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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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宇治大納言物語

 京都府南部。

 この数週間、この地域の旧家や寺院の蔵や屋根裏を物色する集団があった。

 蒐書官。

 それがその集団の大部分を占める彼らの職名となる。

 といっても、彼らは正式な蒐書官ではなく、アプレンティスと呼ばれる見習いではあるのだが。

 そして、その見習い蒐書官たちを率いているのは世界的蒐書家天野川夜見子の側近であり、上級書籍鑑定官という肩書を持つ北浦美奈子だった。

 もちろんやってきた彼らが探しているものとは、貴重な書であり、当然ながらそう簡単に見つかるものではない。

 だが、そうであっても、これだけの人員を投入しているにもかかわらず、これまでの成果は彼らの希望とは程遠いものだった。

 もう少しはっきりと言えば、彼らが望んでいるものに関していえば、戦果はいまだゼロである。

 もっとも、それは当然といえば、当然である。

 そもそも蒐書官の仕事は硬軟自在に使い分ける緊張感あふれる交渉や武器を使う荒事のような派手な部分ばかりが注目されるが、その陰で何の成果も得られずただ労力だけを消費する現在おこなっているような地道な作業にその何倍も時間が費やされているのだ。

 さらに蒐書官の仕事には作業前におこなう情報を手に入れ分析するというもっとも重要とされる行程もあるのだが、それらをすべて飛ばした、いわば行き当たりばったりの作業をおこなっているのだから。

 では、なぜ彼らがそのような効率の悪い作業を続けているかといえば、最近たて続けに貴重な書を引き当てたある闇画商がこの手法を採っていたから。

 つまり、その男ができるのなら……という実に安直な発想から始まったものだったのである。


 その日の昼過ぎ。

 この日三軒目の蔵から見つかった戦利品を冷ややかに眺める彼女に今回の作業に加わっている彼女直属の書籍鑑定官と呼ばれる女性が訊ねる。

「どうしますか?」

「まあ、悪いものではありませんから、こちらの品は夜見子様を通じて立花家に処分方法を確認することにしましょう」

「承知しました。ですが、いいのですか?このようなものに大金を支払っても……」

 書籍鑑定官の女性が遠慮がちに訊ねると、彼女はほんの少しだけ微笑む。

「もちろんです。何か納得がいっていないようですね」

「そのようなことは……」

「いいでしょう。部下の疑念を解くことも上に立つ者の務めです。まず、このような書籍以外のものに大金を出して買い取る理由ですが、私たちが本来探しているものを気づかれないようにするという意味があります」

「なるほど」

「それからもうひとつ。探索。いや、かの者が言うところの蔵開け料をはずみ、さらに見つかった品の買い取りにも気前よく金を支払えば、評判が評判を呼び、協力者が増えるとことに繋がります」

「さすが美奈子様。深慮遠謀恐れ入ります」

「そこまでのものではありませんが、これで疑念は解けましたか?」

「はい。十分に」

 ここで、その会話にもうひとりの女性が加わる。

「それにしても実際に蔵開けをやってみると、あの画商の引きの強さは相当なものと思えてきますね」

「まったくです。優秀なあなたたちが真紀からのレクチャー通りにやっていて、このありさまというのは、これはもう能力以外の何かが必要なのではないかと思えてくるのも当然です」


 ……それは、まさしくあの男がこの計画に反対した時の言葉。


 彼女はその言葉を口にしながら、思い浮かべていたのは蒐書官たちを統括する自分よりひと回りほど年長の男の顔だった。


 ……だが、あの男の前であれだけの啖呵を切った以上、私は失敗するわけにはいかないのだ。


 彼女は悪夢を振り払うように首を振る。

「ですが、そのような特別な能力がなければ努力と献身でそれを補わなければなりません」

 もちろん彼女の立場をよく知るふたりの書籍鑑定官は彼女の言葉に大急ぎで頷く。

「当然です。それで、今回手に入れたもののうち先ほどの掛け軸以外の処置はいかがしますか?」

 そう。

 彼女率いる探索チームの成果は確かに芳しいものではなかったのだが、それはあくまで目標のものについてであり、副産物的なものを含めれば労力に見合ったものを手に入れていた。


 ……さて、どうしようか。


 彼女は少しだけ思案に答える。

「そうですね。私たちはこのようなものにまったく興味はありません。かといって、私たちにはこのようなものを効率よく売り払う手段がない以上それをもっている者に引き渡すのが一番いい方法でしょう」

「では、いつものように例の画商に売りつけますか?」

「そうですね。それがいいでしょう。誰かを売り主に仕立てて売りに行くことにしてください。真紀には私から話をしておきます」


 ということで、この日もここまでは、もはやここに来てからの日常の風景になりつつあった、いわゆる「空振り」だったわけなのだが、この日四軒目となる次の蔵開けで遂に彼女が待ち望んでいたそれが起こる。


「美奈子様、出ました」

 それほど見栄えのしないその蔵を探していた蒐集官の裏返った声が彼女を呼んだ。

「どれですか?」

「こ、これです」

 蔵の外で彼らの作業を見守っていた彼女が中に入ると、若い蒐集官が顔を赤らめながら走り寄り古い紙束を渡した。

「中の確認は?」

「まだです。封がしてありましたので」

「……封というか、丁寧に紙に包まれ紐で縛ってあると言ったほうが正しいですね。確かに紙は古いものです。では、開けてみましょう」

 彼の言う封を解き、中身を確かめ始めた彼女だったが、その顔はみるみる上気していく。

「こ、これは……」

「……ハズレですか?」

 触れた瞬間に書かれた年代を把握し沈黙する彼女に恐る恐る訊ねる彼を問いには答えず、さらにそれを読み進めていた彼女が発した言葉は感情を表すにはあまりにも短かった。

「……いいえ。実にすばらしいものです」

 だが、その言葉で彼は理解した。

 ついにこれまでの努力が報われる瞬間がやってきたことを。

「……これは、失われた書物のひとつ宇治大納言物語です。他にもこの蔵に隠されているものがあるかもしれません。くまなく探しなさい。場合によっては……」

 彼女の声は先ほどよりもあきらかに小さかった。

 だが、それはその言葉の重要さを示し、語られなかったその部分を感じ取った蒐書官たちはすぐさま自らの武器を確認する。


 その日の夕方。

 多くの古道具を抱えた蒐書官を従えた彼女の手には古い紙束があった。

 そして、彼らを笑顔で見送るこの家の家族たち。

「うれしいそうですね」

「まったくだ。殺されかけたことも知らずに呑気なものだ」

「まあ、いいではないか。彼らにとっては自身も忘れていたような古道具が思いも寄らぬ大金に化け、我々は失われた書を手に入れたのだから」

「いわゆるウインウインといやつですね」

 手を振り返しながら皮肉を言い合う彼らにも笑みが零れる。

 当然である。

 確かに彼らは必要とあれば躊躇いなく人を殺す。

 だからと言って彼らがそれを好きでおこなっているわけではない。

 殺さずに済むのであれば彼らにとってもそれが一番なのである。

 その様子を彼女は苦みを帯びた笑みを浮かべながら眺める。


 ……まったく甘い。さすが、あの男の薫陶行き届いた部下どもだ。


 そこに、「自分ならすぐさま必要な行動を起こしただろう」と、つけ加えた言葉を心の中で呟く。


 ……だが、とりあえず今日はこれでいい。


「今日はいい仕事ができました。夕食は豪華なディナーにしましょう」

 歓声の中、彼女は続ける。

「ですが、これで終わりではありません」


 それから数日が経った東京都千代田区神田神保町の古書街に建つ極端に窓の少ない建物。

 自身にとってその組織内で唯一の上司であり、その建物の主でもあるひとりの女性にそれを手渡すこと。

 それがこの日彼女はそこにやってきた理由だった。

「お疲れさまでした。そして、ありがとうございます」

 その女性は満面の笑みという表現がふさわしい表情で彼女からそれを受け取る。

「思っていた以上に保存状態がいいようですが、やはり修復は必要ですね。一度目を通したあとに『すべてを癒す場所』へ回すことにしましょう。ところで、これは原本か写本かは判明しているのですか?」


 ……私などより遥かに正確な年代測定ができる夜見子様にはやはり紙の年代についての説明は不要なものでしたね。


 彼女は修復を専門におこなう工房の名とともに口にした女性の言葉に抜け落ちている部分を自嘲気味に心の中で呟いたあとに女性の問いに答える。

「そこまでは今の時点では断言できません。ですが、完本ということは確実です」

「なるほど。ちなみに作者を確定できる痕跡はありましたか?」

「もし、これが原本であるならば作者であるという噂の宇治大納言源隆国の書を取り寄せてみればはっきりしますが、写本であった場合はなんとも。もっとも保存状態を考慮して一度速読しただけなので、作者についての記述を見逃した可能性もありますが」

「達人であるあなたが見逃すはずがありません。ところで、書名は宇治大納言物語のままでよろしいのですか?」

「表紙に書かれたとおりなら……」

「慎重ですね。ですが、そう書かれている以上、宇治大納言物語は問題なさそうですね。所詮タイトルなど中身に比べればどうでもいいことなのですから」

「そのとおりです」

「それから、もうひとつ。大事なことを聞き忘れるところでした。これが見つかった家というのは作者と関係のあるような格式を持つのですか?」

「いいえ。旧家であるのですが、貴族に繋がる家柄というわけではないようです。その家の主の言葉が正しければ、遥か昔にその家の祖先がさる偉いお方と食料と交換したという古い家具がいくつか蔵に放り込まれていたのですが、そのひとつにこの書は隠されていました」

「なるほど、それはおもしろい。……それでその家具はどうしましたか?」

「買い取りはしたものの、処分に困っています。一応例の画商に売りつけるつもりで準備をしておりますが……」

「それは残しておいてください」

 少しだけ表情を厳しくした女性が口にしたその言葉は普段のその女性を知る彼女にとって意外といえるものだった。


 ……確かに年代ものではありますが、ここで使用するには少々使い勝手が悪いといわざるを得ません。

 ……そもそも、このようなアンティークにはまったく興味がない夜見子様らしからぬお言葉。


「それはどういうことでしょうか?夜見子様」

 その言葉に興味を引かれた彼女の問いに女性は明確な言葉で答える。

「簡単なことです。私たちのような非才にはただのガラクタにしか見えなくても、そこからその書に関する多くの手がかりを見つけることができる人物が私たちの身近にいるではありませんか。その方にそれを見ていただくのです」


 ……なるほど。そういうことですか。


 彼女は納得する。

 そして、女性がそこまで信頼し、このような言い方をする対象はこの世にひとりしかいないことを知っている彼女はその言葉を口にする。

「それはお嬢様へということでよろしいのでしょうか?」

「当然です。私からお嬢様へ連絡をしておきますので、千葉のお宅へそれを至急運搬するように手続きをしてください。ところで……」

 そこまで言ったところで女性は少しだけ人の悪そうな笑みを浮かべる。

「まだ、続けますか?蔵開け」


 もちろん彼女のそれに対する答えは……。


 さて、その二日後。

 その少女はそれに向かって話しかけていた。


「……こんにちは。あなたがこの書の作者だったのですね。そして、そのあなたはこの書をこのような詩的ですてきなタイトルで呼んでいたわけですか。わかりました。あなたのその想いを、この私、立花博子が継承することを約束いたします」

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