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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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失われたギリシア人の旅行日誌

 イタリアの首都ローマ。

 この都市を担当している蒐書官である高尾と杉本のふたりが訪れていたのは、骨董店が並ぶその通りのなかでは小さな部類に入る店だった。

「来たな。待っていたぞ、友よ」

 大仰な挨拶とそれ以上にオーバーなアクションでふたりを迎える無骨な顔からは想像できない不愛想とは対極の存在のようなその男が営む店が扱っているのはアクセサリーの類だった。

 本来であれば彼らが立ち寄る場所ではないのだが、その日彼らがこうやってこの店を訪れた理由。

 それはある情報がもたらされたからだ。

「こんにちはパオロさん。連絡をいただきありがとうございます」

 完璧なイタリア語の挨拶に一瞬だけ日本人に目をやったものの、すぐに表情をいつものものに戻した男は大口を開けて笑う。

「あんたたちの噂は聞いていてよかったよ。そうでなければあんなもの、焚き付けにするところだった」

「……あんたたちが金を払って仕入れたものをそんなことをするわけがないでしょうが」

 聞こえないように店主であるパオロの言葉にツッコミを入れたのは杉本だった。

 一方、彼に聞こえるように言葉を口にしたのは、杉本より年長の高尾だった。

「それはよかった。私たちは素晴らしいものが手に入り、あなたはお金が手に入り皆が幸福になれる。私たちを引き合わせてくださった神に感謝をしなければいけませんね」

「まったくだ。ワハハハ」

 パオロは高尾の言葉がいたく気に入ったのか、しばらくの間豪快な笑いを披露していたのだが、やがて、表情を激変させる。

「さて、ここからは商売の話だ。あんたたちも同業者のようなものだから聞くまでもないことなのだが、この世界の鉄の掟は知っているな」

「もちろん。商品の出どころは聞かない。訊ねられても答えない」

 彼の言葉に大男が頷く。

「そのとおり。しかも、今回のブツは特にマズイやつだ。正直なところ、俺はさっさと手放したい。だから、即金で支払いをするなら大幅に値引きする」

「それはありがたいです」

「では、さっそく裏に行こう。商品を見せる」

 そう言ってパオロはふたりを見せの中に案内する。

「……交渉の前に値引きカードを切るとは盗品ということなのでしょうか?」

「……そう思わせる交渉術ということも考えられる。とにかく、すべては商品を見てからだ」

「……はい」

「待たせたな。そのブツがこれだ」

 少しだけふたりを待たせたパオロが手にしていたのは知らされていた本というよりは、紙束だった。

「なるほど。羊皮紙とパピルスが混ざっていますが、ふたつは別物ですか?」

「いや。同一人物のものということだ」

「時代は?」

「俺にこれを売ったやつが言うには、紀元前二世紀まで遡るそうだ」

「触ってもいいですか?」

「構わん」

「杉本君。確かめたまえ」

 高尾に促されて杉本はすべての感触を確かめる。

「触って何がわかる?」

「触ってわかるのは材質くらいですが、まあ、なんというかこれは我々の儀式のようなものです」

 もちろんこれは嘘である。

 蒐書官と名乗る者は、手に触れたものの年代がわかるという特別な能力を有している。

 ただし、その正確さは個人の能力に負うところが大きいのだが。

 そして、この能力は他人には知られてはいけないものなので、こうして相手に目に触れておこなう場合には適当な言い訳をする。

 もっとも、その言い訳は蒐書官によってさまざまであり、高尾のようにその時の思いつきで何種類もの言い訳を持ち合わせている者も多い。

「……ほう。さすが噂の蒐書官らしい儀式だな。それで、これは本物か」

 そのような事情など爪の先ほども知らない男の問いに、後輩蒐書官は心の中でこう答える。


 ……本物です。ただし、年代はあなたの言葉とはかなり離れていましたが。

 ……まあ、あなたにそれを教える義務は我々にはありませんが。


 彼はその言葉を飲み込むと、愛想のよい笑みを浮かべる。

「どうやら本物のようですね。正確な時代はしっかり調べないとわかりませんが、古いことは間違いないです」

「早いとこ頼む。本当にこれは……」

 焦るパオロを制しながら殴り書きされたギリシア文字が並ぶそれを読み進めていた高尾の顔にはなんともいえない微妙な笑みが浮かび上がる。

「なかなか興味深い内容でした。よろしい、買い取りましょう。さて、あなたはこれをいったいいくらで売りたいのですか?」

「五万ユーロ。と言いたいところだが、一万ユーロ。ただし、こちらも危ない橋を渡って手に入れたものだ。買値であるこれ以上はまけられない」

 一万ユーロ。

 現在のレートで百万円を超す金額である。

「いいでしょう。実際のところ、内容自体にはあまり価値はありませんが、使われた羊皮紙もパピルスも年代もののようなのでかなりの価値がありますから」

「では、商談で成立だな。それで、金はいつ……」

「今です。どうぞお確かめを」

「お、おう」

「少々色を付けてあります。では……」


 パオロから奪い取るようにして品物を手に入れた彼らはすぐにホテルに戻らず、近くにカフェで時間を潰していたのは、尾行を警戒したためである。

 注文したコーヒーに口をつけた後輩が彼に訊ねる。

「高尾さん。パピルスも羊皮紙も古いですが、それほどの価値はありませんよ」

「そのようなことはわかっている」

「ということは、もしかして……。ギリシア語が不得意な私には何が書かれていたのかよくわからなかったのですが、どのようなことが書かれていたのですか?」

「これは、ローマ時代かそれよりも前にエジプトを訪れたギリシア人の旅行記の草稿の一部だ」

「そうなのですか。それで、肝心の内容は?」

「ピラミッドに関するものと思われる記述が大量にあった」

「……もしかして、ストラボン」

「可能性はある。だが、たとえそうでなくてもこれは貴重だ。なにしろここに書かれているのは、この時代のピラミッドを実際に見た者の言葉だ。これが百万円ならば安い買い物といえるだろう。もっとも……」

 そこまで口にした彼は微妙な笑みを浮かべる。

「何か?」

「案の定、あのイタリア人は値引きすると言いながら、たっぷり利益を乗せてこれを売りつけたようだな」

「そうなのですか?」

「間違いない」

「ということは、我々は損をしたのですか?」

「いや。これが本物である以上我々は損をしたわけではない」

「ですが……」

「いいではないか。彼は大儲けできたと大喜びし、これの真の価値を知る我々は支払った額以上のものを手に入れたと喜ぶ。お互いに十分に満足する結果を得られたのだから、ここは神に感謝すべきではないのかな」

「なるほど。そういうことであれば神に感謝の言葉を捧げましょう。今日の幸福を我々に与えてくださった神に感謝いたします。アーメン」

「アーメン」

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