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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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悪の教典

「相変わらず、人が多いな。仕事でもないのによくこのような場所に集まるものだ」

 バチカン。

 イタリアの首都ローマの一部のような世界最小国家バチカン市国を表すこの言葉はそれとともにカトリックの総本山も示している。

 その地理的特徴、そしてこの狭い地域に見どころが多数存在しているためローマを観光する場合にはバチカンをそのルートに加えることは旅行者のなかでは半ば常識となっており、特別な日でもないかぎり観光客で溢れかえっているのがこの地の見慣れた光景であった。

 そして、この日もいつもと変わらずオベリスクが聳え立つサンピエトロ広場は多くの人で賑わっていた。

 先ほどの言葉を口にした日本人もそのひとりで、名を長谷川博仁という。

 だが、彼がこの地にやってきたのは、多くの訪問者とは違い残念ながら仕事のためだった。

 その彼の職業。

 もちろんそれは蒐書官である。

 しかも、ただの蒐書官ではない。

 彼は五人しかいない統括官という肩書を持つ凄腕蒐書官であった。

 当然彼はすべてにおいて並みの蒐書官の水準を遥かに超える能力を有していたのだが、特に有名なのは交渉能力だった。

 それを示す彼のふたつ名ともいえる非公式の肩書がある。

 辣腕商人。

 そして、交渉に関わる数々の武勇伝とともに伝わるそのふたつ名が伊達ではないことは、彼の雇い主である天野川夜見子が重要な交渉では必ず彼をそのテーブルへ送り込んでいたことからもそれは証明されていた。

「それにしても、またこの店か。値段以外はまったく最高ではないこの店をあいつらは毎回指定する理由がわからない。リマにだってこれ以上の料理を出す店は山ほどあるというのに。それとも、この周辺にはロクな店がないということなのか。そういうことなら、それなりの料理を出す店をここに持ってくれば大繁盛間違いなしということになる」

 ひとしきり嫌味を口にした後に彼が入ったのは、待ち合わせ場所に指定されたその名も「最高の」を意味する「Il Migliore」という名のイタリアンレストランであった。


「またお会いすることになりました」

 待っていたのは、彼ら蒐書官が「この世界における神の代理人と自称するものたち」と呼ぶ組織に属する三人の男たちだった。

 心が籠らぬその言葉に、彼も豪華な熨斗をつけた儀礼上のという形容詞からは一ミリたりともはみ出さない言葉を笑顔とともに返す。

「まったくですね」

「率直なことを申せば前回のことがありましたので、二度とお会いすることはないと思っていました。あの時は本当にひどい目に遭いました」

「それはご愁傷様でした。ですが、あれは対等な立場に立った交渉の結果ですので、あなたがたに対して言葉以上に返すものはありません。さて、そのひどい目に遭ったあなたがたが加害者である私にわざわざ連絡を寄こしたということは、要件は余程のことであると思ってよいのでしょうか?」

「はい。そして、今回は商売というよりもお願いというものに近いかもしれません」

「……ほう」

 長谷川は目を細め、声のトーンも低くなる。

 もちろんこれは演技である。

 だが、絶対的有利な立場でしか交渉をしたことがない相手はそのことを見抜けない。

 慌て、そして彼の警戒心を解くように説明を加える。

 必死に。

「身構えないでください。我々は神に仕える身。たとえどのような屈辱的ものであっても一度契約してお渡しにしたものを返してくださいなどとは申しません」


 ……この程度の細工に引っ掛かるとはどこまでお人よしなのだ。


 心の中で彼は嘲笑し、だが、それを爪の先ほどにも表さず言葉を紡ぎ出す。

「そうですか。それはお互いのために結構なことです。では、私にお願いしたい要件とは?」

「この前のあれとは関係なく預かってもらいたいものがあるのですよ。もちろん手数料は支払います」

「金を払ってでも預かってもらいたいものがあると?」

「そうです」

「我が主天野川夜見子に?」

「はい」

「それはいったい何でしょうか?」

「そう焦らずに。時間はたっぷりとありますから、まずは順を追って説明しましょう」

 三人のうちの真ん中にいる男がそう言って説明を始めた。

 前回の取引で彼らは長谷川に秘蔵していた多くの書籍を毟り取られた。

 彼らとしては、そのような失態など地中深くに埋めてなかったことにしたかったのだが、やはり上司には事実を報告しなければならない。

 重い罰を覚悟して報告した彼らだったが、意外にもお咎めなしという結果に終わった。

 おそるおそるその理由を訊ねた彼らにその上司は重々しくこう答えたのだと言う。

「あのような汚らわしい文書などできることなら私自身の手で焼却したかったところだ。そなたらはそれを我らが手に入れるべき貴重な書物と交換してきたのだろう。そのようなすばらしいおこないをしたそなたらをなぜ私が罰しなければならないのだ」


「それは吉報ではないですか。ですが、その報告を聞いてもらうことがそのお願いというわけではないでしょう。当然それの続きがあるということですね。預かって欲しいものがあるとか言っていましたが」

「そのとおりです。そして……」

「ありがとうございます。そこからは私からお話いたします」

 男の話を遮るようにしてやってきたもうひとりが新たに加わった。

 三人に比べてあきらかに若い。

 だが、纏っているオーラは圧倒的に彼らよりも格上と思わせる。

 そのような人物だった。

「ご存じでしょうが、我々は多くの部署に分かれています。その中には一般には知られていないものも存在します」

「そのようですね」

「当然あなたならそれも知っているわけですね。では、そこの説明は省きましょう。私が属しているのはそのうちのひとつで禁書のうちでも最高レベルのものを扱う部署となります」

「ほう。それは実に興味深いですね。その特別な部署で保管しているものとはがどのようなものかを是非知りたいものです。たとえばどのようなものがあるのでしょうか?」

「忌まわしき悪魔主義者たちの教典」

「なんと……」

 神に仕える立場の者たちが、その対極にあるものたちの教典を保管している。

 それは長谷川にとって驚きであったのか、普段は見せないようなハッキリとわかる驚愕の表情を浮かび上がらせた。

「あなたの先輩たちは、そのようなものを見つけ次第焼いていたものだと思っていました」

「大部分は。しかし、それでは彼らの思想や行動を把握するのは困難になる。そこで、一部は管理をしていたわけです。そのときに備えて」

「もしかして、大衆の前でこれ見よがしに焼いていたものは出来の悪い写本ばかりで、そうでないものはずっと保管していたのではないのですか?」

「さすがですね。まったくそのとおりです。そして、今回あなたの主人である天野川夜見子さんにお渡ししたいというのはその悪の教典となります」

「……しかし、解せませんね。何らかの事情で手元に置くことができなくなったということなら、我々に手渡すのではなく焼却してしまえば済むことではないのですか?」

「あれだけ強引に本を集めている蒐書官の取りまとめ役であるあなたのものとは思えぬ言葉ですが、確かにあなたのおっしゃるとおり焼却してしまえばそれで終わりです。ですが、我らの敵に対する知識もそこで失われてしまいます。いざというときにそれを読まなければならない。だが、ある事情によりそれを我々自身が持つわけにいかなくなった。そこで、書籍に関しては世界で一番安全かつ機密が守れる場所に預けることにしたわけです」

「それが天野川夜見子ということですか」

「そのとおりです。もちろんこれについては上も承認しております。あとはそちらの返答次第ということになりますがいかがでしょうか」

「なるほど。では、それを決める前に、その悪の教典を見せていただきましょうか?」

「当然ですね。ですが、ここでというわけにはいきません。場所を変えて」

「どこですか?」

「決まっているでしょう」


 もっとも聖なる場所の一室。

「……いかかでしょうか?」

「これは……これが本当にその悪魔教徒の教典なのですか?」

「そうです。本物かどうかを調べてみますか?」

「いや。しかし、これはすごい内容だ……だが、そのようなものがあったという噂は聞いたことはありましたが、写本ではなく原本が現存していたとは驚き以外の何物でもありません」

「あなたたちでさえ知らないということは我々にとっては最高の栄誉といえるでしょう」

「逆に私たちにとっては屈辱になるのでしょうが。これはどのように……。いや、それは聞かないことが習わし。とにかくこれはすばらしい」

「さて、多少なりとも留飲を下がったところで改めてお願いしたい。これとこれに関するすべてを預かっていただけますか?」

「もちろんです。それからこれの保管料のことですが、この前の件もありますので、無料で結構です」

「ありがとうございます。では、これであなた方の言うところ商談は成立したわけですね。これからもよい関係を」

「こちらこそよい関係を」


 ……夜見子様。お望みのものを手に入れることに成功いたしました。それにしても事実上の引き渡しをわざわざ保管依頼と言い換えるところはいかにも権威主義者の彼ららしいです。

 ……そうですね。ところで彼らが悪魔主義者の教典を隠し持っているというあの噂の出どころが私たちということには気がつかれていませんでしたか?

 ……もちろんでございます。彼らは内部に情報漏洩者がいると疑っているようでした。

 ……ところで、その悪の教典とやらを読んだ感想はいかがですか?

 ……真相を知っている者から言わせてもらえれば噂に違わぬ究極のマッチポンプといえるのではないでしょうか。

 ……マッチポンプ。実にいい表現です。

 ……組織にとってそれほど危険なものなら噂が流れた段階でさっさと廃棄すればいいものを。それに、彼らだって薄々気がついているのでしょうに。あの教典の作者が誰であることくらい。

 ……まあ、そこが教義に縛られた彼らの限界といえるでしょう。あくまであれは悪魔主義者の教祖が書いたもの。そして、来るべき彼らとの戦いのためにあれは必要なものなのですから。とにかく、これが廃棄されず無事私たちの手元の届けられたことを感謝することにしましょう。

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