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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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闇画商 Ⅳ 交野の少将

 その日、滋賀県東部の山間部をうねるように引かれた山道を歩く闇画商木村恭次が向かっていたのは、この地に点在する廃村と呼ばれる場所のひとつだった。


「確かに廃村という言葉には何かがありそうな雰囲気はありますが、換金できそうなものや家宝と呼ばれるものは住民がこの地を離れるときに持ち出されたのではないのですか?」

 まるで裏山を冒険する少年のように自作の鼻歌を歌いながら、そこへと続く草木が生い茂る小道を軽やかに歩く彼にそう問いかけたのは後ろを歩く妻の真紀だった。

「まあ、それは君の言うとおりだと思うのだが、ちょっとした噂を耳にしたもので確かめにきたというところが正しいかな。散歩を兼ねて。いや、ここは君とのデートを兼ねてと言うべきか」

 妻の問いに答える彼の声は実に軽い。

 そして、言葉どおり彼は妻を心の底から愛していた。

「過分なお言葉ありがとうございます。それで、その噂とはどのようなものなのですか?」

 一方愛しているのは彼が持つ強運だけである妻の言葉は彼のものとは対照的にどこまでもクールである。


 ……もう少し喜んでくれたらいいものを。

 ……まあ、そのまったく変わらぬクールさが君の魅力ではあるのだが。


 妻の感情をまったく読み取っていない彼はその言葉に少しだけ不満を持ちつつ、すべてを自分にとって都合のよい方向に解釈した。

 気を取り直した彼は言葉を続ける。

「……それは古物商に押し入った盗賊団が逃亡中この地にお宝を隠したというものだ」

「はあ?」

 取ってつけたようなその噂話を鼻で笑った妻はそのお返しとばかりにすぐさま言葉を返す。

「なるほど。それはいかにも少年の冒険心をくすぐりそうな素晴らしい噂ですね」

 もちろんこれはあきらかな嫌味である。

 だが、彼は気にしない。

 彼女と会話すること。

 彼にとってはそれ自体が重要なのであり、会話の内容などたいしたことではなかったのだから。

「まあ、確かに怪しげな噂だし私以外の誰もがお宝など残ってはいないとは思っている。しかし、それこそが狙い目と言える。なにしろ盗賊団は実在し、強盗事件も実際に起こったことなのだから」

「ですが、その噂があなたの耳に届くということは警察もその場所を捜索したのではないのですか?」

「そのとおり。だが、逮捕した彼らの供述にしたがって警察が捜索したものの、それは見つからなかったそうだ。そして、それはそのまま闇の中へというわけだ」

「いよいよその話は胡散臭くなってきました。供述が嘘だったということはないのですか?」

「事実だけを突き合わせると確かにそうとも考えられる。だが、現実はそう簡単ではない。なにしろ日本の警察は優秀だ。彼らを相手に戯言を言って逃れようとしてもまず成功しない」

「そうなのですか?」

「そう。しかも、そのようなことをすれば厳しいお仕置きが待っている。これは私の実体験に基づいた、いわゆる経験者は語るというものだから間違いはないよ」

「もしかして警察のお世話になったことがあるのですか?」

 自らの苦みを帯びた言葉にそう問いかける妻に彼が答える。

「駆け出しの頃はしょっちゅうだった。ひどいときにはことを始める前に御用になっていたよ。だが、今考えると不思議でならない。今の方がずっと危ない橋を渡っているというのに、あれはいったいどういうことだったのだろうね」

「つまり、この職業は経験が重要だということなのでしょう。それで、先ほどの話に戻りますが、それはいったいどういうことを示しているのですか?」

「可能性として考えられるのは犯人の誰かが仲間を裏切り商品を移動させた。または実際に供述通りそこにあるにもかかわらず警察がそれを見つけられなかった。そのどちらかだろうね」

「隠していたものを警察が来る前に第三者が見つけたということはないのですか?」

「その可能性はもちろんある。だが、そうであればその盗品についての噂が多少なりとも流れるはず。だが、実際には……」

「まったくない。ということですか?」

「そのとおり。だから、とりあえずその可能性は排除しよう」

「隠したものが見つかっていないのならまだ探しようがありますが、移動させたとなると場所についての手がかりがないと困りますね。ところで、移動というのはどういうことなのですか?」

「たとえば、犯人である三人が隠したものをAに内証でBとCで移動させ、最終的にCが最終地に移動させたとする。この場合AとBは実際に知っていることを話し、CはBと同じことを話せば個別に尋問されても矛盾が出ない。そうして、出所した後にCがそのお宝をひとり占めするというわけだ」

「そのトリックはわかりました。ですが、それだけのことをしてまで隠すお宝とは何ですか?大きなものでは一人では移動でしません。考えられるのは貴金属の類でしょうが」

「それがこの噂を確かめるに気になった核心の部分なのだが、やはりそれを話すのは現場についてからがいいと思う。ただし、ヒントはある。私が君を連れてきたことだ」


 ……なるほど。


「わかりました。では、楽しみにしています」


 奇妙な問答を繰り返しながらふたりは歩き続けること三十分。

 ようやくふたりが辿り着いた目的の場所。

 そこはいかにも廃村にありそうな今にも崩れ落ちそうな一軒の廃屋だった。

「目的の場所がここだ。彼らはこの中にお宝を隠したのだそうだ」

「なるほど。では、さっそく中に入ってみましょう」

「き、君は後から……」

 躊躇うことなく板張りの壁の隙間からするりと中に入った妻に彼も続く。

 そうして廃屋に入ったふたりはその様子を見て思わず声をあげた。

 もちろん探していた宝が目の前にあったわけではない。

 廃屋の中が予想外にきれいだったのだ。

「警察はここを捜索したのでしたね」

「そうだ。そのためにこれだけきれいなのかもしれないな」

「当然天井裏や床下も確認したのでしょうね」

「徹底的にやっただろう。地面を掘り返した可能性だってある」

「そうですか。そういうことであれば、これは私たちにとって大変困った状況だと言えるでしょう」

 妻は少しだけがっかりした表情を浮かべ、自分に無駄足を踏ませた男を軽く睨んだ。

「これがもし原状であるというのなら、警察がそれだけ徹底的に捜索したにもかかわらず何も出てこない。それはすなわちここには何もないという事を意味しているではないのでしょうか」

 確かに彼女の指摘通り捜索する場所など残されていないように思えた。

 なにしろ、この廃屋にはものを隠すことができるような場所など何も存在していなかったのだから。

 だが……。

「そうかな。目の前にあるでしょう。ほら、そこに」

 自信ありげに彼がそう言って指さしたもの。

 それはがらんとしたそこに唯一残されていた文机だった。

「それというのは、もしかしてその文机のことですか?」

「そう」

「当然警察はこれも調べたでしょう。それとも実はこれ自体がお宝なのですか?」

「違う。いや、そうとも言えるかな」

 宝ではないが、そうとも言える。

 彼の言葉はなぞかけのようなものだった。

「それはどういう意味なのですか?」

 揶揄われたと思った彼女の不機嫌オーラを纏わすその言葉に、彼は少したじろぎ、すぐに正解を白状する。

「か、簡単なことだよ。まず、あれをよく見てみよう。あの文机にはどこか奇妙なところはないかな」

 彼に言われ、妻はもう一度それを見る。

「……そういえば天板が妙に厚いですね」

「そう。天板が厚い。そして、あれには仕掛けがある」

「仕掛け?というと?」

「まず、コツはいるがそれさえ知っていればこの天板は簡単に外すことができる。こうやってね」

 近づいた彼はそうやって二度、三度と叩くと小さな音とともにそれは外れる。

「もちろんこれだけはない。天板は空洞になっており、それほど大きいものでなければ隠すことができるようになっている。そして、それを知っていた盗賊団のひとりがそこに隠したものがこれというわけだ」

 彼がそこから取り出したもの。

 それはビニール包まれた紙束だった。

「それは?」

「おそらく、君の得意分野に属するものだと思うよ」

「もしかして……わかっていたのですか?だから、ここに……」

「いや。完全にわかっていたわけではない。ただ、こうなる可能性は十分にあるとは思っていたよ」


 彼がこれに興味を持ったのは闇画商仲間との雑談中にあったある一言がきっかけだった。

「……知り合いの古物商の店に強盗が押し入ったことは以前話したよな」

「そういえばそいつらが捕まったというニュースがやっていた。それで、盗まれたものは無事戻ってきたのか」

「正確にはひとつを除いてすべて戻ってきたそうだ。まあ、とりあえずめでたし、めでたしというところだ」

「それはよかった。……ん?ひとつを除く?その唯一戻ってこなかったものとは何だ?」

「大量の紙束のようなものらしいのだが、それだけが警察がいくら探してもみつからなかったということだ」

「……紙束?札束ではないのか?」

「いや、紙束だ。なんでも買い取った家具に隠されていたものらしいのだが、達筆過ぎて読めず、そのうち鑑定に出そうと思っていたものだったそうだ。まあ、そんなところに隠すくらいだ。不倫相手からの恋文かなんかだろうと友人は笑っていたよ。売り物にはなりそうもなかったので、なくなってもまったく惜しくないそうだ」


 ……なるほど。それはいい話を聞いた。


 もちろんそれは心の声である。

 彼が口にしたのは別の言葉であった。

「……それでその消えた紙束については他に情報があるのか?」

「彼らが盗品の隠し場所にしていた滋賀の廃村には他の盗品と一緒に持ち込んだことは間違いないそうだ。なんでもそこにあった文机の引き出しに入れたのだとか。だが、不思議なことに警察がそこを探したときにはなかったそうだ。他の盗品はすべて供述通りあったにもかかわらずだ」

「ほう。それはおもしろい。他には?」

「仲間のひとりが異常なくらいにそれに執着していたそうだ」

「それは随分と高尚な趣味を持つ泥棒もいるのだな」

「読書好きで仲間からは文学中年と呼ばれていたそうだ。本当かどうかは知らないが本人によれば有名大学の国文学科中退らしい。古典文学の研究者になりたかったとも言っていたらしい」

「国文学科とコソ泥などまったく結びつかないな」

「家具職人を継がせるために父親が無理やり退学させたそうなのだが、結果的にはそこからもドロップアウトしたということになったわけだ。そのまま好きなことをやらせておけばコソ泥になどならずに済んだのかもしれないな」

「……まったくだ。ところで、そのコソ泥たちが盗品を隠していた場所はわかるか?」


「あなたはその話だけでこれが残されていると思い、ここにやってきたのですか?」

 男からその話を聞かされた妻は少々呆れ、そして、そこにさらに少しだけ驚きの成分を加えた表情でその言葉を口にした。

「もちろんそれだけではなく、ここに来るまでにかなりの下調べはしてきたよ。でも、その根拠の一番はやはり知り合いの言葉にあったキーワードだね」

「キーワード?」

「大学で古典文学に触れた男が執着する達筆すぎる文字が書かれた紙束。実に怪しい。いや、私たちにとってそれは芳しい香りがするものだとは思わないかい?」

「……確かに。ですが、だからと言ってここにまだ残されているとは限らないのではないですか」

「それがもうひとつのキーワード。大学に通う息子を呼び戻してまで父親が息子に伝えなければならないものとはいったい何だ?彼の父親がつくっていたものとはただの家具ではなく、他人にはその技術を絶対に伝えない特別な細工を施したものだったのではなかったのかと思ったわけだ」

「なるほど。あなたの話はわかりました。ですが、疑問がひとつあります」

「疑問?」

「そうです。そのような知識があっても警察をも欺けるような細工をあなたが突破できることとは無関係です。なぜあなたはそれを簡単に開けることができたのですか?」

「なるほど。確かにその疑問が浮かぶのは当然だ。では、それに答えよう。それはもちろんこれと同じ仕掛けのものを私が使っているからだよ。実は私の書斎にある机。あれはこれと同じ仕掛けが施されている。そして、調べているうちにわかったことなのだが、つくられた工房は同じ。つまり彼の実家だ。だから、ここに文机が残っていることを知った時点で目的の品はここにあるという自信があったよ」

「……そういうことですか」

「さて、私の謎解きはこれで全部だ。今度は君の出番だよ。これを読み解いてくれるかな」

 男はそれを手渡す。

「ありがとうござい……ます」

 受け取った瞬間、彼の妻にはそのことがすぐにわかった。

 ……これは古い。しかも十年や二十年遡る程度のものではない。百年前?二百年前?いや、違う。この紙質はもっと古い。間違いなく千年以上前のものだ。


 ……それにしても、なぜこうも続くのだ?

 ……ありえない。

 ……もしかして、この男は夜見子様や博子お嬢様とは別の意味での怪物なのではないのか。


 そして、その表紙に書かれた文字を見たとき、彼女は確信する。


 ……間違いない。こいつはバケモノだ。


「どうかな?」

 彼女は夫の声で我に返る。

 だが、動揺は簡単には収まらない。

 どうにか冷静さを装い、彼とは目を合わせぬまま彼女は言葉を紡ぐ。

「今から読み始めますので内容については何とも。ですが、どのようなものであってもあの方に相当高価で買い取ってもらえることは保証できます」

「それはよかった。ちなみに、だいたいどれくらい前のものかはわかるかい」

「はい。紙質から平安時代のものだと考えられます」

「平安時代?」

「はい」

「それは確かに期待ができるね」

「……では、そろそろこれを読んでいきます」

「わかった。では、私は君の読書の邪魔にならないように外に出ていよう。終わったら声をかけてもらおうか」

 何も知らない夫が外に出ていくのを確認すると、妻は大きく息を吐き、そして、それからそれをじっくりと見つめてからゆっくりと口を開いた。


「……こんにちは、『交野の少将』。夜見子様が探し求めている幻の書のひとつであるあなたにお会いできたことを光栄に思います。それから申し遅れましたが、私は夜見子様の下で上級書籍鑑定官をしております嵯峨野真紀と申します」

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