさまそこに行きつく単純な二人の様子に少しだけ微笑み、それから伝えるべき言葉を口にする。

「まずは交渉をしましょう」

 

「珍しいな。この屋敷に客人が次々とやってくるとは」

 そのような事情でやってきた彼らにその言葉をかけた史家忠一は意外にもふたり蒐書官が屋敷を訪れることをあっさりと承諾していた。

 それだけではなく屋敷に入る際におこなわれたボディーチェックでも携帯していた拳銃やナイフも取り上げることもなかった。

「これは預けなくてよろしいのですか?」

 思わず訊ねた上月の言葉に無表情の家人はこう答える。

「普段はそうしております。ですが、あなたたちに関してはそのままで構わないと当主史家忠一より命じられております」


 ……おかしな動きをすればすぐさま射殺するということか。


 忠一の意図をそう読み取った滝沢が口を開く。

「ありがとうございます。あなたたちに不審に思われる動きをしないように十分注意いたします」

「よろしくお願いします。お互いのために」

「お互いのために」

 もちろん史家忠一は今までそうしていたように今回も面会を拒否することもできた。

 だが、あえて蒐書官を屋敷に入れた。

 言うまでもない。

 彼にはそうするだけ理由があったのだ。

「まあ、色々事情がありまして、史家様にご相談したく参りました」

「つまらぬ挨拶はいらぬ。貴様たち悪名高き蒐書官が我が屋敷にやってくる理由などひとつしかないだろう。言っておくが、その気はない」

 滝沢が彼の好物である菓子が詰め込まれた箱を差し出し、話を切り出したところで男はそう断言した。

 だが、蒐書官がこの程度のことで怯むことはない。

 言葉の刃を受け流し、笑顔を崩さないまま、さらに言葉を紡ぐ。

「ですが、こうやってお会いしていただいた。史家様にもそれなりの意図がおありなのではないでしょうか」

「察しがいいな。そのとおりだ」

「では、そのお言葉を受けたまります」

「おまえたちのことだ。どうせ知っているだろうが、最近アメリカ人がこの屋敷にやってきた」

「そのようですね」

「そいつらがどうなったかも知っておろう」

「はい」

「おまえたちもここを襲うことになれば同じ運命を辿る。だが、一応同じ日本人同士。警告くらいはしてやろうと思い、おまえたちを屋敷に入れた」


 ……この男の言葉は嘘ではない。


 元は渡来人であっても、いにしえから続く家系であることには変わらず、彼が日本人としての誇りは人一倍持っていることも第二次世界大戦終了時に一族から多くの権益を奪ったアメリカを憎んでいることもその世界ではよく知られていたことだった。

 彼が口を開く。

「ありがとうございます。その気遣いに感謝の言葉もございません。私にはまだやりたいことがたくさんありますので、その忠告、肝に銘じます」

「ふん。心にもないことを堂々と言うものだ」

「ところで、ひとつお聞きしてよろしいでしょうか?」

「何だ?」

「彼らは史家様がお持ちの多くの書のうち、いったい何を所望したのですか?」

「白々しい物言いだな。すでに調べはついておろうに。まあいい。教えてやる。『百済三書』だ」

「ほう。それは随分貴重なものを望んだものです」

「まったくだ。それをはした金で売り渡せを言ってきよった」

「彼らはいくらで売れと?」

「五億円だ」

 五億円。

 絶対的金額はとても小さいとは言えない。

 だが、その書に対する相対的な金額となれば話は別である。

「……確かにそれははした金ですね」

 彼の言葉に男が頷く。

「そうだろう。しかも、断った結果があれだ。死んで当然だろう」

「まったくです」

「ちなみに、私たちにそれを見せていただくことはできますか?」

「冗談か。門外不出の書をあのコソ泥の同類である貴様たちごときに見せるはずがなかろう」

「……まあ、そうですね。調子に乗り過ぎました。すいません」

 慇懃に頭を下げる彼らだったが、心の中ではまったく違う言葉を呟いていた。


 ……やりました。

 ……確定だ。「百済三書」は間違いなく存在する。


 彼らは内心でのその言葉とともに満面の笑みを浮かべる。

 そう。

 これは鮎原からふたりに与えられた指示のひとつだったのだ。


 彼らにとっては児戯に等しいその誘導尋問は続く。

「それで、彼らはどうやってそのような情報を手に入れられたのでしょうね」

「どこまでも知らないふりか」

「いやいや、そのようなことは……」

「土産ももらっているし、ここに来た駄賃代わりに教えてやる。不心得者がひとり、やつらに篭絡された」

「ハニートラップ?」

「知っているではないか」

「つい口が滑りました。申しわけありません」

 もちろんこれも目的のひとつである。

「その彼は土の中ですか」

「そうなるな。本当によく知っているではないか。さすが蒐書官。もしかして、今でも見張りをしているのか?」

「滅相もない」


 ……わけがないでしょう。しっかり見ていますよ。


「そういうことで、私は裏切り者にも、無礼な侵入者にも容赦しない。そのことをおまえたちの飼い主に伝えろ」

「承知しました。では、今日はこの辺で失礼いたします。近いうちにまたお伺いいたします」

「そうか。何度来ても私の意志は変わらないが、おまえたちが持ってくる土産はいいものなので、会うだけなら会ってやる」

 そう言って男はニヤリと笑い、カラになった菓子箱を掲げた。

 

「では、滝沢たちの報告に対する感想を教えてもらいましょうか」

 三杯の紅茶と一杯のコーヒーの香りが混じり合うその部屋で彼女の問いにまず発言を求めたのは年長の男だった。

「『百済三書』を手放す気がないだけならまだしも、来るなら来いという挑発のおまけつきとは恐れ入ります。まあ、それだけ自信があるのでしょう。ですが、アメリカの素人と私たちを同列に扱うとは愚かなことです。どちらにしても、売られた喧嘩です。謹んで買わせていただきましょう」

「珍しいわね。鮎原が強硬論に賛同するなんて」

「本当に」

「通常の交渉によって『百済三書』を手に入れることは困難なのはあきらか。そうなれば選択肢は強硬策しかないのですが、想定すべき問題がひとつ」

「聞きましょう」

「史家忠一氏が奪われるくらいならと焼却しないかということです」


 ……それはありえる。


 その場にいる全員がそう思った。


 ……特にプライドの高いあの人間なら。

 ……ですが、そうなると数に頼った力攻めはできないということですか。


 彼女が口を開く。

「では、その対策も聞きましょうか?」

「交渉をおこなうと見せかけて屋敷に入り行動を起こす。つまり、交渉中に史家忠一を排除する。または同居している孫娘を人質にして交渉します」

「それはまさに強盗団の所業と言えますね。誇り高き蒐書官にそのような真似ができますか?」

 少しだけ顔を顰めた彼女がその案を提示した男に訊ねると、相手はこともなげに答える。

「もちろん必要となれば躊躇することなく実行できます。私は蒐書官たちをそのように鍛えていますから」

「わかりました。もうひとつ訊ねます。あなたの案によって『百済三書』を手に入れたあとにその幼子を含めた史家忠一の家族はどうするつもりなのですか?」

「我々は人殺しが目的ではないのですから、目的が達成できれば放置でいいのではないですか」

「甘い」

「私も美奈子に同意します。後腐れがないように全員始末すべきでしょう」

「助けると言っておきながら、騙し討ちをするのいかがなものかと」

 ふたりの女性からほぼ同様の言葉が並べられるものの、その言葉を予想していた男は苦笑しながら、慎ましく反論すると、その言葉はさらに強いものになる。

「だから、甘いのです。もし、蒐書官にそれをさせられないとあなたが言うのなら、私がその役を引き受けましょう」

「幼子を殺す役を引き受けると?」

「そうです」

「わかりました。とりあえずそのような事態になった場合にはその役は美奈子さんにお任せすることにして、まずは最も危険な形式上の最後の交渉人を誰にするかということですが……」


「その仕事をどうしてもやらせたい人物がいるので、それについては私に一任してください」


 それはそれまで議論を見守っていた三人の主である女性からのものだった。


 一週間後、三人の主である天野川夜見子の姿は史家忠一の屋敷にあった。

「おまえが天野川夜見子か。蒐書官たちを従えているというから、どんな悪党ヅラをした婆さんかと思っていたのだが、随分若いのだな。そして、美しい」

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

 その屋敷の主である男はやってきた女性をそう評すと、その女性はつくりもののような笑顔でそれに応じる。

 男はその言葉に小さく頷くと、視線を隣に座るもうひとりの女性にやる。

「しかも、連れてきたのがこちらも美しい女性。たしかにふたりとも魅力的だが色仕掛けをするつもりなら無駄なことだ。だが、せっかく来たのだ。一応名前を聞いておこうか」

「中倉由紀子。彼女の友人です」

「それで、天野川夜見子がその友人を連れてわざわざこの田舎までやってきた目的を聞こうか。いや、聞くまでもないことか」

 そのとおり、彼女の目的など男はすでに知っている。

「そして、その答えも聞くまでもないだろう。答えはノーだ」

 その言葉とともに男は彼女を睨みつけるが、この程度の脅しに怯むはずもない彼女は何事もなかったかのようにその言葉を聞き流し、もう一度自らの主張を言葉に乗せる。

「確かに誰の目に触れさせることなく守り続けてきた書を手放すなど大きな決断が必要でしょう。あなたの一族はそれが使命なのですから」

「それほどわかっているのなら無駄な交渉をすべきではないと思うのだが」

「いいえ。それを承知のうえでお願いします。その書にふさわしい金額を支払いますので、どうぞお譲りください」

「くどい」

 当然のようにやってきた男の言葉に彼女はわざとらしくため息をつき、隠し持っていた切り札を取り出す。

「私たちの交渉はこれが最後となります。もし、交渉が決裂した場合、私たちは実力行使に出ます」

「望むところだ。いつぞやのアメリカ人グループのように返り討ちにしてくれる」

「私たちをあの程度の輩と同じだと?甘く見ない方がいいと思います」

「そっちらこそ。お望みならこの場でおまえたちふたりをハチの巣にしてやってもいいのだぞ」

「おもしろいことを言う爺様だ」

 それは自己紹介をしてから一切交渉に口を挟まなかった由紀子の言葉だった。

「言っておくけど、私もこの子も強い。しかも、この距離だ。銃を撃つ前にあんたの喉を切り裂くなど造作もないことだ。もちろんそれだけではない」

「運転手と護衛のことか。たかが五人……」

「違う。私の部下である狙撃チームが五つこの屋敷を狙っている。庭木の陰に隠れてこそこそと私たちを狙うふたりはことが始まる前に撃ち殺される。さらに言えば、この子の部下である蒐書官と私の部下によってこの屋敷は既に包囲されている。死にたくなければ言われたものをさっさと出しなさい」

「つまらんハッタリはよせ」

「ハッタリ?では、私の言ったことが本当であることを見せてあげる。私です。右側の者を死なない程度にやりなさい。今すぐに」

 一瞬だけ遅れて遠くから聞こえる小さな銃声とともに木陰から悲鳴が聞こえる。

「どう?」

 自慢気なその女性の言葉に続き、彼女は怒りと敗北感が混ざった表情で女性を睨む男を眺めながら言葉を更に加える。

「彼女の部下は皆優秀な狙撃手です。もう一度警告します。今であれば幻の書をそれにふさわしい価格で買い取ります。ですが、売り渡すことを拒否、または私たちを害する行動を取ろうとした場合は屋敷にいるすべての人間を殺しますが、もちろんその中にはあなたが愛するお孫さんも含まれます。蒐書官は私の指示があれば老若男女問わずに躊躇なく殺しますから」

「貴様ら、本当にそこまでやるのか……」

「もちろん。そして、私がここに来たということはそういうことなのです。あきらめてください。さあ、どちらにするか選んでください。生か、それとも死か」


 十分後。

 屋敷内はすでに蒐書官で溢れかえっていた。

 もちろん、そこには滝沢と上月の姿もあった。

「やりましたね」

「だが、このままでは火種は残る」

「滝沢さんは全員始末すべきだったと考えているのですか?」

「もちろん。と言いたいところだが、正直ほっとしている」

「そうですよね。私も誇りある蒐書官の一員。抵抗する者は躊躇なく排除します。ですが、さすがに何も知らない幼子を手にかけるのには抵抗があります。よかったです」


 実をいえば、このオペレーションに参加していた者の大部分が滝沢と同じ意見を持っており、何人かについては禍根を残さぬようもう一歩進めるべきだと上申もしていた。

 だが、それにもかかわらず彼女はたったひとこと「わかっています」と言っただけで実際にそれをおこなうことはなかった。

 

「……相変わらず鮎原は辛辣、いや悪辣と言ったほうがいいでしょうか」

 すべてが終わり、神保町に戻ってきた彼女はその本をテーブルに置くと、そう呟いた。

「鮎原が悪辣なのはもちろん知っていますが、それが今回の尻つぼみの策とどう関係があるのですか?」

 主が口にした言葉を理解できなかった上席書籍鑑定官のひとりが疑問を呈すと、彼女は言葉を加える。

「わざわざ自らの手を汚さなくても、代わりに史家忠一の一族を喜んで始末してくれる者がいる。そうなれば当然、恨みも彼らがすべて引き受けてくれる。私たちにとってはありがたいかぎりです」

 彼女のその言葉は実に簡素だった。

 だが、女性たちもすべてが理解した。

 これから起こることも。

 それから、それをおこなう者のことも。

 そして、彼女たちの上司にその策を伝えた男が何を考えているのかも。

「もしかして、そのために鮎原は彼らの遺体を掘り起こして関係者のもとに届けたのですか?ビデオ付きで」

「そういうことです。あの屋敷には夜見子様が求めるものはもうありません。『百済三書』以外の門外不出の書を含めて必要なものはすべて手に入れましたから。その後に何が起ころうが、私たちには関係のないことです」


 ……ライバルでさえ自らの手駒に使うということなの?

 ……でも、必ずしもそうはならないはず。


 もうひとりの女性が口を開く。

「ですが、共通の敵に対して彼らが共闘することはないでしょうか?」

 共通の敵。

 すなわち、それは自分たちのことであるのだが、男は笑みを浮かべ口を開く。

「それは楽しみ。と言いたいところですが、少なくても、その一方は私たちに手を出せばどうなるかをよく知っています。それに、実際に仲間を殺したのは間違いなく史家氏です。仲間を殺した相手と組んで私たちに対峙するほど彼らもボケてはいないでしょう」

 そこまで語ったところで、男は主に顔を向ける。

「ところで夜見子様。あえて言わせていただきます。ご自身が銃の的になるような夜見子様の今回の行為はやはり危険です」

 ふたりの女性も男の言葉に続く。

「私もこの件に関しては鮎原に同意します」

「しかも、同行したのは私たちでも蒐書官でもなく由紀子様というのも納得できません。あれでは私たちは弾除けにもなることさえできないではないですか」

「そのとおり」

 三人の言葉をすまなそうに聞いた彼女が口を開く。

「そうですね。ですが、自分たちが仕える者は安全な場所で甘い果実を口にしているだけではないというところを蒐書官たちに見せるためにも、今回のことは必要だったのです。それから由紀子ですが……彼女が抱えるエリート狙撃チームを使う条件があれだったので、私は護衛にあなたたちではなく彼女を選ばざるを得なかったのは承知のとおりです。もっとも私が知る私より近接戦能力が高いふたりのうちのひとりが彼女なのですから人選に問題はなかったとは思いますが」

「とにかく、今後はどのようなことがあってもあのような行為は謹んでいただきます。それから夜見子様についてそのようなつまらぬ疑問を抱く蒐書官はおりません。万が一そのような者を見つけましたら私が直々に処断いたします」

「まったくそのとおりです」

「……わかりました。今後は出過ぎた真似は慎みます。すいませんでした」

 彼女は三人に頭を下げた。

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