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古書店街の魔女  作者: 田丸 彬禰


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闇画商 Ⅰ 埋れ木

 それは、あの事件から少しだけ過ぎた日のことだった。

 その日、京都市中心部からは少しだけ北にあり寺院が点在する場所に姿を現した男。

 木村恭次。

 フェルメールの絵画「合奏」の本物を使った大掛かりな贋作騒動を巻き込まれ破産寸前にまで追い込まれたあの画商である。

 実は、彼女こそが自らを破滅の一歩手前までに追い詰めたその事件を計画し実行に移した加害者グループの元締めであったのだが、そのような事情をまったく知らない恭次は天野川夜見子を破産寸前の窮地にあった自分を命の恩人であると信じていた。

 それと同時に、暗闇を渡り歩く商人らしく、欲しいものなら大枚を叩く天野川夜見子という女性が自分のあらたな金づるになるということもその鋭い嗅覚で嗅ぎ取っていた。

 そういう諸々の事情により、あの日以降、彼はそれまでは専門外ということもありゴミ扱いにしていた古文書の発見を最重要視するようになっていた。

 それからもうひとつ、以前の彼とは変わったところがあった。

 それまではひとりでおこなっていた彼が「蔵開け」と呼ぶその仕事に妻である真紀を同行させるようになっていた。

 その理由。

 それは、これまた真実はまったく逆なのだが、彼が贋作を掴まされ転落した奈落の果てから這い上がることができたのはそれを持っていたからだと信じている源氏物語の幻の一巻「輝く日の宮」。

 それを手に入れられたのは彼の妻が源氏物語を愛読していたからであり、あたらしい顧客蒐書家天野川夜見子に再び高額で売りつけられるようなお宝発見のためには古典文学を深く愛している彼女が傍にいる方がよいと考えたからである。

 だが、彼は知らない。

 愛する妻が実は天野川夜見子のために蒐書活動をおこない、必要とあれば眉ひとつ動かさず他人の命を奪うことを命じる冷酷な上級書籍鑑定官嵯峨野真紀と同一人物であるということを。


 この日も古典に精通した妻である真紀、いや天野川夜見子の右腕である上級書籍鑑定官というこの手の仕事をするうえでこれ以上はない助手とともにやってきた恭次はその地区にある蔵を多額の手数料を払って宝探しに勤しんでいたのだが、このような作業には地道な努力と忍耐、それに資金が必要なのである。

 言うまでもない。

 彼がおこなっている作業に限らず宝探しの類というものは、いつもあたりを引くわけではない。

 いや、ハズレばかりと言ったほうがいいだろう。

 現にすでに三日目となる彼の作業もこれまですべてが空振りだった。


「あと二か所だけですね」

「そうだな。君には残念な結果だったかもしれないが、蔵開けなどこのようなものだよ」

「……そうですか。それはよろしゅうございました」

「……もしかして怒っているのかい。もし私の言葉が原因で君が機嫌を損ねたのなら謝る。悪かった」

「いいえ。そうではありませんから気にしないでください」

 真紀の目つきが突然鋭くなったことを恭次は自分の言葉が原因だと思ったのだが、実はそうではなかった。

 彼女に見えて彼には見えなかったもの。

 それは邪悪なオーラを纏った集団の影だった。

 だが、真紀はそれを告げることはなく、何事もなかったかのように白いつば広帽子をかぶり直しながら話題を変えた。

「ところで、蔵開けというのは他の同業者さんもおこなっているのですか?」

「いや。これは結構資金と時間が必要だし、その割に得るものが少ないのでほとんどの仲間は手を出さない」

「そうですか。ということは、あなたの独壇場というわけですね」

「まあ、そうなるかな。ただし」

「ただし?」

「まっとうではない方法でやっている者ならば山ほどいる」

「たとえば?」

「盗み。そして、その同類」

「……横取りというのはそこに入りますか?」

「もちろん入る。そして、私は一番許せないのが、そいつらだ」

「と言いますと?」

「盗みは確かに良くない。だが、少なくてもどんなコソ泥だって自分で品物を探し、場合によってはせっかく見つけ出した物をトリアージすることだってある」

「それは持っていく品を選別するということですか?」

「そう。そのためにはそれなりの目を持っていなければならない。だが、横取りするやつらはそのような努力をまったくしない」

「言いたいことはわかりました。もしかして、そのような輩に遭遇したことがあるのですか?」

「何度も」

「その時は……」

「品物も金もすべて持っていかれる。場合によっては痛い目にも遭う。私が君を連れてきたくなかったのは、君を連れているときにそのような奴らに会って君がひどい目に遭う事態になっては困るからだ。なんといっても、私にとって一番の宝は君だからそれだけは避けなければならない。たとえ私がどうなろうとも」

「そうなのですか……あの……なんというか、その……ありがとうございます」

 真紀は恭次の言葉に少しだけ慌て、そして顔を赤らめた。

 しかし、実際のところは彼女がそのような状況になるのは余程の相手でなければあり得ず、かえって恭次が人質に取られる可能性の方がはるかに高かったのだが、もちろん、真紀はそのことを口にすることはなかった。

 真紀は遠くを眺めて何かに満足するように頷きながらさらに言葉を続ける。

「ですが、今日はそのようなことは起きません。絶対に」

「私にとって幸運の女神である君の言葉だ。安心して蔵開けができそうだ」

「はい。がんばりましょう」

 夫は知らなかった。

 実は自ら口にしたその危険はすぐそばまで迫っていたことを。

 そして、彼にわからないように送った真紀の指示で動き出した護衛の蒐書官たちによってその災いのもとが排除されていたことも。


 ぶらぶらと歩いていたふたりはやがてその蔵の前に辿り着く。

 それはまるで何かに導かれたかのように。

「次はこの蔵にしようか」

「はい。ところで、作業をする蔵はどのような基準で選んでいるのですか?」

「特にはないよ。強いて言えば古く立派なことかな。ただし、これは基準というよりも希望だけど。要は数。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。これが私のモットーだ」

「なるほど。そう言えば、この蔵は先ほどの基準からは程遠いものです」

「そうかもしれない。でも、こればかりはえり好みはできない。蔵開けをさせてもらえるだけで御の字なのだから。つまり蔵開けできない立派な蔵より蔵開けできる小さな蔵。では、交渉してくる」

 十数分後、彼は笑顔で妻のもとに戻ってきた。

「了承してくれた」

「ちなみに、出した条件はどのようなものなのですか?」

「蔵開けをするために先払い五十万円。気に入ったものが見つかった場合にはさらに五十万円を支払う。もちろん買い取りは別払い」

「何を得るものがないことが多いのに随分と気前のよいことですね」

「仕方がないよ。それくらい相手に有利な条件でなければ了承してもらえないからね」

「なるほど」

「では、始めようか」

「はい」

 こうしてこのみすぼらしい蔵で始まった作業だったが、それは意外なくらいにあっさりと見つかった。

「……古い紙束が出てきた」


「本当ですか?」

「ほら。何やら字も書いてあるし。達筆すぎて私には読めないが」

「見せてもらってもいいですか?」

「もちろん。どうぞ」

「ありがとうござ……」

「どうかしたのかい?」

 真紀は驚きのあまり恭次の言葉にすぐに答えられなかった。


 ……触れただけでわかるこの感触。紛れもなくこれは平安時代の紙。

 ……つまり、当たり。

 ……ですが、私直属の書籍鑑定官だけではなく行動力のある蒐書官たちまで大量動員しても見つけられないものを、この男はなぜこうも簡単に引き当てられるのか。

 ……いや。それよりも、まずは中身の確認をしなければ……。


 それを慣れた手つきでそれを読み続ける妻を待っていた恭次だったが、三十分を過ぎた頃たまらず声をかける。

「で、どうかな?」

「……あたりです」

「あたり?」

「これは、今は写本さえ存在しない消えた物語のひとつ『埋れ木』です。つまり、すばらしい発見です」

「……わかった」

 もちろん、恭次はその「埋れ木」なるものを知らない。

 だが、彼はその価値を疑わない。

 それが愛する妻の言葉なのだから。


「では、ここからは私の仕事だ」


 それからわずか三十分後。

 ふたりはいくつかの骨董品とともにそれを手にしていた。

「騙したのですか?」

「その表現は微妙だな。だが、事実だけを言えば支払ったのは現金で三千万円。彼らは十分に満足していたよ。もちろん私たちにとってはそれでも丸儲けではあるのだが」

 ……私だけではなく、私たちですか。

 少しだけ感心した真紀だったが、口にしたのはそれとは別のことだった。

「それで、それを天野川さんにいくらで売るつもりなのですか?」

「二億。いや三億というところか」

「なるほど」

 真紀は微笑んだ。

 彼女の微笑み。

 それにはふたつの意味がある。

 ひとつは偽りではあるものの、夫の儲けに対する喜びを目の前にいる男にわかるように表すもの。

 そして、もうひとつはこの男の愚かさに対しての心からの嘲笑。


 ……三億円?この物語の価値はそのようなものではありませんよ。


 だが、その認識はすぐに改められる。

「君は三億円という金額に不満かな」

「いえ、そのようなことはありません。なぜそのようなことを聞くのですか?」

「君の顔を見ればわかるよ。あれにはその何倍の価値があることを」

「……では、なぜ三億円なのですか?」

「理由はふたつある。ひとつは買値が安かったのだ。当然そうなれば売値も安くなる」

「もうひとつは?」

「もちろん彼女に対する払いきれない負債だ。いや、恩と言ったほうがいいかな。だから、彼女に対しては損をしない程度に安く売る。これは私なりの誠意だ。だから、いくら君の意見でもこの金額は変えることはない」

「……すばらしいです。本当にすばらしいです」


 三日後の深夜。

 彼女はひとりの女性と話をしていた。


「……そういえば、木村恭次が言い値よりも五千万円ほど上乗せして支払ってもらったと言っておりましたがよかったのですか?」

「さすがに三億円は安すぎだと思いましてので。それに、今後のこともありますから」 

「……なるほど」

「ところで、あなたに伺いたいことがあります」

「なんなりと」

「あなたのパートナーは蔵開けを何か特別な方法でおこなっているのですか?特にターゲットの選定方法とか」

 その女性がそう訊ねるのは当然である。

 同じ男は「輝く日の宮」に続き「埋もれ木」を発見するというありえないことが立て続けに起こしていたのだから。

 だが……。

「……私も目を凝らして見ていましたが、特別変わったことなどなく、提出したレポートのとおり特別なことは何もしていません。手当たり次第と言ったほうがいいような実に節操のないやりかたをしております」

「ということは、今回の発見も偶然だと言うのですか?」 

「信じられないことなのですが、そういうことになります」

 彼女は電話口から相手のため息を聞いた。 

「……なるほど。そういうことであれば、私たちはこの「埋れ木」以上の宝を手に入れたのかもしれません」

「それは?」

「もちろんあなたのパートナー木村恭次のことです。驚くべき幸運と宝物に対する嗅覚。こればかりは技術や経験で手に入れられるものではありません。今後は彼自身に対しても護衛をつけることにしましょう。あなたも金の卵を産み続ける彼を大事に扱ってください」

「承知いたしました」


 ……金の卵を産む鶏か。

 ……私は「輝く日の宮」を発見した直後、その鶏の首を危うく絞めるところだった。

 ……あの男の助言がなければ、間違いなくやっていた。

 ……だが、あの男に礼は言わない。

 ……あんな男。鮎原進には。

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